第3話
僕はこうして前世までの記憶をすべて思い返すことができるようになった。僕は自分が『なにもの』であるかを悟っている。しかし、その『なにもの』で居られることはここを出れば一旦途絶える。僕は自分が『なにもの』であるかまったく消去する。すべての記憶に幕がかけられ僕は無力な所からまた漂うことを始めなければならない。それまでは本来の『ぼく』で在られる。それがつまり人間になる前の僕、胎児なんだ。人間になる前のこの時を僕は結構気に入っている。何故なら、僕は母のお腹にいて僕をとりまく様々な出来事や感情をあたかも自分の眼で宙空から見ているかのように感じ取ることができるからである。それはまたあたかも長い十月十日の映画を特等席から見ているようなものだった。
そう判ずれば、僕はこの鑑賞期間をさっきよりもっと人間らしく楽しまなければいけないと思う。いけないなんて愚かな制約も愚の骨頂か。ただ無遠慮に楽しみ尽くしてやればいい。
さて、では僕の視界を僕以外の人間に移動させてみよう。さっき僕が受胎したことを、僕の母になろうこの宇海(うみ)で僕を守ってくれているこのひとも、母になろうひととまぐわい、いまは隣でいびきをかいているこのひとも、まだ知らない。まだ知らないが、僕は知っている。受胎したことをではない。このひとたちが僕の母と父になり、そうなることを彼らがずっと願っていたことを。
つまり、僕は望まれて生まれてくる人間なのだ。そのことだけでも僕の来世が約束されている。母と父に愛されることを。
この当たり前のような幸福を、僕は下賜される遥か以前に当たり前でもないことを知った。宇宙にはそんな生命はそう多くない。生まれることが或る流れのなかの一つ作業であり、宇宙の一郭を構成せしむる極小の運動に過ぎない。それが宇宙の常識である。
例えば、僕の輪廻でもほとんどはそうでありハムスターの時も、ミヤマクワガタの時も作業の結果、僕は生を受けた。況(いわん)や親に食われる命なら生まれなければよかったと思うだろう。しかしそうでもないのだ。それも長い輪廻の定めであるから、ここに至るに必要な厄災(やくさい)だったのだ。人間だからそう思うのだが、ハムスターに生まれればそれは不幸でもなんでもない。怖くもなんともない、痛くもなんともない、また自分に帰る儀式に過ぎない。戯言が過ぎたが、つまり娑婆では親の愛はあたりまえではない。だけど僕は親に愛されて生まれてくる。
僕は母と父の最初の子供になるはずだ。僕が受胎するまでに二人の間に僕と同じような生命を持った胎児はいない。結婚して最初の一年間は二人で相談して子供を作らないことにしていた。新婚の甘い時期をまだ楽しみたかった。旅行にも行きたかった。仕事も軌道に乗せたかった。そんなこんなで一年目は不妊対策を怠ることなかった。
しかし、二年目から子作りに励んだ。母は二十七、父は二十八。遅くもなく早くもなく丁度いい。ここで第一子があったら家族計画は順風満帆だったろう。ところが、いざ作ろうと思うと、なかなかうまくいかなかった。はじめは周期の問題で、時期がくれば妊娠するだろうと二人とも思っていた。ところが半年経っても妊娠の兆候が一向に見えないのには二人して焦りを覚えた。
一年が過ぎた。子供はできない。性交に変な使命が鎧(よろい)を纏(まと)い始めた。こうなると父が苦しむ。自然と性交に挑めなくなってきた。勃起が起きない。それを母が次に苦にする。できないのは自分のせいなのか。
結局、どちらに原因があったというわけでもないが、母の方がそのことでより自分を強く責め悩んでいたので、父も自分の胤(たね)に欠陥があるかもしれないと疑い、二人は淀んだ空気を振り払わんがため意を決めて不妊検査を受けることにした。
しかし検査の結果、二人の生殖機能に何の問題もなかった。二人で胸を撫で下ろした。
実際のところ、二人に子が授からなかったのは、まだその時期が来ていなかっただけなのだ。愛されるべき子供になり得なかったのだ。二人の暮らしに定めがそう判別したのだ。二人の覚悟が熟した時、しかるべき性交があり、僕がここに召喚された。それも僕の定めが決めた。母、父、そして僕、互いの前世との因果はどこかにあったはずだ。
こうして僕が生を受けたことを、彼らが期待を確実な喜びに換えるのはもう間もなくのことだ。母はいま浅い眠りのなかで僕を呼んでいる。父はいびきの裏側で僕の誕生を思い描いている。僕は知っている。この母と父のそれまでにも善行があって僕を迎えていることを。こうして輪廻は繋がっている。誰と縁(えにし)を持つかは自分の過去が決めている。ちょっとずつだが逢うべきひとが功徳を積んだところに近づいている。それは僕にとっても定められた因果だったのである。
僕は想像してみた。母の顔を覗いた。弁天様みたいだった。まだない首を伸ばして父の顔を覗いた。えべっさんみたいだった。僕の想像は僕を布袋様(ほていさま)のような顔で仕上げる。
勿論、娑婆での暮らしがそんなにいいことばかりではないことはこれまでから存分にわかっている。例え僕らが七福神みたいな顔をしていたとしても、如何に善行を重ねていようとも、一旦娑婆に出れば、苦い経験もたくさんするだろうし、突然の災いが降りかかることもあるだろうし、仲良くすればいいのに他愛もない喧嘩もしょっちゅうするだろう。それはどうあっても人間で生まれてくれば、生命を授かった時点で避けられない。
だから楽しもうと思う。母の宇海(うみ)にいる間もそうだけれど、ここから出たあともどうせ避けられないことは避けようと思わずやり過ごして僕の心持ちが楽しむことを続けていければいい。そう思うと事は案外うまく運ぶ。
母の眠りが深いところへ着いた。受胎した僕に安らかな成長要素が緩々(ゆるゆる)と注がれてくる。母の安心が僕を健やかにする。母は明日の朝、二人分の朝食を用意してそしてまた父のお弁当を作って、父を見送った後、大急ぎで朝食のパンをかじり牛乳で流し込み、それから自転車を蹴って勤め先のパン屋さんに向かう。彼女の仕事は焼き上がったパンを店頭に並べることと、代金の徴収である。以前は大きなパン工場で働いていたけど、結婚して一旦退職した。父はそのパン工場で主任を務めていた。二人は職場で出逢い、職場結婚したが、訳あって二人ともこの仕事から離れた。父はいま大学で職員をしている。こうした二人の経緯も定めも胎児であるから僕は全部眺めることができる。それを知られる母も父も知れば嫌だろうけど、彼らだって胎児の頃は自分の母と父の経緯を見ていたはずなのだ。この前知(ぜんち)が何をや僕らの漂流にもたらしているのかはわからないけれど、自分の来歴や両親を知って出ていくことが、おそらく両親に似た自分を作っているんじゃないかと僕は考えている。だから僕はもっと母と父のことを知っておきたい。彼らに似た自分であって欲しいと思うから。
母は毎日パン屋に働きに出かける。父は謹直に大学で執務を取る。そんな彼らの疑いない篤実(とくじつ)な暮らしから、僕は生育に必要な栄養分とは別の旨い育みを得ている。僕はずっと母と父のことを胎内から見続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます