第2話

 数えることを覚悟したなら、過去をも思い出せる。三つ前の命は儚(はかな)い時日だった。僕は二十四回目のミヤマクワガタの雄に生まれ落ちた(その呼び名は人間の勝手につけたものでクワガタ仲間ではンィッツで通っていた)。幸い、二十四回目は人間にも鳥にも捕まることもなく穏やかにどこかの島の深い山中で過ごした。けれど過ごした日は土の中で生育した時も合わせても人間で数える三百四十一日間で、成虫になってからは大好きな季節を二度は味わえなかった。尤(もっと)もこれはその前の二十三回も似たようなものだったが。

 しかし短かったけれどクワガタであれたことは幸運だった。何故って無闇(むやみ)に他から犯されるほど弱くもないので十分に自己防衛できたし、無闇(むやみ)に他をいじめたり捕食したりすることもなかった。土中ではまわりに食べるものがいくらでも転がっていたし、木に登れば湧き出る美味しい御馳走にありつけた。そりゃあ時々、他の奴らとも御馳走を巡って争ったけど、僕は誰にも負けなかった。一度傲岸(ごうがん)なカブトムシの奴と徹底的に喧嘩したことがある。奴は僕のアゴから腹にかけて大きなツノを差し込み、僕を木から引き剥がそうとした。僕は木の表皮に爪を引っ掛けて必死にしがみついて奴をアゴで威嚇(いかく)した。僕のアゴと奴のツノが絡み合ってギシギシ唸っていたけど僕は一歩も引かなかった。やがて奴が根負けして固い大きな羽根を広げて飛んでいった。以来奴は二度と僕の住処(すみか)には来なかった。御馳走は奴や僕が食ったくらいでなくなるようなお粗末なものではなかったけど、なんだろうな、この星の生き物に生まれた場合は必ず昔から独占欲や縄張り意識のようなものが体の何処かに埋め込まれていた。これはなくならなかったけど、昔むかしに意味もなく同種を殺戮(さつりく)したりされたりしていた暗澹(あんたん)たる頃から比べて(それが定めの輪廻では仕方ないけど、例えば三十六輪廻前のハムスターの時、僕は母親に食われて娑婆を去った)、近頃は生命の危機が小さくなってきた。飢饉に遭うこともないし、貧しくても食べるに困ることはなかった。何かに脅かされることも争いに駆り出されることも随分少なくなった。そんな輪廻もどこかでたくさんあるとは知っているが、幸い僕には回ってきていない。だから、ミヤマクワガタであれたことは本当に幸運だった。娑婆での命は短かったけれど安寧に暮らせることができたのだから。同じクワガタでもオオクワガタは力こそ強いのだけれど人間に乱獲されていたから。

 下賜(かし)された命の積み重ねのうちに、僕は少しずつ何かを得ている。それが悪くない方に動いていることは確かだ。娑婆での暮らしに謹んで邪(よこしま)な行いを減らすよう努めて、なくせやしないけど縄張り意識をできるだけ緩めて、そうしたことを思い巡らさないことがほんの少しだけできるようになったと自覚するようになってからというもの、僕の輪廻が好転してきた気がする。ミヤマクワガタのあと、すなわち二つ前の命はこの星から遥か遠く離れた世界の、風みたいな生命を貰った。実体のない命だったけど、どんな苦しみもなかった。けれどどんな快楽もなかった。しかし百一年大過なく吹いて流れるに任せた。あれはこの星の人間が死ぬような苦行の末到達する解脱というに似た境地だった。そんなことをせずともここでは易々と手に入るのだなと、不思議な幸福を百一年間味わった。区切りはどうであったかすら覚えていない。何の痛みも苦しみもなかったから。

 そしてつい先の前世が今回と同じくこの星の高等生物だった。風の命に比ぶれば、不自由なことこの上なかったが、その生の意味はいまならわかる。あれも僕の輪廻を逞(たくま)しうする下賜(かし)された命だったのだと。

 前世の最期は自ら命灯を消さなければならなかった。己れの意思に関わらず娑婆の生命を道半ばで断たれたことはそれまで幾度もあった・・・戦、病、災、飢、憎・・・。そもそも寿命を全うするとはどういうことか?

 自分で終末を決めたのは初めてだった。この星のこの邦(くに)のこの時代の独特の習いに僕は身を投げ出さざるを得なかった。浅瀬に囲まれた藪中、白刃の先を痩せさらばえた自分の腹部に向ける時、身を震わせながら経験したことのない厳かな気持ちが自分を支配し、残りがあったとしても後悔の念を無理にも封殺しようとしていた。あんなに悶絶した臨終は初めてのことだった。またあんなにはっきりとした昇華も初めてのことだった。娑婆の生を終える時、何かが太ったような気がした。それが姿、形をなさないためどこがどう変化したか、生物の言葉を借りられぬがそれまでの輪廻とは境があるような何かを越えた感覚だけは残っている。

 世の中がとかく物々しい時代ではあった。生き物が他の生命を殺戮(さつりく)する道具を持つとどの世界でも必ず起きる惨劇を、僕はその時代に嫌と云うほど見てきた。若き日に握っていた白刃はやがて火器に変わり、火器は蒸気に変わり、蒸気は軍艦に変わり大砲に変わり、一瞬のうちに多くの命を奪った。

 前世に生まれ出た時は、祖父も祖母も父も母も兄も姉も叔父も叔母もタロウもタマも、近所の朋輩も下僕も剣術の師も、皆朗らかに暮らしていた。それが先の道具によって急変する。これまでも新しい道具によって時代の変遷を見ることは何度もあったが、この時の激し方と慌ただしさはそれまでとは程度が異なっていた。多くの仲間がそれも同族が互いに争いに巻き込まれ、新しい時代が来るのを見ずにほとんどが散って行った。僕は幸か不幸か時代の転換期を跨(また)いで、征夷大将軍の治世が終わるのを見届け、天子様に大政奉還がなされ、しかし期待した尊王の徳世から程遠く、殿様から頂戴していた俸禄を召し上げられ、そうでなくても窮していた封建末期の士族は食うに食われず各地で蜂起を繰り返し、仕舞いにはこの邦(くに)の西南の地で新旧の軍人が激しく打つかり合い、もののふの時代は終焉(しゅうえん)を遂げた。僕はその終焉を遂げる者の一人だった。南洲翁が娑婆を去ったことを知ると、このもののふの象徴に祭り上げられていた彼を追うように僕も自らの命を絶った。時日としては二十七年と百五十八日。先のミヤマクワガタ雄の約二十九倍、風の命のおよそ四分の一、の時間を生きたことになる。長いか短いかは判別できない。する必要もない。

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