これはあなたの生前の物語です 八万六千七百三十二回目の命
水無月はたち
第1話
ここはどこだ? なんて聞かないでくれるか。僕にだってわからない。気が付いたらここにいたんだから。
おまえは誰だ? なんて聞かないでくれるか。それもわからない。たったいま眩(まばゆ)いものをみたと思ったらここにいて目が覚めたんだから。
そうかな、そうかもしれない、長いこと眠っていたのかもしれない。でもどのくらい眠っていたのか、やっぱり聞かれてもわからない。もしかしたら眠っていたんじゃないのかもしれない。なぜって、僕はまぶたをあけた記憶がないのだから。
記憶はない。何にもない。僕の記憶はまったくない。眩(まばゆ)いものを見るまえの記憶とは違うなにかこう霧みたいなものは説明のつかない場所に掛かっているようにも感じるのだが、それが何であるのか説明できない。
『不安』? 確かそんな言葉があった。けれど不安ってなんだっけ? かつてその意味を知っていたような気がするんだが、ここに在って不安という意味を記憶同様、持ち得ない。わからないことにもしも感情が微かに動いているなら安らかではないのかもしれないけど、僕の感情は何も揺れていない。ただ、こうして在るにすぎない。
しかしだ、さきにこの知りもしない言葉だけが想起されたのだとすれば、僕の曖昧なものを解く鍵になるのかもしれない。が、いまここでやるべきことでもないし、やるにも僕にはまったくそれを動かそうとする力がどこにもない。たぶんだが、動けないことは原始的に幸せなことじゃないか。
『幸せ』? そう云えばそんな言葉もあった。けれど幸せってなんだっけ? こちらのほうがもっと曖昧な意味を含んでいる気がする。おうおうおうっ、いまこの言葉を聞いて感情が独りでに沸き立ったぞ。これは何か本質的な問題ではないか。しかしそう感じるのはどうしてか?
在るだけの自分に、どうやらこうしたうぶい感情が追ってきていることに、僕は自分が在る場所に確かに見える形で存在していることを次第に自覚してきた。そのことを不安だとか、幸せだとか言う前に、僕は気の遠くなる前後を感情抜きに眺めていた。
ここはぬめぬめした暗い宇海(うみ)の中だ。そして僕はどこかから何物かによって呼び興された。順序なんてわからない。たぶん僕が選んだわけじゃない。でもこの感覚は初めてじゃない。何度目かはわからない。でも嫌な気はしていない。そんな宇海(うみ)の中に僕は形として在る。そうなんだ、僕は冥界と娑婆(しゃば)の間に生(行)き就いたのだ。
次第にこの感覚を蘇らすことができるようになってきた。間違いなく僕はバッタではない。山羊(やぎ)でもなければ、バクテリアでもない。退屈な樫の木でもない。樫の木を退屈だと思えているからには、忙しいあの生き物に生み落とされたんだろうと予想はつく。それが証拠か、気が付いてから樫の木とは比べ物にならない速さであれこれ思念したじゃないか。もう一度あれ(『苦』)をやるんだな、と僕は遥か遠くをまだない眼(まなこ)を細めるようにして臨んだ。
そうとわかってから僕は、改めて自分が置かれた環境を見渡した。記憶はないが、僕はこの環境がずっと続くものでないことがなぜかわかっていた。わかっていたというよりそうあるべきだと信じていた。どうであれしかし、その長さを何かの尺度で表すことは僕に許されていない気がする。それが許されるのは、ここを放れてからだった気がする。それまで僕はここでじっとしているんだ。樫の木ほど退屈ではない。それどころか目まぐるしくいろんなことがじっとしていても飛び込んでくる。僕はひとつも動く必要がないし、動けない。ただじっと眺めていればいい。
暖かい宇海(うみ)に、僕は囲まれている。さっき暗いと云ったけれどよく考えてみれば僕には何も見えていないのだから、暗いと云えるはずがない。暗いと云ったのは、始まりがどこかわからない過去から或いは持ち込んだ先入観のようなものが云わせたのだろうか。暗い意味すら僕には本来わかっていない。だけど感じはする。ここに差す明かりは僕がそのうち嫌というほど浴びるだろう痛々しい明かりとは違う。それを見越して僕が暗いと云ったならばここの意味では暗いは暗くない。囲まれている宇海(うみ)からは僕を明暗や雑音や吉凶から遮断してくれる絶対静が保証されている。これを楽しまなくてどうする、と僕はひとりごちた。
ひとりでいられるこの『とき』は(ああだしてしまった。これが出れば僕は数えなくてはならなくなる。あといくつと、そんなつまらないことをもう意識しなくてはならなくなる。でも、それは早晩くるのだから仕方がないことか)この輪廻の開闢(かいびゃく)の絶対静と輪廻の終焉(しゅうえん)の絶対静しかない。それ以外はずっと煩(うるさ)いし忙しい。せっかくひとりで煩(うるさ)くなく、のんびりと居られるのだから、僕は楽しまなくてはならない(そう云いだしてちょっと億劫になったが・・・)。
この宇海(うみ)は広い。とても広い。僕は小さい。豆粒よりずっと小さい。この広い宇海(うみ)を天地なんて気にすることなく自在に泳ごう。波もなければ、島もない。筏(いかだ)も船も浮いてない。この暖かい宇海(うみ)の中をいつまで泳いでいよう。
身に着けるものなんて何もない。僕はまったく自由だ。いつ眠っても、いつ起きても、いつ食べても、いつ脱糞しても構わない。この宇海(うみ)が全部僕のものなんだ。まだ動けやしないんだけど、僕は動く必要のない行動の自由を、澄み切った淀みのない心で満喫しようと決めた。その時点で僕の楽しい時は始まっていた。
僕はだんだんと自分が『なにもの』であるか気付き始めている。気が遠くなるほど永い漂流にあって無数の輪廻の繰り返しのなかで、僕だかあたしだかおいらだかワンだかヒヒンだかニャオだかx_#*`@_だか、なんだっていいのだけど、僕は果てのない何処かを漂い続けている。僕は者でも物でもmonoでもないし、事でも言でもkotoでもない、何かが断片的に残っていたり残っていなかったり、でも探せば果てのないこの何処かにあって、不意に出てきたり出てこなかったりで、僕という存在はなにかと間違いなく繋がっている。定められている。それが『ぼく』だと気付いたということだ。
よく考えてみれば僕は自由なんかじゃない。ここに来た以上、自由なんかじゃない。生み落とされた時点で不自由な定めを背負っている。
例えばだ、ここを出たら自由に何処へも行けない。飛べないし、泳げないし、潜れないし、根ざせないし、速く駆けられないし、逃げられない。制限された中で、同じ制限された泡を食い合いながら、不条理な営みを強いられる。これはどうあっても自由じゃないし避けられない。
しかしだ、強(あなが)ちそれも悪くはない。何故だか不条理の営みのうちに段々と『痛み』が和らいでいる気がするのだ。遠い遠い痛みは僕を傷つけること甚だしかったが、輪廻のたびにその痛みが弱まっている。それはバッタであっても、きつねであっても、他の星の生物であっても、根本的な痛みは弱まっている。この星のいわゆる高等生物と彼らが云う生き物だと痛みはとても大きいが、バクテリアだと高等生物に比べそれほど痛みを感じない。比較をしていることが僕を慰めている。比較がない頃には痛みにただ耐えるだけだった。でも痛みが辛いほど、そのあとの痛みが和らぐのは何故か。何故とも知らぬが、僕は定められたとおり漂ってきた。
気付けば懐しい宇海(うみ)のなかにまたいた。僕は人間として生きていけることをちょっぴり億劫ながらも嬉しく思った。これが八万六千七百三十二回目だと数えた時点で、人間の切なさをまた覚えるのだった。
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