第1話 (自称)魔女との出会い

「……大丈夫ですか」


 聞いたものの、正直あまり大丈夫そうには見えない。強くぶつけたのだろうか、額が赤くなっている。

 目が合うと頬まで赤らんだ。茹で蛸みたいだな、と思う。


「わ、うそっ!」


 魔女は、見知らぬ男に醜態を晒したことを恥じている様子だった。しかし、そんなこと律月にはどうでも良い。


「ねぇ。あんたが例の、”魔女”ってやつ?」

「えっ、私のこと知ってるの?」


 魔女は目をぱちりとさせ、顔を綻ばせた。

 

「そう、私が魔女――二年の、来栖くるすメア!」


 慇懃無礼、あるいは生意気だとよく年上から評される律月の口調も気にせず、魔女――来栖メアは名乗った。知られていたのが嬉しかったのか、エヘンと胸を張っている。


 実のところ、彼女の姿形に関する噂はあながち嘘でもなかった。透き通るような白い肌、肩まで伸びた亜麻色のくせっ毛、さくらんぼのような唇、長い睫毛にヘーゼルの瞳。しかし傾国の美女と形容するには、あまりにあどけない。美しいと言うよりも、可愛らしい容貌だった。


「キミは?」

「一年の、雨宮律月」


 そっけなく答える。日比谷から話を聞いた直後だったこともあって思わず尋ねてしまったが、魔女(自称)だなんて、どう考えても変人である。積極的に関わりたくはない。

 そんな彼の様子など気に留めず、メアは何か思いついたように瞳をキラーンと輝かせた。


「キミ、今暇?」

「……さぁ、どうでしょう」


 何かに巻き込まれそうな気配を素早く感じ取り、高速で目を逸らす。しかし、みすみす見逃す魔女ではなかった。


「暇なんだね? これ、運ぶの手伝ってほしいんだぁ、お茶でもご馳走するからさ!」


 メアが指差したのは、横長の鉢植えだった。律月は言い訳でもして逃げようと周囲を見回したが、目指すべき靴箱があるのはメアが立っている側だ。力士のようにどっしり構え、逃すまいと彼女に道を塞がれた律月は早々に諦めた。

 

 「ほらほら!」と急かされるまま、律月は鉢植えを持たされる。土がぎっしりと詰まっていて重たい。確かにこれを女子一人で運ぶのは、骨が折れそうだった。

 

 仕方なしに彼女の後を追うと、一室の前にたどり着く。

 ドアの前には「注意! 園芸部部室!」と殴り書きされたコピー用紙がセロハンで貼り付けられていた。

 平和そうな部活名の何に「注意!」するべきか、律月にはさっぱり分からない。人喰い植物でも育てているのだろうか。


「園芸部?」

「そう。部員は私だけだけどねぇ」


 部室の中は化学室に似ていた。指示されるままベランダに鉢植えを置く。


「で、この植物って何なんですか」

「マンドラゴラだよ〜」

「は?」

 

 思わず聞き返す。

 ――マンドラゴラ?

 

 マンドラゴラとはよくファンタジーに出てくる植物だ。引っこ抜かれると大声で叫び、それを聞いたものは正気を失って死んでしまうと言われる。ファンタジーには詳しい訳では無かったが、昔見たアニメに出てきたことがあったため名前は覚えていた。

 

 唐突にメアは、耳を抑えながら”マンドラゴラ”を鉢から引っこ抜く。ギョッとしたが、引っこ抜かれたものを上から下まで見やると、律月は可哀想なものを見るような視線をメアに向けた。

 

 マンドラゴラを引っこ抜けば叫び声が聞こえるはずで、それを聞いたら死んでしまうのではなかったか。しかし、何も聞こえないばかりか、それは――。

 

「どっからどう見ても、ダイコン・・・・ですけど」

「人間にはそう見えるらしいね!」


 メアは鼻を鳴らす。律月の言い方が気に食わなかったのか、片手でダイコン――もとい、マンドラゴラを振り回し始めた。


「ふん、信じなくても良いもんね!」

「信じるとかは置いておいて……普通魔女がどうのって、バレないように隠すものだと思うんですけど。何で堂々と公表してるんですか?」


 ファンタジーであれば、魔女が正体を隠そうと奮闘するのは定番だろう。


「私だって最初は頑張って隠そうとしてたよ! 人間界でも薬草を育てるために、カモフラージュで部員のいない園芸部を乗っ取ったって言うのに!」


 カモフラージュだの乗っ取りだの、随分な言葉がぽんぽんと出てくる。失礼な響きだ。


「でもうっかりしてたらね、ちょいちょい魔法がどうとか漏らしちゃって。皆が面白がって広めるもんだから、隠す意味もなくなっちゃったの! どうせ魔力のない皆には何も見えないからね!」

 

 魔女の自称、それは開き直りの産物だったようだ。確かに魔女云々の真偽は置いておいて、この明らかにポンコツそうな彼女が隠し事を貫くというのは、難しそうに思える。


「へぇ」


 勿論説明を聞いたところで律月は、半信半疑どころかゼロ信全疑だった。

 いつになったらこの先輩は、自分が魔女であるという妄想を語るのを辞めるのだろう。そんな感想が丸わかりの声であった。


 律月に構わずメアは、取り出した包丁でダイコン……もといマンドラゴラを滅多刺しにし始める。

 

 ドゴッ、ドゴッ。園芸部から聞こえてくるにはあまりに不穏な効果音。校内とは言え、通報されやしないだろうか。

 ふとメアは振り返る。透き通るようなヘーゼルの瞳と目が合った。


「律月くん、園芸部に興味ない?」

「ないです」

 

 即答する。


「そもそもさっき、園芸部は乗っ取るためだけに入ったとか言ってましたよね」

「まぁ、そうなんだけど……今学期中に部員を三人は集めないと、廃部になっちゃうんだよね!」


 あっけらかんと彼女は言う。乗っ取ったはいいものの、部員不足で存続の危機に瀕すだなんて、本末転倒だろう。


「そもそも何で部を存続したいんです? 怪しげな植物を育てるだけなら、一人でもできるでしょ」

「それは……」


 メアは深刻な表情をして、ゆっくりと口を開いた。

 

「部室で仲間とこう、キャッキャ楽しむ高校生活を送りたいじゃん。別に一人の同好会でも良かったんだけど、それだと部室を貰えないし」


 理由が浅すぎる。

 メアが言うには、園芸部には去年まで三人先輩がいたのだと。怪しげな植物を育てているメアのことも可愛がってくれている奇特な人々だったらしいが、彼らが卒業し、存続が許可される四人を大幅に下回ってしまったのだ。


 マンドラゴラだと言ってダイコンを育てているような変わった後輩を、よく摘み出さなかったものだ。律月は彼らの広い器に感心した。

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