第15話 私の王子は夢中です

「もっと、してください……」

「ふふ、可愛い……」

 木漏れ日の下で、ゆっくりと唇が触れる。柔らかい感触が、私の頭を痺れさせる。木々が風に吹かれて、私達を見守るように優しくさざめいた。

「足りないです、好き、愛してる……」

「……俺も、」

「ん、好き……」

何度も見つめ合って、小さくキスを繰り返す。

「……顔、赤いですね」

「君も、赤いけどね」

「だって……もっとお願いします」

「……ふふ、いいよ、可愛い」

優しく囁かれて、脳が震える。大好き、私の、王子様……




「………ん、んん…」

 外からの眩しい日差しが目に入り、ゆっくり目を開ける。窓の外から、鳥が鳴く声がする。

「………………え?」





「おはようございます……」

「おはよう。よく寝られた?」

「それはもう、ぐっすりと……」

「ふふ、もう昼だよ」

 どうやら今日は、ついに寝坊をしたらしい。王子の部屋の時計を見ると、もう短い針と長い針が、1のところで重なっていた。

「すみません……」

「ううん、よく眠れたなら良かった、ふふ」

「……」

つい、今日の夢を思い出して、王子の顔を見てしまう。

「……ん? なになに?」

「いえ、なんでも……」

自分でも気づかないうちに、王子にキスをされたいと、心のどこかで思っているのだろうか。

……いや、子供の頃好きだった童話の白馬の王子様に、無意識に王子を重ねてしまったのかもしれない。確か、そんなシーンがあったような気がする。

「あ、ねえ」

すると突然、王子が立ち上がって近づいてきた。王子との距離が夢の中と重なって、内心動揺する。

「ふふ、可愛い」

「……え、」

頬の近くに手を伸ばされ、思わず固まって、目を閉じる。

……暫くして目を開けると、王子は優しく、私の髪の毛に触れていた。

「……よし、直った」

「あ、すみません、焦って、鏡見ずに来ちゃって……」

「ううん、気にしないで。むしろラッキー、て感じ」

「え、えぇ……」

「こっちこそごめん、急に触っちゃったせいで、びっくりした……?」

「あ、いえ……ありがとうございます……」

「ごめん、今度からちゃんと言うから」

一度、落ち着こうと深呼吸をする。王子はまた椅子に座った。

「危うく、おあずけなのにしちゃうとこだった……」

「え?」

「あ、ううん、なんでもない」

王子は気恥ずかしそうに笑う。変な汗が出てきそうだ。

「ねえ、今日は何かするの?」

「え、ああ、この間じいに、お菓子作りに興味があると話したら、簡単なレシピを教えていただけて……」

じいの趣味はお菓子作りで、よく私達に料理を振る舞ってくれる。いつもパティシエが作ったかのような出来栄えで、味もとても美味しい。

「もしかして、お菓子作るの?」

「はい、初心者向けのチョコクッキーから始めようかと」

「え、俺、食べたい!」

王子がキラキラとした目でこちらを見てくる。

「でも、まだ美味しく作れるか……」

「そういうのはいいの、ね、俺の分も作って」

「……」

「お願い、どうしても食べたい」

「……そこまで言うなら」

「やった、俺、すっごく楽しみにしてる!」

いつもお菓子はじいが作っているのに、よっぽどお菓子が好きなんだろうか。意外と、食いしん坊なのかもしれない。思わず笑いが零れそうになる。

「ふふ、楽しみだなぁ、今日、早く帰ってくるから! 沢山作ってね!」

「あれ、どこか出かけるんですか」

「うん、今日は会合に……うわっ、まずい」

「え、」

「ごめん、君と話すのに夢中になってて、結構時間ギリギリなの忘れてた!」

そう言うと、王子は椅子の横にあるカバンを持って、慌てて部屋を飛び出す。扉が閉まったと思ったら、もう一度開いて、王子が顔を出した。

「クッキー、楽しみにしてるから!!!」

呆気にとられているうちに、また、パタンと扉が閉まった。





「……材料、いろいろ使うんだなぁ」

 じいが書いてくれたレシピを見ると、ココアパウダーや粉糖など、使ったことのない材料がいっぱい書いてある。

「まずは卵……あ、やばい、殻入った」

丁寧にスプーンで殻を取る。簡単とは言っていたけれど、すでにかなり不安だ。オーブンを使う段階になったら、じいも見にきてくれると言っていたが……

粉糖を器に持って、重さを量る。このあとは適度に溶かしたバターに……

「あれ、バターは常温に戻したものって書いてある」

バターを冷蔵庫から出して、器に盛る。バターをじっと見つめる。もちろん、見つめたところで、バターが溶けるわけじゃない。

「……」

バターと私の沈黙の中に、時計の針がチクタクと鳴り響く。王子に食べてもらうというのに、ちゃんと、美味しく作れるのだろうか……



「硬い気がするけど、大丈夫かな……」

 結局、器を手で温めてなんとか溶かしたバターと、粉糖、塩、卵を混ぜてから、量った薄力粉とココアパウダーを混ぜる。混ぜているうちになんとか生地っぽくなったものの……硬い。結構、延ばすのに力がいるかも知れない。延ばし棒でぐいぐい延ばそうとする。

「あっ、ヒビが」

ポンポンと叩いて、なんとか誤魔化す。

「ふぅ……じいはいつも、こんなに大変な作業を……」

「ふふ、お嬢様、順調でございますか?」

「やぁぁっ」

突然、横からじいの声がする。びっくりして持っていた延ばし棒を投げそうになった。

「じ、じい」

「おお、いい硬さですね! 流石はお嬢様です」

「え、ええ、これ正解ですか……?」

「はい、ふふ」

「良かった……」

じいはニコニコと笑うと、延ばし棒を渡すように手を差し伸べてきた。手渡すと、じいは慣れた手つきで延ばし棒を持った。

「ふふ、お嬢様、延ばす時は、こうやって叩いても良いのですよ」

「あ、なるほど……!」

じいが生地をドンドンと延ばし棒で叩くと、生地が横に少し広がった。

「ありがとうございます、じい」

「ふふ、いえいえ」

「こ、こう? ですか?」

「お嬢様、もっと日頃の鬱憤を晴らすように!」

「え、えぇ?」

「そうです! いい感じですよ!」

じいの指導のもと、薄くなった生地の前で型を選ぶ。

「丸いやつと、四角いのと、星型と……」

「んふふ、お嬢様、こちらにハート型がありますよ、ハート♡」

「……丸いやつにします」

「ええっ、お嬢様!? ハートになさらぬのですか!? せっかくのハートですよ、ほら、可愛いじゃありませんか!?」

「……恥ずかしいので」

「んふふ、お嬢様ったらぁ、恥ずかしがらずともいいのに」

「まぁ、ちょっとだけなら……」

一瞬、ハート型のクッキーを貰って喜ぶ王子を想像してしまう。でもまだ、ハートを渡す勇気はない。

一個ずつ型をあけて、天板の上に並べていく。

「オーブンの温度は慣れですので、じいがやらせていただきますね、ふふ」

「お願いします!」

じいの横で、オーブンの中をじーっと見つめる。

「ふふ、お嬢様がお菓子作りに興味を持ってくれて、じい、結構嬉しいのでございます」

「そうなんですか?」

「はい、それはそれは。お菓子作りのコツ、お嬢様はご存じですか?」

「コツ? えっと、分量を間違えないこと、ですかね」

「ふふ、お嬢様は真面目な方ですねぇ、確かにその通りです。お菓子作りは繊細ですから。でも、もっと簡単なことですよ」

「簡単なこと?」

「愛情を入れると、お菓子は美味しくなるんです、ふふ」

そう言うと、じいは指を手に当ててウインクをした。

「愛情……」

「はい、きっと、坊っちゃんもお喜びになると思いますよ」

「えっ……」

王子にあげることは伝えてなかったのに。じいはテレパシーでも使えるのだろうか。



「王子、おかえりなさい」

「あ、来てくれたの? ただいま!」

 王子が帰って来た部屋を覗く。後ろの手には、クッキーを握っている。

「あの、王子、これ……」

「わ、凄い! ちゃんと包んである」

「……味、美味しいと思います」

「えっ、これ、ほんとに初めて?」

中のクッキーを見て、王子がびっくりする。

「今、食べていい?」

「え、今ですか!?」

「うん、いいでしょ?」

「ええっ、えっと……その……」

私が狼狽えているうちに、王子が丸いクッキーを出して、一口食べた。

「ん! 凄い! すっごく美味しい!」

「よ、良かったです」

「うん、ありがとう! ふふ、元気出た!」

「じゃあ、私はこれで……」

「え、あ、うん……ありがとう!」

王子の部屋を足早に出る。一枚だけ忍ばせたハートのクッキーに、王子は気づくだろうか。

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