第37話 君の知らない物語(3)

「……王子?」

「……んん?」

 ゆっくりと目を開けると、愛しい彼女の顔が視界に映る。

「大丈夫ですか?」

「……ごめん、俺」

「起こしちゃってごめんなさい、うなされてたみたいだったので……」

二人で寝転がって、昼寝をしていたところだっただろうか。腕の中から、彼女が心配する声を上げた。

「……大丈夫だよ、ふふ」

「わ、王子」

抱きしめると、彼女がここにいる。温かくて、彼女の匂いがして、それが凄く、言葉にならないほど、幸せだと思う。

「王子? ……どうかしましたか?」

「ふふ、大好き」

「……はい」

「……世界一、大好き、愛してる」

「ふふ、言い過ぎですよ……」

「言い過ぎじゃないよ、ほんと」

「……でも。私も、王子のこと、愛してます」

「……」

口づけを落とすと、俺の胸にぎゅっとしがみつく。

「ふふ、可愛い」

「……もう、からかわないでください」

「からかってないよ」

またぎゅっ、と抱きしめると、彼女が控えめに俺の背中に腕を回した。

「……好き、俺の人生、全部君にあげる」

「……ふふ、さっきからどうしたんですか?」

「好き、大好き」

何度もキスをして、彼女に擦り寄る。彼女は、ふふ、と笑った。

「……王子、私をここに呼んでくれて、ありがとうございます」

「……」

「王子に出会えて、私、凄く幸せです」

「……ほんとに?」

「本当ですよ、なんで嘘つくんですか」

「……凄く、嬉しくて、夢みたいだから」

「夢じゃないですよ」

彼女が俺のほっぺを優しくつねる。痛くないけれど、彼女の手の感触が、夢じゃないと実感させた。

「……幸せだなぁ」

「……私もです、王子」

彼女が抱きついてきて、つねっていた俺のほっぺにキスをした。キスされたところを手で抑えて固まっていると、彼女が笑った。どうしても泣きそうになるのを堪えて、俺もまた笑った。




「……王子、好きです、ふふ」

 部屋で彼女を抱きしめると、彼女の匂いがして、酷く落ちつく。

「はぁ、ずっとこうしてたい」

「してていいですよ、ふふ」

彼女がまた俺の腕の中で笑う。幸せで、可愛くて、胸が痛い。

「……」

懐かしい、と、ふと考えてしまう。あの時は舞踏会が近くて、俺は行きたくない、他の人と踊りたくないって、彼女にごねて抱きついた。彼女はそう言うと、腕の中で嬉しそうに笑った。結局、彼女が練習に付き合うって言い出して、一緒に何度も部屋で踊ったんだっけ。彼女も最初はできなかったけど、だんだん上手になって……この部屋で、何度も何度も……

「王子?」

ぼんやりとする俺の顔を見て、彼女は首を傾げた。

「あ、ごめん」

「……何か考え事ですか?」

「うん、ちょっとね」

「……」

なぜか、ちょっぴり不安げになった彼女は、抱きしめる力を少し強めた。

「ふふ、可愛い」

「……」

「大好き……」

返すように、自分も少し強めた。だが、彼女はもぞもぞと俺の顔を見ると、突然、弱々しく言った。

「……王子って、前に好きな人、いたんですか」

「……へ?」

「……」

彼女が不安げに俺を見る。何かを見透かされるような、不思議な感覚。別に、やましいことなんてないのに。

「……ずっと、君のことが、君だけが好き」

「……私、だけですか」

「うん、君だけだよ」

「……ほんとに?」

「……本当に。ずっと、ずっと、君だけだよ」

彼女の目を見つめる。どうして、疑問に思ってしまうのだろうか。俺は、本当に、ただ君だけなのに。

「……ごめんなさい、王子」

「えっ、謝らなくていいよ」

「ごめんなさい、疑うようなことを、言って」

「……」

「ごめんなさい、だから、泣かないで……」

「え、」

泣いてる、俺が……? 不思議に思って、首を傾げると、彼女は俺の頬に優しく触れた。彼女の指に触れた涙が、ポロ、と流れる。

「……ごめん、なんでだろ」

「ごめんなさい、王子」

「ううん、ごめん、ふふ……」

笑おうとするのに、なぜか、涙が溢れてくる。なんでだろう、彼女はここにいるのに。

「……大好きです、王子」

「うん……ごめん……」

彼女に抱きしめられる。彼女が好きで、仕方ない。好きで、胸が苦しい、これは、彼女が好きだから、なのに、なんで。




……そっか、もう、彼女はいないんだって、わかっちゃったからか。


気づいた瞬間、胸が張り裂けそうになった。涙が、壊れたように出てくる。どうしよう、君の前なのに、また、泣いて……心配、かけたくないのに。


「ごめん、大好きだよ、好きだよ」

「……王子、私もです」

「……愛してる、君を、心から」

 彼女が俺を気遣って、抱きしめてくれる。その匂いも、変わらないままで、この子が好きだっていう気持ちも、変わらないままで、こんな複雑な気持ちを、誰がわかってくれるというのだろうか。彼女は泣いている俺を見て、なぜか自分も泣いている。俺のために、涙を流してくれるこの子が、本当に愛おしくて。ごめんね、泣かないで。ごめんね、ずっと君が、大好きだよ。

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