第35話 君の知らない物語(1)
「もう、貴方達とは関わらないと決めましたよね」
「……」
「なぜ、今日、私を呼び出したんですか? 説明してください」
「……」
……その時、俺はすでに、覚悟を決めていた。
「……娘がどういう状態か、わかっておっしゃってるんですか」
「……」
「こたえなさいよ!」
「……わかっています」
「……忘れたのは貴方のことだけじゃない、あの子はもう、大好きだった父親のことも思い出せないの」
「……」
「それが、どういうことか分かる? もう、どこにもあの人はいないの、王子、貴方も一緒、もうどこにもいない!! それでいいでしょ!? もう終わったの! 今更、」
「っ……」
怒号が部屋に響く。彼女の母親は、興奮して机を叩いた。
「もう一度、やり直したいんです」
「は……?」
「娘さんに、会わせてもらえませんか」
「なに、言ってるの、やり直すって、バカなこと言わないで」
「本気です! 俺、」
「全部全部忘れたのよ、それでも良いって言うの?!」
「……」
「……もう貴方に近づけさせたくないの、わかるでしょ……? 母親はね、娘が命より大切なの」
「……絶対、俺が守りますから」
「そう言って……あんたは、守れ……」
守れなかった。そう言い切る前に、俺を見てハッとした彼女は、気まずそうにそっぽを向いた。
「……前を向くことにしたんです」
「……」
「……考えたんです、町で暮らすのが危険なら、お城で一緒に暮らせばいい」
「は……? 今度は、って……本気でやり直せるものだと思ってるの?」
「お母様も、一緒に暮らしてください、あの子の為に」
「冗談じゃない、何言ってるの……?」
「本気です。それに、今のまま二人だけで生活するより、俺の城に来たほうが安全ですよね」
「それは……」
沈黙が続く。俺は強く拳を握った。あの子の顔を思い出せなくなっていることに、初めて絶望したのは、いつだったか。
「もう、逃げたくないんです……」
必死に堪えていた涙が出てきてしまう。声が震えて、目が溶けそうなほど熱い。
「忘れられても、それでも、好きで、苦しいんです、もう、辛くて、どうしようもない……」
「……」
彼女は静かに口を開いた。
「……わかってるわよ、そんなこと」
「え……?」
「あんたがあの日から、ずっとあの子を思い続けてくれてるのも、わかってる」
「……」
「わかってる、けど……私、あの子が心配で……」
彼女の目からも、ポロポロと涙がこぼれた。
「ごめん、ごめんなさい、でも、怖いの、あの日を思い出しちゃって……」
倒れ込むように座りこんだ彼女に駆け寄る。
「……ごめんなさい、俺…」
「貴方が悪いんじゃないのも、わかってる……わかってるの、全部……」
「……」
……彼女に初めて惚れたのは、12の時だった。その時の俺はまだ幼く愚かで、いずれ王になるという重圧に耐えられず、フードを被り、変装をして家出をした。
「……あの、どうなさいました?」
「へ、あっ、え!?」
今でも覚えている。その夜、路地に潜んでいると、唐突に後ろから話しかけられた。振り返ると、俺の目をしっかりと見て、可愛らしい彼女は驚いた顔をした。
「……王子殿下?」
「……あ、まずいっ」
「……どうしてここに?」
その時、傭兵が通りを走って、咄嗟に俺は、彼女の口を抑えた。
「……行った、かな?」
息を整えると、彼女は真っ直ぐ俺を見た。
「……事情がおありですか」
「う、うん……」
「こっちです」
そう言って手を引っ張っていく彼女は、凄く頼もしかった。路地を抜けて、人が全く来ない場所に着くと、暫くして、彼女は片手にパンを持ってきた。
「……これ、食べます?」
「えっ、いいの?」
「お腹空いてますよね、たぶん」
「空いてる、うん……」
俺がパンを貰って少しずつ食べている間、彼女はコテン、と首を傾げて話しかけてきた。
「……王子殿下がどうしてここに?」
「……」
「家出ですか」
「えっ、なんでわかるの? テレパシーでも使えるの?」
「いえ、私もしたことあるので」
「えっ、そうなの?」
「お父さんに叱られて、嫌だったから」
「……そう、なんだ」
「王子殿下のお父様は、王様ですよね」
「うん、すっごく怖いよ」
「そうなんですか? 優しそうなのに」
「叱る時は結構怖いよ。これ、内緒ね」
「ふふ、はい……」
二人で喋っている内に、彼女は言った。
「……王子様って、頑張ってるんですね、大変なのに」
「うん、毎日叱られるし、友達もいないし……」
「……私も、友達がいないです」
「えっ、どうして?」
「どうしてって、人と話すのが苦手だから……」
「そうなの? そんな風には思えないけど」
「……王子様と話すのは、結構楽しいから」
そう言って、彼女は俺に笑いかけた。ドキ、と心臓が鳴る。
「……王子様って、憧れるんです。いつか迎えに来てくれる、白馬の王子様」
「うーん、俺は、全然かっこよくないしな……」
そう言うと、彼女は俺の耳に手を当てて、耳打ちしてきた。
「かっこいいですよ」
「えっ、俺?」
「はい、目の色も、近くで見ると凄く綺麗……」
「え、そうかな、へへ……」
色を確かめるように俺の目を見て、彼女が目の前で、ふふ、と笑って、心臓がドキドキとおかしくなった。
「……また会いたい、君に」
「え、」
「……白馬は、まだ乗馬の練習できてないし、持ってないし、無理だけど……俺、あんまりかっこいいこと言えないけど、許してくれますか?」
「……えっと」
「……俺が、迎えに行ってもいい?」
「……」
彼女の手を取って、目を見る。少し照れたような顔を見せて、彼女は小声で「待ってます」と答えた。
……城に帰ってこっぴどく叱られても、あの子の照れた顔を思い出して、俺はあの晩、ずっと幸せな気持ちで居られた。流石に俺が街に降りるのは無理だったけど、すぐに招待状を出して、門の下まで、傭兵を怖がりながらも来てくれた彼女を迎えに行って。
それから、お城に来るようになった彼女と日々を過ごして、幸せだった。幼いながらに告白をしたのも覚えている。初めて、キスをしたのも。初めてのキスの時、俺は彼女と並んで座っていた。日が沈んで、明かりもついていない、暗くなった俺の部屋で。
「王子様、私、王子様が大好きです」
「……俺も」
彼女の目がとろりとして、溶けるように視線が熱くて、彼女は俺に抱きしめられると、可愛い顔で笑った。
「……ねえ、キス、してもいい?」
「……はい」
「……大好き」
「私もです……私の、王子様……」
彼女は、王子様という呼び方を気に入っていた。自分の唇が、彼女の唇に触れた瞬間、頭が真っ白になった。彼女は、赤くなった俺を見て、笑っていて。大好きだと何度も伝えあっても足りないくらいだった。
あんな風に血を見たのは、初めてだった。
傭兵が血塗れのあの子を抱えて飛び込んできた、医者を呼んでくれ、と叫んで。彼女の母親もお願いします、と言いながら泣いていた。彼女の母親が涙ながらに俺の手を掴んで、留守の間に、主人と娘のいる家が襲われたと言った。主人があの子を守って死んでしまった。あの子まで死んでしまったら……私はどうしたらいいの、早く、早く医者を呼んでください!!
……泣きながら叫んだ声が、脳を揺らした。医者がいる部屋まで、傭兵が走ったあとには、カーペットの上に彼女の血がポタポタと垂れていて、赤い線のようになっていた。その場で俺は立ち尽くした。
彼女が運ばれていった先の部屋から、母親の泣き叫ぶ声がずっとしていた。もう、手遅れだったらどうしようと、足が震えた。もし、彼女が死んでしまったら。少しずつ歩き出して、俺は恐る恐る部屋を覗いた。母親が抱きしめていた彼女の頭には包帯が巻かれていて、目は死んだように閉ざされている。その瞬間、本当に死んでしまったのかと、足の力が抜けて、座り込んだ。だが、その時、医者が叫んだ。
「お母様、落ち着いてください! 安静にさせた方がいいですから!!」
つまり、彼女はまだ生きている……? 俺はその時、強張っていた目から、やっと涙が出た。
「……生きてるの…?」
「ええ、まだ死んでいません。当分は様子見ですが、暫く安静に寝させて、起きるのを待ちましょう」
「……」
医者の言葉が酷く冷静で、ボロボロと泣いてしまった。
「怖かった、よね、ごめん……ごめん……」
俺はその場で泣き続けた。生きていてくれて、それだけで、本当に嬉しいと、その時は心から思った。だが、話は簡単なものではなかった。
母親は彼女の手をずっと握ったまま、部屋に居続けていた。俺も最低限の仕事だけして、時間が出来るとすぐに彼女の部屋に行って、目覚めるのを待った。
目覚めたのは、三日後。俺が仕事に行って、また足早に帰ってきた時に、彼女の近くにいたはずの母親が、俺を迎えた。
「……記憶喪失?」
「……」
「覚えてない、って、どういうことですか」
「……」
父親のことも、俺のことも、忘れてしまったらしい。唯一覚えているのは、幼い時の記憶や、自分のこと、母親のこと。ショックから身を守るための、心の防衛。彼女は、目の前で死んでしまった父親のことも、俺のことも、もう、忘れてしまったのだ。
「なんで、……」
「……」
「……俺のこと、覚えてないんですか」
「……聞いてみたけど、知らないって言うの、あの子」
「……どうして、」
ボロボロと泣く俺を見て、彼女の母親は眉を顰めて、責めようにも責められない、というような困った顔をした。後から軍の事情聴取などでわかった話だが、彼女の家を襲った男は、王家を恨んでいた。
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