第12話:絶望の果てに
凛は影獣の巣窟へ向かい、足元がふらつく体を必死に支えながら闇の中を進んでいた。無数の傷が体を蝕み、意識が遠のきそうになるが、光里を救いたいという思いだけが彼を突き動かしている。
冷たい夜気が凛の肌を刺し、霧が重くのしかかる中、光里の姿が何度も脳裏に浮かんだ。光里は影の守人の次代を担う存在であり、そして彼にとっては家族も同然の大切な存在だ。その彼女が影獣に囚われている今、彼にはもう立ち止まる理由など何もない。
「光里……必ず助けるからな」
震える声で自分に言い聞かせるように呟き、凛は意識を奮い立たせた。しかし、傷つき果てた体は限界を迎えつつあり、歩を進めるたびに痛みが増していく。
凛の進む先、霧の奥には影獣たちの黒い気配が広がっていた。彼が近づくたびにその気配はさらに濃くなり、無数の目がこちらを見据えているように感じられた。凛は手の中の刀を握りしめ、前へと踏み出す。
そのとき、ふと、彼の頭に浮かんだのは、光里と共に過ごしたわずかな思い出だった。光里は、影の守人の中でも誰よりも未来を信じ、希望を抱き続けていた。そして、彼に対してもまっすぐな信頼を向けてくれていた。
光里と出会った当初、彼は影の守人としての役割を持ちつつも、冷たく振る舞っていた。妹の香奈の無念を晴らすため、復讐だけに囚われていたあの頃……。しかし、彼女は屈託のない笑顔で接し、彼の無骨ささえ、笑い飛ばしてくれた。
「凛さんって、無表情だけど、いつもちゃんと見てくれてるんですね」
彼女が微笑みながらそう言ったとき、凛は一瞬言葉を失った。守護者としてただ戦い続ける日々の中で、誰かが自分を見てくれていると感じたことなどなかった。彼女がいてくれることで、彼の中にわずかながらに温もりが広がったのを覚えている。
「俺には、守るべきものがある。それだけだ」
彼は冷たく答えたが、光里の笑顔が消えることはなかった。むしろ彼女は、まるで凛の背負う重荷を理解しているかのように微笑んでいたのだ。
「私も、凛さんみたいに街を守れる人になりたいです」
その言葉が凛の心に響き、彼の中で何かが動き始めた瞬間だった。
凛は自分の足がどれほど重く、傷ついているかを改めて感じた。影獣たちとの戦いで付いた無数の傷が、全身に激痛を走らせる。だが、それでも彼は進み続ける。もはや影の守人であることなど、どうでもいい。ただ光里を守りたい。それが凛に残された唯一の理由であり、彼を突き動かす原動力だった。
「光里を……救うんだ……」
かすれた声で呟き、凛は手にした刀を構え直す。影獣の巣窟はもうすぐそこだ。この先に光里がいる——それを信じ、彼は痛む体を奮い立たせて最後の一歩を踏み出した。
霧の奥に見え隠れする影獣の残像を追い続けた。疲れ切った体が悲鳴を上げるたびに、光里と過ごした時間を思い起こして、痛みを押し殺す。彼女の優しい笑顔、かすかな言葉、そして彼を見上げて誓ったあの視線――それが、彼にとって今や唯一の希望だった。
夜の霧はさらに濃くなり、街の廃墟が影となって凛を取り囲む。凛は影獣が残したかすかな痕跡を辿りながら、闇の奥へと足を進めていく。
「もし俺が影の守人として、何かを守れるのだとしたら……」
その言葉が凛の口から漏れた瞬間、かすかな光が彼の胸に灯った。影の守人としての誇りが失われつつある中で、光里を救うことで初めて自らの価値を取り戻せるかもしれないという思いが、彼を再び立ち上がらせた。
霧の奥から、再び影獣の姿が現れた。大きな影が闇にうごめき、じっと凛を見据えているかのようだった。影獣の瞳には冷たく暗い光が宿り、まるで凛の迷いを見透かしているかのようだ。凛は一瞬息を飲んだが、すぐにその瞳を睨み返した。
「もう、何も迷わない」
凛は刀を構え直し、前へと一歩を踏み出した。影獣が低いうなり声を上げ、鋭い牙をむき出しにして襲いかかってくる。だが、凛の中には恐れはなかった。光里を救うという信念、それが今の彼を支えているすべてだった。
刃が激しく影獣の身体に突き刺さり、黒い霧が辺りに散った。影獣は次々と湧き上がってくるが、凛の刃は迷いなく、強い意志を持って敵を斬り裂いていく。疲労も傷も、すべての痛みが消え去り、彼の頭にはただ「光里を救う」という思いしかなかった。
戦いの果てに、凛はついに静寂を迎えた。周囲には影獣の残骸と霧が漂っており、彼の息が荒く響く。しかし、光里の姿はまだどこにも見えない。もはや彼の体力は尽きかけていたが、足を止めるつもりはなかった。
その時、微かに聞こえたのは光里の声だった。どこか遠くから、彼女が助けを求める声が風に乗って届いたように感じた。
「光里……!」
彼は声の方向へ駆け出そうとするが、体は重く、傷ついた足が痙攣して動かない。それでも光里が待っている限り、彼は何度でも立ち上がるつもりでいた。
ふと、自分がなぜこれほどまでに光里にこだわっているのかを思い返す。光里を救いたい、その強い思いが、彼の胸の奥に深く根を張っているのを感じる。守護者としての誇りを失いかけた彼が、ただ一人の少女を守るために戦っている――それこそが、凛の新たな決意の礎となっているのだ。
凛は一歩ずつ、光里のいるはずの方向へと歩を進めていった。周囲の霧がさらに濃くなる中で、彼の心はかつてなく静かで、揺るぎなかった。守護者としての重責から解き放たれ、ただ一人の人間として、光里を救い出すことに全てを捧げる覚悟が決まっていた。
「俺は、必ず光里を救い出す」
その言葉が、彼にとっての最後の希望であり、暗闇の中でかすかに輝く灯火だった。凛は深く傷つき、過去の自分を手放した。その代わりに得たものは、光里を救いたいという新たな使命だった。
彼はもう影の守人ではなかった。ただ一人の人間として、少女を救いに行く男となった。
霧の中を歩き続ける凛の周囲には、影獣の気配が徐々に集まっていた。黒い霧が渦を巻き、凛の視界をさらに奪っていく。暗闇が彼を包み込み、足元が見えなくなったかと思うと、何かに引き寄せられるかのように重たく動けなくなる。だが、凛はただ前に進むのみだった。もはや迷いはない。光里が待っている。その一点だけが、彼にとっての光となっていた。
影獣の黒い霧が襲いかかり、何体もの影が彼の行く手を阻んで立ち塞がった。黒々とした目が、どこか彼の心の奥を覗き込み、弱さを嘲笑うかのように光る。しかし、凛はその目を鋭く睨み返した。彼の体は痛みと疲れに苛まれ、重傷を負いながらも、刀を握る手には確かな力がこもっていた。
「俺はもう、失うものは何もない」
彼が呟くと、影獣たちは低い唸り声を上げ、一斉に彼に襲いかかってきた。凛は、迎え撃つべく刀を振り下ろし、必死に斬りつけた。刃は影獣の体を斬り裂くたび、黒い霧が散り、その度に凛の身体は疲労を重ねていく。それでも彼の目は、怯むことなく光里のいる方角を見据えていた。
幾度となく襲いかかる影獣たちを斬り倒していく中、彼の体力は限界を迎えつつあった。視界がぼやけ、足が震え、息が上がる。しかし、凛は体を引きずるようにして立ち続けた。自分の中で新たに芽生えた覚悟が、彼を支えていたからだ。
やがて霧の奥から、遠くで聞き覚えのあるかすかな声が聞こえてきた。どこか切迫した、助けを求める声。それは、間違いなく光里の声だった。
「光里!」
凛は声のする方へ必死に足を進めた。彼の頭には光里の姿が浮かび上がり、その声がかき消される前に、どうしても辿り着きたい一心で駆け出した。しかし、その道中で、またしても巨大な影が彼の行く手を遮る。
その影は、これまで戦ってきたどの影獣よりも禍々しく、冷たい威圧感を放っていた。凛の前に立ちはだかり、じっと見下ろすように睨みつけるその目には、無慈悲で深い奈落の意思が宿っているかのようだった。まるで、凛の心に潜む弱さを見透かし、彼の決意を試すかのように立ちはだかっている。
凛は重傷を負いながらも、震える手で再び刀を構え直した。「もう、誰にも光里を奪わせはしない」
心の底から湧き上がる怒りと覚悟が、彼の体に残された力を振り絞らせた。影獣は低いうなり声を上げ、凛に向かって襲いかかってきた。彼は一瞬の隙を見て、その巨体に向けて刃を振り下ろした。激しい衝突の音が響き渡り、凛は押し返されるかのように倒れ込む。それでも、彼は何度でも立ち上がり、影獣に挑んでいく。
その時、ふいに心の中で光里の言葉が浮かんできた。
「凛さん、私も守れる人になりたい」
その言葉が、彼に失われた誇りと責任を再び呼び起こしたかのようだった。光里のために、この街のために、今の自分ができることは何か。それが、彼の目の前にいる影獣との戦いに終わりをもたらす唯一の手段なのだと、彼は確信した。
凛は最後の力を振り絞り、刀を構え直し、深く息を吸った。疲労も痛みも全ての感覚が麻痺していく中で、彼はただ一心不乱に影獣に立ち向かっていった。その一撃一撃に、彼の全ての意志と覚悟が込められていた。
やがて、影獣は大きく体を揺らし、闇の中に霧散していった。その残骸が黒い霧となって消え去るのを見届けると、凛はその場に膝をつき、荒い息を整えた。彼の目の前には、影獣が消えた先にかすかな光が浮かんでいた。その光が、彼に再び立ち上がる気力を与えていた。
「光里……」
凛はその光に向かって、再び歩き出した。彼の体は限界に達していたが、心の中には光里を救うという一心で足を前に進める意志が強く宿っていた。その光に導かれるように、彼は暗闇の奥へと歩み続けた。
最後に待ち構える暗闇を越え、凛はようやく小さな空間に辿り着いた。そこには、光里が倒れているのが見えた。彼女の顔には傷があり、うっすらとした苦しげな表情が浮かんでいる。それを見た瞬間、凛の胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
彼はゆっくりと光里に近づき、彼女の手を取り、そっと呼びかけた。「光里、もう大丈夫だ」
その声に、光里が微かに反応を見せ、目をゆっくりと開いた。彼女の視線が凛に焦点を合わせると、かすかな微笑みが彼女の顔に浮かんだ。
「凛……さん……」
光里のか細い声が、凛の胸に沁みわたる。彼女が生きている、その事実が彼にとって何よりの救いだった。光里が無事である限り、彼は戦い続ける価値を見出せたのだ。
「ごめん、遅くなった」
彼は光里をそっと抱き上げ、再び霧の中を歩き始めた。今度こそ彼女を守り抜くという強い決意を胸に、暗闇を抜けて基地へ戻ろうと足を進めた。
それは、彼がただの戦士としてではなく、守護者としての役割を再び見つけ出した瞬間だった。光里を救うことで、彼は失われた誇りと、自らの使命を取り戻していた。
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