第11話:無力の淵

 カルマシティの夜は霧と闇に包まれ、街全体に凍てつく冷気が満ちていた。影獣たちはその静寂を破るように街中に広がり、カルマシティの隅々まで暗黒の気配が押し寄せている。凛と玲音は街を守るべく戦い続けていたが、影獣は次々と現れ、彼らの体力も気力も限界に達していった。


「玲音、無理をするな。ここは俺が——」


 凛が言い終わるより早く、玲音は影獣に向かって全力で術を放った。しかし疲弊した体は限界に達し、術の威力は思うように届かない。霧の奥から現れた巨大な影獣が玲音をめがけて突進し、鋭い爪を振りかざした。


「玲音、危ない!」


 凛の叫びと共に、玲音が自分を庇おうとする凛の前に飛び出し、体を盾にした。凛の目の前で玲音の体が大きく揺れ、血が滴り落ちる。


「ぐっ……!」


 玲音は凛の手の中で崩れ落ちた。凛は彼女を支えながら必死に手を伸ばすが、玲音の顔には疲れと傷の色が濃く残っている。


「玲音! しっかりしろ……!」凛の声が震えるが、玲音は微かに微笑んで小さく頷いた。


「大丈夫……凛。あなたは守護者としての誇りを……決して忘れないで……」


 それだけ言うと、玲音の目が静かに閉じられた。凛は無意識に彼女をしっかりと抱きしめたが、影獣の群れは容赦なく二人に迫り、もはや戦い続ける気力さえ奪われようとしていた。


 その時、影の守人の支援隊が駆けつけ、凛と玲音を救出して基地へ撤退することができた。


 影の守人の基地に戻ると、玲音はすぐに医療部へ運ばれ、緊急治療を受けることになった。医師たちは懸命に治療にあたり、彼女はかろうじて一命を取り留めたが、意識は戻らないまま眠り続けている。


 凛は玲音のベッドの横で立ち尽くし、自分の無力さを噛み締めていた。「俺が……もっと早くに気づいていれば……」


 自分の判断が、仲間を傷つけた。影の守人として街の人々を守ると誓い、何もかもを捧げてきた。それでも守り切れなかった自分が本当に「守護者」と呼べるのか、その疑念が心をえぐり、誇りが揺らぎ始めた。


 その時、基地内に突如警報が鳴り響き、司令官の緊迫した声が通信機から流れた。


「緊急事態だ! 影獣が基地を襲撃している。全員、直ちに持ち場につけ!」


 凛はすぐに武器を手に取り、防衛ラインへ向かおうとしたが、玲音の安否を気にして足が一瞬止まった。今も意識が戻らない彼女を置いて戦いに向かうべきなのか、彼の心は葛藤した。だが、守護者としての責務を果たすべき時だと覚悟を決め、防衛ラインへと向かった。


 基地の周囲には、容赦ない影獣の群れが押し寄せ、影の守人たちは応戦していた。凛も満身創痍の体を奮い立たせ、仲間たちと共に影獣を迎え撃った。しかし、次々と湧き出る影獣の勢いに防衛は崩れ始め、基地の奥へと侵攻されつつあった。


「これ以上、耐えきれないかもしれない……」仲間の一人が不安げに呟く。凛も疲れが限界に近づき、荒い呼吸を必死に整えていた。


 その時、通信が入り、別の隊員の緊迫した叫び声が凛の耳に届いた。「光里が影獣に拉致された! 敵が彼女を連れ去った!」


 その一言が凛の心に突き刺さり、深い絶望が押し寄せた。光里は次世代を担う影の守人としての希望だった。何よりも凛にとって、彼女は家族同然の存在であり、何としてでも守りたい大切な人だった。


「どうして……どうして俺が守れなかったんだ……」凛は震える拳を握りしめた。玲音が負傷し、今度は光里が影獣に囚われてしまった。次々と大切な仲間を失い、自分の無力さが彼の心を深くえぐり、守護者としての誇りは完全に崩れ去ろうとしていた。


 凛の心には深い自己嫌悪が広がり、守護者としての自信を失いかけていた。玲音も光里も、守るべき人たちが次々と傷つき、彼自身も傷つき果て、ただ立ち続けるのがやっとだった。


「俺は……守護者失格だ……」


 その自己嫌悪が彼を押しつぶし、全てを放り出したい衝動に駆られる。しかし、光里が影獣に囚われているという現実が彼の胸にわずかな希望の火を灯した。無力であっても、傷ついても、大切な人を救うためならば、戦いを放棄するわけにはいかない。


「ここで諦めたら、光里は……」


 凛は自らの中に残っていたわずかな力を奮い立たせ、再び立ち上がった。そして、影獣に囚われた光里を救い出すため、影の守人の基地を飛び出した。


 影の守人として、自らの使命に従うべきか、それとも大切な人を優先するべきか、彼の心は揺れ動いていた。玲音を庇いきれず、今度は光里も守りきれない無力な自分が悔やまれた。しかし、彼は胸の奥で再び燃え始めた小さな信念を感じていた。


「俺は……本当に光里を救い出せるのか……?」


 無意識につぶやいた言葉に、自分が迷っていることを悟った。それでも、光里を救うという信念だけが彼の中で微かに光り続けていた。無力でも、ただ待っているだけではいられない。その決意を胸に、凛は再び刀を握りしめ、翼を力強く羽ばたかせた。


 基地の外は暗闇が支配し、凛の視界を奪っていくようだった。いよいよ飛ぶ力もつき自らの足で進む。影獣たちは至る所に潜み、彼が一歩踏み出すたびにその気配が迫りくる。彼はその恐怖を振り切り、光里の元へと歩を進め続けた。


「光里……必ず、君を助け出す」


 そう自分に言い聞かせ、凛はその歩みを止めなかった。しかし影獣の数はどんどん増え、凛を取り囲むように立ち塞がった。彼は満身創痍の体を奮い立たせ、刀を振り回して影獣たちに立ち向かうが、その数に押しつぶされそうになる。


 朦朧とする意識の中で、光里の笑顔が脳裏に浮かび上がった。自分がどれだけ守りたいと誓ったか、その思いが凛を辛うじて立たせていた。しかし、影獣の猛攻は止むことなく、彼の体力を無情に奪い続けていた。


「俺は……本当に無力なのか?」


 ふらつく体で必死に刀を振るうが、倒れるたびに自分の力の無さを思い知らされる。守護者として何も守りきれない絶望感が胸を締め付けた。


 影獣たちはさらに攻撃を強め、ついに凛は膝を突いた。周囲の影獣が一斉に爪を振り上げ、凛に襲いかかってくる。意識が遠のく中で、玲音の負傷した姿、光里が囚われる瞬間がフラッシュバックし、守るべき者たちを救えなかった無力な自分が心に深い傷を残した。


「これが……俺の限界か……」


 肩で息をし、膝を突く凛の中には、もはや守護者としての誇りも残っていなかった。自信が崩れ去り、ただ虚無と絶望に支配されつつある。玲音も、光里も、街の人々も、守ることができないまま、すべてを失ってしまうのかという恐怖が凛の心に重くのしかかっていた。


 その時、遠くからかすかな祈りのような声が聞こえた。街の方向から、光里の名を呼ぶ守り人たちの必死な声が、彼の意識にかすかな希望を灯した。


「俺は……守護者だ。何があっても、守り続けなければならない……」


 凛は、絶望に覆われた心にわずかに残った希望の光を頼りに立ち上がった。彼の体は重傷を負い、力も残っていない。それでも、彼の中には、光里を救いたいという強い意志が燃え続けていた。


 影獣たちは一斉に唸り声を上げ、凛に向かって突進してくる。凛も全身全霊を込めて、再び刀を振りかざした。しかし影獣の数は尽きることなく、彼の体力はついに限界に達していった。


 傷だらけの体で地面に崩れ落ち、刀が手から落ちた。影獣が再び襲いかかろうとするのを感じながら、凛の視界がぼやけ、意識が遠のいていく。


「俺は……無力だったのか……」


 その疑念が胸を締め付け、絶望が心に広がっていく。光里も、玲音も、自分が守るべきものすべてが影獣の前で失われつつある。守護者としての誇りも、使命も、自分にはもう何も残っていないかのように感じられる。


 目を閉じかけた凛の耳に、光里の助けを求める声がかすかに届いた。幻聴かもしれないが、その声が凛の心に再び小さな光を灯した。


「光里が……待っている」


 その瞬間、凛の中にわずかな力が蘇った。どれだけ倒されても、絶望に押しつぶされても、光里を救い出すまで諦めるわけにはいかない。


「俺は……光里を助けるために、何度でも立ち上がる……」


 その誓いと共に、凛は再び闇に包まれた街へと足を進めた。影獣たちが追いすがる中、凛は孤独な戦いに挑む覚悟を新たにしたのだった。


 影獣たちの黒い影が街を覆い、カルマシティはかつてない危機に晒されていた。霧と影獣の恐怖に包まれた夜の中で、凛は光里のいるはずの方角を目指して足を踏み出した。暗闇の中、満身創痍の体に痛みが走り、意識は今にも途切れそうだ。しかし、彼の胸の奥には、光里を救いたい一心が揺るぎない炎となって燃え続けている。


「光里、待っていろ……俺が必ず……」


 彼のかすれた呟きが、冷えた夜の空気にかき消された。しかし、凛の言葉には、今の彼を支える唯一の信念が込められている。自分が影の守人である限り、最後の瞬間まで彼女を救うために戦い抜く。それが自らの命を代償にする結果であっても。


 やがて、遠くに見える崩れかけた廃墟の中から、微かに助けを求める光里の声が聞こえてきた。それは凛の耳に届くと同時に、彼の体に再び戦う力を取り戻させた。だが、その先に待ち構えていたのは、巨大な影獣の群れだった。


 凛は刀を強く握り締め、影獣たちに立ち向かった。次々と襲いかかってくる影獣に、彼は全身全霊を込めて刀を振り下ろし、光里の元へと道を切り開いていく。しかし、影獣たちの攻撃は途切れることなく、数の多さとその圧倒的な力に、凛の体は再び限界を迎えつつあった。


「まだ……俺には……」


 震える足で踏ん張り、凛は次々と迫る影獣を斬り伏せたが、傷は増えるばかりで、血が止まらずに流れ出す。彼の呼吸は荒く、体は傷つき、力が抜けそうになるが、意志だけが彼を支えている。心の奥にある「光里を救いたい」という一念が、彼を前へと突き動かしていた。


 不意に、周囲の影獣たちが一斉に動きを止めた。霧の中から、これまでに見たことのない巨大な影が姿を現した。それはまさに奈落の意思の具現化そのもののようで、圧倒的な存在感で凛の視界を覆った。


 その影獣はじっと凛を見据え、まるで彼の弱点を全て見透かしているかのようだった。恐怖が凛の胸を締め付け、足が凍りつくように動かなくなる。彼の心の奥に潜む無力さや自責の念が、黒い霧となって彼の体に絡みつき、気力を奪い去ろうとしていた。


「お前に何ができる……すべてを失い、守る力もなくしたお前に……」


 奈落の意思がそう囁くと、凛の体は一層重くなり、刀を支える手が震え始めた。自分の無力さ、影の守人としての誇りを失った感覚が、再び凛の心に重くのしかかってきた。玲音も、光里も、そして守るべき街も、すべてが影獣によって奪われつつある。どれほど努力しても、どれだけ戦っても、救えるものは何もないのではないか――その絶望が、凛を支配していく。


「俺は……何も……」


 その言葉が胸の中で響き、視界がぼやけ始める。膝が崩れ落ち、凛の手から刀が滑り落ちそうになった。だが、その瞬間、光里の声が再び耳に届いたような気がした。


「凛、助けて……!」


 そのかすかな声が、凛の心に一筋の光を灯した。光里が自分を待っている。たとえ自分が無力だと感じても、彼女は自分を信じ、助けを待っているのだ。無力さに押しつぶされそうになっても、彼女がいる限り、自分は戦い続けなければならない。


「俺は……守護者だ……」


 凛は力を振り絞り、再び刀を握り直した。影獣たちの気配が一層濃くなり、無数の目が彼を見据えている。しかし、彼の中には再び小さな火が灯り、守護者としての誇りがかすかに蘇り始めていた。


 凛は立ち上がり、震える足で光里の元へ向かって歩を進め始めた。影獣の群れが道を阻み、次々と襲いかかってくるが、彼は一撃一撃に心を込めて彼女への道を切り開いた。


「光里、待っていろ……!」


 自らの傷を顧みず、凛は一心不乱に刀を振るった。どれだけ倒れても、何度でも立ち上がり、光里を助け出すという意志だけが彼を支えていた。


 しかし、影獣の攻撃は次第に激しくなり、凛の体力は限界に近づいていた。ついに、彼は再び膝を突き、視界が暗くなり始めた。意識が遠のいていく中、彼は静かに光里の名前を呟いた。


「俺は……守護者失格かもしれない……」


 その言葉が口をついて出た瞬間、彼の心には深い絶望が押し寄せていた。もはや自分には、守護者としての誇りも、自信も何もかも失われたように感じられる。すべてを失いかけ、孤独な闇の中で、凛はただ一人、静かに息を整えていた。


 だが、心の奥で微かに輝くものがあった。それは、光里を救いたいという思い。守護者としての誇りが失われたとしても、大切な人のために戦いたいという気持ちだけは、消えることなく凛の心の奥底で光り続けていた。


「まだ……俺には戦う理由がある」


 意識が薄れゆく中で、凛は再び立ち上がる意志を感じた。無力でも、どれだけ傷ついても、彼には守りたい人がいる。その事実が彼に最後の力を与えた。


「俺は……何度でも立ち上がる。光里を助け出すまで……!」


 その呟きと共に、凛は震える体を引きずりながら、再び闇に包まれた街を歩み続けた。影獣たちが迫りくる中で、彼はただ光里のもとへと向かう覚悟を胸に秘め、最後の戦いに挑むのだった。

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