◇◇◇◇◆

◇家政学校の行事と卒業が意味すること


ところが、そんな会話を聞いていた父が、せっかくだからと口を挟んできた


「いいじゃないか。こんな機会、滅多にないんだから、皆に聞かせよう」

「ちょっと!? お父さん?」「えっ!? いいのお父さん?」

「俺たち夫婦の、なれそめの話だよ」

「まあ、その話なら……」「ミキ、コン。早く早く!」



二人とも同じ商業組合の学校、男子の商業学校と女子の家政学校で、同学年


どちらの学校でも、初等教育から中等教育課程まで学んだら、それで卒業だ

八歳になると入学して十八歳まで通って十年間学ぶのが、両校では一般的で

夏至の前に十八歳の誕生日を迎えていた私も、夏至を以て年度が替わり卒業

腹違いの妹ミキの誕生は私の約二か月後で夏至過ぎだから卒業は来年の夏で

私より三学年下の弟コンも、そろそろ卒業後の進路を考え始めているらしい


両校は隣接していて様々な行事を共同で行うなど交流が盛んだし、日頃から

それぞれの生徒どうし一緒に連れ立って買い物や食事などに出ることも多い

両校の生徒たちの多くは、そうして知り合った異性と恋愛をして、卒業まで

には婚約したり、結婚を意識している恋人くらいいてもおかしくないという


まあ私はといえば読書しか趣味がなくて本好き女子の中心的人物だったから

男子との接点なんて希薄だし、積極的に交際する気も私には特になかったし

相手なんて実際いないまま卒業したから、つまり行き遅れと言われる存在か


最近だと私は学校の授業の合間に貴族学校の高等教育課程も受講していたし

傀儡の姫だということが周囲にも知れ渡ってたので微妙に距離を置かれてる

ものだから、行き遅れという指摘もあながち間違いではないかなと思いつつ



妹や弟につられて義父の幼い孫たちまで周囲に集まってきたので育ての母は

困惑して恥ずかしがるけど父は意に介さず、むしろ自慢するように語り出す


父曰く、十五歳からの学年での共同行事で女子学校から参加した生徒たちの

中心にいたのが育ての母、逆に男子学校から参加してた父は中心というほど

ではなく、むしろ参加者たちが議論する中も一人で読書してたくらいだった

ただ彼女が男女どちらの参加者にも積極的に意見を聞いて回って取りまとめ

何かと皆を引っ張っていく様子を見て、完璧な優等生だと思っていたそうだ


父たちが参加したのは秋分すぐ後に行う恒例行事で、商業組合の学校らしく

特定の商品を取り上げて歴史や背景などを紹介しつつ展示即売会を行うもの

十代後半の生徒たちが参加し、学年ごとに選出された実行委員が取り仕切り

商業組合に所属する商家はもちろん庶民から貴族まで、多くの人々が訪れる



このとき父と育ての母は行事に初めて参加する学年だったから、育ての母は

さぞかし張り切っただろう、そしてお父さん何やってんですかまるで私です


といっても私は実行委員会に選ばれることもなかった、私の学年は例年通り

実施できたのが内乱勃発直前の十五歳のときだけ、どうせ本など取り上げる

はずがないので最初から興味なかったし、展示の準備くらいは級友の頼みで

手伝ってたような気もするけど、適当にやってたせいかほとんど覚えてない


翌年は戦線膠着状態だった頃、反乱軍に国内の半分くらい奪われていたから

一応は開催したものの規模は縮小され、私も「何かやってる」くらいの記憶

この年にはミキが自分から実行委員に入ったそうで、縮小開催を残念そうに

しつつも、そんな中で成功させたら学校の歴史に残るねと張り切ってたっけ


その次は内乱終結直後、まだまだ城下が混乱してた頃だったから開催されず

翌年の夏至で卒業してしまった私にとっては、結局よくわからなかった行事


今度の秋は久々に本来の規模で実施する予定なので妹も弟も張り切っている

ミキは最終学年で実行委員の中心的人物というから育ての母に似てきたかも

コンは初めて参加する学年で、まだよくわからないと言いつつ楽しみな様子



初の参加となる父たちの学年の生徒たちが投票で選んだ商品は陶磁器だった

そして両校から立候補や推薦で選ばれた実行委員たちが会合を持つのだけど

実家が高級陶磁器専門店、しかも優等生の育ての母が中心となるのは当然で

父も多彩な陶磁器を扱う家だからと周囲に推されて選ばれ、参加させられた


実行委員の最初の会合で、せっかく陶磁器を紹介するなら様々な器で茶でも

どうかとの案が出て、父も茶は好きだから一応は毎回顔を出していたそうな


でも本好き少年は、ひょんなところで優等生少女の弱い部分を知ってしまう

彼女が中心になって練り上げていた計画に大きな問題があったのがきっかけ


「そこに俺が気付いたのは、実行委員の何回目かの集まりが終わったときだったな。たまたま持っていた本を読み終えて手持ちがなかったから、その日にもらった資料を読んでたんだ」

「お父さん、そういうところも私そっくり……」

「ハナ、それは逆だろ」

「そうでした。

 でも考えたら今の私より当時のお父さんの方が年下なのか。コンと同学年だったんだ」

「まあそうだ。

 ともあれ、この資料が丁寧で読みやすい。いかにも優等生らしいまとめ方だけでなく、読む人への心を込めた丁寧な筆跡でね。当時は俺もお袋、つまりお前たちのおばあちゃんに写本を教わって、読みやすい筆跡を残せるようにと練習してたところだから感心して、つい読み耽ってしまった」

「で、その優等生の筆跡が、お母さんのものだったと」

「そう。いつも会合前の限られた時間に全員分を書写して、配ってくれていたんだよ。

 美人だなんてのは一目でわかるけど、筆跡まで美人だとわかったので、俺も少し気になった。筆跡には心の、内面の美しさが表れるものだというからね」

「ちょっとあなたやめて、私恥ずかしい」

「だって事実そうじゃないか」


育ての母が止めるのも聞かず展開された父の惚気話は端折ります、長いので


でも、お母さんの筆跡は娘の私から見ても、丁寧で読みやすい字だと思うよ

お母さんの字は、子供たちへの伝言から帳簿にも公文書にまで映える万能型

お母様の筆跡は二百年前の稀覯本に劣らぬ流麗な字だけど古風で文章を選ぶ

あの字で駄洒落など書かれても、どこをどう深読みするのか悩みそうだもの



さて、委員会の会合が終わって参加してた生徒たちがそぞろに帰り始める中

ほとんど話などしたこともない彼女の筆跡に魅入られていた少年時代の父は

その文章の内容が頭に入ってくるにつれ、どこか違和感があると気が付いた


というか少年、皆で話し合っていた内容に、そのときまで全く興味なくって

お茶の話題のときだけ聞き耳を立てていた程度というから、筋金が入りすぎ


読み返すと、違和感の正体は決定的な情報が一つ欠けているという点だった


一方で優等生の少女は、いつもなら議論にも参加してこない少年が、なぜか

この日は一人残って、しかも難しい顔をしているのが気になって話し掛ける

一対一での会話は初めての関係だけど、彼女は少年の読書好きを知っていた


「そりゃそうですよ! この人ときたら実行委員会に来てるくせに議論は聞き流してるし、せっかく私たちが作った資料も読まないで、持ち込んだ本を読んでるだけ。何しに来てるかわからないのよ? 嫌でも印象に残るというものでしょう」

「まあまあ、落ち着いて。顔を出さなかった連中よりはマシだろ?

 それに、そんな俺を委員会の仕事に引き寄せたのは、お母さんの字なんだから」

「お父さんったら、もうそこはいいです……」



話が進まなくなりそうなので、部分的に当時の二人の会話を想像しつつ再現


「どうしたの? 一人だけ残ってるなんて珍しいじゃない。しかも本じゃなくて資料を読んでるなんて」

「いや、とても綺麗な字だなって思って見入ってた。人柄が伝わるようだよ」

「そっ……、それは、ありがとう」

「でもさ、この東方諸国の茶って、専用の茶道具を使う飲み方だよね」

「ええ。あなたひょっとしてお茶に詳しいの?」

「ちょっとだけね。お袋が少し知ってて、俺もいろいろ教わってる最中。

 でもこれ、準備間に合う? 道具は何とかなりそうな気がするけど、正式な作法とか、その歴史までは、簡単には調べがつかないはず」

「それは、委員の子が何人か、図書室や書店で探してくれるって言ってくれたし……」

「ないよ。図書室には。俺全部読んだから」

「えっ? 全部? 図書室の本を?」

「少なくとも茶に関する棚は全部。男子学校の蔵書では役に立たないね、女子学校の方も似たり寄ったりだと思うけど」

「じゃあ書店なら?」

「うーん、城下の普通の書店では難しいだろうな。俺もたまに探してるんだが……」

「そんなぁ……。あの子たち、それわかってるかなあ」

「どうだろう。資料を探すのだって、ある程度の予備知識が必要だからな。そういうのに詳しい人ならまだしも……」

「えー? 駄目かも、あの子たち割とお調子者だから」

「それは微妙だなあ」

「どうしよう? このままだと計画が……」

「山脈を挟んで大陸の東と西とで茶の文化が大きく違う、っていう見せ方をするんだよね。今から展示を切り替えるのは……、無理か」


少年は、青ざめた表情で泣きそうになって自分を見つめている少女に気付く

キリッとした優等生だと思っていたけど、普通の女の子らしいところもある

いやむしろ彼女は周囲から完璧に見えるよう頑張っていたのかも、と察した


育ての母が取り乱して涙することがあるのは私は知ってた、まあ妹や弟には

驚きだったようだけど、今日の様子を見れば少女時代も少しは想像つくかな


「あれを変えるとなると、もう手配してる展示品や道具まで色々変えないと……。

 今から一通り企画や手配をし直すなんて、間に合うかどうか……」

「だろうなあ」

「ちょっと! だろうなあって何よ! 他人事じゃないでしょ!? あなた知ってるなら、もっと前に指摘してくれたって良かったじゃない! 委員のくせにいつも本ばかり読んでて話し合いなんか上の空だったんだから、半分くらいあなたの責任でもあるんですからね!」

「あ、いや……、たしかにそうか。ごめん」

「ごめんとか言わなくていいから、悪いと思うなら手を貸して!

 あなた少しは詳しいんでしょ? 何か心当たりはないの?」


さすがに責任を感じたか、少女の涙に同情したのか、あるいは半泣きで怒る

彼女に詰め寄られて悪い気はしなかったか、お父さんは明言しなかったけど

できる限りの協力を少年は約束し、二人して鋏町へ急いで書店を時間の限り

探したものの、めぼしい情報がなさそうなので、詳しい人を頼ることにした


それが私たちの祖母、すなわち父にとっては読書とお茶の師でもある母親だ



いつの間にか祖母も父たちの話に加わってきて、そのときの様子を説明する


「あのときは本当にびっくりしましたわ。異性のことなんてほとんど興味ないと思ってた息子が、いきなり泣きじゃくる女の子を連れて帰ってくるんですもの。

 うちの子、一体何をしでかしたのかと思ってしまいました」

「お義母さん、やめてください。あのときは、書店でも手掛かりが得られなかったので気落ちして、本当に取り乱してしまってましたから……」

「とはいえ半分くらいは、この子の責任でもあったのでしょう?」

「いえ、まあ、あのときはそう言いましたけど……。

 私自身、実行委員長として失格だなと思っていたので、ほとんど八つ当たりでした。それにその節は、本当に助かりました」

「いいんですよ。いつも言っているでしょう? 子供たちにとって、挑戦も失敗も、全ては成長の糧。親ならそれを見守って、最悪の結果だけは避けられるよう、少しだけ手を貸すの。あのときもそうでしたから」


さすがおばあちゃん、育ての母はそこを見習って私たちを育てたのだろうな

十歳の私に厳しくも優しく台所仕事を仕込んでくれた様子、まさにそのもの



まず母親は、ともかくも少女を泣き止ませながら、詳しい事情を聞き出した

もう日が暮れる頃だけど夫は商家の仕事が忙しい日で帰宅は遅くなる見通し

息子と二人のつもり支度してた料理にありあわせの一品を足して夕食がてら

どうやって足りないものを補うか、息子と彼女にも案を出させつつ検討する


東方諸国の茶葉そのものは、少女の実家が懇意の貴族からもらった品がある

私たちがよく知る茶葉とは全く違って、緑色の細かい粉のようなものだった

あるのはそれだけ、茶器はないし独特の作法も歴史も調べきれていなかった


少年の母親は、結婚前に東方から来た交易商にもらった茶道具を持っている

少年はそれを見たことがあるので、何とかなるのではないかと考えたそうだ


茶道具というのは何というのか泡立て器のような複雑な形をしたものだけど

大陸東岸にしか生えない固有の植物を使った工芸作品で、一度も使ったこと

はないし古びてるものの材木町の大工職人に頼み込めば似たものを作れそう

この際だから素材が違うことには目をつぶって、形だけでも再現しよう、と


情報は母親の蔵書に少しあるとはいえ、大まかな手順が紹介されているのみ

どうも重要なところは口伝えに、あるいは実際に見せて伝授するものらしい

母親は若い頃に簡単な説明を聞いた記憶があるものの再現するのは難しそう

詳しく知る人を探すとなれば遠く東へ旅をしないといけないから頼れるのは

書物しかないけど大公国では入手困難、そんな書を探すならやはり例の怪物


少年は過去に一度だけ母親に連れられ怪物どもの巣窟を巡った経験があった

母親は東方諸国の書物をいくつか収集していて、その書物で使われる独特の

体裁や扱い方、読み方など相応の知識があったので、怪物どもも彼女になら

一定の敬意を払っていたそうだけど、息子はそんな事情なんて全く知らない


「『ちょっと行ってくるしかないな』と言って、彼女の手を引いて夕暮れの街に出ていく後ろ姿は格好良かったですよ。まるで、お姫様を連れて冒険の旅へと向かう少年勇者のようでした」

「お袋、やめてくれ。あのとき俺は何も知らなかったんだから」


「ぷっふふ……、あはは……。お父さんごめんなさい、私その冒険の結末わかっちゃう……」

「何だよハナ、変な笑い方して。お前には最初から一人で行かせたけど、注意点は一通り教えたじゃないか」

「はい、おかげで無事でした。あれはお父さんの貴重な体験に基づく助言だったのですね。ふふっ」


「私も貴重な体験をしたわ。二度とごめんですけど」

「お前までそんなことを言うのか? あのときは俺だって必死だったんだぞ」

「ええ、感謝してますとも。あの怪物どもに立ち向かってくれたのですから。

 ……私のために頑張ってくれてるんだなと思ったら、まんざらでもない気分でした」



私たちの頃と同じく当時も、商業組合の学校に制服は規定されていなかった

けど鞄は指定の品だから、さしもの古書の怪物も二人の身分にはすぐ気付く


いかにも学校の生徒が男女二人で訪れれば怪物だって穏やかではないはずだ

しかも既に日が暮れて、少し道を外れた子たちが夜遊びをする時間帯だった

子供が浮ついた気分で、それこそ逢い引き感覚で来ていい場所ではないのだ

早々に帰れなどと、かなり強い調子で言われたそうだ、さすが怪物、こわい

いや連中は稀覯本という宝物を守る使命を持つ怪物、当然の反応なのだろう

あと店仕舞いするつもりでいたところを邪魔されたせいもあるかもしれない


けれど少年は怯まず、皆で成功させるために必要だからと果敢に立ち向かう

仕方ないなと折れる怪物、ただしお代は高いぞと脅され財布が空だったのに

気付いて彼女に頭を下げて出してもらったのは、今の父なら考えられぬ失態


ちなみに怪物が提示した「お代」とは私のときと同じく近所の店のお菓子で

用事が済んだら結局は怪物の方で払ってくれた、という展開まで私と一緒だ

父にとって初の単独挑戦がこの有様で今もなお小僧扱いだから、やはり強敵


その金で彼女は帰り道、彼にお茶をおごって明日からもよろしくねと言った

真面目な少年少女が立ち寄れるような店が開いてる時間ではなくなっていて

十代半ばの子にしては背伸びをした、大人の男女が睦まじく語らうような店

もちろん優等生の少女には初の挑戦だったけど、少年の冒険に触発されたか

この日ばかりは親が決めた門限なんて完全に無視して、そんな店に彼を誘う


二人きりの個室、卓上の蝋燭が互いの顔を柔らかく照らす、いい雰囲気の中


ここからが二人の青春の始まりとなる場面、その様子をまた想像で再現する


「読書好きというのも、少しは人の役に立つものなのね。見直しちゃった」

「少しは、と言われると少し癪に障る。これでも頑張ったんだぞ」

「委員会の話し合いには参加してなかったくせに?」

「あー、それを言われると痛いな。悪かった」

「悪いと思うなら、きっちり終わりまで手伝ってよ。

 ここまで付き合ってくれたんだから、途中で投げ出したりしないで」

「俺が?」

「そう、あなた。資料は何とか書き写せたけど、私たち二人の記憶も頼りだから」

「それはそうか。挿絵の写しも完璧とはいえなかったし、説明が必要だろうね」

「それだけじゃないの」

「えっ、まだ何か?」

「あ、あのとき……」

「あのとき?」

「わ、私の涙を見たんだから、見過ごせません!」

「君が泣いたのは俺のせいじゃないと思うんだけど……?」

「あんな顔、誰にも見せたことなかったのに……」

「だから、君が勝手に泣いたんだよね?」

「見られた以上、私が許せない!」

「なんで? いつもと違ってかわいいと思っ……」

「駄目! それ以上言わないで! もちろん誰にも言っちゃ駄目!」

「わかった、わかったから落ち着いて。手伝う、手伝うってば……」



東の国々の古い書物というのは、横に長い紙を軸に巻いた巻物という形態で

筆記具もペンではなく細い筆で器用に書き、挿絵も同じく筆で描かれていて

慣れないと読みづらい、もちろん父たちもこのとき初めて見たから扱い方も

全然わからず、怪物どもは触るなと言いつつ必要な箇所を見せてくれたとか


その中に何とか茶の作法の秘伝を発見したものの、独特の崩し字で判読困難

これも怪物どもが仕方なさそうな顔で読み解いてくれた、ということだった


そうして、かの東の国々の茶の文化は非常に奥深いものだと二人は理解した

私も前に父の書斎で一通り教えてもらったことがあるけど、たしかに難解だ

どちらかというと接待儀礼か、宗教儀式のような意味合いを持つ行為らしい

日常的に飲むお茶は別の方法で淹れてると思うのだけど、それは当たり前の

あえて書物に記すまでもないことで、特別な儀礼だけ巻物に記したのだろう



優等生少女と読書少年の冒険の成果は、次の委員会の会合で皆に周知された

(もちろん経緯だとか過程などには一切触れず、皆に伝えたのは結果だけ)

全員に配られた資料は、いつものように少女の手書きのものだけど、内容は

前回までの資料に比べて充実していた、そして彼女は少年を皆の前に呼んで

彼の協力があって皆が見落としていた課題が発見され、かつ解消したと説明


ついでに少年が「図書室にも鋏町の書店にも資料がなくて探すのに苦労した」

と説明すると、女子の何名かが慌てて立ち上がり、気楽に考えてたと謝った

少女は一瞬だけ怒りの色を見せつつも、彼の視線に気付いて感情を飲み込み

今さら謝られても意味がないし、何とか解決できたのだから謝る必要はない

むしろ感謝しなさい、特にこの読書少年に、と彼の背中を叩いて皆に示した


すでに少年の母から借りてきた茶道具も職人に急ぎ複製の発注が済んでいて

どうにか当日までに準備を間に合わせることができ、むしろ珍しい東方の茶

の儀礼を道具とともに紹介したことなどから、二人は高い評価を得たという



「それで、お母さんとお父さんは、この行事がきっかけで付き合うことに?」

「うーん、どうなんだろう? 明確に恋人として意識するようになったのは、俺は十七歳くらいだったかな、最終学年の頃」

「えー? お母さんの泣き顔を見て、きゅんとしたんじゃなかったの? それとも、まだ本やお茶の方が好きだったとか?」

「そうだなあ、かわいいなと思ったのは事実だよ。だけど最初の頃は恋人という感じじゃなかったと思う。一緒にいると何かと楽しくて飽きないから、よく一緒に遊びに行ったり勉強をする、仲のいい女友達くらいのつもりだった」

「あれー? お父さん、意外に醒めてた?」

「まあ、俺の前だと優等生だけじゃない表情を見せてくれるのは、ちょっと嬉しかったかな。俺には気を許してくれてるんだな、ってわかるから」


と妹と父が話をする傍ら、弟と育ての母が次のような話をしていて興味深い


「お母さんがお父さんを好きになったきっかけは、やっぱりあの『冒険』だったの?」

「そうね、冒険もだけど、行事にも何だかんだ言いながら頑張ってくれたし、その後も勉強や食事に誘ったら付き合ってくれるし。あと、私を優等生としてでなく、同い年の普通の女の子として接してくれたのも嬉しかった。そういうのが積み重なって、この人になら素直になっていいかも、って思うようになったわ。きっとそこから少しずつ好きになっていったの」

「そっか。素直になれる相手……」

「そうよ。そういう相手の方が、きっと長続きする。何か予想外の障害があっても、きっと克服できると思うの」



そんなこんなで以降の行事も他のことでも、優等生少女は読書少年を何かと

頼りにするようになり、気付けば二人きりで過ごす時間も長くなっていって

彼女からは勉強のコツなど、彼からは参考になる本の探し方などを教え合い

また個人的な会話も増えたし、彼の家に彼女が遊びに行くことも多くなった

少女は少年の母にも好感を持ち、台所で一緒に菓子など作って皆で食べたり


育ての母は、自身の実家と違う彼の家の雰囲気にも好感を持ったとのことだ


「あとね、お父さんと結婚しようと思ったのは、ご両親が受け入れてくださったことも大きかったわ。この家なら家族になれそう、一緒に暮らしていけそうって思えたの」

「それで、求婚はどっちから?」

「そんな真っ直ぐ質問してこないで、ミキ。

 ええ、まあ、この機会だから言っておきます。あれは卒業の半年前、冬至のお祭りの日でした」

「お母さん、語る気満々じゃない」

「あら、そうかしら?

 あの日、夜中に練り歩く町内の荷車の行列を眺めていたら、お父さんがいたの。いつも通り張り切ってね。でも途中で私に気付いたら、行列から抜け出して私の前まで来て、私を見物人の中から引っ張り出して……」

「おおー、お父さんかっこいい」

「……行列の一番後ろで私と一緒に歩きながら、こう言ってきたの。

『卒業したら、俺は親父の商家を継ぐ。そのとき、お前が一緒にいてくれたら、商売にも張り合いが出る。だから、結婚してほしい。実はかなり前から、結婚するならお前しかいないと思っていた』ですって」

「それで、お母さんは何と答えたの?」

「それはもちろん、『喜んで』って。私もかなり前から、この人のことを好きになって良かったと思っていたの。実家ではどこか気を張って生活していて、居心地なんて全然だった。けど、この人の前なら、そしてこの家なら肩の力を抜いて過ごせるし、きっといい家庭を築けるだろうなと思ったわ。

 その後も色々あったけど乗り越えることができたし、今では素敵な家族に囲まれて、私は幸せ者よ」




◇姉と妹と弟の進路相談


育ての母と違って素敵な相手に出会う機会などなかった長女の私はともかく

小さい頃から人付き合いにも学校行事にも積極的な妹は、母親と同じように

学校生活の中で恋人ができ、卒業後には結婚を予定しているというから驚く


妹の恋人もお互い飾らず付き合える相手、その家族とも関係は良好とのこと

相手の家は御蔵町の中堅穀類卸だけど、当主の弟が樽甕町の商家に婿入りし

穀物酢や食用油など扱っており、一族で事業を連携し相乗効果で成長中とか


一族での事業規模は我が家の数倍くらいあり、同じ中堅といっても格が違う

けど私たちの父は商業組合でも人望あるらしく、先方もミキを歓迎している


「ミキ、この席で一緒に祝いたいことがあるって言ってたの、その話だったの!?」


私は姉なのに全く気付いてなくて本当にびっくりしてしまい、皆に笑われた


「お姉ちゃんが卒業後も貴族学校で聴講していて楽しそうだから、私もそういうのを考えたんだけどね、やっぱりやめた」

「どうして? ミキ成績良かったよね? お母さんには及ばないにしても、私よりは」

「うーん、本を読んだり、色々と調べたりすることに、お姉ちゃんほど熱心にできない気がした、っていうところかな。成績だって、家でお姉ちゃんと一緒に勉強してて一年先の内容まで知ってたんだから、それで良くなかったらむしろおかしいでしょ?」

「あー……、そっか……。何だか色々と腑に落ちた」

「それにあちらのご両親が乗り気でね、『早く孫を見たい』って。私それがいいなって思ったし、うちとは違う事業にも興味があるから。

 で、卒業したら早々に、たぶん来年の夏にも結婚するつもりで話を進めてる」

「へー、そっか。そうなんだ。

 ……そこまで話が進んでるのに気付いてもいなかった私って、本当に何なんだろう。お姉ちゃん失格かも……。ごめんねミキ」

「いいのいいの、お姉ちゃんならそうだろうと思ってた」

「えっ待って!? ミキにとって私ってどういう扱いなの?」

「もちろん私たちの式には、お姉ちゃんも来てもらうから、覚悟しておいてね」


私だって一応の言い訳はある、ここ一年半ほど傀儡の姫からの反乱軍の捕虜

実母との時間や貴族学校の聴講、その図書館の蔵書漁りで多忙を極めていた


とはいえ私自身、このところ妹や弟の動向をあまりに知らなすぎたことには

反省しないといけない、というわけでこの機会に二人の話を聞くことにする



まず妹のミキ、家政学校でも顔が広い上に男子の商業学校にも顔が利くのを

生かして傀儡の姫の誤解を解こうとしていたけど思ったほど効果がなかった

と残念そうに説明してくれたものの、実はミキも色々と誤解したままだった

そしてこの日ようやく本当の事実を知って、間違いだったと私に謝ってきた


妹曰く、反乱軍が勝利を収めた今となっては微妙な立場だろうし、私が母と

頻繁に面会しているのも助命嘆願か何かで、ひょっとしたら間もなく死刑に

なるかもしれない母との時間を精一杯作るためなのかも、と思ってたそうで


私が実母について知った直後、親たちは妹や弟にも大まかな経緯を説明した

けど、どちらかというと口が軽い部類の妹を懸念したのか詳細は伏せたまま

素性は明かせないけど修道院に軟禁されている女性、という感じに伝えてた


これを妹や弟は、大公に近い家柄の有力貴族でワケありの女性なのだろうな

といった具合に解釈、私が傀儡の姫を引き受けた理由も実母の血筋のゆえか

あるいは実母にまつわる表に出せない事情を秘密にする代わりにと、大公が

宮廷貴族を通じて無理強いしたのではないか、など想像を逞しくしたらしい


これは義父の考えた作戦が妙なところで変な効果を発揮したとしか思えない


「いや違いますから!

 そりゃお母様との面会時間が終わって帰ってきたときには名残惜しくて残念な気持ちが私の顔や態度にも出てただろうけど、でもそれは最初の頃だけ。最近では嬉しそうに帰ってきてるのは見てたでしょ?」

「うん、だから嘆願が上手く行って、お母様も助かりそうなのかな、良かったなって……」

「なるほどー。そう考えてしまったのかー。

 ……で私は、この暫定政府の時代に大公の傀儡の姫をしてた過去だけでなく厄介極まる血筋の生い立ちまで合わせ持つ、という物凄い設定になってたわけ? そりゃ級友だって距離を置くわ!」

「うう……。ごめんなさい」

「私のためを思ってくれての行動は嬉しいですけど、誤解に基づく話題を拡散されては困ります。きちんと事実を……、いえ。ともあれ感謝するのが先でした。

 ありがとうミキ。ちゃんと気持ちは伝わりました。……結果は裏目だったとしても」


我が妹ながら想像力たくましくて呆れた、彼女の将来が楽しみ半分不安半分……



一方で弟は、まだ恋愛への興味は薄いらしく、むしろ二人の姉を見比べつつ

まず父の事業を継ぐか、あるいは学業を続ける道もありかな、と考えている


「ハナ姉ちゃん、貴族学校の講義って面白い?」

「まあまあ面白いと思ってるよ。私は聴講生だから気になる講義だけ受講してるけど」

「いいなあ、そういうの」

「コンも勉強したいの?」

「うん。今まで知らなかったことを知るのは楽しそう。

 でも俺、お父さんの事業を早めに継ぎたいとも思ってるんだよ」

「茶葉の話題、あんた大好きだもんね」

「そう。茶葉の商談旅行にも早く行きたい。それから自分で新しい商品を掘り出して新しい事業にしたい」

「おお、野心家だ。それならたしかに、早めに商売を覚えた方が得策かも」

「だよね。だから迷ってる」

「じっくり悩んでいいと思うよ。あんた卒業までもう少しあるんだし」

「かなあ」

「まあ、私みたいな聴講生なら時間も融通が利きやすいから、家業を手伝いながら興味ある講義だけ受けることは可能かもしれないね。私の場合、講義がないときも貴族学校に行って図書室の蔵書を読み耽ったり、お母様に会いに修道院へ行ったり色々やってるし。それに私の場合は特例かもしれないけど、家政学校を卒業する前から聴講が認められてたから、授業いくつか抜けて貴族学校で受講してた時期もあるよ」

「えー? なにそれ。ハナ姉ちゃん自由すぎない?」

「あっ、そういえばお父さんは卒業前からおじいちゃんの仕事を手伝ってたって聞いたことがある。だからコンも、そういった選択肢を含めて、お父さんにきちんと相談した方がいいと思う」

「そっか、姉さんは嫁として専念したいからもういいかなって言ってたけど、俺は上手くやれば両立できるかもしれないんだ。ありがとうハナ姉」


こうしてコンと喋ってるとき、いつも気になるのが、私には「ハナ姉ちゃん」

とか「ハナ姉」と呼ぶのに対し、ミキには「姉さん」って呼んでいる不思議

弟からの姉妹の扱いの差は微妙に引っ掛かるので、この機会に聞いておこう


「あのさ、前から気になってたんだけど、なんで私が『ハナ姉』でミキが『姉さん』なの? 私の方が姉なんだから逆じゃない?」

「あー、それ?

 ……あのさ、俺、小さい頃よく台所で手伝ってたよね? あのとき以来、小さい方が妹かと思ってて。逆だと知ったのは、割と最近」

「何ですって!?」

「だって姉さんたち、ほぼ同い年だよね。親父もお袋も二人のことは名前で呼ぶから、どっちが姉だかわからなかった。学年が違うってことを理解したのも、かなり後になってからだし……」

「気付いたんなら改めようよ……」

「だって、もう俺の中では『ハナ姉』と『姉さん』だから変えたくないんだよ」

「えー……」

「それに……、変えるのは、ちょっと……、照れくさい」

「ん? 何か言った?」

「何でもない!」

「えー?」


弟が小さく呟いた声が聞こえなかったんじゃなくて、もう一度聞きたかった

さすがにごまかしたけど、珍しく恥ずかしそうにする様子はかわいかったな


まあ結果的に良かったかもしれない、むしろ呼び方の違いは好都合といえる

この時点で、この二人からみて私は表向き建前上は血縁のない姉なのだから


それはそれとして、不義が原因で誕生することになった腹違いの姉が私だと

知っても私への接し方を全く変えなかっただけでなく、そんな出生の秘密を

隠し続けることに協力してくれた妹にも弟にも、私と母は深く感謝しないと

特にミキ、どちらかというと口が軽い部類なのに、よくぞ隠し通してくれた



ちなみにお母さん、ミキの恋人やその実家の人たちにも会って好感触という

そしてコンには、早いうちに家業を継いでもらいたいと考えているのだとか

ただ、それぞれに期待しつつも、かつての自分と重ね合わせ、親として強制

するようなことはしないようにと、かなり言いたいことを我慢している模様


父は、あまり口を挟まず本人たちの希望や成長度合いをみて判断するつもり

ミキについては女の子なので父親から助言できることは少ないと言ってるし

コンには自分の若い頃と同じく学業と家業とで悩んでいるのを知りつつ放置

こういうのは自分で納得して選ぶことが重要だからねと、こっそり私に言う


そして私は、そんな親たちからも一応は大人として認められつつあるらしく

親しい商家との会食の席などでは私に先方の当主の話し相手を務めさせたり

町内のちょっとした会合でも二人が出られないとき私を代理に出席させたり

何故か義実家からも元貴族の会合に参加させられたり、といった場面が増え

これはきっと妹や弟の手本をせよとの意図だと感じた私も、精一杯頑張った




◇みんな勝手に動いてくれたから


そんなこんなで色々あった結婚記念日の後も私は両方の実家を行き来したり

母の修道院と貴族学校に通いながら、これからのことを準備したりしていた



ところが私をよそに、約二十年ぶりに語り合った親たちの間で何か動いてた

私の行く末についての結論は後回しにして、まずその一件を説明しておこう


母の蔵書が頼りの慈善事業を知ると、育ての母も応援したいとの意思を示し

ならばと父が出版事業への支援を提案、暫定政府が打ち出した政策によって

制約が厳しくなっていた修道会にも可能な手段はないかと義父たちも協力し

皆で知恵を持ち寄って検討した末に、合弁の出版社を立ち上げようとなった


といった展開だったのだけど、背景から少し詳しい説明が必要かもしれない



そもそも国教組織は帝国時代に起源を持つ金融事業が大きな収益の柱だった


様々な神話を統合した宗教体系に加え、暦や時間を含む度量衡や貨幣経済を

帝国の版図となった全域に広く普及させようと初代皇帝が作った宗教組織は

帝国が崩壊した後も、この大陸の各地で国家の枠を越えて活動し続けている


その事業の根幹は貴族や商家、さらに庶民の金を預かって別の相手に投資や

貸し付けを行って運用益を得たり、それを元手に公益事業に資金を出したり

教会どうしの繋がりを信用として遠方への送金を引き受けて手数料を得たり

さらには無作為に選んだ面識のない司祭が相互に監査し合う制度まであって

知れば知るほどよくできた仕組みで、初代皇帝は本当に賢い人だったと思う


かつての大公が国内の宗教組織だけ分派させて作った国教会も、宗派として

分離しただけで機能は変わらず、金融事業では他国の宗派とも連携していた


しかも当初こそ大公の影響で誕生したとはいえ、歴史の中で大公や宮廷とは

別の意志決定をすることも多く、あの内乱でも最初の頃は傍観を決め込んだ

のだけど途中で国教会や修道会の大半が反乱軍につくことを決めてしまった

母によると有力な派閥が反乱軍に懐柔され、他の派閥も追随したのだという

母が教会から修道会へ移ったきっかけでもある派閥問題、かなり根が深そう


造幣所も持つ国教会の大半が動いた結果、内乱の情勢も反乱軍優位に傾いた

反乱軍の傘下となった造幣所は貨幣を大公側より相対的に上質なものに改鋳

取引面でも勝てぬ場面が増えたというのは父たち城下商家の共通認識である

内乱末期に城下で様々な商品が品薄となったことも貨幣問題の影響が大きく

言うなれば経済戦争でも大公側は反乱軍に負けていた、ということになろう


しかし反乱軍に味方したはずの派閥にも、暫定政府は金融事業の一切を禁止

というより専ら金融事業に注力していた派閥が宗教活動を廃止して独立して

これを追認する形で暫定政府が、残った国教組織側に規制をかけたのだった



修道会城下管区や国教会城下教区などは、大公側に残ることを選んだ少数派

もともと城下から離宮の街までの大公宗家本領の一帯では、教会も修道会も

他の地域の管区や教区とは一線を画し、独自性の高い活動をしていたそうだ


母が所属する女子修道会の城下管区では有力な宮廷貴族の出身という女性が

管区長を務めていたそうだけど、反乱軍が迫ってきたら引退すると言い出し

他に誰も引き受けたがらないので致し方なく母が修道院長と兼務することに

実は大公の縁者であることが暗黙の条件だったらしくて、母は異例中の異例


敗戦濃厚な情勢下で責任や地位を捨てる貴族を私としては残念に思う一方で

そういう局面で管区長を引き受けてしまう母も、傀儡の姫に劣らぬお人好し

しかも母の管区長就任は、娘が傀儡の姫になったのとほとんど同時期らしい


おかげで暫定政府により軟禁されて捜査などを受ける羽目になったのだけど

もう調査は完了して再び自由の身になれたし、不穏な内部派閥も暴き出され

中でも過激な行動を計画していた者たちは捕縛され除名などの処分も受けて

むしろ修道会は以前より良くなったのですよ、と母は平然として語っている


この動じない姿勢、やはり人生経験の差なのだろうなと、娘としては憧れる



ともあれ、そんな管区や教区が再び他の地区と合流するためには金融事業を

切り離すことが条件となっており、その手続きは着々と進行中、この冬にも

完了する見通しだけど。子供たちのための養護施設の運営維持が課題となる


社会の変革に伴う諸々の皺寄せは、いつの世でも残念ながら弱者に集中する

一転して弱者となった没落貴族たちもだけど、もとから弱い立場の者も多い

修道会や国教会が様々な慈善事業を通じて支えてきた人たちは、まさにそれ


もともと修道会の金融事業は、国教会に比べれば規模も圧倒的に小さなもの

主に庶民向けの両替や為替などを主体としていたし手数料も少額だったから

金融事業の禁止も国教会ほどの痛手になることはない、けど収入減は確実だ


慈善事業については元貴族たちから提言もあったし、亡き姫の意向も踏まえ

暫定政府が補助金を出すことになったものの、この政府の財政が厳しかった


反乱軍の膨大な兵力や、あの物量を支えた予算には、実は寝返った国教会の

資金だけでなく、外国の様々な商家などからの出資も投入されていたそうで

借り手である反乱軍が勝利した以上、これは国として返済義務を負う借金だ


内乱終結直後には南の隣国と国境を挟んで睨み合い、小競り合いも生じたり

していたものの、それも数カ月で終わったから、今度は軍の規模縮小が急務

隣国との休戦協定で兵力削減も約束しているし、そもそも膨大な兵力を常に

維持しておけるほど旧大公国の財政は潤沢ではない、内乱で荒廃した国内の

建て直しにも予算が必要だ、けれど兵たちの除隊が思うように進んでいない

おかげで軍事費の削減もままならなくて、増税の噂も一部で聞かれるくらい


それでも復員兵は万単位の人数、復職や再就職できなかった者も少なくない

除隊しても仕事がなくて心が荒む元兵士の父親、生活苦から心を病んだ母親

そういった親の下で暴力を振るわれたり、ないがしろにされる子たちも多い

もちろん貧困家庭だけでなく、内乱で親を失った子供たちも相当な数になる

城下女子修道院の施設にも内乱前の三倍くらいの子供たちが溢れ返っていて

施設の外でも、貧困家庭への食事や衣服の支援などの必要量は倍増している


暫定政府は、宗教と金融の分離政策と合わせ慈善事業に補助金を出す方針を

示していたものの、内乱直後の年は雀の涙ほどの予算しか拠出されなかった

かつてあった貴族からの寄付には到底及ばない、内乱が終わって復興しつつ

ある商家たちが寄付を増やしてくれているといっても、それとて限度がある


母は以前より出版事業に力を入れて児童養護施設の運営を支えねばならない

けど母の蔵書も有限、底を突くのが早まるだけだとは、誰の目にも明らかだ



こういった事情を知った私の親たち、父も育ての母も、祖母や義父一家まで

由々しき事態だと考え、せめて母の修道院の分だけでも何とかしようとした


まず義父と義兄が法令を念入りに確認し、修道会に対する規制について検討

修道会が現金出資する形の合弁は法に触れるものの土地や人員を媒介とした

関係は合法で、合弁する事業だけを宗教活動から切り離せば問題ないと解釈


それを受けて母は、父や育ての母、祖母たちとも相談して修道院の事業から

慈善と出版を分離させることを決意、それらの代表を自ら務めることにした

母は子供たちに慕われているし職人たちにも顔が利くので、どちらにも適任


ただし分離政策の規定上、母は修道会の役職から降りる必要があるのだけど

管区長や院長の地位には何の執着もないので、有能な後輩の修道女に譲った

時代が変わったのだし、貴族だの大公の縁者だのといった慣例も捨てていい

庶民出身者からも選べるようになって、候補となる人材にも困らなくなった


修道院から分離する二つの事業に、父は育ての母から賛同を得て出資を決定

私の母が代表になってくれれば安心して託せるということで大筋まとまった



また出版の事業化は、印刷職人たちの救済策としても大いに役立ったという

内乱が終わると、反乱軍が持ち込んだ新技術の活版印刷が城下にも広まった

文字の活版に加え、挿画でも木版より緻密に印刷できる銅版印刷が普及して

在来型技術の印刷職人は苦境に陥ってしまい、中でも版木彫りの職人たちは

多くが職にあぶれ慈善施設で食事の施しを得てようやく子供たちを養う有様


職人たちを救済するには新たな技術を導入し身に付けてもらうのが望ましい

もちろんそのためにも多額の費用が必要となるので父の出資が大いに役立つ

新たに新市街の建物を借り、最新の印刷設備を導入して職人たちを雇い入れ

外部から指導者も臨時に招いて技術を伝授してもらい、使いこなしてもらう


出版事業の代表を務める母は出版に関わる数々の職人とは以前から顔馴染み

この事業に協力する父も窯元との取引があるので職人の扱いにも経験は豊富

二人が知恵を出し合って、職人が働きやすい仕事場を作っていくとのことだ

さらに、まとめ役の印刷職人も母の志に共感して出版事業に加わってくれた

このまとめ役が仕事場近くに家を借り、現場の業務全般を取り仕切るそうだ


母の蔵書も、印刷本として出せる写本が乏しくなり長くは持たない見通しで

そうなれば原書を売って金に換えるしかなく、どんどん先細りになるけれど

こうした形で法人にすれば新たな書物の出版を引き受けて事業が続けられる

鋏町の怪物どもまで、母に敬意を表して事業にも協力すると約束してくれて

一部は稀覯本を守るための手段として出資も惜しまないと言ってくれるほど

これなら収益の一部を慈善事業に回しつつ、職人たちも仕事を続けられそう


また父は、商業組合にも働きかけて出版物の販路開拓などにも積極的に参加

父にとってみれば、おおっぴらに母を手伝える貴重な機会にもなっただろう

なお当然ながら父は出資者として事業収益から配当を受ける権利を持つけど

取り分についてはそのまま慈善事業への寄付として提供することにして解決

普通に寄付するのでは一過性だけど、これなら継続的に慈善事業に役立てる



そういった一連の動きの全容を私が知ったのは、ほんの二カ月ほどで新たに

独立の慈善事業法人として生まれ変わった養護施設の開所式に呼ばれたとき

以前と同じく修道院の敷地内ながら全く別組織になったのだと説明を受けた


もちろん断片的には母や父、義父からそれぞれ聞いてたけど、ここまでとは

思ってなかったので本当に驚かされてしまったし、またとても嬉しくなった


「ハナのおかげだ」と父は言うけれど、私最初から何もしてないよお父さん

私の親たち、みんなすごい、前からわかってたけど、改めてすごいと思った


だけど、すごいすごいとしか言えなくなった私に、母はこうも言ってくれる


「そんなことはありませんよ、クロリス。

 あなたがきっかけを作ってくれたからこそ、あなたを愛する皆が協力し合えたのです。クロリスのおかげで、あなたが私のことを心から大切に思っているのだと皆が知って、その私が慈善事業を大切にしたいと考えていることを皆が知ったので、皆で支えてくれました。

 だからこれは紛れもなく、あなたが作った小さな『帝国』。私も誇りに思います」




◇小娘の行く先


このとき母にも父にも他の親たちにも持ち上げられたけど微妙な気分だった

私にできることなんてたかが知れてる、たとえばちょっとした調べ物くらい


いやそれさえ自信ないけど、ふと内乱の中で調べてまとめた自由研究報告が

実家の自室の書棚にまだあったなと思い出して掘り出して母に見せたところ

すごく嬉しそうに、それ以上に楽しそうに読んでくれて、褒めてくれたっけ

あれは少し遡って父の結婚記念日の直後、母の修道院に泊まったときだった


「想像した以上によく調べて、よく書けています。鋏町の稀覯本蒐集家まで巡って調べたとは、立派です。

 今回の件でも関係者を巡って事情を聞いて回っていましたし、クロリスはこういうことが得意なのかもしれませんね」


このとき調べた内容は、姫と大公という親子の関係だったけど、姫といえば

街中で甲冑姿の少女が傭兵たちを連れて歩く様子を母も垣間見ていたそうで

当時は自分の娘だと知らず格好良いなと思った、後にその正体を知ったとき

誰にも言えないけど誇らしくなった、とまで言われてむしろ私が恥ずかしい


「とはいえお母様、傀儡の姫は結局のところ捕虜になりました。生き恥です。何の役にも立てず、無力さを痛感させられました。

 捕虜生活の中、せめて現実を知りたい、そして何らかの答えを得たいと思ったものです。それで最近では貴族学校の講座を聴講して、大公国の過去についても少しずつですが学び始めました。もっと深く知りたいと思っています」

「ならばクロリス、あなた自身が、もっと深く調べてみてはいかがでしょう? 突き詰めるなら研究者という生き方もあります」

「研究者?」

「ええ。様々な物事を調べて考察しては成果をまとめ、社会に還元する仕事です。たとえば論文や著書として世に広めたり、高等教育などに携わることで、相応の収入を得て生活することができます」

「そういう生き方もあるのですね」

「といっても、研究者として生計を成り立たせている者は少数です。きちんとした高等教育を受けつつ自らも研鑽を積み、他の研究者たちに認められる存在にならなくてはいけませんから、狭き門です」

「それは、自信ありません。お母様、私の家政学校の成績は人並み程度だったのですよ」

「心配することはありません。研究者への道は、中等教育までとは全く違います。

 クロリスは興味を持った対象になら深く踏み込んで、こうして細かいところまで調べ上げられるではないですか。それにあなたは嘘のつけない性格ですし、世のため人のために役立つことができれば心の底から嬉しいですよね? まさにそういった素質こそ、研究者向きだと私は思うのです」

「そうでしょうか……」

「まず一度、本格的に高等教育を受けてみると良いかもしれません。講義を受けて知識を蓄えるだけでなく、きちんとした研究室に所属して、演習や議論などを通じて思索を深めるのです。

 そういえば、クロリスは大公宮廷文書館の閲覧を希望していたのでしたね。研究者として名をなせば許可を得られる可能性も出てくるでしょう。研究者というものは、多くの者たちには秘されている文書に触れる機会も得やすいのです」

「なんと! そうなのですね」

「もちろん、そうして学んだ上で、研究そのものを仕事にするのでなく他の道へ進んでもいいでしょう。知識や知恵、調査や研究の術を身に付ければ、様々な仕事に活かせます。商売人でも役人でも、あるいは僧侶や為政者になったとしても、きっと役立ちますよ」

「色々な道……」

「たとえば、あなたの義理の父上となられた方も、若い頃には貴族の系譜や紋章などを研究しておられました。各所に伝わる古文書を調べ上げて書を著して大公に献上し、その成果で宮廷に上がることを認められたのです」

「言われてみれば、義父上も鋏町の怪物と対峙した過去があると聞いています」

「私もあの方の文献調査を少しばかりお手伝いしたり、蔵書の貸し借りをしたことがあります。あの方は、ご自身の手柄をひけらかすことを良しとしませんが、研究者としても、為政者や官僚としても、実に優れた手腕の持ち主なのですよ」

「全然知りませんでした。けど、義父上の教養からすると納得です」

「分野が違っても、研究の道を行く者どうし対話したり、協力し合うことはよくあります。私自身も、若い頃は国教会の高等教育に学ぶ機会を得て、研究のため他の高等教育の場にも足を運んで、あなたのお義父上だけでなく、他にも様々な研究者と交流してきたものです。結局は僧侶として国教会に戻ってきましたが、良い経験となりました。高等教育で身に付けたことは、その後の様々な役職で役立っています」

「お母様もでしたか」

「ええ。私は、この世や人間の成り立ちを少しばかり研究しました。おかげで国教会の教義、そして信徒や僧侶たちの心情などへの理解を深められたと感じています。国教会や修道会で役職を任されたことも、その点を評価されてのことでしょう。期待されているのならばと、私も誠心誠意、数々の役職を引き受けてきました」

「なるほど。そのようにして人々の役に立つことができるとは、少し興味が湧いてきました」

「クロリスと同じく私も非力です。力で役立つことなど、まず無理でしょう。人の役に立ちたいのなら、知力を備える以外に手はないと思いますよ」

「ごもっともです。

 そういえば捕虜だったとき、知り合った反乱軍の女傑さんが、『知は武器』って私に言ってくれたのを思い出しました」

「女傑さん?」

「えと、ベスティア姫の近衛をしていた女性です。名は聞きそびれてしまいましたけど、すごい方なのですよ。多くの男の兵や騎士たちより強そうで、きっと戦場でも無双の戦士だと思います。なのにとても優しくて、私のことを大層かわいがってくれました。

 その女傑さんが、私の将来を楽しみにしていると言うのです、『いくら戦いに強くたって一人で守れるのは数えるほどだけど、知識や知恵は手が届かないところにいる人まで守れる。だからそこを伸ばせ』って……」

「良い方と知り合えたのですね。武に生きつつも知の強さを理解しているとは貴重です。

 でしたらクロリス、そのような方の期待に応えるためにも、なおのことあなたは学ぶことが望ましいと思います。知識を蓄え、知恵を身に付けましょう。そうして誰かの役に立つような働きをするのです」

「はい、お母様!」

「良い返事ですね、クロリス」


大公宮廷文書館の閲覧が叶うかも、との話にも魅力を感じたけど、それより

女傑さんの言葉を思い出したら、私も学んで研究の道に挑戦しようと思えた


そして私も母も期待されると頑張るところは一緒か、やはりお人好しの血筋

だけどその性格も決して悪いものではないと思う、人の役に立てるのならば


「でも、本格的な高等教育とはどのようなものか、私はあまり詳しく知りません。貴族学校では聴講しているだけですし……。

 お母様、もう少し教えていただけませんか?」

「もちろんですとも。

 まずは行き先となる選択肢を絞り込んでいきましょうか。実のところ、高等教育に進む者は多くないので、もともと選択肢は多くありません。クロリスの興味がある分野が絞れれば、自ずから候補も絞られてきます」

「そうなのですね。どういった候補があるのでしょう?」

「大公国でいえば、今のところ二つしかありません。クロリスが聴講している貴族学校の城下本校と、私が学んだ国教会総本山の僧侶大学ですね。暫定政府は今後、新たに樹立する共和国の最高学府として、貴族学校とは別の高等教育機関を設置するとしていますが、本格的な体制が整うまでには早くても数年、おそらく十数年を要することでしょう」

「なるほど。貴族か僧侶か……」

「貴族学校については、既に聴講生となっているクロリスならば、簡単な試験で正式な学生となることが可能なはずです。あなたは商業組合の学校を卒業したのですし、その資格も問題ありません。あるいは、もし希望するなら、この城下修道院で正式な修道女となって僧侶大学に学ぶ道もあります。僧侶大学であれば、元管区長兼修道院長として私から紹介状を出すこともできますよ。私の娘という点を差し引いても、あなたには充分な素質があると認められますから」

「ありがとうございます、お母様。僧侶大学では、どのようなことを学べるのでしょう?」

「まず基礎となるのが教典学、教義解釈ですね。その教典を踏まえた上で、哲学や倫理、世の摂理などを探求する、いくつもの分野に細分化された学問があります。また金融や経済、それに関連して数学をはじめとした様々な学問、信徒の皆さんを教え導く術など、実践的な内容の講座も特徴的です」

「なるほど。ちなみに国外にも選択肢があるのでしょうか」

「ええ。たとえば伯爵領には士官学校をはじめ、技術学校や船員学校など、実務に即した専門性の高い高等教育機関が複数あります。といっても、これらの学校を経て研究者となる者は多くありません。

 一方、東の山間部に点在する都市国家には、人々の社会や歴史、生物や鉱物まで様々な研究を手掛け、また学生を教える施設が、私塾から大学まで数多あります」

「でしたら、私は東の国外で学ぶのが良さそうです。貴族学校の講義は政治や法律、軍事、領地経営、国の統治や外交など、貴族にとっての実務的な内容がほとんどで、少し物足りない気がしていました。私が聴講生のままでいるのは、あまり気が向かないから、という理由もあります。宗教の探求にも、今のところあまり興味が薄いので、国教会の僧侶大学も気が向かないのではと……。

 なので伯爵領の実務的な高等教育も、きっと私の興味とは違うのでしょう」

「うふふ。クロリスは末恐ろしい子ですね、政治や軍事や宗教が物足りないなんて」

「あっ、いえそんなおこがましい。そういうつもりではないのです。きっとそれらも、高度な知識や考察が求められる、実に奥深い分野だとは理解しています。きっと多くの人が一生をかけて探求する価値があるはずです。

 けれど私の興味としては、特に人々が織りなす社会や歴史にあるような気がしています。今のところは、大公国の内乱がどういった経緯で生じて、どのように展開して、あのような結果をもたらしたのかを知りたいのです。せめて、内乱で命を落とした人たちが、何故その運命になったのか……、その疑問について、自分なりに納得できる答えを得たいと願っています」

「なるほど、そこにクロリスの探究心の原点があるのですね。

 でしたら、まさにうってつけの教授を紹介できますよ。建国から現在に至るまでの大公国の歴史を研究している方です。教授は大公国の出身ではなく、国外からの視点を意識して研究を続けており、東の山脈の懐に抱かれた盆地の湖の畔にある小さな都市に私塾を構えています。この城下からだと、街道を馬車で数日ほどの街です。その道は、あなたのお父さんが商談で旅をする街道でもありますね」

「とすると、その地で一人で暮らしながら学ぶということになるのですね。

 なるほど、内乱からこのかた、学校の友達にも近所の人たちにも私が傀儡の姫だと知れ渡っていて地味に落ち着かない生活ですし、私のことを知らない場所に行くことを含めて両得かもしれません」

「そうですとも。クロリスは中等教育を無事に終えたのですし、あなたが心配してくれていた私の処遇も無事に済みました。今こそ大人として新たな一歩を踏み出す頃合でしょう。それに、人生は長いようでいて、ボンヤリしていたらすぐ歳月が過ぎてしまうものです」

「そうかもしれません。

 とはいえ費用が気懸かりです。学費に旅費に生活費……。結構なお金が必要ですよね。私には仕事をして稼いだ経験もほとんどありませんし、お父さんたちに頼るのも気が引けます」

「費用の点では、あまり心配する必要もないでしょう。家業は順調ですし、あなたのためなら喜んで学費くらい出してくれるはずです。それにクロリスは、すでにそれに値するだけのことをしてくれたのですから。まず相談してみると良いでしょう」

「そうなのですか? でももう大人なのに、親の支援が頼りというのも……」

「ではもう一押ししましょう。あなたのお父さんは、私のためという考えもあって、表向き実の父親でないことにしていますよね? でもクロリスが研究者として活躍し、いつか名をなせば、世間はあなたの出自を知っても気にしなくなるのではないでしょうか。むしろ、親たちの評判を高めることになるはずです。そういった意味でも、意義があることだと思いませんか?」

「たしかに、そうかもしれません。ちょっと家族と相談してみます」


こうして母は、自身にも似た性格である私を、巧みに促してくれたのだった


実家に戻って父や育ての母に相談したところ、あっさり応援すると言われる


「そっか。ハナはお母様と相談して決めたか。なら俺たちが口出しするまでもないな。

 ハナが挑戦したいなら歓迎だ。俺も若い頃、もっと学びたいと思ったことがあるし、俺の分まで学んできてくれ。もちろん費用なんか心配しなくていい」

「私も賛成。ハナは普通の主婦なんて似合わないし、ハナなりの道を進んでほしいわ」

「いいんですか!? ていうか、お父さんもお母さんも、あっけなさすぎません?」

「そりゃそうさ。俺が言うと親馬鹿に聞こえるかもしれんが、ハナは俺たち庶民の家族というだけで終わるのは勿体ない逸材なんだぞ。むしろもっと活躍してきてくれ」

「そうね。うちの娘とはいえ、私たちがどうこう言っていい器じゃないって思い知りました。思い切りの良さも、心を決めたときの行動力も、人を惹きつける力も、何もかもお手上げです」

「えー!? 二人から見てそんななんですか私って?」

「それよりね、学業や研究もいいけど、ぜひ素敵なお相手も見つけてほしいわ」

「ああ、そうだな。国を出て色々な経験をしていけば、いつかハナに釣り合う相手にも出会えるかもしれない」

「ちょっと、お母さんもお父さんも、どうしてそういう話題になるんですか?」

「うふふ、冗談です。もう大人なのだし、学業や研究はもちろん、恋人や結婚も含めて、ハナのやりたいようになさい。私たちは親として、可能な限り応援します。

 ただ私としては、こんなにかわいらしいハナが子供を産むとしたら、どれほどかわいい子なのかなと思うと、とても楽しみなのですけどね」

「そっ、それは……、まだ早いとしか言えません」



そこへ弟と妹が学校から帰ってくると、家族の中での私の扱いがどういった

ものなのか、さらに改めて思い知らされるような会話が展開されるのだった


「ただいまー」

「あっ、コン? おかえり!」

「……ハナ姉、今日は修道院じゃなくて帰ってたんだ」

「あ、うん。

 あのねコン、私、遊学してもいいかなあ?」

「どしたのさ? まだ踏ん切りついてないの?」

「えっ?」

「ハナ姉が貴族学校で受けてるっていう講義、ハナ姉の興味と少し違う気がしてたから。

 だったらいずれ遊学にでも行くって言い出すだろうと思ってて……」

「えっ? えっ?」

「で、どこ行くつもり?」

「えとね、大公国の歴史を専門にしてる教授が……」

「やっぱり東の小都市か。歴史や文化を学べる学校や私塾が多いもんね。

 いいんじゃない? ハナ姉らしいと思う」

「ちょっ、何でそこまで詳しいの?」

「そりゃあ俺だって行けたら行きたいからね、高等教育。前にも言ったじゃん」

「聞いたけど、あのとき詳しく知らなかったんじゃないの? いつの間に?」

「学校で教師たちに聞いたし、親父が一通り調べてくれたのを見たよ。

 あれ、もともと俺のためじゃなくてハナ姉のためだよね?」

「えっそれ初耳……」

「そっか。ならハナ姉が自分で決めたから親父は特に何も言わないことにしたんだな」

「あっ、あー……。そういえば『俺たちが口出しするまでもない』とか言ってた……。

 お父さんごめん」

「いやそれここで俺に言うんじゃなくて自分で直接言ってきなよ」

「うん。後でそうする」


「ただいまー」

「あっ、ミキ、おかえり」「おかえり、姉さん」

「……どしたの? 二人で玄関で……、内緒話?」

「あのねミキ、実は私、遊学しようと思ってて。それでみんなに相談を……」

「あー、その話? お姉ちゃんは心配しなくていいよ。この家はコンが継いで守るんだから、私たちは好きな人生を選べばいいの」

「ちょっと、姉さん。俺に全部押しつける気?」

「コン、あんた家業継ぎたいって前から自分で言ってるじゃない。だったら私やお姉ちゃんが婿を取って家を守る必要もないよね。だから全部譲るわ、家業も、家を守る責任も。

 ……ってこと」

「そりゃそうだけどさー」


「あれっ? ミキも私の遊学には何も言わないんだ?」

「当たり前よ。お姉ちゃんは行きたい学校があるから行くんでしょ? 私は一緒になりたい人がいるから結婚する。どっちも自然な成り行きじゃない」

「あっ、それでいいんだ……」

「何言ってるの。私たちの世代は内乱で学校も生活も滅茶苦茶だったのよ。せっかく平和になったんだから、これからは自分のやりたい人生を思い切り楽しまなきゃ」


「でも、二人は私が遊学しても平気なの? 心配とか……」

「どうしたのお姉ちゃん? 家を離れるのが怖くなった? もしかして私たちと離れ離れになるのが寂しい? 内乱で三カ月近く貴族の家の子になってたし、捕虜になったときも反乱軍の子みたいになってたし、最近は週の半分くらい修道院の子になってるくせに? 今さら何を言ってるの」

「えっ……?」


「ハナ姉なら大丈夫でしょ? あんな戦場でも無傷で帰ってくるんだから」

「そうよね。決戦の後片付けは嫌だったなー。街中そこかしこに血だまりが残ってたし」

「あれ掃除するの、本当につらかったよ。血痕ってなかなか落ちなくてさ。ここまで多くの血が流れる中、か弱いハナ姉は本当に大丈夫だったのかって。

 無事だとは伝え聞いていたけど、実際に顔を見るまでずっとみんなで心配してた」

「なのにヘラヘラして帰ってくるんだもの、拍子抜けしちゃったわ」

「ね」

「ねー。

 それに、私たちは小さい頃たまに熱を出して寝込んだりしたのに、お姉ちゃんは病気一つしないんだもの」

「だよね。小さいくせに身体は丈夫」


「ちょっと二人とも? あとコン、小さいは余計!」

「いいじゃん。病気になりにくいのは良いことだよ、旅先で倒れたら大変だから」

「そうよ。お姉ちゃんは何か不思議な力で守られてるんじゃないかってくらい、色々な危険が勝手に避けていくんだもの。行く先々で誰もがお姉ちゃんの味方になって、捕虜になったのにかわいがられたー、って帰ってくるんだから」

「そうそう、最近うちの店で雇った傭兵たち、ハナ姉のこと姫様って崇めてるよ。

 決戦のときの恩義は、いつか必ず報いたいって言ってた」

「それは知らなかった。けどありそう。

 だから私たちは心配してない」

「えっ、えぇ~~?」

「それに、学費ならお父さんたちが喜んで出してくれるでしょ?

 お姉ちゃんは家事も一通りできるから、一人暮らしでも大丈夫だろうし」

「そうそう、本と筆記具以外には贅沢をしないし。どこでも生活してけるんじゃない?」

「あ、でもね、私としては、もっとお洒落にも気を配ってほしいかな。せっかくかわいいんだから勿体ないよ」

「いやいや姉さん、そこだけは反対だ。

 これ以上ハナ姉をかわいくしたら、遠くの魔物か何かが噂を聞きつけて攫いに来るかもしれない。『家政学校の図書室のお花ちゃん』って、こっちの学校でも有名だったんだからね。その弟が俺だと知って、紹介してくれとか、どうやったら仲良くなれるかなんて相談に来るヤツがひっきりなしで、追い払うの大変だったんだ。普通でいいよ」

「たしかに、そういうのは嫌かも。じゃあほどほどにお願いね、お姉ちゃん」

「コン、私その話全然知らないんだけど?」

「ああ、言ってなかったね。いちいち面倒だから別にいいやって。

 そう思うくらい頻繁だったから」

「えぇ~~??

 あのさ……。これ聞くの少し怖いんだけど、二人は私のこと何だと思ってるの?」

「うーん、我が家の愛玩動物?」

「えっ……?」

「さっき俺が帰ってきたとき、玄関に駆け込んでくる様子は、あの貴族のおじさんが飼ってた犬みたいでかわいいなと思った。

 ……いや、ハナ姉だから観賞植物かな?」

「ちょっと違わない? 我が家のお姫様って感じ」

「それだね。お姫様で、俺たちの姉」

「そっか。良かった。

 ……一応は人間の家族という扱いだったんだ」

「でもお姉ちゃん、かなり変わり者だという自覚は持ってよね」

「そうだよハナ姉。ここまで注目を集めてるのに我が道を行くんだから、やっぱり普通じゃない」

「うっ……」

「まあ、お姉ちゃんくらい普通から外れた変人なら、遊学しても不思議じゃないけどね」

「うん。ハナ姉は好きなことには熱中するから、研究にも向いてると思う」

「二人とも、持ち上げるか落とすか、どっちかにして……」



たしかに父の事業は復興需要にも助けられて無事に建て直すことができたし

むしろ前より好調で、私だけでなく妹や弟まで同時期に遊学させることさえ

問題ないくらい経済的に余裕があり、その点ではあまり後ろめたく感じない

二人は今、結婚や商売に向かいつつあるから、その道を選ばないだけのこと


気付けば父から義父や義兄にも私の遊学話が伝わって元宮廷貴族の肩書きで

推薦状をもらったし、母も元管区長として直々に紹介状をしたためてくれた

父や育ての母、妹と弟は、私の旅支度について何やかやと助言してくれたり

買い物に付き合ってくれた上に、一緒に礼拝堂で学業成就を祈ってくれたり


ほどなく私塾から、教授名義で私の入塾を内諾するとの手紙が届いて一安心

まあ、実際には貴族学校の講師陣からの推薦状の方が効果あったと思うけど




◇新市街から


そして私は二つの実家の皆から背中を押されつつ、遊学の準備を整えていく


遊学の準備に役立ったのは、卒業後にいくつか試した臨時雇いの仕事だった

身体の成長は数年前から止まったままだとしか思えないけど、私だって一応

大人の仲間入りとなる年頃、なので少しくらいは自活できるようになりたい

というわけで私は、臨時雇いの働き口をいくつか見繕って実際に働いてみた


最初に試したのは、修道院内にある施設での子供たちの世話や教育の手伝い

先に説明したように、修道院は様々な事情を抱えた子供たちを預かって育て

さらには近隣の子供たちも受け入れて初等教育を施す寺子屋も運営している


修道院とは他者との協調性と同時に自主自律的活動が求められる修行の場だ

その姿勢を一度きちんと身に付けておくと、一人でも集団でも上手くやって

いけるのではと考え母に相談したところ、良い判断だとして快諾してくれた


管区長兼修道院長の娘でなく一介の見習修道女として皆に受け入れてもらい

他の修道女たちと一緒に修道院の僧坊に寝泊まりしつつ二週間ほど過ごした

貴族学校の講義の時間帯だけは私服に着替えて聴講に行ってすぐ戻ってくる

祈りと労働の規則正しい修道院の日常にも、思っていたよりは早く馴染めた


なお、修道院に入ってしまえば俗世の素性は問わない決まりだけど、それは

建前みたいなもので、親しい修道女どうしの間では、過去の出来事やそれに

伴う後悔や反省、人生訓などを語り合い、心の平安を得ることも珍しくない

もちろん母も、修道女たちの悩みを聞き、相談に乗ることがよくあるという


そして私は見習修道女かつ頻繁に外出する臨時雇いみたいな感じだったのに

「娘(または孫娘)みたいで親しみやすくて」「一度お話ししてみたくて」

と、修道女の皆さんに呼び止められては、個別に色々な打ち明け話を聞いた


私が知り得た範囲では、修道女たちの出自は本当に多種多様、庶民も貴族も

また古い民の血を引く人や他国の出身という人もいるけど、家族を失ったり

様々な事情で家を出て他に頼れる先がなく修道女になった女性も少なくない

そんな人たちにとって、基本的に皆が平等な修道院は貴重な居場所でもある


といっても教養の差は明白、修道院の役職者たちは母を筆頭に高度な教育を

受けた者たちが占め、その教養に繋がる教育の機会は育ちが大きく影響する

学校に通う機会が乏しかった修道女たちは、出家してから学びの機会を得て

主に役職者など教養ある先達の修道女たちが、そうした修道女たちを教える

のだけど、私まで様々な勉強会や読書会などの協力を求められ参加していた


本に囲まれて育ち、学校にも通わせてもらってる私は、恵まれた生い立ちだ

若輩とはいえ、知識や教養が役立つ場面があるなら積極的に活用していこう

勉強会での母は、教えるというより相手の知識や考え方を尊重しつつ優しく

難解な話題も平易な語り口で諭し導くやり方で、私にも大いに参考となった


そして施設や寺子屋の子供たちには、歳が近いせいか妙に懐かれてしまった

ただし保護者が私の噂をするらしい、というか専ら『傀儡の姫』の噂だけど


それと、たまに子供たちが騒いだり泣いたりすることがあって少し苦手かも

幼い頃に悪ガキと一緒に遊んだ経験を踏まえ接してみるけど慣れが必要そう

子供たち一人ひとり個別に打ち解けるには、もっともっと長い時間が不可欠

だけど私の教え方や教える内容は及第点だと母や教師たちは評価してくれた



読み書きにはそこそこ自信があるので、写本や代書などの仕事も試してみた

まあそこは幼い頃から自分で練習してきた成果が遺憾なく発揮できたと思う

けれど、お客が私に仕事以外の話題を振ってくることも多くて、やはり微妙


そこで思い切って、私のことを知らぬ人が多いはずの新市街でも働いてみた

最初は実家から通っていたけど、遊学が決まってからは自分で部屋も借りた

どうせ遊学先では一人暮らしの予定だし、自分の稼ぎで自力で暮らしてみる


もとからあった旧市街、つまり私たちが住み慣れた歴史ある城下の市街地は

石造建物ばかりなのに対し新市街は木造の建物が多くて新鮮な気持ちになる

あの捕虜時代の部屋よりもっと快適な部屋が、想像以上に手頃な家賃だった

父に聞いたら城下旧市街の家賃は別格に高いそうで、むしろ新市街の家賃が

他の都市の相場に近いというから、私の臨時雇いでも払っていけそうな感触


各地から集まってきた人々が定住している新市街は、実に活気に溢れていた

たとえば反乱軍の食堂の厨房で働いていた人たちが独立して開いた飲食店や

持ち帰りで料理だけ何種か提供する惣菜店といった店が続々と開業していて

かつ安いので、それらを活用すれば自炊に手間や時間をかけずに済みそうだ

その分の時間を仕事に使えば、一人暮らしも上手く回せそうな気がしてきた



いくつかの仕事を試した中で、私にとって稼ぎが良かったのは飲食店の給仕

旧市街では、貴族や大商家がよく使う高級飲食店と、学生や庶民がよく使う

安い飲食店とに分かれる傾向が強いのに対し、新市街では中間的な店が多い

しかも、これらの店は臨時雇いの人材を接客や厨房で大量に必要としている

おかげで、借りた部屋のすぐ近所の飲食店に働き口を見つけることができた


こういう店なら私の街娘っぽい普段着が丁度良い、その上に前掛けをつけて……

と衣装棚を前に考えてたら内乱より前にミキから言われた言葉を思い出した


「いい? お姉ちゃん、お洒落は武器! 自分の運命を切り開くためにも大事なの!」


でも武器とまで言われてしまうとむしろ私は敬遠したく、ただ見苦しくない

程度でいいかなと、動きやすさで反乱軍の職員たちが差し入れてくれた服装

制服を元にした、袖まくりしやすいシャツと、緩めで動き易いズボンを着て

あと少し冷える晩秋だから状況により袖なし上着、といった感じにまとめた


靴はゴム底、捕虜時代に差し入れでもらった、反乱軍の看護婦と同じ種類で

軽く履きやすく滑りにくく歩きやすいから気に入って自分でも買い足してた


でも少しはかわいらしくしようか、そうだ髪を平紐で結んでみるといいかも

そういうお洒落については育ての母とミキが色々と教えてくれた、というか

よく二人して私を着飾って遊んでたので何となく覚えてるから色々できそう

私が以前、髪を長く伸ばしていたのは、この二人の求めに応じてのことだし


傀儡の姫だった頃から少し伸びて肩に掛かるくらいの長さになっていた髪を

後ろに束ねたり左右に振り分けて結んだり、日替わりで色々と試してみたり


育ての母が私に仕込んでくれた調理の技量は、自炊生活にはもちろんのこと

飲食店の厨房でも即戦力に採用してもらえる水準で、改めて育ての母を尊敬

反乱軍が持ち込んだ様々な食材や調理法など、新しい知識と経験も得られた


店の接客も、級友たちと通った飲食店を思い出せば結構できるのがわかった

御蔵町の高級飲食店ならともかく新市街の大衆食堂と呼ばれるような店なら

むしろ普通の街娘がお手伝い感覚で接客する程度で充分だ、と店の人も言う

ので自分なりにお客を尊重しつつ接するようにしたところ悪くないとの評価


客も色々で、中には少々厄介な人もいるけど、あしらい方などを身に付ける

機会にはなると感じる、ただ私について色々と噂する人がいるのには困った


傀儡の姫の噂を広める一助になっているのは、店によく来る流しの弾き語り

旧市街の高級飲食店では貴族のお抱えだった弾き手や歌い手が雇われている

のに対し、新市街では内乱中に反乱軍の陣地などでそれを生業とした人々が

手持ちの楽器を携えて飲食店を巡っては演奏して歌って、投げ銭を受け取る


楽曲の好みで言えば、明るい雰囲気の歌が多い新市街の方が私は気に入った

彼らの拍子に合わせて仕事をすると、不思議にてきぱき動けるのが面白いし

その調子に乗って踊るように卓を巡って給仕してたら、居合わせた羽振りの

良さそうなお客に心付けをもらったりもして、それはそれで楽しいのだけど

でも本物の姫と傀儡の姫が櫓と城壁の上で相対した様子まで歌にされていて

その歌だけはできるだけ聴かないように、厨房の仕事を見付けて退がったり



旧市街でも新市街でも、ある程度の割合で私が傀儡の姫だと知ってるようだ

直接の不利益になることはないものの、仕事とは関係のない話題をされても

仕事先には迷惑だろうと思うから、その点は少し申し訳ないと思ってしまう


ほとぼりが冷めるまでは、私が別のところに行って生活するしかないだろう

少なくとも当面、城下を離れて遊学することにしたのは、やはり妥当な判断



遊学先の私塾がある街までは、古くからある街道を馬車で数日ほどの旅路だ

学費は父が出してくれるというけれど、現地では基本的に一人暮らしの予定

何かあったときにも家族を頼ることは困難で、自力で何とかする必要がある

といっても多くの人々が暮らす街、生活用品は現地調達でも問題ないだろう

現地の事情に詳しい父の助言を受けつつ、持参する品を厳選して荷造りした


ただ、私塾では調査研究のため各地に旅することもしばしばだと聞いている

ということは私も様々な状況を想定した一通りの旅支度を準備しておきたい

幸いなことに、新市街での臨時雇いで私は給金だけでなく心付けでも稼げて

家賃や食費など差し引いても余裕があったので支度金として使うことにする


旅路の衣服は、晩秋という季節や山間地への旅も考慮して防寒性を重視した

遊学先で着る服は今までの普段着に少しだけ追加、それから筆記具を一式と

自分の日記、父と母との『なれそめの一冊』、それから数冊だけ厳選した本

父によると、遊学先にも私塾があるだけに小さいながらも書店があるという

現地までの旅の間に読みたい分だけにしろと言われ、涙ながらに絞り込んだ


「ハナ、さすがに俺だって持っていく本は最低限にしたぞ。初めて旅をするときからな。

 自分で選んだ荷物の重さに苦しむのは、非力なお前自身だ。身の丈に合う荷物を心掛けなさい」

「うぅ……。そう言われると言い返せない……」

「まあ、ただでさえ辞典や辞書で重たいのだから、娯楽的な本は諦めることだな。

 どうしても読みたい本が向こうで手に入らないときは、手紙で知らせてくれ。こっちで買って送るから」

「ありがとうございます。それに関しては甘えさせてください」


さすがお父さん。本好き仲間ならではの貴重な助言が私の心に強く刺さった


私の経験上、今後への備えができているかどうかは大きな問題だとはわかる

旅の先輩である父の助言は貴重なものだ、それと母も同じく旅の経験が豊富

なので私は、事ある毎に二人に相談しながら少しずつ旅支度を整えていった

商家の旅と国教会の修行の旅とでは違うところも少なくないけど、共通して

言えるのは身を守るための心得や備えを怠ってはいけないという大切な助言


大公国時代、よく旅をしていたのは交易商や行商、修行僧に旅芸人、あとは

遍歴修行の騎士や飛び地所領を持つ領主など、決して多かったとはいえない

父と母が、二人して旅の経験が豊富というのだから、私は実に恵まれている

けど私は周囲の人たちに支えてもらってばかりだ、いつかは恩を返ししたい

まだ無力な小娘だけど、しっかり学んで、何かの役には立てるようになろう


内乱が終わってからは旅をする人も増え、旅の心得も知られ始めてきた時代

この変革期には、実は旅支度に新貨幣の問題があったことは忘れられがちだ

最後まで大公側に残っていた城下旧市街は人口も資産も多かったものだから

反乱軍が発行した新貨幣への両替に内乱終結後しばらくの期間を要していた

新市街で働いていた頃は、新貨幣を蓄えては、古い貨幣を使っていたものだ


その都合もあって、父の助言により私の貯金の一部を為替手形にしておいた

私塾の街あたりまでは大公国の新旧両方の貨幣が使えるとのことだったけど

調査旅行の行き先によっては通用しない可能性があるらしく、現地の教会で

手形を現地貨幣に換えて使う、それに、いざというときにも手形は役に立つ


かつて帝国が版図の全域に広く展開した教会や神殿は、互いに連携していて

今も各国で送金や為替手形、両替などの役割を担っており、旅に欠かせない

その仕組みについては母が一通り説明してくれたものの、私には複雑すぎて

完全な理解には遠かった、高度な算術を扱えることは司祭の最低条件らしい

私は商業組合の学校で教わる会計の計算くらいまででいいやと、半ば諦めた


実は私の進学先候補から僧侶大学を除外した理由の一つが、その数学の問題




◇そして旅立つ小娘、あと父とか傭兵さんたち


遊学の旅には、ちょうど商談の出張に向かう父が同行すると言ってきかない

ものだから城下郊外にある父の商家の店舗兼倉庫から出発することになった

実は私の遊学先となる私塾は、まさしく父が商談で訪れる小都市にあるのだ


私の母二人、妹と弟、義理の実家一同までも勢揃いして私を見送ってくれる


父やその部下たちが乗る荷馬車、そして私を姫様と呼ぶ傭兵さんたちの護衛

家業が好調なので義父が抱えていた傭兵団から三十名ほど雇っているという


護衛といっても街道を外れなければ危険は少ないそうで、むしろ人足代わり

屈強な傭兵さんたちは荷の積み下ろしにも活躍してくれるし、馬の扱いにも

長けており御者や馬丁などの役目も果たしてくれて、交易商には助かるとか


隊長さんも、傀儡の姫の身辺に残った兵たちも、この護衛に率先して参加し

彼らにとっての姫を、雇い主である父より優先して守るとまで言ってくれる


「一応、俺が雇い主なんだがなあ……」

「でも旦那だって、いざというときは最優先で姫様を守れと仰るではずでしょう?」

「そりゃあもちろん、ハナは大事な娘だから当然だ」

「旦那だって姫様の父君なのだし、姫様を悲しませないよう旦那も守るのは当然です」

「……まあ、そういうことならいいか」


「あのー、お父さん、隊長さん? そんな危ない旅路なんですか?」

「そんなわけないだろうハナ。だが万が一ということもあるからな」

「そうですよ姫様。何かあってからでは取り返しがつきませんから」


ちなみに隊長さんは、内乱が終わった直後に転職先として紹介されたときに

私の実の父親の商家だと知った途端、自分から真っ先に名乗りを上げた上に

今回の護衛任務も父から打診された途端に、自身が率いるから任せろと宣言


いずれも後で部下たちから「役得」「ずるい」と不平を言われたとか何とか


傭兵さんたちの間では、子供たちが育ってきて同じく傭兵になろうとしてて

奉公先を探すのが大変だといった問題も抱えており、隊長さんも必死なのだ


「そんなわけで、俺が文句を言われますので、傭兵団の他の者たちも雇ってもらえるよう、旦那も商売を繁盛させてください」

「ちょっと待ってくれ、俺が雇い主だよな?」

「もちろんですとも。でもそれ以前に姫様の父君ですよね?」


ともあれ、こうして四八一年の晩秋、母が言う「私の帝国」を離れて旅立つ

この先に何が待ち受けているかはわからないけど、やれるだけやってみよう



傀儡の姫・上巻「二つの実家」◇◇おわり

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