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◇小娘と義理の父、あと別の父娘の話題


まず義父は、私の母と育ての母、そして父の全員を知る、最も重要な参考人


自宅にいる日を確認して一日かけて話をしたいと約束を取り付け、せっかく

だからと私も貴族令嬢時代の衣装を着て訪れたら、心なしか嬉しそうだった

そういえば私がこの家に養子として迎えられてから、だいたい一年くらいか

あまりに色々あった一年だけど、まだまだ色々ありそうな予感がしている私



当事者三人それぞれの性格や当時の経緯など、改めて詳しく聞かせてもらう

三人の考え方などに関しては、義父も私も認識に大きな相違点はなさそうだ

けれど義父によると、私の母は私が想像していた以上に凄い行動をしていた


義父曰く、私の母と育ての母がほぼ同時期、二カ月ほどの差で妊娠した経緯

は知らないが、父は二人の女をできるだけ不幸にしたくないと相談してきた


そこで幼馴染みのよしみで仲裁役を引き受け、義父が郊外に持つ領地の館へ

当事者三人と、参考に父の母も招いて、それぞれ個別に話を聞くことにした

ところが、まず義父と祖母が改めて詳しい経緯の説明を父から聞き出す間に

なんと母が密かに育ての母の許を訪れ直談判、謝罪して許しを請うたという


父たちが話を終えて気付いた時点で、すでに二人の母の間で結論が出ており

あとは父がその条件を飲み、義父や祖母が見届け人になるだけ、と言われる

母と育ての母の間で具体的にどのようなやり取りがあったかは、二人の秘密

として詳しい説明はないが、ともあれ育ての母は育ての母になることを決意


また一家に対し生みの母は直接会ったり手紙を送るなど一切しないとの条件

もちろん全ては秘密裡に、子供が成長したら育ての母の判断で伝えることに


この決定に父は深く感謝し、二人に対し改めて謝罪して、条件を受け入れた


義父は二人が約束を果たせるよう、母が安全かつ秘密裡に出産する段取りや

生まれてくる子供の処遇などについて諸々を取り計い、さらに母に代わって

二人の結婚を改めて祝福、その後も現在に至るまで結婚記念日になると毎年

育ての母の大好きな花束を私の実母が私費で手配して、義父がそれを届ける


だから毎年この日は二家族揃っての会食となっているけど、それはともかく

この花束について、私たち子供世代は義父からの贈り物だとばかり思ってた

あのときの約束を知る人たちだけの秘密の伝言だったなんて気付けないよね


私に身の上を明かした際は父と義父の相談を受けて育ての母が許可していた

このとき育ての母は事情が事情なので私と実母の面会も認めてくれたそうだ

もしかしたら私の成長を見て思うところがあったやもしれぬ、と義父はいう


「そなたは内乱で大層なお役目を果たした。立派に成長したと認めたのであろう。

 養い親として、その働きに報いてやらねば、と考えたのではないか」



母たちの約束の見届け人となり、一連の諸々も取り計らった義父は、しかし

母たちから深い感謝の言葉を受けただけで他には何も受け取ってないという


義父には義父なりに、貴族としての考えがあってのことだと説明してくれた


「この借りを返したくば、いつか我が家に何かあったとき、逆に助けてくれればそれでよい、と伝えてある」

「そうなのですか」

「これでも貴族のはしくれ、国の一大事になれば命を賭けて働く覚悟。そのとき後顧の憂いがないようにしてもらえれば、我らも思う存分に仕事できる。ゆえにそれを頼む、とな。

 そなたの家は裕福、もし我が家に孫の一人や二人くらいしか残らぬような事態が生じたとなれば、何らか手を差し伸べてくれるであろう? またそなたの生みの母も、我らを葬って弔うくらいはしてくれよう」

「それは当然そうするでしょう。しますとも。

 ……でも、貴族の覚悟とはそれほどのものなのですね。恐れ入りました」

「民草を守ることこそ我ら貴族の存在意義。そのためには命を投げ出すことも厭わぬ。

 とはいえさすがに、あれほど勝ち目のない戦を前にしては、戦って死ぬことすら無駄だとも悟った。我ら貴族はいずれ斬首の運命やもしれぬが、民草の余計な流血は避けよう、降伏すべき、と我らは宮廷の者たちに訴えて命懸けの議論をしていたのだ」

「議論も命懸けなのですね、そういった局面になると」

「いかにも。最後の一人になっても戦い抜くのだと、広間で剣を抜いて息巻く者もおった。そのためには臆病者を殺してでも、といった覚悟の面構えであったな。だがそやつも、打ち込まれた石弾が宮殿の屋根を抜けて目の前に落ちたものだから、意気阻喪して剣を取り落としおったわ。あのときばかりは反乱軍の狙いの正確さに感謝したものよ」


なんとそんなことがあったとは、傀儡の姫が反乱軍の突入部隊に追い回され

狭い路地を甲冑姿で逃げ惑った挙句に転んで鼻血出してた頃ですよね義父上


「義父上、それは議論ではない部分で命懸けだったのではないですか?」

「はっはっは、そうかもしれぬ。

 その後、宮廷に反乱軍の部隊が突入してきたときは、大公ただお一人が立って姫に一騎打ちを挑まれ、姫もそれに応じて激しく剣を交え、ついには相討ちになられた。これで我らも腹を決め、降伏したのだ。今になって思えば、お二方は自らのお命を賭すことで、我らに思し召しを示されたのであろう。生き残って国のために尽くせ、と。

 なればこそ我らも、たとえ生き恥と誹られようが構わぬ、いずれまた国のためになる役目を見出し、その役に殉じようとな、そう思うのだ」

「そうだったのですね……。でも義父上や義兄上が御無事で、私は本当に安堵しました。

 それに私も、義父上と同じく生き恥の身の上ですから。私こそ何もできなそうですし」

「そなたにも心配をかけたし、危ない目にも遭わせてしまったな。娘として我が一家に迎え、かりそめとはいえ姫を装わせ、その地位に相応しい働きをと思ったが、無茶をさせてしまってすまぬ」

「いえ私は、そんな大層な働きもできませんでしたし、こうして無事に戻ってきました」

「何を申す。そなたの立派な甲冑姿を見て、兵たちは喜び奮い立っていたではないか。敗れたとはいえ大儀を果たしたのだ、小娘ながら天晴れ、誇ってよい。本来なら存分に称号や所領を授かって然るべき働き。我ら貴族は今、落ちぶれて何の褒美も与えられぬ身だが、そなたには心より感謝しておる」

「義父上、お言葉大変嬉しいですが小娘は如何かと。私もうすぐ十八歳になるのですよ」

「気にするでない。養子縁組を解いたとて、そなたは変わらず我が一家の一員、愛娘フロラよ。今後も実家と思い、気易く来るとよい。褒美も出せず、大した接遇もできぬが、いくらでも話に応じよう」


そう言いながら義父は孫をかわいがるときみたいに私の頭をぐりぐり撫でる

気に入ってくれてるのは間違いない、けどこのままだと私いつか義父の孫の

誰かと結婚させられるんじゃないか、と思うくらいのかわいがりようで困惑

あの子たちまだ小さいよね、私とは年齢差ありすぎるんだけどどうなのかな

というか義父上、私を小娘と呼ぶのは、もしやかわいさのあまり、ですかな?



ひとしきり撫で心地を堪能した後、義父は真顔で、私に詫びると言ってきた


「そのお役目の件なのだがな、そなたに頼み込んだ際、一つ嘘をついておったのだ」

「何をでしょう?」

「たしかに貴族令嬢たちの中に適切な候補が見当たらなかったのも事実ではあるが、実際には候補者となりそうな者を挙げて吟味したに過ぎず、打診まではしておらぬのだ」

「それはまあ、打診するまでもなくわかることも多いでしょうし」

「いや、ではあるのだが、まあな。

 ……ふむ、ここは順を追って話そう。フロラよ、心して聞け」

「はい」


私の頭を撫で続けていた手を引っ込めて、少し難しい表情をして腕を組むと

いつも割と直言しがちな義父にしては珍しく、妙に勿体ぶった様子で続ける


「実は大公には私生児、それも隠し子をもうけていたとの噂があるのだ」

「隠し子!?」

「そして、そなたに甲冑姿の姫を演じさせたのは、『隠し子本人か、その娘かもしれない』という印象を持たせるためであった。あるいは、『隠し子かその息子でも迎えて嫁につけるつもりの貴族令嬢』との噂でも構わぬのだが、いずれにせよ大公の隠し子の噂を知る者たちには、この噂に絡めて認知してもらうのが狙いであった」

「えぇーーっ!?」

「大公の隠し子の噂は、我ら宮廷貴族には半ば公然の話題であったが、言うまでもなく庶民たちには伏せておった。そなたら一家も含めてな」

「まあ、そうでしょうな。知られたら色々と問題になるでしょう。

 傀儡の姫の由来、得心しました。貴族たちにのみ特別な意味が伝わるのですね」

「さよう。発案したのは、我らの派閥の会合の席で、はて、誰であったかな……。

 ともあれファウナ姫に対抗しうる、大公の後継者が別におるのだと認識してくれれば、ともすれば保身に走りがちで、下手をすれば寝返りかねない弱腰貴族どもにも奮起を促せるやもしれぬ、という考えであったのだ」

「わかります」

「かような背景ゆえ、むしろ本物の貴族令嬢では今一つ都合が良くない」

「まったくです。本物の貴族令嬢を立てても、噂の火種になりませぬ。

 それでは単なる『主君の旗持ちとして抜擢された普通の貴族令嬢』」

「いかにも」

「あと、自分が偽物だという意識があっては、演じるのも工夫が要りますね。

 ……あれ? でもそれに関しては私にも同じ懸念があるのでは?」

「そこらの貴族令嬢には無理かもしれぬが、そなたなら、できると判断した。

 そなたの父から聞いておるぞ、二年ほど前のことをな。鋏町の怪物どもに臆せず立ち向かい、見事稀覯本を閲覧して参ったのであろう?」

「義父上もご存じでしたか、あの怪物ども」

「おうとも、我も文献探索に挑んだ過去があるのでな。なかなかの難敵よの」

「なるほど、義父上もまた私の大先輩なのですね」

「もっと前の話題も聞いておる。齢わずか十にして、自身の親が育ての親と聞いたときも、まるで動じなかったそうではないか。それどころか、育ての母に感謝を伝える菓子を作るべく、慣れぬ台所で奮闘しておったと。

 あやつめ、そういう話題をするたびに、『俺の自慢の娘、えらい』だの言うておった」

「いえあのときは……。

 まあ何となく腑に落ちたので。驚きはしましたが嘆いたりする理由もなかったですし、だから感謝の気持ちを伝えたいなと、正直に動いただけです。お菓子作りは失敗しましたけど」


ていうかお父さん何言ってんのもー、いくら幼馴染みの義父上相手とはいえ

そんな親馬鹿自慢をされてると知ってしまったら、娘としては恥ずかしいよ……


「それよ。見た目に反し大事なところで冷静にして沈着、そして腹も据わっておる」

「見た目は関係ないと思いますが!? でも言われてみれば、そうかもしれませんね」

「そなた自身に対し詮索しようとする者が、ひょっとしたらおるやもしれぬ。だがもしおったとしても、そなたなら知らぬことは知らぬと突き放ち、適当にはぐらかすであろう?」

「でしょうな。私には心当たりなど本当にありませんから」

「だがそれができぬ者も多いのよ。身分や年齢を問わずな。

 加えてもう一つ、出自が不明の子を、そこそこの貴族が養子に迎えるという体裁そのものにも、また狙いがあってな」

「あ、それってつまり、やんごとなき地位の者の隠し子を世に出す際の定番ですね。

 あるいは逆に、やんごとなき地位の者に嫁がせる女の地位を相応のものにする策。

 そしてうってつけの出自不詳の女子が義父上の手近なところにいるではないかと」

「まさしく。加えてそなたは見るからに絶妙な年頃。大公の娘、いや孫娘ともとれる」

「言いたいことはわかりますけど見た目完全に小娘なのは不本意ですよ私は個人的に」

「見た目も大事だぞ。貴族令嬢として差し支えなく、いやむしろ大公の血縁とみても誉れに余る、愛らしく整った風貌。偶然とはいえ黄金色の髪や瞳、その白い肌の色合いまで、大公一族に近い。しかも一見ぽやーんとした小娘でありながら、風格あるとでも言うか、黙っていれば凛々しくも見えなくもない、そなたの見た目からも、適任と判断したのだ」

「ぽやーんとか、黙っていれば見えなくもない、って何ですか義父上! いえ確かに私、前に自分でぽやーんって言いましたけど……。

 ともあれ整った風貌という評価は、大変ありがたく頂戴します。そこは嬉しいです」

「そなたの父にも、一通りの事情を説明したところ同意見であったぞ?」

「お父さんもですか!?」

「もちろん子供たち三人ともかわいい、それぞれ違ってみんないい、などとも言うておったが」

「あーもー何ですかその親馬鹿……」

「ともあれ、嘘をついてまで大変な役を引き受けさせてしまったことは事実。

 誠に申し訳ない」

「もう傀儡の姫についてはお気になさらず、義父上。事情は理解しました。

 見た目云々の評価は内心とても不本意な点も一部ありますが、私には如何ともし難い部分ですし、義父上も父もそのように見ているというなら諦めて受け入れます」

「良い評価だとは思わぬか? 我ら家族は皆そう思うておるのだぞ……」


などと言いながらまた私の頭を撫でるけど、私そんなに撫で心地いいですか?

というか私をかわいいと思っておられるのですね義父上、わかりにくいです


そういえば捕虜になってる間に愛犬が死んでいたのを釈放された後に知って

もうかなりの老犬だったから寿命だろうと言いつつ落ち込みは酷かったなあ

さすがに没落した今では新たな犬を迎えるのも難しいと諦めてるようだけど


ん? ひょっとすると、もしかして、私あの犬の代わりにかわいがられてる……?

まさかそんな、というかそれとは別のところが引っ掛かってるんだったっけ


色々と驚いたり不本意な話も盛り沢山だったけど、ひとまずは置いておこう



「いえ、もういいですから。

 ……しかしそれにしても、あの大公に隠し子とは。歴史を振り返れば決して稀なことでもないし、言われてみればあり得ることなのに、まるで思い至りませんでした。しかも実は私自身まで修道院長の隠し子だったにも関わらず、不覚です」

「フロラがクロリスであったと知ったのは、つい最近のことではないか。致し方あるまい。

 ……とはいえ何にせよ、大公の隠し子の居場所はわからぬ。いや、そもそも隠し子が本当にいるかどうかすら、定かではなくてな」

「では大公の隠し子の噂は噂に過ぎぬ、ということでしょうか」

「そうとも言い切れぬ。

 まず、大公が離宮の離れに一時期、女を囲っていたことは宮廷貴族の多くが知っておった。それらしき女を目にしたことのある貴族もおるゆえ、この点ほぼ間違いなかろう」

「そうだったのですね。ちなみに、いつ頃のことだったのでしょう?」

「大公妃が四人目のお子、すなわち姫を身ごもった頃に始まった、と考えられておる。

 その少し前から、大公の息子たちに原因不明の病で衰弱の兆しがみられるようになってな。妃もまた同様というので、妊娠中の大事な時期は故郷で静養するのが良かろうと、実家の別邸である山荘へ移るため城下を離れてな。実際それが良かったのか、妃は小康状態になり無事に出産、生まれた姫は健康そのものだったそうだ。一方で大公私邸に残されておった息子たちは、衰弱が止まらぬどころか進行するばかりであった」

「それは、まるで姫の母方の血筋が、大公の領地を拒絶しているかのようにも思えます」

「であろう。我ら宮廷貴族の間でも、そのような噂がまことしやかに囁かれておった。ゆえに妃から、このまま城下に戻らず山荘で姫を育てつつ暮らすと伝えてきた際も、致し方なしと皆が理解したものだ」

「そのような事情があったとは……。

 これぞ姫が大公と別居することになった発端ですね」

「他にも理由はあると考えられるが、その衰弱の病が最大の要因であろうな。

 一方で大公も、その頃は私邸に息子たちを置いて離宮へ足繁く通っておった。離宮といっても、当時は実質的に大公宗家の別荘でな。もとは平原進出の拠点となる最初の宮廷が置かれた地であり、かつて東方遠征の際にも臨時の宮廷を置いた歴史はあるが、過去何世代も公務には使われておらなんだ。ただ、その離宮の敷地には大公宗家の墓所と離宮付属礼拝堂もあり、一族にとって重要な場所。大公自身や宗家の誰かが療養で用いることも多く、最後の大公も幼少の頃そこで育てられたという」

「そんな離宮に、息子たちを療養させるのでなく、自身が通っていたとなれば、如何にも不自然ですな」

「さもあろう。

 しかも、大公は当時そこに臣下の貴族を一切近寄らせようとはせなんだ。訪れる際に伴うのは騎馬の直属近衛兵を数名のみ、その兵らは離宮の本館に留め置かれ、自身は木立に囲まれた離れの館に入っていくのが常であったそうな。離宮の使用人たちにも、離れには限られた一部の者たちしか近寄らぬよう命じられていたとのこと」

「そういった別荘の離れなら、女性を囲っていたとの推測もあり得そうですね。もし公式な側室として私邸や離宮本館に置けるような身分の女性でなかったとしても、色々と隠しやすいでしょうし」

「まさにそれゆえに、身分の低い女、家臣たちに知られては困るような出自の女を囲っているのであろう、と考えられておった」

「実際、どうだったのでしょう? 女を見たという貴族がいるのでしたね」

「うむ。

 妃が無事に出産し、その子が母親似の赤毛の娘であると、山荘から宮廷に早馬が参ったときのこと。これを受けて宮廷から数名の貴族が離宮へ報告に赴き、別荘の使用人や大公の近衛とも相談の上、直接お伝えすべきであろうと、大公の滞在される離れに少人数で向かったのだ。そうして離れに近付いていく途中、貴族の一人が扉の閉まる音を聞いて目をやったとき、勝手口付近の廊下の窓越しに若い女の姿が見えたという。しかし、驚いて目を凝らしても、既に姿を消していたとのことでな」

「おお、それはいかにもな感じです」

「まさに、いかにも。

 ただ、他に目撃者はおらぬ。そやつによくよく思い出させて聞き出してみても、使用人とも貴族とも違う、としかわからぬ。髪は黒か、あるいは暗色と言うが、黒髪の者が多い東方諸国の者たちとは、顔立ちが異なる印象だったそうな。服装も黒っぽい色合いだった、という程度の記憶しかないらしい。しかしそやつが知る女の、誰にも当てはまらぬものだから、むしろ信憑性があってな」


何か別の存在を見間違えた、とも考えられそうだけど、説明を聞く限りだと

やっぱり人物がいた可能性は高そう、だけど他にない風貌や装いの女性とは

一体どこに生まれ育って、どのように大公と知り合い親密になったのかも謎


「それは何とも不思議な女性ですね。

 ……して、そんな女性と大公との間に子ができた?」

「……か否は推論に過ぎぬが、裏付ける材料も多い。

 そもそも大公一族には、とりわけ過去数代は子が生まれにくく、子ができても流れたり赤子のうちに亡くなる例も多かった。大公宗主家は代々、大公一族の親戚筋から妻を娶るのが常であったゆえ、子ができにくいのはそのせいであろうと我ら一部の宮廷貴族は見ておったものでな」

「それはもしや、近親婚の問題ということでしょうか。捕虜になっていた間、差し入れてもらった本で読みました。反乱軍が作った『性教育の教科書』だとかで、いろいろな記述の中に、子供ができやすい条件、できにくい条件なども説明してあったのです」

「反乱軍も知っておったか。そのような知見は帝国滅亡以来、長らく途絶えておったようでな。大公国ではほとんど忘れ去られておって、我を含め一部の貴族たちが知るのみであった。

 おそらく北の沙漠の彼方、大断崖を乗り越えた先にある、かの旧帝都に細々と残されておったのを、伯爵領の士官どもが伝え聞いて、反乱軍にも広めたのであろう」

「反乱軍にいた士官たち、知識や知恵に貪欲な人も多かったそうですからね」

「そのようだな。

 ともあれ、過去数代は一人か二人の子しか生まれなかったのに対し、最後の大公だけは正妻との間に姫のほか三人もの男児をなしておる。姫はそなたも知っての通りだし、息子たちも件の病で衰弱して夭折したとはいえ、幼い頃は健康そのものであった。先代までの大公とは異なり、一族の外から妻を娶ったことが幸いしたとみてよかろう。囲っていた女も、大公一族から縁遠い血筋という点は共通のはずで、子ができた可能性は充分ある」

「あり得そうな推論です」

「而して、囲われていたその女、あるときを境に突如姿を消したようでな」

「あるとき……?」

「大公の離宮通いが途絶えたのだ。山荘で姫が誕生して、三年ほど後の頃であった。

 女が男児を産んだゆえ、母子ともども他国にでも送り出したのであろうと、かような噂になった次第」

「男児だと後継者問題の火種になる、といった懸念ゆえですね。その頃には大公の弟の息子も、さぞや元気に育っていたことでしょう。大公の甥は姫より六つか七つ年上でしたよね、長じては勇猛な騎士と評判になりましたし。貴族たちの中にも、彼になら大公国を任せても良いと考える方は多かったのでは?」

「いかにも。大公の甥は、やんちゃな盛りであったが、いずれ教養を備えるにつれ落ち着いてくるであろうと、多くの貴族が期待しておった。

 ……まあ結局、そう期待通りにはならなんだが」

「城下の祭りで、激しく踊って盛り上がっていた姿を私も覚えています。軍学の講師からは、大反攻の初回総攻撃の際に前線で何やら激情に駆られ、敵陣に無謀な突撃をしていった挙句、返り討ちに遭ったと聞きました。共に突撃した側近の騎士たちも、罠にかかるなどして悉く命を落とし、おかげで戦線が崩れて多大な損害を出したとか」

「まさに蛮勇よの。

 とかく、派手にやらかしがちな男子であったな。十年あまり前に姫が出奔した直後にも、大公の命で伯爵領に潜入したはずが撃退されて逃げ帰ってきおった。それも伯爵の館のお膝元の街で大騒動をしでかした末にな」

「なんと。やんちゃどころか伯爵にも迷惑かけていたなんて」

「勇猛であることは必ずしも悪くないことだが、無謀が過ぎる君主では、国の行く末にもいささかの不安があろう?」

「不安すぎます。もし甥が大公の地位を継げば、周辺国を武力で征服しようとするんじゃないか、とさえ思えますし」

「それゆえ隠し子の存在を信じたい宮廷貴族も多かったのよ、我らも同様であるが」

「義父上まで!?」

「いっそフロラが、我が一家から大公宗家の養女となって、そのまま大公位を継いでくれてもよかったのだぞ? 前例なき女大公として」

「無茶言わないでください怖いです無理です小娘には荷が重すぎます!」

「はっはっは。しかし軽率短慮独断専行でなく、穏当で対話の通じる君主か、せめて君主の伴侶をと、宮廷の皆が願い望んでおったのは事実。そして女大公も、前例こそないとはいえ、もし姫がどこかの時点で大公と折り合えていたならば、充分あり得たこと」

「まあそうですね。そしてあれほどの姫であれば、宮廷の支持も得られたでしょう」

「そしてそなたもまた、充分に可能性があったであろう」

「何を言われます。もしや義父上まで親馬鹿になられたのですか?」

「いやいや根拠ならあるぞ。

 我らと別の派閥の、つまりフロラの出自を知らぬ貴族どもにも面会させたであろう? そなたの人当たりの良さ、高い教養、会話の機微に至るまで、皆に好評であった。あからさまには申さずとも、将来の女大公か大公妃にも相応しいと受け取られたのだ」

「そりゃあ本好きですから教養くらいそこそこあるでしょうし、義父上の期待通りぽやーんとした小娘ですし、お喋りも嫌いではないですから、まあそうかもしれません。でも、君主かその伴侶になるなんて、それこそ無謀な期待です」

「何を申す。そなたが率いていた傭兵団のみならず、騎士や兵どもにも、立派な姫との評判であったではないか」

「えー!?」


宮廷貴族から騎士や兵たちまで、そんなに私を高く買ってるとは意外だった

けどまあ、反乱軍の捕虜としてかわいがられた経験からすると、きっと私が

娘か妹みたいな守ってあげたい存在とか何とか思われてたのだろう、たぶん


「それはただ、引き受けたお役目に必死だったので、私にはあまり自覚がありません。貴族学校の軍学講義を受けていても、反省しか出てこないです。

 それより義父上、大公の隠し子の件ですが……」

「おお、そうであった。

 隠し子であっても、もし女子が生まれたのであれば、我らのような宮廷貴族の誰かに養女として与えるのが通例。ゆえにこそ、そなたに傀儡の姫として白羽の矢が立ったのでもあるがな。遅れて隠し子を世に出したとも、隠し子の男子に娘ができたと知った大公が孫娘を呼び寄せたとも、如何様にも筋が書けるゆえ」

「概ね理解しました。私が『大公の隠し子』『隠し孫』あるいは『その伴侶候補』いずれの説も成り立つ便利な存在だった、ということですね。

 でもその元となった噂の真偽は不明のまま」

「そうさな。何にせよ、少なくとも内乱を生き残った宮廷貴族にも、また大公の近衛兵の中にも、隠し子の真偽を知る者すらおらぬのは事実。しかも離宮の使用人ども、特に選りすぐりの口が固い者たちばかりでな、大公亡き今でも何一つ語ろうとはせぬ。あやつら墓場まで持っていく覚悟で秘密を抱えておるから、我らも口を割らせることはできなんだ。たとえ拷問にかけられようと、おそらくは吐かずに死を選ぶであろう。反乱軍が勝利し、我ら貴族の権限も奪われた今となっては、もはや確かめようにも術がなくてな……」

「すごい。まさに使用人の鑑。

 でも大公の甥は内乱の早い段階で戦死してしまいました。しかも子供もいなかったと聞きます。その後一年半もの間、大公は後継者問題をどのように考えていたのでしょう?」

「それがな、何も語られなかったのだ。我らも、この国の先行きを案じてな、大公からそれとなくご意向を引き出せないかと、あれこれ試みてはみたが、最後まで一言も示されぬままであった」

「なんと! それは家臣として非常に困りますね」

「まったく。

 しかしあの結末からすると、一騎打ちで姫を屈服させられれば殺さずにおいて従わせ後継者に据える、逆に自らが姫に倒されれば姫の世直しを受け入れる、そういった腹づもりがあったのではないかと我らは推測しておる」

「つまり、あのときの一騎打ちは、国全体の命運、体制を賭けたものだったと……」

「まるで盟神探湯(くかたち)の如き行為よの」


盟神探湯、まさにそうかもしれない、大地と大空、風と炎、それらの神々に

身を捧げて、傷が浅かった方が認められたと見倣す、まさに神の前の儀式だ


帝国時代から繰り返し為政者たちが禁止令を出してもいるけれど民の間では

今も密やかながらに広く行われ、失敗して命を落とす者も少なくないという


「ところが神々の思し召しは、そのどちらでもなかった」

「結果からすれば、そう言わざるを得んな」

「でも義父上の推測が正しいなら、姫と大公どちらが勝つにしても、姫は生き残らねばならなかったわけですね」

「そうせざるを得ぬ事情も大公にはあった。反乱軍が興った姫の母方の所領、あの裾野地方はな、大公国の中にありながら半ば異国のような存在であったゆえ」

「文化が微妙に異なるとは、私も前に少し知りました。それほど異質なのですね」

「あの地の民は、そもそもの発祥からして異なる民。この地に大公のご先祖が帝国の威光で封ぜられるより前からそこに住まう、古き民の血筋が色濃く残っておるからな。かつて大公のご先祖が、裾野の民の併存を認め、盟主に所領を安堵して以来、代々そのまま受け継がれてきた」

「えっ、では姫の母方一族が古い民の血筋だったということですか?

 城下では見掛けませんが、国内の他の地域では被差別民とされていたのでしょう?」

「古き民とは、我ら大公国の多くの民とは異なる系譜に由来する民の総称。その中には、様々な民がおってな、裾野の民と平原に住まう者どもとでは、由緒からして異なるらしいのだ。差別を受けておるのは、後者のみ。

 とはいえ我も、詳しいことまでは知らなんだが」

「そうだったのですね。義父上でも詳しくご存じないとは、奥が深そうです」

「さほど詳しく調べた者がおらぬ上に、帝国時代より前に遡る文献が乏しいものでな。

 ただ古き民に広く共通して言えることはある、大公の統治に反発しがちであるという点だ。差別されてきた平原の古き民は、二百年あまり前に暴動を起こした歴史がある。裾野地方でも、かつて大公に併合された際には、現地の領主が強く反発したものよ。鎮圧のため大公本領の騎士たちまで招集され、裾野の各地で紛争が生じて、裾野の領主は多くが所領を追われた。そうして奪った土地を、時の大公は家臣たちに与えてな。このとき当家も我の父の代で、裾野に所領を与えられたゆえ、民の気性もよく知っておる。裾野地方の民はそのまま多くが残ったものの、表面的には大公やその家臣に従うように見えて、内心は決して従属しておらなんだ」

「併合事件については私も以前、概略くらいは読みました。あのような経緯では紛争になるのも致し方ないでしょうし、民の反抗心も消えないと思います。

 そんな裾野に義父上も所領を持っていたとなると、やはり領地経営には苦労されたのでしょうか。私も、貴族学校で領地経営の講座を持っていた講師と少し対話したことがあるので、どのような姿勢で臨まれたのか、参考に伺いたいです」

「我の父は、裾野地方の所領では領民の中から人望ある者を選んで代官に据え、経営を完全に任せておった。同じく裾野に所領を与えられた貴族の中には、本領より高い税を課した者もいたようだが、当家では内地と同等の率に抑え、水路や農地の修繕など必要な経費もその税から支出させてな。折に触れ監察と助言に部下を派遣して、少しでも収益が出ておれば、それで御の字と」

「さすが義父上のお父上。欲をかかず、民を苦しませぬように、との方針でしたか」

「いかにも。我もそれを踏襲してきたおかげで、当家の所領だった地では民の暴動や騒乱など特に起こさず済んだものだ。しかし、結局は代官もろとも姫の下についてしまった。今にして思えば、もっと裾野の民の言葉を聞くよう心掛けるべきであったのであろうな」

「とはいえ、多くの領主が領民を苦しめるほどの経営をしていた中、義父上お一人が善政を敷いたところで、如何ともし難かったのではないでしょうか。もはや敗色濃厚となった中、それでも孤軍奮闘していた猛禽の騎士のように」

「我を猛禽に比肩させるか。役目に殉ずることもなく生き恥を晒す我を。

 しかしそうさな、フロラがそう言ってくれれば我も少しは心が休まる」

「そうですとも。そもそも大公太子と裾野盟主の婚姻で領地を併合するという経緯も経緯でしたし、武力で押さえつけたり追い出したりしたのではなおのこと。三十年四十年経っても反発は消えないでしょう。

 それに後悔したのは、きっと大公自身も……、先代はわかりませんけど二十三代目も同様だったのでは? 彼なら妃やその側近などを通じて、どこかの時点で裾野の民の気性も気持ちも知る機会があったはずです。裾野の民の反抗心を和らげるためには、どうすべきだったのかと苦悩していたのではないでしょうか」

「うむ。二十三代目のお考えについては、我も同感だ。

 ゆえにな、大公は妃の血筋に期待していたことであろう、あの血脈ならばと。二人の間に生まれた息子か娘が統一大公国を統べる君主になる、との認識を持っておられたに違いない。ところが息子たちは夭折してしもうたから、いずれは姫に国を譲る腹づもりを決めたはず。如何なる形で戻ってきたとしてもな」

「ただ最後に、大公国の体制を賭けて決闘に、盟神探湯に臨んだと。

 ……忠誠を尽くしてくれた貴族たちのために」

「であろう、と我らは考えておる」



当時の大公の様子も、今となれば隠す必要ないことだと義父は教えてくれた


実は大公は、従おうとしない娘に対し、半ば意固地になっていたらしいとか

姫が持つ二つの名は、大公が先に与えたのではなく、母親が先だったそうだ

帝国以前からの古い民の末裔である姫の母親は、その一族が好んで使う古語

つまり被差別民とされる古い民や、僧侶たちと共通の言葉を用いて名付けた


母親が先に与えた名であるベスティアは、大公や国の貴族たちが好んで使う

古語でいうファウナと、ほぼ同一の存在を指すものとして慣用されるものの

それぞれの古語で伝わる伝承を詳しくみると、実は性格が若干違うのだとか


「元となった伝承は、おそらく同じであろう。されどファウナは大地と大空の意に沿って動く存在といった性格が強く伝わっておるのに対し、ベスティアとなると独立不羈、何者にもおもねることのない存在とされておるのだ」

「そうだったのですね。義父上も教養ある方だとは知っていましたが、さすがです」

「我を褒めても何も出せぬぞ、フロラよ。

 しかしそなたは教え甲斐がある。そこいらの盆暗貴族子弟とは大違い」

「いえいえ義父上、私なんぞ褒めたところで、それこそ何も出ませぬよ」

「ははっ。構わぬ。そなたを報奨もなく働かせておいて、さらに何ぞ得ようなどとしたら貴族の名折れよ。

 ともあれ、その名の解釈の違いもまた、大公にとって許せぬものであったろうな。宮廷ではベスティアという呼び名は許されておらなんだ。姫は逆に、ファウナの名を決して受け入れようとせぬ。妃が衰弱の末に山荘で死去した後、姫を宮廷へ迎えようと大公が赴いたことも一度あったが、父娘で激しい斬り合いになってしまい、双方とも深手を負った。このときも、ファウナの名で呼ぶ大公に姫が反発してのことであったらしい」

「えぇーっ!? あの決戦の前にもあったなんて知りませんでした! しかもまだ子供の頃ですよね? なのに大公に深手を負わせるなんて、ベスティア姫やはりすごいです!」

「言うまでもなく、当時の宮廷の皆も大いに驚かされた。なにせ姫は十歳になったばかり。大公は武勇に秀で、手練れの騎士でも刃を届かせることは至難であったというに、姫は自身も傷だらけになりながら深手を負わせたのだからな」

「途方もなく強い女の子だったのですね。それほどの武勇となれば、宮廷も姫の将来に期待して当然。だけど父親である大公への反発心も物凄くて、折り合いがつかぬまま……」

「それこそ、あの最後にまみえた場でもなお大公にファウナと呼ばれ、姫は逆上しておられた。まるでベスティアの名がもたらす孤高の性格が、その別名を拒んでおるかの如く」

「でも大公はファウナとしか呼ばなかった。それは決して相容れぬ存在だったでしょうな。

 いえ私はフロラでもクロリスでも、ハナでもお花ちゃんでも大差ないと思ってますけど、きっとあの、本物の姫にとっては違った」

「いかにも。かの姫は二つの名に翻弄されたのやもしれぬ。

 而してフロラは野の花。クロリスは高嶺の花。やはり異なる性格の存在として伝わるものなれど、そなたは他にも名を持つゆえ、その魂の裡で程良く混ざり合っておるのであろうな」

「かもしれませぬ。とはいえ何にしても私は花ですから。

 ……爪も牙もなく、誰かに守ってもらわねば生きてゆけませぬ」

「そうさの、そなたにクロリスの名を与えた母君には感謝せねば。

 されど花の中にも茨や薊の如く、棘を隠し持つものもあろう? いずれそなたを害せんとする者が現れたなら、その棘で一刺ししてやっても良いのだぞ」

「それは……。そうならないことを願います。

 もしそのような力があったとしても、使いたくはありませぬ」



まだ聞いておかないといけない話が他にあるのを思い出した、質問しないと

お茶を淹れ直すと言って立ち上がり、私は頭を撫で続ける義父の手を逃れる


新茶の季節には少し早かったけど、昨年産の茶葉が国内西部にある産地から

再び入荷してきていたので、内乱の前と同じような春の日の飲み方はできる

有力な茶葉産地がある西の大領主領では、元領民たちが独立した茶葉農家と

なった今でも、内乱以前と変わらぬ熱意で茶を育てていると父から聞いてる


この日は、前年の秋頃に糖蜜で漬けて一冬置いた柑橘類の果皮を加えて飲む

糖漬果皮は西の大領主領よりさらに西の大公国外、海岸に近い丘陵地の特産

昨年までは樽詰めで輸入されてきたのを店頭で量り売りしていたものだけど

今年は反乱軍の技術である瓶詰めで売られるようになってたのを買っている

パンに載せるだけでも簡単お菓子になるので、どうせすぐ一瓶空っぽになる


瓶詰めは開封したばかりで机の上にまだあるから、茶葉だけを茶瓶に用意し

鍋掴みを手に、暖炉にかけてお湯を沸かしていた鉄瓶を持ち上げつつ聞いた


「義父上、もう一つ質問がありました。私の母たちの一件について、育ての母の実家は何らかの関与があるのでしょうか? 必要なら話を聞きに行くつもりでいます」

「それは聞くだけ無駄、むしろ余計な混乱を招くのみであろう。あの家には本件一切伝えておらぬ。そなたの家の者たちが口を揃えて、あの家は信用ならぬというのでな。両家の詳しい経緯まで我は知らぬゆえ、そなたの父や祖母に聞くのが良かろう」

「そうでしたか。父も、育ての母も、あの家とはずっと疎遠ですから、何かあるのではと思っていましたけど……」

「それにな、あちらの商売は我ら貴族を主な顧客としておった。今では貴族とともに落ち目にあり、商売は甚だ不振であるらしい。フロラが気易く赴けば、厄介な目に遭わせられかねん」

「といいますと?」

「そうさな、もし卑劣な商家であるならば、そなたを囚われの身とした上で息子の一人にでも嫁ぐよう迫るやもしれぬ。そなたの実家から婚資と称して相当額の資金を出させるか、事業の一部くらい奪い取るつもりでな。齢十七、八で未婚の良家の娘ともなれば、かような道具として見る者も少なくないのだぞ」

「うわ、それは戦場より怖いかもです。気をつけます」

「うむ、そなたの魅力は見た目や家柄だけではなかろう? 他にも数多あるはず。そこに気付いて求める者に、いつかそなたが自ら許して与えるまで身も心も大切に守り通せ、フロラよ」

「はず……、って」


これは先に義父に聞いておいて正解だった、いやまあ育ての母の実家と疎遠

だというのは、さすがにぽやーんとしてる私にもわかるくらいあからさまで

過去に何かあったんだろうなとは思ってたから聞きに行くとしても優先度は

低かったけど、監禁からの政略結婚は怖すぎる、迂闊に近寄るまいと決めた


義父が私を養女に迎えたのは、実は貴族の身分で保護する意図もあったとか

なるほど、たしかに一介の商家が貴族の娘を監禁などしたら大事になるから

ただ義父上、私の魅力がわかる人にしかわからないような言い方は如何かと

鉄瓶から茶瓶に注ぎかけてたお湯を、危うくこぼしてしまうところでしたぞ



貴族の地位を失うと同時に、その責務からも解放されて肩の荷が下りたのか

私と養子縁組していた頃より義父は気易い雰囲気になってて、その後も茶を

飲みながら、私の家の話題を離れ、今度は貴族時代の色々な話をしてくれた


たとえば反乱軍の投石機で大広間の天井が破壊されてしまった、宮廷の様子

私も大公の謁見で入ったことはあるけど、武具や旗、そしてお役目の重さで

それどころではなかったから、周りの様子などほとんど思い出せないくらい

でも内部は私が知る宮殿の厳つい外観とは全く異なり、誠に壮麗で華やかで

歴代の大公が改装などを繰り返した成果がそこかしこに見られたのだそうだ


今では内乱で一部は破壊されてしまったし使用人たちも暇を出されたらしく

おそらく手入れが行き届かず荒廃しているのではないか、と義父は懸念する

こんなことなら私もあのときもっとしっかり周囲を観察しておけば良かった


義父は、その父や息子と共に、また同僚である他の宮廷貴族たちとも一緒に

大公国の政策を決定したり実行する役目に携わっていたことは前にも聞いた

ただその宮廷内では派閥のようなのが幾つもあって、ときには派閥の対立が

政策議論に悪影響を及ぼし、失政に繋がる場面もあったと、義父は反省する

教会でさえ根深い派閥対立があったと母が言うくらいだ、きっと宮廷も同様

いや宮廷の方が派閥間の利害対立など深刻そうだし、義父も苦労しただろう


また義父の一族は代々、貴族の子弟たちへの教育係としても名の知れた存在

宮廷に出入りしていた国教会司祭とともに、大公や大領主たちの家庭教師を

しばしば任されたとのこと、義父たちは宮廷でも有数の教育者だったようだ


高い教養を持ち合わせていることは最低限の必須条件のはず、さすが義父上

だけどそれに加えて国への忠誠心や、他にも様々な資質が求められるはずだ

私はあまり他の貴族を知らないけど、義父なら性格面も含めて適材だと思う


義父の父も大公に家庭教師として重用されて、夭折した大公の息子たちには

家庭教師の筆頭格として当たり、他の貴族や司祭にも授業内容の指導をした

その姿を見て当時まだ若手だった義父は強く憧れたのだと懐かしそうに言う


義父もまた大領主の子息などへの教育を担当した実績があって、その仕事で

国教会の何人もの司祭とも知己の仲、実は私の実母とも知り合いだったとか



それから、本物の姫の幼少期や、彼女の母親のことも少し聞かせてもらった

私にとって特に印象深かったのは、十八歳の姫が出奔したあたりからの話題


「姫が出奔した後の城下の騒動も、なかなかの大事であったな。フロラは五歳頃のことゆえ、覚えておらぬとは思うが」

「その頃ですと、本を読めるようになって楽しくなってきた頃ですかね。放っておくと朝食から夕食までずっと本にのめりこんでいたから、私は育ての母によく叱られてました」

「はっはっは。そなた幼い頃から本の虫であったな。思い出したぞ、会食の席にまで本を持ち込んで親たちに叱られておったのを。たしかにそれでは気に留めもすまい。

 我は宮廷勤め十余年、ようやく大公の御前で意見奏上を許されたばかりの頃でな、使い走りとして事態収拾に追われたものよ。しかし大公直属の警備兵も使用人も何が起きたか全く判らぬと言って、大公のお怒りを恐れ縮こまるばかり。慌てて我が家の傭兵どもを城下に走らせたが、手掛かりの一つも得られぬ。ただ姫と、あの魔術師の男だけは忽然と消え失せておった」

「えっ? 姫が城下に来ていたのですか? それに、魔術師? どのような魔術師でしょう?」

「うむ、姫は山荘から少数の使用人のみを連れて密かに訪れておって、大公身辺で知っていたのも少数の使用人のみであったそうな。それが姫にとっておそらく初の城下訪問で、二度目は決戦の際であったはず。

 魔術師とは、噂によれば各地を放浪しておる神出鬼没の魔術師なのだが、我ら宮廷貴族も知らぬ間に大公の私邸におったとのことでな。我ら宮廷家臣は事後に大公から捜索を命じられた際、その存在をようやく知ったほど。大公が魔術師を招いたのか、魔術師の方から大公の邸に現れたか、それすら我らは聞かされておらぬ」

「よほど秘密裡に、何らかの会合があったのでしょうか……?」

「やもしれぬ。

 ともあれ魔術師は、そのとき邸で姫と遭ったのであろう。魔術師も、出奔する姫とともに伯爵領へ亡命したことは相違ないと思われ、後の反乱軍の立ち上げでも中核を担ったそうな」

「なんと。謎が深まります。特に魔術師のことは気になりますね」

「かの魔術師、たしか反乱軍の中では『先生』だか『師匠』と呼ばれておったはず。相当な知恵者で、姫も士官どもも頼りにしておったとのことだ。

 しかも、大公の甥が大反攻の激しい乱戦の中、その魔術師を見掛けて一騎打ちを挑んだものの、逆に討たれたと聞いておるから、かなりの強者でもあろう」

「あの大公の甥を返り討ちにした魔術師のことでしたか。軍学講師からも聞きましたが、ものすごい強者なのですね」

「とはいえ、その魔術師も深手を負ったらしく、以後は療養所にて内乱を過ごしたそうな。

 ……ああそうそう、『先生』であった。捕虜生活で噂に聞いたが、姫の内縁の夫のような間柄であったと」

「あの姫に、そのようなお相手が? しかも魔術師の!?」

「子はおらなんだが、反乱軍の者どもから見ても男女の仲、夫婦同然であることは疑いようがないと言うておったな。正式な夫婦でないことが不思議なほどであったというぞ。『先生』の療養先を見舞った姫が二人睦まじく過ごす様子は、反乱軍の者なら誰でも知っておるそうな」

「おお、それほどの仲とは! いつ頃から、どういった経緯があってそのようになったのか、色々と気になります。

 ……でも姫が戦死してしまって、さぞかし『先生』も悲しんだでしょうね」

「であろうな。決戦の日には、療養の身を押して密かに陣地まで来て、いよいよ出陣せんとする姫を見送ったとの噂もある。

 ……そして、それが今生の別れであったと」

「うう……切ない……。居ても立ってもいられず病床から見送りに来たでしょうに、その結末とは……」

「うむ。しかし何ぞ予期することでもあったのやも知れぬ」

「たしかに、魔術師ならば何らかの予感が働いたのかも。

 でも、だとしたら余計に辛い見送りだったでしょう……」

「その後、『先生』も姿を消したというぞ。

 療養していた病室にも戻らず、何処へ去ったか誰にも判らぬとのことでな」

「うわー。……ごめんなさい義父上、私、涙が……。

 何かもう、そんな終わり方の物語、悲しすぎる……」


とか何とか、また頭撫でられたりして、義父とずいぶん長いこと話をしてた


義母や義姉には少し伸びてきた私の髪を貴族っぽく結ってもらったりしたし

昼食と夕食にお菓子まで御馳走になり、この日の私は久し振りに元貴族の娘


ほどなく私も十八歳の誕生日を迎え、この年も両家に祝ってもらうのだった

その後すぐ夏至が来て私は家政学校も卒業となるけど、進路については後述




◇小娘と祖母、真っ直ぐ接する話


母たち二人の関係について、義父の次に話を聞かせてもらったのは私の祖母


私にとって祖母といえば父の母だ、母の母にも育ての母の母にも面識ないし

どちらも既に世を去ったとは聞いてるけど、その人物像も詳しくは知らない


祖母は十年ほど前まで家業の先代である祖父とともに城下近郊の店舗兼住居

に暮らしていたので頻繁に会えたけど、祖父が亡くなったことをきっかけに

出身地であり大公の離宮もある東の丘陵地の小都市へ移り、今は隠居暮らし


割と平坦な土地に小麦や豆、野菜などの畑と牧草地が広がる城下近郊に対し

離宮の街の周辺では蒲萄農場や葡萄酒醸造所が目立ち、陶磁器の窯元も多い

祖父はこの街から今の商家に繋がる商売を始め、父がそれを引き継いだのだ


創業時の店舗は今も店舗兼倉庫として使われており、卸売先である小売商が

ひっきりなしに訪れ、祖父の代からの部下が在庫管理や販売を担当している

多種多様な陶磁器、色々な酒の樽や瓶、茶の木箱など所狭しと積んであって

これはこれで楽しい場所だけど本筋から離れるので機会があったら触れよう


祖父は都市内の中央広場に近い好立地の場所にある住宅や商店などの物件を

遺産として祖母に残し、この賃貸収入で郊外に農場つきの小さな家を借りて

祖母は晴耕雨読悠々自適の生活、かと思いきや近所の人々の相談に乗ったり

気付けば地区のまとめ役みたいな扱いにされたりで地味に忙しいというけど

離宮の街周辺は内乱の間も幸い大きな戦闘がなく、無事に終戦を迎えていた


父やその部下たちは商品の仕入れのため離宮の街まで頻繁に行き来している

私たち家族も内乱前は毎年のように父に連れられて祖母の家を訪れていたし

手紙を書いては父たちが往復する際に託し、祖母と連絡を取り合ってもいた

内乱後には反乱軍が作った郵便制度が全国に展開され、手紙の頻度も増えた


私は、その郵便を使って相談内容を知らせた上で、初めての一人旅に臨んだ



といっても決行は私の誕生日を過ぎた翌週、卒業も目前に迫る六月末だった

私を歓迎するという祖母の返信が届いてから、学校の行事の日程を確認して

卒業試験を終えた後なら行けそうだと考え、荷物をまとめるなどしていたら

準備に時間がかかってしまったけど、行きの馬車は暖かく過ごしやすかった


内乱終結から一年弱、治安状況も落ち着いてきたし、街道や駅馬車も整って

きたから若い女が一人で旅するにも不安は少なくなっており、私一人で訪問


街道を馬車で片道だいたい半日、せっかくなので二泊していく予定で伝えて

内乱後に父以外の家族で祖母を訪れるのも私が最初だということもあってか

市街地の城壁すぐ外の馬車停で出迎えた祖母は、孫娘の成長を喜んでくれた


そう、成長! 私の身体は十歳くらいから伸び悩み内乱勃発くらいの頃には

ほとんど変化がみられなくなってた有様だから、成長とか言われれば嬉しい

十代前半に見られることも少なくない、少なくとも年齢相応には見られない

ほぼ私そっくりの母は人生経験の差か落ち着きを感じるけど私まだまだだし


最近は家族の皆に小さいと言われ、捕虜だった頃も小さいだのかわいいだの

言われ続けていたし、義父など小娘呼ばわりの上に大公の隠し子の子とさえ

見えるとか言ってたけど隠し孫の推定年齢って現実的には十歳前後らしくて

それほど私は子供っぽいのかと衝撃を受けて、それゆえ成長したねと言って

くれた祖母に感激のあまり思わず抱きついてしまった、まさに小娘みたいに


「おばーちゃん! 私そんなに成長した? 嬉しい!」

「どうしたの、この子ったら……。

 そうですね。もうハナも十八になったのでしょ? 大変なお役目を果たしたのですし、自分でやりたいことができて、それを実現しようと自分から色々と考えて動いて、一人旅にも挑戦して、年相応に成長していますよ。立派な大人です。相変わらず見た目も仕草も声も愛らしいけれど、そんなところも私は大好きです」

「あ、そういう……。

 でも中身のことであっても嬉しいです、成長を認めてもらえるのは。

 あと私もおばあちゃん大好き!」


ちなみに祖母宅も母や父ほどではないけど本が多く、やはり血筋かなと思う

前に訪れたのは内乱勃発前の初夏くらいだっけ、もう三年ぶりくらいかなあ

と久々の祖母の書斎の本棚を見て回る孫娘に、衝撃の事実を突きつける祖母


「実はこれでもかなり処分したのよ。二十年前は今の倍はあったかしらねぇ。

 大半は息子が所帯を持ったとき譲ったし、知り合いにも分けたりしたから」

「おばあちゃんも!?」


城下の実家にある、今は父の書斎となっている部屋も、もともと祖母のもの

むしろ当時は書斎というより書庫のようだったのを、父が書斎にしたそうだ


祖母は自身が生まれ育った離宮の街の家にも大量の書籍を収集していたので

祖父とともに城下に移って生活を始める際、一部だけを持ってきていたけど

蔵書は増殖しがちなもので、城下の家でも一部屋丸ごと本棚で一杯になった

まあ蔵書が増えたのは一人息子すなわち私の父と、競うように収集した成果

だから息子が結婚したのを機に、自身のお気に入りだけ持ち出したとのこと


言われてみれば何となく思い出す、私が六歳の頃に祖父が亡くなるまでの間

祖母は頻繁に材木町の我が家に来て、主に長い時間を父の書斎で過ごしてた

私が父の書斎に入れてもらえるようになったのはもっと後のことだったから

祖母が読書好きであることに気付く機会がなかったというか私がぽやーんと

してただけ、迂闊にも程があると思いつつ、今後は祖母とも本の話をしたい



ともあれ本題、姑として私の育ての母をどう思っているかを聞かせてもらう


育ての母は学校では優等生、父とは恋愛結婚だったというのは私も聞いてる

一方の父は商業組合の男子校に通い、女子校に通っていた育ての母と同学年

生徒どうしの交流が盛んな両校だから、その縁で知り合って、恋仲になった

ちなみに私はそういうの全然だったけど、まあ私は少し普通と違うらしくて


祖母からみても相思相愛、祖母とも打ち解け、いい嫁になると期待していた

祖父母の間の子は父だけなのに対し育ての母は兄弟がいて先方の後継者にも

問題はないと思ったけど、どちらかというと競合する関係の家だったらしい

私も義父から警戒するよう言われた家である、そう一筋縄では行かなかった


「あちらの実家さんは、貴族向けに直接取引で高級食器などを販売してたのよ。

 それに対しうちは卸売が中心だけど、陶磁器全般を手広く扱っているでしょ?

 だから一部商品では競合になる場合があったの」

「なるほど。しかも向こうの家の方が競合される影響が大きそうですね」

「そう。だから私たちも心配していたのです。実際、結婚に向けて両家で色々と打ち合わせをする中、様々な理由をつけては反対意見を述べて、引き延ばそうとしてきました。

 それでも何とか月に二度ほどの会合を設けて相談を重ねていたのですが、とうとう何度目かの会合で先方のお父様が次第に不機嫌になられて、その競合状況について不満を口にしはじめたの。『まるで当家が奪われるばかりのようだ』って。私たちも、ついに来たかと身構えたわ。

 だけどそこで息子がね、そこまで文句を言うなら直接の競合となる事業は手放す、関連する仕入れ先や顧客も譲る、代わりに娘さんをください、そして心の底から二人を祝福してくださいって言い切ったの。同席していた私も夫も、それはびっくりしたものよ」

「本当、びっくり! でもそれ、おじいちゃんは許したの?」

「もちろん私たちにとっても初耳ですし、難しい判断でした。

 高級食器は、当時の売上の中でも割合が多くなかったから、純粋に商売としてみれば譲ったところで大きな痛手になりません。ただ当時の私たちにとって貴族相手の商売は他にほとんどなく、宮廷の動きを広く知る手掛かりとして貴重な事業でもありました。もちろん個人的に親しくしてくれている貴族も、何人かはいましたよ、あなたの義理の父となってくださった方も含め。ただその人脈が特定の派閥に偏っていて、範囲が狭いですからね。他の派閥の動きが見えないことは、後々の不安材料になりかねないのです。思わずおじいちゃんと二人で、どうなるだろうかと小声で話し合いました」

「そういうことなのですね、わかります」

「そしたら続いて嫁も、凄いことを言ったのですよ。

 父なら宮廷の動向くらい包み隠さず私に教えてくれるはずです、って。それも当の父親の目の前で、私たち夫婦に向かってですよ。したたかな娘さんだなと感心しました。つまり自分の父親に対し取引を持ち掛けたのですもの」

「娘の結婚を許し、娘夫婦に必要な情報をきちんと伝える代わりに、苦労も出費もなく事業を大幅に拡大できるというわけですね」

「そう。しかもここで断ったら、あの方には不名誉な噂にもなりかねません。どれほど狭量な、がめつい男なのかってね。

 これほどの条件を提示されてもなお娘が希望する結婚に反対するとなれば、もっと有利な条件を引き出そうと、娘を餌にしているとも言われかねないのです」

「うわあ……。お母さん怖い。自分の父親を、ある意味脅したわけですか」

「そうも言えますね。でも二人とも本気で結婚を願っていたからこそ、その夢を叶えるため必死に考えて、こんな大胆な策に打って出たのだと思いますよ。愛の力です」

「はー。……つまり、やはり二人の愛情は本物だと言って良さそうですね」

「もちろんです。でもあなたを産んだ母親も、とても素晴らしい方ですよ」

「はい、私も尊敬しています。たとえ育ての母から一時的にせよ愛する夫を奪った女性だとしても……」

「そのことについてだけど……」


祖母の説明は母や義父から聞いた内容と概ね一致する、とはいえ育ての母は

自身の父親相手に巧みな交渉を持ち掛けるほどなのに、私の実母と対面した

後だけは何だか負けたような表情だったのが印象に残っていると祖母は言う


祖母は私の生みの母とも何度か会ったことがあり、とても柔和で人を陥れる

ような様子もないのに、一体どんな交渉をしたのか不思議だとも言っていた


母も私に経緯を説明する際、母たちの間でのやり取りには全く触れなかった

内容や結論は母たち二人だけの秘密だからと、他の誰にも伝えていないのだ


「あなたの二人の母親がどういった約束をしたか、私も全く聞いていません。

 ただ、これは私の想像ですが、あなたが不幸になることだけは避けたかったのでしょう。嫁のお腹にもミキがいたのですから、同じ母親として忍びないと思ったはずです。しかもそれが自分の夫の子供というならなおのこと。女としての感情を飲み込んで、人の母という姿勢を優先したのです。この嫁になら家を任せられると思いました。

 もちろん、そう易々とできる決断ではないですよ」

「だろうとは思います。私も想像しかできませんけど、きっと物凄く苦しんだでしょう」

「良い子ですね、ハナは。

 あなたの実母、修道院長さまも人の心の痛み、苦しみを慮って、心を寄せることができる優しい気遣いの方。ハナもよく似ています。ぜひそこは大事にしてね」

「はい、おばあちゃん」

「ふふっ、良いお返事。

 それで思い出しました、ハナが成長するにつれ実母に似てきたという、嫁の愚痴を」

「あっ、私も愚痴は言いたいです、ミキとは明らかに違う成長っぷり。主に身体的な成長ですけど、母のことを知ったら明らかに母娘なので、この先もあまり期待が持てません」

「ハナはそれでいいと思いますよ。いつまでもかわいらしくて」

「それは勘弁してください。私だって少しは大人っぽく見られたい年頃です」

「私は好きですのに。

 でもそうね、たしかに、もうちょっと大人っぽくなったハナも見てみたいかしら」

「ですよねですよね。そう願っててください。私も成長できるよう頑張りますから」

「はい。楽しみにしておきます。

 でもハナは、顔つきや体つきもさることながら、性格も母親に似てきているのです」

「そうなんですね。まあ、母とはすぐに本の話題で盛り上がりましたけど」

「きっとそういうところでしょうね。ハナは自分のことを人間付き合いが得意でないと、前に言っていた気がしますが、ちょっとお話しすれば、すぐ誰とでも打ち解けるでしょ?」

「あー……、んー……?」

「あら、どうしたのです?」

「いやまあ、何と言いますか、打ち解けるとか親しくなるというより、たいがいどこへ行ってもかわいがられるなあとは思ってます。捕虜になったときもそうでしたし」

「容易に想像つきます。さぞかしちやほやされたことでしょうね」

「反乱軍の人たちは、敵だったはずの私を『城壁のお花ちゃん』と呼んでいて、それこそ希少な草花を愛でるかのような扱いでした」

「うふふ。そうそう、見た目もかわいらしいけど、こうしてお話ししていると、もっともっと愛らしく思えるのですから、ついかわいがりたくなるのです」

「そういうものなんですか? 私としては、ちょっと不本意といいますか……」

「ハナの見た目、話し方や仕草、全てが合わさって、そういう雰囲気を作っているのです。そしてあなたの母親にも、私は近年ほとんど会っていませんが、同じような雰囲気を感じました。やはり似てきましたね。

 そして、ハナが母親に似てきたとの言葉が愚痴めいて聞こえるということは、きっと嫁にも何らかの、あまり嬉しくない感情を呼び起こされているのだと思います。嫁にしてみれば、そのあなたの母親に強い印象を受けた過去があって、今はハナと毎日のように話をしているのですから、私よりもっと強く実感しているはず」


育ての母が、それほどまでに苦悩していたなんて、私は全く気付かなかった

きっと私の前では決して表に出さず、ただ祖母の前では隠しきれなかったか


「それは、私の母が、育ての母に何か嫌なことをしたと……?」

「まさか。そのようなことをする方だなんて、到底思えません。

 何と言うのか、どちらかというと嫁の方が抱いている感情の問題でしょう。あなたの母親に対して、たとえば苦手意識とか、あるいは劣等感のようなものがあるように思います」

「劣等感……?

 お母さん、学校でも優等生だったそうですし、家でも完璧だと思いますけど」

「そうですね、学校の成績はもちろん、妻としても母親としても、また商家の嫁としても、大概のことは人並み以上にこなせる、とても優秀な女性です。だけどちょっと……、そうですね、勝ち負けを意識してしまうところがあるのですよ、あの子は。

 それで、きっとあなたの母親に負けた、勝てない、といった認識があるのではないか、と思うのです」

「お母様に、負けた……? 修道院の院長副院長といった地位の問題でしょうか」

「いいえ。おそらく人間性の面。あなたや、あなたの母親のように、自然体でいるだけで誰にでも好かれるというのは、その優しさ気高さをそのまま包み隠さず周囲に示しているからです。その点、うちの嫁は少しばかり、敵を作ることがあるものですから」

「うーん……。お母さん、とても素晴らしい人だと思いますし尊敬しています、私は」

「ハナならそう思うのも納得です。常に相手の良い面ばかりを見ていますものね。

 でも彼女の感覚では、少し違うのですよ。良い点も悪い点も見て、総合的に評価しがちなのです、まるで学校の成績と同じように。そうするとついつい、勝った負けたと意識してしまいがちなのです」

「あー、私って成績そんな良くなかったですし……。そこは大事ではないと思います。それに私がお母様に似てきたというなら、そのとき負けたのはお母様の方だったのでは?」

「ふふっ、あなたたち母娘ときたら……。勝敗、損得、打算、そういったものとは本当に無縁。まるでそれらが存在しない世から来たかのようです。

 でも逆に嫁は、そういうところを意識してしまう人ですし、自分や大切な人が幸せになるためになら、つまり結婚の障害になるのであれば実の父親に対してすら、策を弄することも厭わぬ面があります。そんな自分を自分で見苦しい、良くない点だと思うこともあるのでしょう。それこそあなたの母親と二人で話し合った際に、強く思い知らされたのではないかと」

「えーと……、うーん……。わかるような、わからないような?」

「そうねえ、ハナはわからなくてもよいのです。ともかく、嫁の内面的な原因から、人間性の面で勝てないと思ってしまった劣等感があるのだと、私は思います」

「ごめんなさいおばあちゃん、やっぱりよくわからない。私バカなのかなぁ……」

「違うの、ハナは賢い子よ。でもそれ以上に素直な子。だからあなたはそのままでいいの。

 だから嫁には真っ直ぐ、ハナの気持ちを伝えることが一番でしょう。きっとね」

「はあ……。真っ直ぐ気持ちを……」


私からみたら、育ての母に欠点があるなんて、いくら考えても思い至らない

ここまで祖母に説明してもらっても何だかあまりピンと来なかった私だけど

真っ直ぐというのは私らしくて良い案だと思った、やれるだけやってみよう




◇少し普通じゃない街娘、父と母の思いを再確認


とはいえ帰り道も駅馬車に揺られながら考え続けたけど私一人では駄目そう

ひとまず私は、祖母の許から帰宅するや当事者である父の書斎へ押し掛けた


「ただいま! お父さん!」

「おかえりハナ。どうしたんだ急に? おばあちゃんの所へ行ってたんだろ?」

「そう! 今戻りました!

 でもちょっと私だけじゃ考えがまとまらないから手伝って!」

「何だか興奮してるみたいだけど、俺が必要ってことか」

「必要っていうか! お父さんの問題でもあるから一緒に考えてください。

 それに私だけじゃ無理!」

「ああ、そういうことか。わかった」

「お願いします!」

「だがとりあえず落ち着いてくれ、ハナ。手と顔洗って着替えるくらいはしよう」

「あー、はい。

 ……ちょっと行ってきます」


反省、真っ直ぐ当たりすぎ、というか真っ直ぐ接すべきは父よりも育ての母


むしろ父には当事者中の当事者として、私を手伝ってもらう必要があるので

まず父の認識も改めて確認、母や義父、祖母から聞いた話を突き合わせよう


自室に戻っても荷物を片付けるのは後回し、普段着に着替えて書斎へ戻って

気も取り直した私は夕食まで一刻ほど、父から詳しい事情を教えてもらった


「ではお父さん、洗いざらい教えてください」

「そうきたか。まるで尋問だ。

 これは俺も年貢の納め時ってことか?」

「覚悟してください。

 ……あ、今お茶淹れるね。私も喉が渇いてるし。今日は駅馬車が暑かった」

「ああ、いただこう。話が長くなるだろうし」



まず父は、私の母があくまでも自ら身を退くことで解決を図ろうとしていた

当時の母には修道会を抜けて婚約者を蹴落とし父と結婚する道もあったはず

でもそんな選択肢を意識した様子は全くみられなかった、と説明してくれた


このときの母の覚悟は、私も本人から直接聞いたし、事実そうだろうと思う


義父の領地の館に呼ばれた母親二人の間に、どういったやり取りがあったか

やはり父も詳しい内容は知らない、ただ母が育ての母に謝罪したと聞くのみ

だけど女二人の交渉について、父は二人の性格から以下のような推測を示す


そもそも当時、育ての母にしてみれば寝耳に水の話題、ようやく結婚できて

幸せな夫婦生活を送れると思っていたところに、夫が別の女を妊娠させたと

聞けば、さすがに心中穏やかではいられまい、しかもその女をかばうように

夫が知り合いの貴族まで動かし、郊外の館まで連れて来られてしまったのだ


ところがそこへ、夫との間に子を作ってしまった女が、身重の身体で現れる

まだお腹が目立つ頃ではなかったものの、小柄な彼女の動作は少し重そうだ


存在は知っていたものの言葉を交わしたことはない、近くの修道院の副院長

それほどの地位の女性が、彼女にへりくだって全ては自分の過ちであり責任

だと切り出し、全て捨てて母子ともに遠くへ行き、二度と顔を見せぬと言う


母は育ての母に対し、父との会話や「なれそめの一冊」の余白でのやり取り

などを引き合いに、父が本当に愛しているのは育ての母だけだと言ったはず

彼女を愛しているからこそ結婚に難色をつけられて深く苦悩していたのだし

あの一夜の過ちだって、父が酒に飲まれていたせいもあるけど、母が身体を

許してしまったことが最大の罪、だから父のことだけは赦してほしいと乞う


そこから先の父の推論は祖母の想像とも大きく違わない、やはり育ての母は

これほどまでの母の覚悟、そして謝罪に負けたのだろうと、父も考えている


「アイツは、そういう人だから。完璧なようで、情に脆い。とても人間らしい。

 俺が好きになったのも、支え合いたいと思ったのも、そういうところなのでね」


あと本当に真剣な相手を前にすると、勝てないと感じるところがあるらしい

十歳の頃の私がしでかしたとき、育ての母が複雑な表情をしたのがそれだと


あのとき私、あれほど台所を散々な有様にしたのに、小言の一つもなかった

私が本気で感謝を伝えたいと考えていたのがわかって、真摯に教えてくれた

たしかに、育ての母の、そういったところは私が特に尊敬している点の一つ


「あのときの話は俺もアイツから少し聞いてるけど、ハナが自分のために経験もない台所で一人頑張ってるのを見たら、涙出そうになったって言ってたな」

「えー!? お母さんが?」

「アイツそういうのに弱いから。真っ直ぐで、健気な気持ちを見せられるとね」

「そっかー……。

 私おばあちゃんからも言われた、お母さんには真っ直ぐ気持ちを伝えるのが一番って」

「おばあちゃんの言う通りだ。ハナは真っ直ぐが一番」

「わかりました。二人がそう言ってくれるなら、信じます。

 あと、お父さんはお母さんたちのことを、どう思っているのか聞かせてください」

「ああ。

 ……正直に言うと、俺にとって妻はアイツ一人だな。俺に相応しい妻だし、俺も妻に相応しい夫でありたいと常に思ってる。もちろん今後もずっと支え合って生きていきたい」

「……うん」


これは少し残念な気もするけど仕方ない、育ての母の方が母親らしいものね

私の生みの母は、どちらかというと浮世離れしてて、家庭的とは少し違うし


だけど父は、私の想像とは全く異なる気持ちを、私の母に抱いているという


「ハナのお母様には、ハナを産んでくれた、そしてハナという大切な一人娘を俺たち夫婦に託してくれた、そういう感謝の気持ち、それから尊敬の念ばかりだよ」

「……えっ?」

「ハナのお母様は、俺にとって憧れの存在だからね。むしろ本来であれば手の届かないはずの人なのに、俺の相手をしてくれたし、親身になって悩みを聞いてくれた。その上、お前まで授けてくれたのだから……」

「えっ? えっ!?

 ……ちょ、ちょっと待ってお父さん、どういうこと?」

「ん? どうしたハナ」

「いやえとあの、何と言うか……。

 お父さんは私のお母様を、そんなにすごいって思ってるの?」

「ああそうか、そういうことか。

 ハナ、お前はあの人の実の娘だからわからないかもしれないが、俺のような普通の男には勿体ない、いや恐れ多いと言った方がいいかな、そういうお人なんだよ」

「ごめんお父さん、私そういうの全然わからない。

 えっと……、つまりお父さんは、お母様のことを、そんなふうに……?」

「そう。本来なら触れることさえ許されない、高貴な、あるいは神秘の存在だと思う」

「えぇ~~っ!?」

「不思議に思わなかったか? あの人、あんなに若々しいのに修道院長や管区長として、修道会の皆に慕われているし、ここへ来る前にも教会で役職についていて、しかもかなりの地位だったことは聞いてるだろう?」

「はい。でもそれは、お母様の人柄や能力が認められてのことだろうと普通に……」

「それもあるけど、それだけじゃない。あの人が纏っている雰囲気や、存在感、そういったところに皆が惹かれ、尊敬され、人望で周囲の人たちをまとめられるからこそだ」

「はぁ……」

「そしてハナも、あの人の娘だけあって、同じような雰囲気がある。成長するにつれて、その片鱗を感じる場面が増えてきたよ」

「本当ですか!?」

「たとえば、傭兵たちの心をあっという間に掴んだのもそうじゃないかな。

 それに反乱軍の捕虜になったときだって、みんな大切に扱ってくれたのだろう?」

「それは……、はい」

「つまりハナは、あの人と同じような存在になりつつあるのだと思う。おかげで、あの人に会っても違和感がなかったんじゃないかな」

「はー……。

 だ、だけどそれでも私は、この一家の娘です。普通の街娘として育てもらってきました。そんな神秘の存在みたいに言われると、私ちょっと不安になります。お父さんお母さんの娘でなくなってしまうような気がして、それにミキやコンの姉でなくなってしまいそうで……」

「……ありがとうハナ。家族だと思ってもらえて嬉しいよ」

「そうですとも、家族ですよね?」

「そうだ。お前もミキも、俺にとっては等しく、かけがえのない娘だ」

「よかった……。ありがとうお父さん、私のお父さんでいてくれて」


このときは私も割と焦った、生い立ちを知ったときはそうでもなかったけど

ちょっと人間じゃない存在みたいに言われると、さすがに自分で自分が怖い


実は、私の実母の母親が何者なのか、手掛かりすらほとんどないらしいのだ

荷馬車一杯の稀覯本を養育費にと、赤子の母を修道院に託して去ったという

そうして親の顔も名前も何も知らぬまま、母は修道女たちを親代わりに育ち

教会や修道会の役職を務めることで育ててもらった恩を返してきたのだとか


私が傀儡の姫を演じて様々な噂を呼び込んだように、母もまた出自が不明の

司祭や修道女として高貴な者の落胤という噂が絶えない、と修道院で聞いた

実際、城下女子修道院の院長も大公の分家筋などが務める慣例とされており

そこに出自不明の母が推挙されたのは私と同じような事情なのかもしれない


とはいえ私も母も普通の、いやまあ少し変わり者だけど人間のはずだと思う

謎の出自と、その変わり者だという点から、あらぬ噂が絶えないだけのこと



でも父は、複雑な生い立ちに巻き込んでしまった私には申し訳ないと言って

そんな私が明るく元気に育ってくれたことを喜んでいる、と胸の内を明かす


何にしても父は、私たち姉妹それぞれの生みの母に感謝し敬意を抱いている

そのことがわかっただけでも、話を聞かせてもらって良かったと、私は思う



私が育ての母と真っ直ぐ向き合い、実母との関係修復をお願いするとしたら

やはり相応の場面が必要な気がするので、日程とか計画とか、色々と考える

真っ直ぐにとは言われたけれど、まだ私一人で上手くやれる自信がなかった


父と育ての母との結婚記念日は秋分より少し前の九月下旬、そこが勝負時か

私は父や義父とも相談しつつ、密かに母を招いて和解の席にしようと目論む


少し日程があるようでいて三カ月などあっという間だから急いで動かないと


前年は内乱終結直後の混乱してた時期で結婚記念日の会食もささやかなもの

というか捕虜になっていた私と義父と義兄の解放を祝う意味合いが強かった

今年は家業も好調になってるし義父と義兄が暫定政府の役人として採用され

私も色々あったものの卒業はできたし、妹にも何か良いことがあったらしい


父と育ての母との十九回目の結婚記念日、結婚の当日から数えれば二十回目

ということで強引に節目の記念日にするとか、ならもう一つ祝い事を足して

やってもいいよね、と父たちに相談したら喜んで私に協力してくれるという

両家の数々の祝い事もまとめて同じ日に盛大に祝ってやろうと皆が一致した



一通りの根回しを済ませた後、決行日の直前には私が修道院に泊まり込んで

私の考えていることを母に伝え、また母の心境を改めて私に聞かせてもらう


ちょうど私が家政学校を卒業したのと同じくらいの頃には母も軟禁を解かれ

終戦前と同じように修道院の管区長や院長としての職務に復帰していたから

母も多忙になり、こうした個人的な話ができる時間は日に少ししかないので

それなら私が泊まり込んで、限られた時間を有効に使いたいと申し出たのだ


深夜の祈りに起きるため修道院の就寝時間は普通の人より早い、その直前の

少しばかりの時間が、母と娘が二人きりで話し合える、貴重な時間の一つだ

簡素なしつらえの母の寝室、夏の遅い日没の名残が窓から柔らかく照らした

母の表情を見ると私も心から安心できて、ありのままを相談できる気がする


私のやろうとしていることを知った母は、そろそろ二人の母親の間の秘密も

私になら伝えて良いだろうと、今まで伏せていた内心や実態を教えてくれた

母は私のことや、育ての母のことなど、人間らしく苦悩していたというから

やっぱり私には普通の人間としか思えない、ただ少し浮世離れしている程度

父のあの言葉、きっと比喩的表現か何か、あるいは思い込みなのではないか


母曰く、父への恋愛感情は否定しないもののほぼ痕跡で、娘を愛し続けたい

今はただ夫婦に対し自分の娘を大切に育ててくれたことを深く感謝するのみ


あの義父の館での日、母が育ての母と直談判したとき、母が修道院を辞めて

二度と会えない遠く離れた地に移って母子二人で暮らすと申し出たのに対し

それで子供が不幸になったら許さない、と強く反対したのが育ての母だった

夫の子だから一家の子として育てる、その成長を見守るように、と母に言う


「そして私に対しては、子を見守るためにも修道院に残るように、と言ってくれました。ここで私が修道院を去ったら、子供が将来、実の親に会えなくなってしまうから、というのです。それに、私が密かに出産して修道院に戻り、あなたを一家の一員として人別に登録するくらい、夫の知り合いの貴族に協力してもらえば何とでもなるだろうと」

「その点は、お父さんが義父上と昔馴染みの間柄で良かったです」

「本当ですね。私も、あなたのためならと、深く感謝して受け入れました。だけどそれは、彼女自身にも思うところがあってのことだから、とも言われたのです」

「思うところ……?」


父たち夫婦が、育ての母の実家からの妨害を乗り越えて結婚を果たした作戦

そこに実は母の蔵書の知恵や母からの助言が大いに役立っていたのだという

ゆえにその礼という意図を込めての対応でもあった、と母は聞かされている


その恩を受けたというのに母とその子を遠くへ追いやるようなことがあれば

育ての母には立つ瀬がないし、結婚に際して自分が実家に持ち掛けた取引が

まさにそのまま自分に返ってきたかのようで引くに引けなくなってしまった

「これでは勝てない」、と育ての母は何だか少し悔しそうに漏らしていたと


祖母が指摘していた、育ての母の「負けた」という認識は、これだったのか


「そうは言いつつも、本性は優しい人ですから、生まれてくる子のことを見過ごせなかったのは間違いないでしょう。子供を不幸にするなと訴える彼女の目に、涙が浮かんでいましたから」

「わかります。お母さんは、口では厳しいところもありますけど、私のように不器用でバカで、血の繋がりもないどころか不義の子でもある娘に、とても優しくしてくれます」

「それに、気配りのできる女性でもあります。あの人は、クロリスが幼い頃から、折に触れて礼拝堂に連れてきてくれていました。明らかに、娘の姿を生みの母である私に見せようという配慮からです」

「そうだったのですか?

 てっきり私たちは、お母さんが敬虔な信徒なのかなと思っていました」

「少なくとも、この修道院の礼拝堂によく来るようになったのは、あなたたちが生まれてからだそうです。ここに古くからいる修道女たちにも聞いたので、間違いないでしょう」

「そうしてお母様は、行事のたびに私の成長を見ることができたのですね」

「ええ、おかげさまで。

 だけど正直に言いましょう、あの日、クロリスが本当の生まれを知って訪れてくると知ったとき、私は少し怖くなりました。どのような顔をして会えば良いのかと」

「それは私もです。けど、全く見ず知らずの相手ではなかったし、お母様の優しい視線はわかっていましたから、あまり気負うことなく会いに来ることができました。やはりお母さんのおかげですね」


といっても、何でもできる育ての母のことだから、ひょっとしたら修道院に

子供たちを連れて来ることで情操面でも良い効果を期待したのかもしれない

この修道院には養護施設があって不幸な生い立ちの子供たちも生活している

私にも、また実の子たちにも、そういった人たちを思い遣る心を持つように

そして機会があれば友達になったりすることを、期待しているのではないか


私の生い立ちだって普通とは違う、ただ偶然にも環境だとか親たちの思いが

幸いして、私自身は不幸や不自由を感じることもなく成長できたというだけ

何か一つでも食い違っていたら、きっと全く違う人生になっていたはずだし

とりわけ育ての母が私を娘として育ててくれたからこそ、今の私がいるのだ

そう考えたら、なおさら育ての母は大切な存在、感謝も尊敬も高まるばかり


知れば知るほど育ての母への気持ちが募る、私はこれを真っ直ぐ伝えるのだ


私なりの結論が出るまで、ずいぶん回り道をしたし時間もかかった気がする

けれども、父や祖母も私の背中を押してくれたし、やれるだけやってみよう



それはそれとして修道院の生活は新鮮だった、日に何度となく祈りの時間が

繰り返され、皆での食事、当番制の調理や掃除に洗濯など規則正しい時間の

中で、あらゆる場面が思索に通じることを、常に意識させられるような生活

そうかと思えば修道院の様々な出来事に対し修道女たちが話し合い、様々な

ことを決めては執り行って院としての活動を成り立たせているのも興味深い


私も何度か見習修道女の装束に身を包み、他の修道女たちと生活を共にして

母の修道院長や管区長としての仕事振りを間近に見られたことも貴重な体験


若々しい見た目なのに、たしかに父が言うように威厳や気品は際立っていて

もっと年長の修道女は何人もいるけど、誰もが母に敬意を持って接してくる

施設の子供たちも母には本当の親であるかのように懐いてるし、母も本物の

母親のように、その子たちを優しく見守ったり、教え諭したりしているので

そういうところにも改めて尊敬するし憧れる、私もそうありたいなと思った


修道院には、近隣の子供たちを相手に初等教育を施す施設も併設されている

私も院の皆さんの仕事を手伝って、施設や初等教育の子供たちとも触れ合う


私の母が院長を務める城下の女子修道院だけでなく、他の多くの修道院でも

子供たちを預かって養育したり、初等教育を受けられる環境を提供している

国教会でも、修道会に近い派閥が各地の集落に小さな礼拝堂をいくつも置き

子供たちに読み書きや計算など教えていたので、大公国の識字率も向上した

内乱の中で多くの庶民が参加した反乱軍が、ほぼ秩序を維持できていたのは

こうした教育の賜物でもあろうと、貴族学校の講師たちも語っていたものだ




◇小娘と、たくさんの親たち


そして当日、今年は特別な祝い事として、特別に御蔵町の高級飲食店を父が

奮発して予約していて、私たち娘や息子からも、それぞれ贈り物を用意する


私は少し特別な贈り物も用意した、母に控えの間で待機してもらってるのだ


けど私は直前で不安に駆られ父をつかまえ、他の家族たちから離れた場所に

連れ出して改めて密かに相談したけど、私なら大丈夫だと父は言ってくれる


「今さらどうしたんだハナ、まだ心配なのか?」

「だってお父さん、私お母さんに嫌な思いをさせちゃうんじゃないかって……。

 お母様を見て取り乱したらどうしよう。怒ったり、嘆いたりしないかな」

「大丈夫、自信を持て。ハナは精一杯やっているし、その気持ちは必ず伝わる。

 アイツも、きっと驚くだろうけど、必ずや喜んでくれるはずだ」

「そうかなぁ……」

「俺も大事な商談の前には不安になる。けど、やってみれば案外上手く行くものだ。きちんと準備をして、しっかり心構えを持って臨めばいい。

 ハナは、もう半分できてるから、あと半分」

「えっ、それってまだ半分あるってこと……?」

「そうじゃないって、違う違う。本番でやることの半分は事前に完成してるってことだ。お前、ここまでさんざん俺たちに相談して根回ししてきただろ?」

「あっ……、あー……! そうか、そうなんですね」

「そうだよ。どう勘違いすればそうなるんだか。

 ハナは何だか間が抜けたところがあるなあ」

「えへへ。ごめんなさい。でもおかげで少し気が楽になりました。ありがとうお父さん」

「そう、肩の力を抜いてな。落ち着いて行こう」

「はいっ」



そうして始まった会食の席、父と育ての母に向けて義父が祝いの言葉を伝え

乾杯の音頭を取った、そういえば私は卒業したものだから軽めの酒が許され

生まれて初めての酒には葡萄酒を早摘み柑橘の果汁で割った杯を与えられて

形だけでも口にするようにと言われてたけど、お酒が入っても大丈夫かなあ

いやお父さんが肩の力を抜けと言ってたし、少しは酒の力を借りてもいいか


柑橘は遠く西海岸から生のまま輸入されてくるもので、その果汁も贅沢な品

しかも早摘みの品はさらに貴重、この祝いの場に相応しい一杯だと思いつつ

小さめの杯を満たす爽やかな酒を、くいっと一気に飲み干したら、なるほど

少し勇気が出た気がする、次は長子の私が夫婦への祝いの言葉を伝える順番

椅子を立って、大きな宴卓の上座に二人並ぶ夫婦の、育ての母の傍らへ行く


「お母さん、お父さん。結婚二十年目、おめでとうございます。

 二人のおかげで、いよいよ私も十八歳。家政学校も何とか卒業できました」

「ありがとう、ハナ。あなたも卒業おめでとう」

「はい、お母さん。厳しくも優しく、一家の娘として育てていただいたおかげです。

 それで、えっと……、私から一つ、お母さんにお願いというか、何と言うか……」

「どうしたの?」


優しい表情で首を傾げる育ての母の向こうで父が私に頑張れと目で合図する

そうだ、私は真っ直ぐが一番だし、それにもう半分は完成してるはずだよね


「あの、私のお母様とも、仲良くしていただけませんか?」

「えっ!?」

「私、本当の生い立ちを聞いて以来、一年くらいかけて詳しい事情を知ることができました。そして、理解すれば理解するほど、お母さんのことを今まで以上に尊敬するようになりましたし、より一層深く感謝するようになりました。

 お母さんは、あれほどの事情を飲み込んで、私のことを実の子たちと一切の差もなく育ててくれた上に、私の存在を生みの母に見せる機会まで作っていてくれたのですから、本当に尊敬して止みません。今の私がいるのは、まさにお母さんのおかげです!」

「そっ……、それは、ありがとうねハナ」

「こんなに凄いお母さんがいるのに、私にはもう一人、素晴らしいお母様がいるのですから、本当に幸せ者だと思います。私の実の母も、私と本読み友達になってほしいという無茶苦茶なお願いを快く受け入れてくれて、その深い知識にも優しい心にも、尊敬することばかりです。私からすれば、二人とも比べようもない、大切な母親なのです。

 そんな二人の母が仲良くしてくれたなら、私は……、もっともっと嬉しいです」

「ハナ……」


育ての母は言葉を詰まらせ、十歳のときに見たのとは少し違う複雑な表情に

だけどきっと大丈夫なのだろう、その肩に手を添えている父が静かに頷いた


この日のため隠居の地から城下まで来ていた祖母も、近くの席から私を見て

優しく促し、義父も立派な髭を指で撫でながら私に優しい視線を注いでいる


「お母さん、ちょっと待っててください」


私は早足で控えの間に行き、生みの母の手を引いて育ての母の前へ連れ出す


「どうぞ、よろしくお願いします」

「えっ、えっ……?」


そう言って私が育ての母に頭を下げると、生みの母も私に合わせ頭を下げる

明らかに戸惑っている育ての母に、顔を下げたまま生みの母が言葉を掛けた


「娘を、これほど立派に成長させていただいて、本当にありがとうございます。

 私からも、心よりお礼を申し上げます」

「そんな……。頭を上げてください、管区長さま。それにハナも。

 頭を下げないといけないのは、私の方です。実の母親から一人娘を遠ざけて、身近にいられないようにしてしまったのですから。ハナが成長するにつれ、どんどんあなたに似ていくのがわかって、その罪悪感は大きくなるばかりで……。

 ですから本当に、どのように償ったら良いものかと思っていました……」

「償いなど、とんでもありません。もとはといえば私の過ちが全ての原因なのです。

 私たち母娘の、感謝の言葉を受け取っていただけませんか」

「そ、それは……。はい、ありがたく承ります。

 ですが、私こそお二人に深く感謝しなければいけません。私が管区長さまから赦しを与えていただくなど、恐れ多いことですから。それにハナ、本当にありがとう。あなたのおかげです」

「そういうことでしたら、私もこの子に感謝しないと。ありがとうクロリス」

「えっ!? なんでここで私に戻ってくるんですか?

 お二人に感謝しないといけないのは私の方ですってば……」


二人の母から想定外の感謝の言葉が飛んできて今度は私が面食らう番だった

末席の方で堪えきれず吹き出したのは妹と弟、釣られて義父の孫たちも笑う


上座の方では二人の母たちが私を持ち上げては、互いに相手のおかげだから

感謝しますという謎の言い合いが繰り広げられていき、そこに父が両方だよ

二人とも凄い、みたいに言ったら余計な口を挟むなと育ての母に止められて

義父や義母、祖母まで笑い出し、すっかり祝いの席が笑いの席になっている


でも気付けば私の生みの母は父と話をしていて、育ての母は私に話し掛ける


「それにしてもハナ、本当に成長したわね。全部あなたのおかげなんでしょ?」

「いえ、それもこれも、お母さんのおかげですよ。お母さんが私をこういうふうに育ててくれたからです。お母さんの優しい心が、巡り巡って帰ってきたんです」

「もう、ハナまでそんなことを言うの? 私、あなたのお母様にも勝てないと思ってたのに、ハナにまで負けちゃう……」

「そんなことありません! 私からすれば、お母さんもお母様にも全く勝てません。二人とも私にとって勿体ないくらいの母親です」

「ハナ、そろそろ私を持ち上げるのはやめて。私おかしくなりそう」

「ごめんなさい、素直に感謝の気持ちを伝えたいと思っただけなんですけど……」

「まあそうよね。ハナも、ハナのお母様も、裏なんて全くないんだから困っちゃう。

 ……でも、だからこそお願い。私には普通に娘として接してちょうだい」

「はい、わかりましたお母さん」

「あとね、ハナ。私の結婚当時のことをみんなに聞いて回ってたようだけど、恥ずかしいからほどほどにしてくれないかしら」

「でも、当時のお話を聞けたからこそ、お母さんのことをさらに尊敬するようになったのです」

「そうは言っても、ほどほどに!」

「はいっ!!」




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