第3話 二人いるとか聞いてない
「急な呼び出しでしたが、来ていただけて本当に助かります」
蘭は、公園のベンチにゆったりと腰を掛け、現場に向かっている咲耶に話しかける。
「お父様はお元気ですか?」
咲耶は答えない。テイクアウト用の紅茶を片手に颯爽と歩きながら、右手を耳の後ろにカツンと当てる。 これが、彼女のYESの合図だ。
「それはよかった。本日の標的はこちらの世の人間ですから接触に気をつけてください」
咲耶はもう一度耳の後ろを人差し指で叩く。
「もうすぐ着きますよね。人通りが少なくなったら喋っていただいても問題ありませんよ」
結局、咲夜が口を開いたのはそれから5分経ってからのことだった。
「スマホにしなよ」
「開口一番にそれですか?」
「いやだって、不便でしょ。耳の後ろに変なシール貼らないといけないし、独り言をブツブツ呟いてる変な人間になるから喋れないし」
「たとえ電話をしているふりができても、周りに聞こえる場所でできる会話ではないですね。私みたいに声を発さずに相手に言葉を伝えられる訳ではないでしょう」
「そうだけど。もうどっちでもいいや。ねえ、ボロいビルの次は廃れた公園?こんな人がいない公園あるなんて知らなかった」
咲耶は、あたりを見渡す。ブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー一般的な遊具はある。だが、どれも錆びついていて、手入れがされているようには見えない。咲耶はブランコに近づき、鎖に指を近づけてみた。ザラリとした感触。手を見ると茶色い汚れが付着している。
「手入れも行き届いてないみたいだけど」
「ああ、そこのあたりは昔からこちらの世と近いので事故などが起こりやすく、あまり人が寄り付きません」
「そっちの仕事しくじって、こっちに逃げてくる人を処理すればいいんだよね」
「はい。いつも通り処理は私が行いますから。思う存分処理してください。念の為、結界だけ貼り忘れないように。」
「りょうかーい」
******
咲耶は、ジャングルジムの頂上にしゃがみ、標的を待った。入り口には結界用の札を貼り、外界から視界と音を遮断してある。1時間ほど待っただろうか、前方の公衆トイレの入口が淡く光った。
咲耶は、人が出てくるのを待つ。男が一人。後ろのジャングルジムにいる咲耶には、気がついていないようだ。
咲耶は耳の後ろ指でを叩く。
「事前にお話した特徴は入っていますか?」
男の腰のあたり、特徴的な青い紐がぶら下がっている。咲耶は、もう一度合図を送った。
「黒ですね。処理をしてください」
ジャングルジムから勢いよく飛び降りると、男に向かって駆け出す。足音が聞こえた男は、慌てて振り向いた。そして手のひらを咲耶に向かって突き出した。咲耶は触れそうになった手のひらを、体を屈めてかわす。そのまま銃口を心臓に押し当て、引き金を引いた。
男は目を見開いたまま崩れ落ちる。咲耶は、男の体が自分に触れないように避ける。ふぅ、と息を吐いたあと、蘭に報告しようと口を開いた。瞬間、後ろに気配を感じ、素早く銃を構えながら振り向き、一発撃ち込む。だが、相手の足蹴りが手に当たり、銃が遠くに飛ばされた。咲耶は、腰から短刀を取り出し、相手に向かって斬りつける。相手は後ろに飛び退き、咲耶に向かって殴りかかる。咲耶は男の拳を、腕で反らせ、男の腹部に短刀を、刺した。短刀は、男の服を貫き、そして、硬い何かに当たる。
(こいつ、皮膚を硬化してる)
咲耶は、反動で少し後ろによろめく。足を使い、砂を巻き上げ目潰しをすると、銃まで走った。男が追いかけてくる。そのまま公園の外まで逃げないのは、仲間をやられた敵討ちのつもりのようだ。あと少しで銃に手が届く。手を伸ばすと、足に何か硬いものが当たり、もつれてバランスを崩した。勢いよく、地面に転ぶ。男が追いつく前に銃を取ろうと、手を伸ばす。銃が手に触れようとしたとき、体急に後ろにひっぱられた。追いついた男にふくらはぎを引っ張られ引きずられる。抵抗しようと、腕で前に戻ろうとするが、虚しく砂を巻き込むだけであった。咲耶は、足をひねり、仰向けになると足を引きつけ思い切り突き出す。体の硬化は、追いつかなかったようで、男はバランスを崩す。男の力が緩んだ拍子に男の手が顕になっている咲耶の足首に触れた。
「ぐっ」
熱く焼けるような感覚が足に走る。咲耶は、着地に失敗し胸を強く打った。息が詰まる。立ち上がろうとしたが、息ができず、うまく体をコントロールできない。男は、素早く体制を立て直すと、拳を硬化し、咲耶の頭めがけ振り下ろす。咲耶は、すんでのところで、振り返ると、男の拳が鼻の先で止まっていた。男の身体は、氷に覆われており、彼は驚きの表情を浮かべたまま時を止めていた。
咲耶は、ゆっくりと後ずさる。呼吸を整え、立ち上がろうとすると、目の前に白い手袋をした手が差し出された。
「無事か。咲耶」
「詩季」
詩季は、その性格を表すかのように、皺一つない制服に身を包んでいる。そして、咲耶の手を取ると、優しく引っ張り、彼女を立たせた。
「生憎、今は救急用の備品を持ち合わせてないんだ。すまないが、手当は家で行ってほしい」
「うん、危ないところを助けてくれてありがとう。それで十分だよ」
詩季は、目を細めて、手袋をした手で咲耶の手を掴むと手のひらについた砂を優しく払った。
「汚れるよ」
「構わない。蘭はどこかにいるのか?」
『おります』
「別の場所で倒れてる男は、お前に任せる。あとから境界を越えた男は、元々我々の獲物だ。私が連れて行く。異存はないな」
『ええ、承知いたしました』
蘭との会話が終わると、ようやく咲耶の顔から手を離す。彼は、こめかみに指を当て、誰かと会話をしているようであった。彼女は、だけ詩季から距離を取り、凍ってる男を指さした。
「蘭に処理してもらわないの?これ、もう死んでるよね」
「溶かせば問題ない。また元通りだ」
咲耶は、詩季の顔をみた。冗談を言っているわけではないようだ。
「…便利だね」
「そんなことより、最近はこちらも物騒だ。境界を超える人や物が多くなっている。気をつけてくれ」
「うん」
咲耶が、しっかりと詩季の目を見て頷くと、彼は満足そうに微笑む。
「この前家に来たのは、そのことを伝えるためだったの?」
「え?ああ、君の父親なら大丈夫だとは思うが…」
「また来てあげて。父さん喜ぶから」
「ああ、わかった」
そういえば、と詩季は咲耶に問いかける。
「今日は、午後3時だったな」
「そう、2人とも詩季に会いたがってるよ」
「僕も楽しみだ」
咲耶は、「そっちには友達居なそうだもんね」と言いかけたが詩季の名誉のために黙っていた。入り口の方を見ると、蘭がこちらに向かって歩いて来ているのが見える。詩季にも確認ができたようで、「では、もう行く」といい、ちょうどトイレから出てきた部下と思われる人たちと一緒に、凍った男を連れて帰っていった。咲耶は、急いで自分が貼った御札を回収する。
「本日もお疲れ様でした。報酬はいつも通りで」
「了解」
咲耶は、時計を見る。現在は午前9時。2人は、自分の“仕事”について何も知らなかった。彼女としては、しっかりと“汚れ”を落としてから二人に会いたい。
「じゃあ、悪いけど時間ないから」
「はい、お気をつけて」
咲耶は、「あ」と何かを思い出したように、ポケットを探る。出したのはビニール袋に入った白いハンカチだ。
「洗ったのはいらないんでしょ」
蘭は彼女から差し出されたハンカチをみて、目を丸くする。
「本当に律儀ですね。いいのに」
「仮は作らない主義なの」
ハンカチを受け取らない蘭の手に無理やり握らせ、咲耶は足早に公園を去った。
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