第62話 高校入試の日
……気まずい。
非常に気まずい。
この狭い和室で、深谷先輩と二人っきり。
お互い話すことなく、服が擦れる音だけが聞こえる。
秋芳部長のいない部活動。
今までそんなことはなかった。
部活の時や、この和室にいる時、深谷先輩がいる時は必ず部長がそこにいた。
それもこれも部長が水泳部の練習試合に参加することになったため、今日その練習のために不在なのだ。
部長のいない和室がこうも味気ないものだとは。
まるで部長のために、この和室と茶道部が、そして僕という人間が存在しているようだ。
そして今、その部長がいない。
つらい。
深谷先輩とは、それぞれ分かれて稽古をしているのだが、その雰囲気がなんともいえない。
同じ部屋に人がいるのに会話がないという違和感。
沈黙がこんなに恐ろしいものだとは。
そもそもお茶の稽古なんて黙ってやるもんなのだが、それとこの沈黙は違う。
そして、この深谷先輩。
よく考えれば、僕は深谷先輩とはあまり話したことがない。
せめて話しかけてくれる人ならいいのだが、そんな人ではないし。僕もそんな話をする人間じゃないし。
こんな状況に耐えられず、何か話さなければいけないような感覚に陥る。でも話題なんて、ないし。
僕はこの空気に耐え切れず、なにか言葉を出さないと沈黙に押しつぶされそうだったので、何も考えのないまま口を開いてしまった。
「あ、あの……深谷先輩」
「なに?」
稽古の手を止めることもなく、視線をはずすこともなく、先輩は簡単に返事をする。
「部長、今頃練習してるんですよね」
「そうね」
「……」
「……」
終わった。
話が続かない。
余計に何か話さないといけない感じがする。
「大丈夫なんですかね、部長」
「大丈夫なんじゃない。自分で言い出したんだから」
「部長って泳げるんですか?」
「泳げない人が出ようと思わないでしょ」
「でも相手は水泳部ですよ」
「運動神経はいい方だから」
「本当に出るんですかね、練習試合」
「……春山君、あなた、さっきから香奈衣の話しかしてないわね」
うっ……
そういわれれば。
だって共通の話題が部長しかないんだもん。
「あのー 深谷先輩の趣味ってなんですか?」
「いいわよ、無理しないで」
「すいません」
うぅぅ……
そしてまた沈黙。
なんで僕はこんなにコミュニケーションが下手くそなんだ。
気軽に先輩や女の子に話せる性格の人がうらやましい。
本当になにをやってもだめなんだな。
あーあ。
部長がいない部活が、こんなにつまらないなんて。
この場所に部長が存在しないというだけで、僕の頭を違和感が支配している。
思えば部活の時にはいつもそばにいた。
もしかしたら一日の中で家族や友達以上に顔を合わせているのは、部長なんじゃないだろうか?
いや、僕以上に一緒にいるイメージがあるのは深谷先輩だ。
深谷先輩も片時も離れず部長といるようなイメージだけど、よく考えたら二人はどんな関係なんだろう
「あのー 深谷先輩は、部長との付き合いは長いんですか?」
「小学校からね」
体は稽古をし、言葉だけを淡々と僕へ返す深谷先輩。
「昔から、あんな感じなんですかね」
「あんまり変わってないわね」
今度は深谷先輩が不機嫌そうに聞き返す。
「なんでそんなこと聞くのよ」
「いやちょっと気になりまして」
だって気になるじゃないですか……
「なんで部長は僕のこと、かまってくるんだろう……って。ほかの人にもあんな感じなんですかね」
深谷先輩は手を止めることなく、しばらく考え込んだのち口を開く。
「香奈衣には上に兄と姉の二人がいるから、弟が欲しかったんじゃないの?」
「なるほど……」
前にもそんなこと言っていたような。
部長にとっての僕は後輩であり弟でもあり、と……
「それと……」
「それと?」
「春山君は知らないだろうけど、入学する前から知ってたみたいよ。あなたのこと」
「部長が、僕のことを?」
そうなの?
僕は部長のことは知らない。
初めて会ったのは体育館での合同部活説明会の時。
全然心当たりないし。近所に住んでいるとはいっても小中学校違うと思うし。
「あなた、高校入試試験の時、ここに来る途中、誰かに道案内しなかった?」
入試の時? あー 確か……
「なんかありましたね。試験に来る途中、おばあさんがお見舞い行くとかどうとかで、病院どこか尋ねられて」
「それでそのあと気になって、後ろをついていったんじゃないの?」
「あー そうでしたね」
そう、あれは2月の寒くてよく晴れていた日の、高校入試試験の時だ。
僕はこの高校が家から一番近くて通いやすいから、ここの入学を希望していた。
場所も知っていたので、当日は歩いて早めに家を出たら、途中でおばあさんに道を尋ねられたのだ。
向かうべき病院は、学校と正反対の丘の上にあって、それを言葉で説明し、おばあさんはお礼を言って病院へと向かったのだった。
だが、道を説明したのはいいけれど、ちゃんと辿り着けるのか?
そもそも僕の説明で分かったのか?
気になって、おばあさんの後ろをこっそりついていったことがあった。
そういえばそんなこともあった。
ここまで来れれば病院はすぐそこだし、大丈夫だろうという所で引き返し、高校へ向かったのだ。
「入試前なのにそんなことして、しかも学校着いたの時間ギリギリだったでしょ」
「遅刻ギリギリでしたね」
おかげで最後の暗記する時間が無くなって、ぶっつけ本番になってしまった。でもそれで変な緊張がとけたというのも事実だ。
「でも、なんでそんなこと知ってるんですか?」
「香奈衣が、駅前に用事があって歩いてたら、その場に出くわしたのよ。それで気になって、あなたの後を追ったらしいのよ」
「はあ」
おばあさんの後ろを追う、僕の後ろを追う部長。
なんだよ、その光景は。
でも安易にその様子が想像できる。
部長も暇だなー
「きっとこの学校の入試を受けに来たはずなのに、おばあさんのために反対のほうに歩いていくから。で、もしそのせいで遅れて試験受けられなくなったら、どうしようって」
「はぁ」
「もしそうなったら先生に事情話して許してもらおうとしたらしく、学校までついていったってよ」
「へぇ、そんなことが」
あったんですね。
部長も物好きだな。どこの誰だか知らない生徒の入試試験なんか、気にしなくったっていいのに。
「それだけじゃないわよ」
「え?」
「今度は合格したのかどうか気になりだして」
「僕のですか?」
「合格発表の日、香奈衣も見に行ったのよ」
「それはそれは」
「私も付き合わされたのよ」
「それはどうも、すみませんでした」
「駅とは別の方から歩いてきたってことは、あの子の家は近いのかも。
なら合格発表もきっとホームページじゃなくて直接見に来るはず。
試験の時、早く来ていたってことは、合格発表も一番で見に来るだろう、って」
やばいな、部長の勘は。
「合格発表は9時半。1時限目が終わるのも9時半。終わったら速攻、私も連れられて正門まで走ったわよ。
そしたら、まばらな受験生の中にあなたがいたのよ」
「たぶん、いましたね。合格番号、張り出されるところから見てましたから」
「ただ、あなた、リアクション無いのよ」
「……?」
「遠くから見てて受かったのかどうか分からないのよ」
「そういわれましても」
「で、ちょっと離れた場所に移動して、誰かに電話したでしょ?」
「はい、親に連絡を」
「その時初めて笑いながら電話してたから、合格したんだなってね。
それで香奈衣が、『あの子、近くに不合格の女の子とかいたから可哀想だから、その場では気を使って喜ばなかったんだよ』
『だから離れた場所で電話したんだね』って」
「そりゃあ、まあ、当然そうなるでしょう」
「あなた以上に喜んでたわよ、香奈衣。恥ずかしかったわよ。現役の高校生が、なぜか今年度の合格発表見て大喜びして、その場で飛び跳ねてるなんて」
「ありがとうございます」
「おかげで次の授業、遅刻したけど」
「……」
僕の知らないところで、部長にすごく見られていたとは。ちょっとしたストーカーだよ、これ。
「そのあと入学式で見つけて、部活説明会で見つけて。
ずーと『茶道部に入ってくれないかなー』って。何回聞いたことか」
「で、僕がどこにも入らず、うろうろしてたところを捕まえられたと」
「そんなところね」
なるほどね。
だからあの中庭で行われていた最後の部活勧誘の時も、なぜか馴れ馴れしく話しかけてきたわけだ、部長は。
そんな経緯があったとは。
それにしても部長は、僕のこと気にしすぎだよ。
「なにがいいんですかね。こんな暗くて、地味で、目立たない僕の……」
僕なんて、何のとりえもないし、話も面白くないし、部長と一緒にいても釣り合わないのに。
「本当に優しい者は、人付き合いは少ないものよ」
「え?」
深谷先輩の突然の意外な言葉を耳にして、思わず顔を向けた。
「相手を大切にするから、中途半端な人間関係を築ききたくないのよ。
その辺にいる上っ面だけの薄っぺらい友人だとかが大勢いるような人間とは違い、よく知らない相手を傷つけたくないから、簡単には仲良くならない。
でも、一度相手を知ると最後まで大切にする。そんな優しい人間」
そんなつもりは……
そんな自覚はないけれど……
「なんじゃないの? 春山君は?」
「どう、ですかね?」
「相手を気にするあまり、外にでないあなたと、相手を気にするあまり、中に入っていこうとする香奈衣」
「……」
「あなたの、そんなところを、香奈衣は気に入ってるんじゃないのかしら?」
そう言うと深谷先輩は初めて手を止め、顔を向けて僕の目をまっすぐ見つめた。
僕はとっさに目を背けてしまう。
急に深谷先輩にそんなこと言われても。よく分からないよ。
目を逸らした視線の先には、ハンガーに吊るされた部長の制服が。
まるで部室を自分の部屋かのように、荷物が置いてある
部長か……
あれ? そういえば、なんでここに部長の制服があるの?
まさかここで着替えていったわけじゃ……
なら、下着もここにあるの?
なんか、ちょっと、心がざわつく……
というか? ここから水着でプールまで行って、水着でここまで戻ってくるの?
確かにこの部室とプールまでは距離は近いけども。
そんなことを考えてると、いきなり元気よく部室の戸が開いた。
「ただいまー」
「ぶちょう?」
いきなり現れた人影は、白いバスタオルを被った部長だった。
髪はしっとりとし、つややかに光を反射している。
体は隠れて見えないが、なにもまとっていない魅惑的な足だけが覗いている。
「なにしに来たんですか、部長!」
「なにしにって、休憩だよ。ちょっとお茶のみに」
「香奈衣、ちゃんと拭いてきてくれる。畳が濡れるんだけど」
「春山くん、お茶立ててくれるかな? のど渇いちゃって」
ぜんぜんお構いなしで、そのまま勝手に座る部長。
「いいですけど、その格好どうにかなりませんか?」
「その格好って?」
といいながら羽織っていたバスタオルを広げる。
とともに、紺色の水気を含んで怪しげな光沢を放つ水着を身にまとった部長の身体が……
「いちいち見せなくていいですって!」
そんな僕を、からかうように笑う部長。
「ねぇ、春山くん?」
「なんですか」
「水着でお手前したら人気出て、部員増えるかな?」
「はぁ? なに言ってるんですか?」
「水着茶道って、どう?」
「変なこと、言わないでください。こんなの聞いたら千利休もびっくりして生き返って、もう一回切腹しますよ」
僕は呆れてながらも、お茶を立てて部長に渡した。
「ありがとう」といって、部長は両手で受け取ったせいでバスタオルが、ストンと畳の上に落ちる。
結局、水着姿でお茶を飲むという、はしたない行為に僕は顔を逸らす。
「美味しかったよ、春山くん。上達したね」
「はい、そうですか。ありがとうございます」
いったいこの人は、なんなんだろう。
なのを考えてるんだろう?
しかも、そんな格好で褒められても、なぁ……
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