第60話 浴衣を着よう
僕は秋芳部長のせいで、被服室から和室までの間、浴衣を着て移動する羽目に。
神様に、この格好のまま戻る間、誰ともすれ違わないように願ったが、無情にもその願いは届かなかった。
和室に到着する間に、5,6人の生徒とすれ違ったが、みんなガン見してた。
どうしてくれるんだよ。
恥ずかしくて死にそうだったよ。
そんな思いで、ようやくいつもの部室に戻ってきたのだが、やはりここは居心地がいい。
さあ、早いとこ着替えよう。
「あの、部長、服返してください」
「えー 着替えちゃうの?」
先に戻っていた部長が、僕の制服を持ったままだった。
「そうですよ、もお」
「せっかく似合ってるのに」
「そういう問題じゃありません」
「春山君……」
部長から服を取り返そうとしているところに、深谷先輩がやって来て言う。
「せっかくだから、その状態で一回お点前してみたら?」
「え?」
「そうだよ、春山くん。浴衣を着た状態でお点前してみて。慣れておかないとね」
えー まだ帰れないの?
「もうそんなに着る機会なんて、ないでしょ。なら、今日はまだ時間あるから、やって見なさいよ」
まあ、確かに深谷先輩の言う通りだけど……
しばらくは着たくないし。
と、迷っている時に……
「おーい」
という南先輩の声が和室に飛び込んできた。
「もってきたぞー って、すげーじゃん、春山」
「あー どうも」
ずかずか上がって来た南先輩は、僕のことをじろじろ見ていく。
「春山が作ったのか? よくできてるじゃんか」
「はぁ……ありがとうございます」
珍しく僕を褒めてくれた後に、南先輩は部長に黒い服? のようなものを渡す。
「持ってきたよ。浴衣できたって聞いたから」
「ありがとう」
「剣道部から使ってないのもらったから。返さなくていいってさ」
「やったー」
「一応洗ってあるみたいだけど、着るとき気をつけてな」
「ありがとう」
「じゃあ、うちは戻るんで。春山、がんばれよ」
そう言ってそのまま南先輩またどこかへと消えてしまった。
なにしに来たの?
「ねぇ、早く履いてみようよ」
「なにがですか?」
「これ」
そう言って今受け取ったものを広げてくれる部長ではあったが、なにかの黒い布ということしか分からない。
「なんです、これ?」
「
「はかま?」
時代劇で侍とかが履いてる、あれ?
「そんなの、どうするんですか?」
「履くんだよ」
「だれが?」
「春山くんが」
「はあぁ?」
聞いてないよ、そんなこと。
浴衣だけでもいっぱいいっぱいだっていうのに。
「な、なんでですか?」
「浴衣着て、その上から袴履くの」
「……お茶会のお点前って、そういうもんなんですか?」
「違うよ」
「……じゃあ、着ません」
「なんで!」
「な、なんでって……」
そんな恥ずかしいこと……
浴衣だけでもきついのに、そのうえ袴まで着るなんて。
恥の上塗りにもほどがある。
「ねぇ、春山く~ん、ちょっとだけでいいから、履いてみて?」
「嫌です」
「お願い、つま先だけ、先っちょだけでいいから」
「嫌ですよ、そんなこと……」
すごい目でこっちを見つめてくるが、さすがにこれは嫌だ。
「これって、もう完全に部長の趣味じゃないですか」
「そうだよ!」
そんなはっきり言われましても……
「あの……深谷先輩……」
僕は深谷先輩に助けを求めたが、先輩は大きなため息をつくと、こう話した。
「そもそも、浴衣でお点前をやる時点でおかしいのよ」
「……」
「文化祭でお祭りだからってことなんでしょうけど」
「……」
「だから本来は袴は履かないけど……」
「……」
「文化祭ならいいんじゃない?」
……ついに深谷先輩にも見放された。
「ね、ねっ! 早く履いてみて!」
「……もう、これ、コスプレじゃないですか……」
部長に押しきられるかたちで、袴を受け取るも……
これ、どうやって履くんだ?
ああ、こうして……
この紐を結べばいいのか。
なんとなく僕は手探りで履いてみる。
そして……
スカートみたいなズボン? の袴を装着する……
「かっこいい! 凄くかっこいいよ! 春山くん!」
履き終えた僕を見て部長は、街中で芸能人に出会ったように、声を荒げながら大はしゃぎする。
「そうですか?」
そんなじろじろ見られると恥ずかしい。
でも、自分でもまんざらじゃない。
なんか、ちょっと、いいかも……
もしかしたら、本当にかっこいいのかも。
「坊ちゃんみたい! 大正ロマン!」
坊ちゃんってなに?
夏目漱石の?
ああ、書生さんみたいってこと?
そういって部長はスマホを取り出すと、ありとあらゆる方向から僕の写真を撮り出した。
「あの、ちょっと、止めてもらいたいんですけど…… 部長?」
「春山君」
「はい?」
僕は深谷先輩に呼び止められる。
「一度それ着た状態で、かるくながしでいいから、お点前してみたら?」
「え?」
「そうだよ、一回着た状態でやってみないと」
確かに本番はこの状態でやるのだから、どんな感じになるかは、試しておいた方がよい。
「ん~ じゃあ一回だけ試しで……」
「早く早く! 春山くん、早くして!」
「あーもー そんな急かさないでくださいって」
というわけで、実際この服装でお茶を点ててみることに。
正座して僕のことを見ている部長は、うっとりした
そんな目で見られても……
恥ずかしいやら、気持ち悪いやら……
実際この服装でお点前して、いろいろと気付くところがあった。
袴は動きにくいので、歩いたり座ったりする時、気を付けなければならない。
お点前中に「袖に気を付けてよ」という深谷先輩のアドバイス。確かに袖がぶつかりそうで怖い。
これらを事前に体験出来てよかった。
なにより、この格好でお点前すると、なんだかすごく上手くなってる感覚になる。
たぶん錯覚だろうけど、見ている方もそう感じるだろう。
お点前が終わると、部長がまたやって来ては、僕の全身、髪の毛の先からつま先まで、なめ回すように見つめる。
「な、なんですか? 部長!」
「かっこいいよ! 春山くん!」
「はぁ」
そう言われて悪い気はしないが、さすがにそんなに言われるとうっとうしい。
「私も今から浴衣に着替えてみようかな」
「え? 部長もですか?」
「香奈衣、もう時間よ。別の日にしなさい」
「え~ しょうがないな~」
「また今度ですね、部長」
「春山くんに見てもらいたかったのになー」
「……」
さて、今日はもう帰って休もう。
浴衣作ったし、稽古もしたし。
というか、ここ数日、いろいろありすぎて疲れた。
深谷先輩はもう帰る準備できてるし、部長も渋々身支度をしている。
僕もそろそろ……
あれ? そういえば僕の服は?
部長が持ったままだ。
「あの、部長、僕の服は?」
「え? そのままで帰らないの?」
「……はあ?」
「かっこいいよ、昔の学生さんみたいで」
なに言ってるの? バカじゃないの?
こんな格好で帰ったら、単なる金田一耕助のコスプレだよ!
この町で祟りが起きるわ!
「じゃあ、先に行ってるね」
「ちょっと待ってくださいよ、部長!」
「昇降口で待ってるね」
「ちょっ、部長!」
そのままパタパタと小走りで消えていってしまった。
「部長! ぶちょ―――!」
……結局、深谷先輩にお願いして、部長から服を取り返してもらいました。
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