第59話 浴衣を作ろう その3

「春山くん、ミシン使うの大丈夫?」

「小学生以来だと思います」


 長い長いおしゃべりも終え、ようやく生地を縫うところまでやってきた。


 みんな話が長いんだよ。もう半分くらい部活の時間が過ぎてるよ。


 僕はミシンの前に座り、秋芳部長からレクチャーを受ける。


「このボタン押すと動くからね」

「はい」

「手を縫ったらダメだよ」

「分かってますって」

「糸は上に置いて、ここを通して、最後針の穴に通すんだよ」

「はい」


 なんとなく思い出してきた。


 僕はぎこちないながらも、ミシンの準備をしていく。


 そんな様子が心配になってか花堂先輩もやってくる。


「どう? 春山君?」

「ミシン使うの久しぶりで……」


 そんな僕の顔の右に部長の顔が、左に花堂先輩の顔が……


 非常に気が散る。

 すごくやりにくい。


「あの……あとは自分でできますんで」

「大丈夫?」

「はい」

「困ったら、すぐ呼んでね」

「はい」


 そう言って部長は自分のを作りに戻っていった。


 これでゆっくり……


 しかし……

 なぜかまだ横にピッタリと花堂先輩がついてる。


 暇なのかな……先輩……


 僕は気になりつつも、自分の作業へと移る。


 糸をここにセットして、引っかけて、ここを通してっと……


 で、最後針穴に糸を通そうとするも、上手く通らない。

 緊張しているのか手が震えてる。

 横でジーっと見つめている花堂先輩の存在も、僕を一段と焦らせる。


 糸通し、ないかなー


「難しい?」

「なかなか……針の穴に……糸が通らなくて……」

「ちょっといいかしら」


 見かねた花堂先輩が僕に変わり、糸を通そうとしてくれる。


 人差し指と親指をペロッと舐めると、その手で糸の先をつまみねじる。

 そして一発で針の穴に糸を通すことに成功する。


「はい、どうぞ」


 ……舐めたよね、糸の先。


「あっ! ごめんなさい。汚いわよね」


 花堂先輩は糸切りバサミで、慌てて糸の先を切り取った。


「ごめんなさい、変なことしちゃって」

「いえ、大丈夫です。慣れてますので」

「慣れてる?」


 うちの部長に比べたら……



 その後しばらく僕は、ミシンと格闘することに。


「そこでいったん止まってね」

「はい」


「その印まで進んだら止まって、方向転換」

「はい」


 いつの間にか花堂先輩が生地をささえてくれて、僕がミシンを動かすという、二人で作業するかたちに。


 ガタガタガタ、というミシンの音とリズムが、心地よく感じられるようになってしまった。

 僕の横では花堂先輩が「止まって」「そのまま戻って」と、指示してくれる。

 これじゃあ、まるで二人っきりでドライブしているみたいだ。


 布地という大地を、ミシンのエンジン音をたてながら、ゆっくり、そして早く進んでいく。


 そんなことをしているうちに、どんどんと時間が過ぎていく……


 キリのいいところで、いったん手を止め時計を見ると、もう18時を過ぎていた。


 集中すると、あっという間だなー


「そろそろ今日は終わりにしましょう」

 と、深谷先輩が切り出す。


「春山くんどこまで進んだ?」

「こんな感じです」


 部長がのぞき込んでくるので、僕は今できているのを広げて見せた。

 大まかな部分は縫えたので、なんとなく浴衣の形が分かるぐらいまでは出来上がっていた。


「すごいね! もう少しで完成だね」

「ええ、花堂先輩が教えてくれたおかげです」


「私は見ていただけよ。春山君が上手だからよ」


 いやー なんか清々しい気分だ。

 なにかを作るっていいことだ。

 部長が言っていたことも、今ならなんとなく理解できる。


「まだ、家庭科部は残って作業するんでしょ。私たちは邪魔にならないように帰るわよ」


 深谷先輩はミシンを片付け、荷物を整理する。


「まだ続けるんですか?」

 と花堂先輩に尋ねると「ええ」と微笑みながら頷く。


 もしかして、やることいっぱいなのに、僕の手伝ってくれたのだろうか?

 もしそうだったなら、なんだか、申し訳ない。


「春山くん、また明日だね。明日には完成しそうだね」

「そう……ですね」


 部長のをちらっと見ると、二人の浴衣は、ほぼほぼ完成していた。



 そして三日目となる、次の日……


 ホームルーム終わって、すぐにやって来て続きを始める。そのおかげで、夕方になる前に先輩たちに助けられながらも、僕の浴衣はなんとか完成した。


「できましたー」


 部長たちより1時間ほど遅れての完成。


「すごーい! 綺麗にできてるよ!」


 僕の広げた浴衣を見てくれた部長の、そんな言葉が普通にうれしい。

 がんばって自分で作ったものが、形になることって楽しいし、うれしいものなんだな。

 子どもの頃作ったプラモデルの完成した時の、あの嬉しさと達成感が、今蘇る。


「まあまあじゃない」

 あの辛辣な深谷先輩からも、ありがたいお言葉を頂戴した。


「素敵に仕上がってるわね」

 花堂先輩からも祝福の言葉を頂く。


 なんか、達成感と心地よい疲労感が何とも言えない。


「ねえ、春山くん、早く着てみて」

「え? 今ですか」

「うん!」


 ここで? 

 浴衣着るの?

 恥ずかしいよ。


 この達成感を嚙み締める余裕をまるで与えないかのように、深谷先輩が表情を変えずに言う。

「春山君、袖、通してみて確認しなさい。修正が必要かもしれないから」

「服、着たままで、ですか?」

「なんでよ。早く着替えてきなさいよ」


 え~ 


「向こうの準備室、空いているから使ってくれていいわよ」

 花堂先輩にもそう言われると、着替えざるをえない。


 できたての浴衣を手に、僕は準備室の中に入る

 準備室の中は、さまざまな道具や生地や糸などで囲まれていたが、整理整頓はされていた。


 ちょっと狭いかも……


 バタン!


 あれ? 勝手に扉が閉まった?


「って、部長!?」

「ん?」


 振り向いたら部長がついてきていた。


「なんでいるんですか!」

「なんでって、一人で着れないでしょ」


「着れますって、こんなの」

「帯、巻ける?」


「うぅ……」


「じゃあ早く着替えてね」

「えぇ……」


「下着は脱がなくていいよ」

「分かってますよ!」


 上のワイシャツだけ脱ぐと、部長が浴衣の裾を出してくれるので、そこに腕を通す。

 そして抱きつくようにして、浴衣を僕の後ろに回して反対の腕に袖を通す。


 なんだよ、このシチュエーションは。

 まるで出勤前の新婚夫婦じゃないか。


 部長は僕の前に回り、襟や袖を直してくれる。


「脱いでくれるかな?」

「は?」

「ズボン、脱いでくれるかな?」

「あ、はい」


 そう言われ、部長の前でズボンを脱ぐ。


 なんか……すごい……背徳感。


 浴衣で隠れているとはいえ、密室で二人っきりで、女の子の目の前でズボン脱ぐなんて。


 部長は襟を引っ張り直し、帯を腰に巻きつけてくれる。


 下腹部、触られて……帯び巻かれて……変な気分だ。


「できたよ!」

「はい」


「こっちむいて」


 恥ずかしいな~

 肌触りはいいのだが、いかんせん、足元がスースーする。

 夏に着るのもなんだから、涼しくて当然なんだろうけど、こんな状態で外を歩くとなると、ちょっと抵抗がある。


「うん、かっこいいよ! すごくいい!」

「そ、そうですか?」


 鏡があったので、その前に立って自分自身を確認する。

 鏡に映った僕の姿は、テレビの中に出てくる俳優みたいな姿をしていた。


 この格好して、人前に出るのかー

 これは恥ずかしいや。


「春山くん、すごくいいよ! すごく!」


 部長は子どものように目を輝かせ、そんな語彙力のない子どもっぽい言葉を並べて叫ぶ。


「ちょっと落ち着いてください」

「ねえ、早くみんなに見せよう!」

「なんで見せるんですか? もう着替えますよ」


 って言ってるのに、部長は僕の手を引っ張って準備室から連れ出す。


 外ではいつの間にか部員のみんなが作業を中断して、こっちに集まっていた。


 なんだよ、この芸能人の出待ちみたいな感じは。


「あら、春山君、素敵じゃないの。似合ってるわよ」

「ありがとうございます」


 花堂先輩も近寄ってきて、浴衣の全体をくまなくチェックしてくれる。


「大丈夫よ。よくできてるわ」

「それは、よかったです」


 周りからも「いいね~」「私もつくろうかな~」という歓声が聞こえる。

 そんな声の中で、みんなからじろじろ見られたり、あっちこっち触られたり、引っ張られたり……


 もー 恥ずかしいなー

 完全にモルモットじゃないか。


 そんな女の子たちの中で一人、

「いいなー 浴衣。私も作ろうかなー」


 あれはクラスメイトの柳田さん?


「私も浴衣着て、文化祭でたこ焼きの売り子やったら、売れるかな?」


 と、僕に自信なさげな顔で尋ねてきた。


「きっと売れると思うよ。看板娘になるんじゃない?」


 そう告げると、口元を緩ませて控えめに笑った。


 なんだ、こんな可愛い子がクラスにいたなんて。

 部長とか、花堂先輩も美人だけど、柳田さんも普通に可愛い子だなー

 こんな子に気付かないなんて、僕がクラス内のことや、女の子に全然興味ない証拠だな。


 さんざん僕はもてあそばれた後、深谷先輩に帰るよう合図された。


「さぁ、そろそろ部室に戻るわよ」

「皆さん、ありがとうございました」


 部長たちが、みんなに深々と挨拶すると、荷物をまとめて教室を出ようとする。

 家庭科部の人たちはそれを受け、また持ち場に戻り作業を再開する。


「また、いつでもいらしてね」


 花堂先輩は優しい笑顔でお見送りしてくれる。


「ありがとうございました」

 と、僕も挨拶しかけた時……


 あっ? そういえば、このまま帰るの?

 あの、僕、着替えたいんだけど……


 ……ってか、服がない!

 もしかして、部長が持ってる!?


「部長! ぶちょーぅ!」

「秋芳さん、もう戻ったわよ」


 え? マジかい!?


 ここからこの格好で部室まで帰れというのか?

 けっこう距離あるよ?


 なんで先帰っちゃうの!


 恥ずかしいよ、こんな格好で校内歩くのは!



 あぁ、神様……


 どうか帰るまで、


 誰とも、


 すれ違いませんように……

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