第57話 浴衣を作ろう その1

 期末テストが終われば、終業式まで消化試合のような授業が続く。

 テスト返却と解説。一学期の復習。夏休み中の勉強の仕方、などなど……


 もうクラスのみんなは夏休み気分だ。

 授業中はこれからの予定のことばかり気にしてる。

 高校生活初の夏休み。憧れと期待で胸を膨らませている。

 しかし僕はそれどころではなかった。


 そんな授業も終え放課後になると、いつもの茶道部メンバー三人で被服室へと向かう。


 秋芳あきよし部長を先頭にして、その後をついて歩く僕。


 もう行くこともないと思っていた場所に。

 もう会うこともないと思っていた先輩に。


 また来てしまったよ……


 それぞれ持ちよった生地をもって、被服室へ。


「いいんですか、部長? また来ちゃって」

「もう話はしてあるから、大丈夫だよ」


 被服室の中からはミシンの音だろうか?

 作業をしている音が聞こえる。

 今日も部活に取り組む家庭科部の皆さんが、この教室の中に……


 そんな僕の憂いも関係なしに、部長は何の躊躇もなく扉を開ける。


「失礼しまーす。こんにちはー 茶道部でーす」


 ああぁ……

 ちょっと、そんな元気よく挨拶しないで部長。

 恥ずかしいじゃないですか。


 入るとすぐ目の前に、家庭科部部長の花堂はなどう先輩が飛び込んできた。

 先輩はこの前、目にした時と変わらず、清楚で麗しい姿のまま、そこに立っておられた。


「いらっしゃい。茶道部の皆さん」

「お邪魔します」


 また部長と花堂先輩のトップ2会談が始まった。

 僕は目立たないように深谷先輩の後ろに隠れる。


 見渡せば、10人近くの部員が僕たちのことを気にもせず、もくもくと作業をしていた。


「あら? 春山君。お久しぶりね」

「あっ! っと、よろしく、お願いします」


 あぁ、見つかってしまった……


 この前会った時と変わらない、美しく優しい笑顔を見せてくれた。


 その……なんというか……

 あれだ、綺麗すぎて別の意味で僕は苦手だな……


「向こうの空いている作業台、自由に使ってもらって構わないからね」

「ありがという」


 部長と深谷先輩は挨拶すると、そのまま行ってしまった。

 出遅れた僕は花堂先輩に捕まる。


「春山君も浴衣作るんだね」

「え、えぇ、まあ」

「ということは、文化祭の時に着るのかな?」

「ええ、そうみたい、です……」

「浴衣を着た春山君……かぁ……」

 

 そんな美味しい獲物を狙ってる猫みたいな目で、僕のことを見ないでいただきたい……


「春山くーん、こっちだよー」


 ナイスタイミング!


 部長の声に助けれ、

「すいません」

 と、その場から僕は逃げ、部長たちのもとへ。


 僕たちの周りは家庭科部の人たちが作業しているわけだが、

 半分は机に生地を広げ裁断している。

 残り半分はミシンに向かって、マシンガンのような音を立てながら生地を縫い合わせていた。


 みんな…… 全員女の子だ……


 なんだか僕は場違いな感じがして、心が落ち着かない。

 間違えて女子トイレに入ってしまった感覚だ。


「で、部長。何をどうすればいいんですか?」


 早いとこ終わらせて帰りたい。


「まずね、生地を型紙に合わせて切って……」

「生地を切って……」

「ミシンで縫うの」

「ミシンで縫う……」


「……」

「……で?」


「で?」

「いや、その後は?」


「それで全部だよ。切って縫うの」


 そ、そんなの、なんだよ!?

 説明になってないじゃないか!


「春山君。とりあえず型紙を用意するから、それに合わせて生地の裁断。いいわね」

「あー はい」


 深谷先輩が生地を切るために、それに合わせる型紙とやらを用意してくれる。

 生地に紙でできた型を合わせて、その通りに切る。のだが……


 慣れないから手間取る。

 ずれないように抑えたり、印付けたり、まち針で固定させたり……


 それを部長が横で手伝ってくれながら、なんとか少しずつ進んでいく。


「生地の裏表あるから気をつけてね」

「はい」


「つなぎ目の柄が合うようにしないといけないから、注意してね」

「はい……」


「ここは左右両方あるから、間違えないようにね」

「はい…………」


 なんだか難しいなー


 というか教えてくれるのは嬉しいんですけど、

 相変わらず部長の距離が近い。


 茶道部の部室ならまだしも、ほかの部室でみんながいるっていうのに、この距離感。

 もしかしたら、うちのクラスの子が家庭科部にいるかもしれないっていうのに。

 こんなところ、見られたくないよ。


「香奈衣、あんまりそっちばかり気にしていると、自分のが終わらないわよ」

「うん、でも……」


「あー 僕なら大丈夫なんで、後はこれに合わせて、切ればいいだけですよね」

「うん、でも、大丈夫?」


「大丈夫、だと思います」


 一人の方が気楽で、はかどるだろうと思っていたところ……


「私が見ててあげるから、大丈夫よね」

「え?」


 後ろから花堂先輩が、ひょっこり顔を出しながら現れた。


「お手伝い、しましょうか? 春山君?」

「あ―― はい」


 なんだよこれ……

 ずーっと見られてる……


 これじゃあ、刑務所の作業じゃんか。

 花堂先輩の向ける視線が、気になってしかたない。


 僕は部長たちの真似をしながら、そして花堂先輩に監視されながら作業をする。


 部長はなんだかんだ言って、手際がいい。


「なんか、二人とも慣れてますね」

「授業で似たようなこと、一度やってるから」


 家庭科の授業でかな?

 まさか図工で、じゃないよね。


「春山君も、なかなか上手ね」

「あ、ありがとうございます」


 花堂先輩にそう言ってもらえると、素直に嬉しい。

 意外と僕は手先は器用だと思っている。


 プラモデルとかよく作っていたから。

 むしろ一人で淡々と、何かを作ってるのが好きではある。


 しかし……


 しかし、なんでこの花堂先輩も、僕にこんな近くまで接近してくるんだ?


 部長みたいに騒いだり話しかけてはこないが、無言で横にずーっといるのも……


 こんなところ他の子に見られたらと思うと、作業もはかどらない。

 幸い周りの部員さんたちは、自分の作業に集中して、こっちのことなど気にもしていない。

 深谷先輩はいつも通り、無言で手を動かしているし。

 部長は……時折、僕のことを心配そうに眺めてきて、落ち着かなさそうだ。


「どうかしたの?」

「え?」


 あたりを見渡していた僕に、花堂先輩が心配してか、声をかけてきたので、びっくりしてしまった。


「いや……今日はなんだか、部員の方が多いような……」

「今、文化祭に向けて、みんな作業してくれてるのよ」


「文化祭? 家庭科部も何かやるんですか?」

「そうね。というよりも、2年のあるクラスでメイド喫茶をやるらしいのよ」

「はぁ」


 それ、部長のところじゃん。


「それで、そのクラスからメイド服を作ってもらえないかって、依頼があってね」

「はあ」


「部員のみんなで制作しているわけなのよ」

「なるほど。でも買った方が簡単で安いような……」


「みんな一度作ってみたかったらしくてね。それに、このメイド服は家庭科部で作成しましたって、そのクラスでちゃんと宣伝もしてくれるようだし」

「そうですか」


「そうだ。春山君も文化祭の日、家庭科部の出店に来てみないかしら?」

「ここ、ですか?」


「家庭科部でも喫茶店を開く予定なのよね」

「へー」


「私たちはメイド喫茶でなくて、普通の喫茶店だけどね」

「はあ」


「調理室でクッキーとケーキを作って提供するのよ」

「美味しそうですね」


 花堂先輩は僕に、それはそれはすごく楽しそうに話してくれた。


 こんなに話す人だっけ?


「春山君も来てもらえるかな?」


 そんな奇麗な笑顔でお願いされたら……


「ええ、ぜひ……」

「ありがとう」


 ふ―――


 作業が全く進まない……


「そうしたら、私は服装はどうしようかしら?」

「え? 服装?」


「メイド服に対抗して、私たちは和服にしようかしら?」

「あー はー」


 服装? なんでもいいと思いますよ。


「春山君が来てくれるなら、恥ずかしいけど私も浴衣を着て接客しようかしらね」

「とても、にあうと思いますよ」


 僕はこの数カ月で、お世辞を言う、というスキルを身につけた。


 でも、花堂先輩に関してはお世辞ではなく、本当に似合うだろうと思う。


 花堂先輩の浴衣姿か……

 見たいような気がしないでもないし……

 メイド服もちょっといいかも。


 そういえば部長も着るのかなー メイド服。

 そうすると、文化祭の日に制服で来て、浴衣着て、メイド服着るの?

 すごいなー



「まって!」

「え?」


 ぼんやり考え事をしながらハサミで生地を切っていた僕の右手を、花堂先輩がいきなり掴んできた。


「ここは切ったらダメなところよ」

「え? あっ、すみません」


 先輩の細く長い指が力強く僕の手を握ったかと思ったら、そのまま優しく包み込み、

「ここをこのまま切れば、元に戻るわよ」

「あ、はい」


 柔らかく温かい手に誘導されながら、僕の手は動いていく。


「はい、これで元通り」

「ありがとうございます」


 あー ビックリした。

 突然の叫び声と、いきなり手を握られての、ダブルどっきり。


 そして花堂先輩が叫ぶもんだから、部長も驚いてこっちをずーと見てるし。


 なんか…… 疲れるなぁ……




 そんなことを繰り返しながら、もうこんな時間。下校の時刻が迫ってきた。


 今日は生地の裁断と仮縫いまでで終わってしまった。


 部長は大きく伸びをし、深谷先輩はおばあちゃんみたいに肩を叩いている。


「だいぶ進んだね」

 と、部長が寄ってくる。


「ええ、結構できましたね」

「あと一日か二日で出来るかもね」


 そうか……明日も来るんだ……


「おつかれさま」

 と、今度は花堂先輩が見に来てくれた。


「おかげさまで、なんとかここまで」

「上手く切れてるわね。春山君、上手ね」

「ありがとう、ございます」


 いやー お世辞でも言われると照れてしまう。


 そんな横では深谷先輩が荷物を整理しながら、

「じゃあ、キリがいいから今日は帰るわよ」

 と帰る準備をする。


「そうですね、僕もそろそろ……」

「明日はお菓子とお茶を用意して、待ってようかしらね」


 花堂先輩がお別れの挨拶とともにそんな冗談を。


「ははは、茶道部みたいですね」


 僕は最近、愛想笑い、というスキルを身につけた。


「じゃあ、明日、私もお茶とお菓子持ってこようかなー」

「部長……」


 ここは裁縫する被服室であって、和室ではないですよ。

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