第56話 生地を買いに行こう

「ねぇ、春山くん。どの生地がいいかな?」

「どれでもいいと思いますよ」


 今日で期末テストが終わり、学校からそのまま電車に乗り、終点の繁華街までやってきた。

 そこで今日は、文化祭のお点前の時に着る浴衣の生地を、いつもの三人で買いに来ていた。


 駅近くの大型手芸店。

 僕は初めて来たのだが、ビル一棟まるまる全部手芸や文具などを扱っている手芸用品総合店のようだ。

 工芸、手芸、画材、文房具など様々な商品が各フロアーに陳列されている。

 今僕たちがいるこのフロアーは、布、生地、毛糸で埋め尽くされている。

 見渡せば、さまざまな色の布が店内に置かれ、室内なのに当たり一面虹色の世界となっている。


 ここで秋芳部長と深谷先輩とで、浴衣にする生地を探していた。


 もう、完成品買っちゃえばいいのに。

 そう思うのだが、部長は「生地を選んでから作るのも楽しいよ」とかで、結局僕も連れてこられた。

 南先輩は去年使ったのを使うっていうし、遠野先輩は買ったほうが早いって作らないし。


 そもそも、なんで浴衣着るの?

 ていうか、僕は着なくてもいいじゃん。

 女の子は着れば可愛いし、お客さんからの需要はあるだろうけど、僕が着たって誰も喜ばないよ。


 そしてさっきから、やる気満々の部長が、どの生地がいいか僕にひっきりなしに尋ねてくる。


 今も僕が頭の中で愚痴を唱えていると、


「これどうかな?」


 と、部長はどこから持ってきたのか、白地に何かの花が描かれた生地を持ってきて、僕に見せてくる。


「まあ。いいんじゃないですか」


 なに着ても似合うし、変わんないよ。と投げやりに返事してしまう。


 そしたら今度は白地に赤い花が描かれてる生地を持ってくる。


「じゃあこっちは?」

「いいんじゃないですか、それも」


 部長は懲りずに、今度は黄色い布を見せる。


「……じゃあ、これは?」

「いいと思いますよ」


「これ、カーペットだよ」

「……」


「もー 春山くん! 真面目に考えてよ!」


 ほほを膨らました部長は、筒状に丸めたカーペットで僕を叩いてくる。


「分かりましたって、ちょっとやめてください。痛っ!」


 そんな僕たちの騒ぎを聞きつけ、深谷先輩がやって来た。


「あなたたち、なにやってんのよ!」

「春山くんが、ちゃんと選んでくれないから」

「そう言われましても、分からないですって、僕にも」


「春山くんの直感で、これがいいなーって思ったのでいいんだよ」


 ……それが難しいんですよ


「部長は……なにを着ても似合いますよ」


「ふ~ん、そう。なら春山くんも、なんでもいいんだね」

「え?」


「なら、春山くんの浴衣はこれで決まり」


 ピンクの下地に、濃い桃色の梅だか桜の花が描かれているのを、部長は持ってきて広げる。


「いや、それは……ちょっと」

「それか、これ」


 眉間にシワを寄せた部長が、鮮血を染み込ませたような真っ赤な布を、どこからか持ってきた。


 どこにあったの? そんな赤い生地?

 っていうかこの色って、何に使うの?


「お会計してこよう」

「待ってください! ちゃんと選びますから」


「じゃあ、私のもちゃんと選んでね」


 そう言ってにっこり微笑むと、手にした桃色と赤色の生地を返しに行った。


 とはいってもなー

 女の子の着る服を選んだこともない僕が、浴衣の生地を選べと?

 難易度が高すぎるよ。


 そうだ、深谷先輩はどうしたのだろ?

 参考にしよう。


「深谷先輩は決まったんですか?」

「私はもうこれにしたわよ」


 いつの間にか深谷先輩は、必要な分の長さを購入した生地が手提げの紙袋の中に収まっていた。


 へー もう選んだんだ。早っ。


 それを僕はちょっと見せてもらう。


 生地は深い紺色の地に、花の柄が描かれていた。


「これですか? なんか、地味じゃないですか?」

「地味!?」


 あっ、しまった……


「いや、もうちょっと明るい色が……」

「私は目立たないほうがいいのよ」

「そう……ですか……」


 もう、どうやって選べばいいんだろう。

 余計、分からなくなってしまったよ……


「あの……部長の、どれにすればいいですかね?」

「香奈衣のは香奈衣が自分で選ぶでしょ」


「いや……それがですねぇ」

「それよりも自分のは決まったの?」


「あ……いえ、まだ……」

「早くしなさい!」


 あぁ……行ってしまった……

 もう! 分かんないよ!


 そしてその後、部長と僕の終わりの見えない生地選びのやり取りが、数十分間も続く……


「春山くん? 色は? これなんかどうかな?」

「水色とか涼しげで、いいんじゃないですか? でも、部長なら……もっと明るくても……桃色とかいいような」


「柄はどれがいいと思う?」

「柄? この朝顔とか可愛らしくていいんじゃないですか?」


「これは?」

「これって、百合の花ですか?」

「百合はこっちね。これは菖蒲」

「ん~ どっちもいいんじゃないですか?」


 全然決まらない。


「これと、これ。どれが似合うかな?」

「うん……」


 部長が両手に持っている金魚の柄と、花火の柄。


 どっちも似合うといえば似合うし……

 お点前するのには、ちょっとだし……


「ねぇ。もしかして、私って……なに着ても、似合わないのかな?」

「ち、違いますって!」


 悲しそうな目をする部長に、急いで否定する。


「逆にどれも似合いそうな、その……どれが部長に合ってるとか、分からなくて、変なの選んだらどうしようかと……」


「……そしたら」


 と、部長が僕に近づき上目遣いで尋ねる……


「じゃあね、質問を変えるね」

「は、はい……」


「春山くんは、どれが好き?」

「えっ?」


「どの色と柄が好きかな?」

「僕の……好きなのですか?」


「そう。私が似合うかどうかじゃなくて、春山くんの気に入ったのを選んで」

「それは……」


 僕の好みで選んでどうするんだよ。

 勝手に決めちゃっていいわけ?


 部長は今まで探して持ってきた生地を目の前に並べて、僕に一つ選ぶよう促す。


 この中で、僕が気に入ったものを、選べって?


 僕は、部長が持ってきた生地の中で……


 なんとなく色と柄が良くて、見た感じが好きな、完全に僕の趣味で選んだ……


 青いグラデーションに菊の柄の入った生地。


 その端を握った。


「これ?」

「そう……ですね」


 部長は満足げに、にっこり笑って、

「この青い色、綺麗だよね。菊の花も秋の花だしね。夏にも咲くから、夏祭りにも着ていけるね」

「そう……ですか? ねえ……」


「そしたら、これにするね」

「でも、これで本当にいいんですか?」


「なんで? だって春山くん、この生地、気に入ったんでしょ?」

「そうですけど……僕の好みであって、部長に似合うかどうか……」


「私が春山くんの好みに合わせるから、大丈夫だよ」

「え?」


「春山くんが選んでくれたこの生地に、似合うような女の子になれば問題ないでしょ?」


 そう言って部長は目を糸のように細めた。

 そんなに太陽みたいな明るい笑顔を僕に向けないでもらいたい。

 まぶしすぎて、直視できない。


 僕の目には刺激が強すぎるよ。


 そんな部長は残った生地を戻しに行く。

 僕は僕で恥ずかしくなって、部長と離れ一人で生地を探す。


 いいのかなぁ。本当に……

 あれでよかったのかな?


 と、自問自答を繰り返すうちに、また部長に見つかってしまう。


「春山くんのは決まった?」

「いやまだ全然です」


「いくつか選んできたよ。どれがいいかな?」


 そう言って部長は二種類の生地を持ってきて、僕の体の前で重ねたり、合わせたりして見比べている。


 紺の縦じまと、グレーの縦じま。


「どれがいい?」

「……どちらでも」


「これがいいと思うけど?」


 と言って紺の生地に方を選ぶ。


「いいんじゃないですか」

「私のと色も似てるしね」


「え? ちょっと? そういうつもりじゃ……」

「決まりだね!」


「部長!」

「あとは生地に合う帯と、小物を揃えて終わりだね」

「はぁ……」


 そんなこんなで、約一時間ほどかかった買い物を終えて帰ることに。


 店をあとにする部長は、買い物袋を胸に抱きしめながら、大変ご満悦なご様子である。


 そんなに嬉しいもんだろうか?

 生地を選んで買っただけで……


「これで浴衣、作れるね」

「もう、買った方が手っ取り早くないですか?」


「そうだけど、一から作った方が愛着がわくし……」


 愛着が……わくし……?


「唯一無二の代物になるからね」

「ゆいいつ、むに?」


「オリジナルのオーダーメイドで、オンリーワン」

「オンリーワン……」


 僕みたいなモブ人間には、大量生産の既製品で十分なのに……


 でも部長は、やっぱりオンリーワンだよ。

 それだけ特別な人間。

 他にこんな美人で素敵な人なんて、いないし……


 だからこそ、僕なんかが部長の浴衣の生地を選ぶなんてことは、してはいけないのに。


「春山くん?」

「はい」


「これから世界で一つしかない浴衣を一緒に作って、着て、一生に一度のイベントに臨むんだよ」

「はぁ」


「楽しみだね!」

「そうですねぇ……」


 部長はそう言って微笑みながら、


 僕が選んだ生地の入った袋を、


 それはそれは大事そうに、


 胸に抱えながら、


 帰るのだった……

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