第50話 誕生日
6月28日。
今日は僕の誕生日だ。
しかし、誰一人、そのことを知るはずはない。
なぜなら、誰にも何も言ってないから。
クラスの人にも、もちろん言ってない。
それはそうだ。
そんな仲のいい友達もいないし。
今までだって、そうやって生きてきた。
だから自分の誕生日会とか、やったことないし。
それでもよかったし、寂しくもなかった。
今回だって、それでよかったし、そうなるつもりだった。
だったのだが……
いつもなら、部活のたびに秋芳部長らが、騒いだり暴れたりしていた。
しかし、今日に限って予想とは裏腹に、実に静かに穏やかに、ゆっくりと時間は過ぎていった。
これが本来の部活のあるべき姿なのかもしれない。
これは自分が望んでいた生活ではないか。
特に何が起きるわけでもなく、平穏に毎日が過ぎていくことを、僕は高校入学時には望んでいた。
そして、今日は僕の望み通り、緩やかに今日という一日が終わりを告げようとしていた。
稽古も終え、いつも通り片付けをし、掃除をし、帰りの支度をして、みんなで校舎を出る。
帰りも、いつもの3人並んで、とりとめのない話をしながら歩く。
「もうそろそろ試験だね」とか「試験が終われば夏休みだよ」とか、そんな話を部長と深谷先輩が話している。
道中、何度か部長に声をかけられるも、上の空で「はい、はい」とから返事するばかり。
なんだろう、この感覚は……
心が伴っていない。どこかに置いて来てしまったかのような、虚無感。
そうか……
本当は、
僕はみんなに、
祝ってもらいたかったのか……
部長に、いつものように、
「今日は和菓子の変わりにケーキだよ」
とか、
「お茶じゃなくてジュースだよ」
とか、
「私と同じ16歳だね」
とか……
また、いつものように、ふざけたり、いじられたり……
胸が苦しかった。
別に走っているわけでもなく、普通に歩いているだけなのに。
なんで僕は、こんなにも弱くなったんだろう。
昔は一人でも、全然大丈夫だったのに。
いつもの別れの十字路は、無情にも近づいてくる。
部長たちは楽しそうに話している。
このままでは終わってしまう。
多くの人にとって、なんの意味も持たない365日のうちの一日が過ぎていってしまう。
どうしよう、今からでも部長に伝えようか?
「実は、今日は僕の誕生日なんです」と……
でも、そんな一言を言葉にして出す勇気はなく、別れの時がやってきた。
僕たちは十字路で立ち止まる。
「じゃあ、また明日ね。春山くん」
「……えっと……はい……」
笑顔でその言葉を残していくと、
部長は、そんな僕と、僕の気持ちを置き去りにして、去って行ってしまった。
行ってしまった……
僕はなぜか、裏切られて一人ぼっちにさせられた気持ちになった。
部長は何も悪くはないのに……
僕はそのまま家に帰る。
そこには魂が抜けたように、毎日の惰性で体が勝手に家に向かっているだけの僕がいた。
家について部屋に入ると、着替えることもなく、そのままベッドに体を沈ませる。
そうか、本当は自分は誰かに祝ってもらいたかったのだと、改めて実感した。
喉の奥の、肺とも心臓とも言えない場所が痛むような苦しさ。
きっと、寂しさを感じていのだろう。
僕は、その寂しさを埋めるかのように、茶道の道具を取り出そうと、カバンを引き寄せて開けた。
……あれ?
と、その時気づいた。
カバンの中に見慣れない紙袋が入っているのを……
これ何だっけ?
心当たりのない紙袋を取り出す。
すると中から、手のひらよりもちょっと大きいくらいの、ブルーのクマのぬいぐるみが
え!? なに? えっ?
そして、ぬいぐるみから漂ってくる爽やかな香り。
この匂い、今日の部室のと同じ香り!?
その匂いはどうやら、ぬいぐるみのクマの首にかかった、小さな赤いお守り袋のようなものから発せられているようだ。
これは?
それを丁寧に外して近くで見ようとすると、かすかな匂いが鼻を撫でていく。
匂い袋?
それは、さわやかなラムネのような香り。
え? え? え?
僕の頭には、??? が大量に埋め尽くされる。
こんなことするのは、あの人くらいしかいない。
その時、メールの着信音が鳴ったので慌てて確認した。
部長からだった。
「お誕生日おめでとう!!」
なんで? なんで、知ってたんだ?
僕の心は嬉しさよりも、驚きと戸惑いが支配していた。
こんな手の込んだことして。
愚痴とは裏腹に、大きな息を吐いた後の口元が緩んでいる自分がいるのが分かった。
そして、電話の着信音。
「はい、もしもし」
「春山くん、お誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」
僕は平静を保つよう、いつもの調子の声で話すようにする。
「でも、なんで今日が僕の誕生日だって、知ってたんです?」
「へへへ、秘密、だよ」
なんだよ、気持ち悪い。
部長のことだから、教員室忍び込んで、僕の個人情報くらい盗めそうだ。
いったいどこで……
……もしかして!
この前、生徒手帳を渡した時に、見られたのか!?
「もうー 知ってたら、先に言ってくださいよ」
「びっくりした? サプライズだよ」
「びっくりしましたよ」
電話の向こうから、部長の笑い声が聞こえる。
嬉しいなんて感情、久しぶりかもしれない。
なんか、ホントに、嬉しい時って顔がにやけて、じっとしてられなくなるんだな。
いつの間にか僕の心は、嬉しさでいっぱいになり、あふれそうになっていた。
「春山くん、誕生日、教えてくれないから」
「別に誰かに教えるほどの情報じゃないですから」
「そお? 春山くんがこの世界に誕生した記念すべき日だよ」
「そんな、大げさな……」
「知ってた? 16歳の誕生日って、一生に一度しかないんだよ?」
「毎回、そうですって」
「なら、お祝いしないと」
「……」
なんて言えばいいんだろう。
嬉しいのと恥ずかしいのが、両方混ざり合ってきている。
「あの……部長……ありがとうございます」
「どうかな? クマさん」
このクマ、さっきから握りながら電話しているのだが、なんか、すごく触り心地がいいのだが……
「なんだか、握った感触が……すごくいい、というか」
「すごいでしょ。特殊なビーズが入ってるみたいで、手の運動とかで握ったりすると、すごくいいんだよ」
確かに。お腹のところニギニギすると、気持ちいい。
「そのクマちゃん、私だと思って握ってね」
「……なんですか、それ」
「あとね、その匂い袋」
「ああ、これ、今日の部室のと同じのですよね」
「そうだよ。春山くんをイメージして用意したんだ」
「僕はこんなに爽やかな男じゃないですよ」
あれ? お香を部室に用意した……
もしかして、今日のお茶会って……
「部長、もしかして今日のお茶会って、僕のための……?」
部長は、フフフと笑った後に、
「さー どうでしょう?」
「じゃあ、あの掛け軸も、花も? 全部意味があるんですか?」
「そうだけど……」
「そうだけど?」
「ひ・み・つ」
いったい何の意味があるというんだ!
気になる。
気になるじゃないですか。
「あとね、春山くん」
「はい?」
「ハンカチ」
「ハンカチ?」
そう言われて紙袋の中を探す。
あった。
白いハンカチ。
すっかりいい匂いがついて、汚れた手を拭きたくない。
「男の子でも、ちゃんと持ってないとね」
「そうですね」
以前、ハンカチもっていなくて、ひどい目にあったから。
部長は……
実は全部知ってたんだ。
それでいて、こんなプレゼントまで用意してくれて。
しかも、お茶会まで開いてくれて。
今日の稽古も全部、僕のためのお茶会だったのだ。
準備するのだって、結構かかっただろう。
掛け軸から花、お菓子と。
これが……
これが、おもてなしの精神、というものなのだろうか。
僕はすっかり部長に、おもてなしされてしまった。
「今日はいろいろと、ありがとうございます」
直接会ってお礼を言いたかったが、きっと今だとうまく言葉が喉から出てこないと思う。
「クマと匂い袋大切にします。ハンカチもちゃんと持ちます」
「クマちゃん。可愛がってあげてね」
僕は知らない間に、いろんなものを部長から頂いてしまっていた。
あの茶会から、プレゼントから、なにからなにまで。
僕は見逃すところだった。最高の誕生日を。
「部長!」
「なあに?」
「部長の……誕生日は、いつですか?」
「私の聞いて、どうするのかな?」
意地悪そうに返してくる。
ニヤニヤしている部長の顔が思い浮かぶ。
「別に、ちょっと気になっただけですよ」
「私は10月の23日だよ」
「10月23日ですね」
これで僕は16歳。少しだけ部長に近づいたのだろうか?
部長とは10月までは同じ16歳。
ちょっとは、部長と一緒に並べるくらいの人間に近づけたのだろうか?
それを過ぎれば、部長はまた1歳先を行く。
いつか僕は部長に追いつく日は来るのだろうか?
「あの……今日は本当に、ありがとうございました。その……嬉しかったです」
電話での会話でよかった。本人を目の前にしてだと、きっと嬉しくて、恥ずかしくて何も言えないところだった。
「どういたしまして。また、明日、学校でね」
「はい」
僕の一生で一度の16歳の誕生日、
二度と戻ってこない16歳の誕生日、
それは僕にとって、
今までで最高の誕生日となった。
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