第48話 プール開き
放課後、僕は一直線で部室に向かう。
いつ行っても、すでに秋芳部長が先に部室にいる。
今日こそは僕が先に、と思うも、たいてい部長がすでに畳の上に座っているのだ。
もしかして、部室で暮らしてるんじゃないか?
そして今日も僕は、部室の鍵のかかっていない戸を開く。
やっぱり、もう部長は来ているようだ。
「失礼します」
中に入ると、いつもとは違った匂いが……
水の匂い……というのだろうか?
でも今日は雨は降っていない。それに雨の日のような生臭い匂いではない。
なんとなく塩素の匂いが、微かにだが漂ってくる。
プール? の匂い?
中を覗くと、部長が座って濡れた髪をタオルで拭いていた。
髪は黒く艶やかでまっすぐに垂れている。怪しい光を放ちながら、まるで自ら光を放っているかのように。
茶室の裏では、深谷先輩が淡々と仕度をしている。
「おはよう、春山くん」
「おはようございます。どうしたんですか?」
「さっきまで水泳の授業だったからね」
それで、プールの匂いがしたのか。
ついこの前、うちの学校でも体育の授業が水泳へと切り替わった。
この高校には立派な屋内プールが備わっており、年中泳ぐことが可能である。
ので、水泳部は毎日練習しているし、プールのない高校から授業でやって来たり、他校の水泳部が練習で借りに来たりする。
僕のクラスも、今度の体育の授業から水泳だ。
泳ぐこと自体は好きなのだが、水着になるのがちょっと……恥ずかしいというか……抵抗がある。
「ねえ、春山くん。髪の毛、拭いてくれる?」
「なんでですか?」
「腕、疲れちゃって。久しぶりに水泳の授業で、張り切って泳いじゃったし」
そう言ってタオルを渡すと、座りながら僕のほうに背中がむくように体をずらしてきた。
「自分でお願いしますよ」
「えー 腕、もう上がらないよ」
そんな泣き言を言われても。
人の髪を触るなんて。
それにタオルで乾かすなんて。
しかも女の子の……
目の前には、部長の黒くテカテカして、宝石みたいに光を反射している髪が、いやでも目に入ってくる。
すごく魅惑的ではあるが、おいそれと女の子の髪を触るもんではない。
しかし、どんな感触をしているのだろう、という好奇心もないと言えば嘘になる。
女性の水に濡れた髪の毛というものは……
普段は風が吹けば、たなびくほど細く柔らかく甘い香りのする髪が、今日はまた違って真っすぐ重く下に垂れ下がりっている。
僕はついつい部長の背中に寄ってしまう。
後ろから見える部長の耳元、そして首筋、水泳のせいで冷えてしまったのか、透き通るように白い。
「どうしたの?」
「な、なんでもないです」
しかしどうやって拭くんだ?
女性の髪を乾かすなんって、今まで生きてきて、やったことない。
「あの、どうすればいいんですか?」
「春山くんが、いつもやってるようにしてくれれば、いいよ」
そう言われても…… お風呂上がりの時とかの?
僕はその時を再現して部長の頭にタオルを置くと、両手でぐしゃぐしゃ、した。
「わー 春山くん!」
「なんですか?」
慌てて手を止める。
「もー 乱暴だよ」
「す、すみません」
後ろを振り返りながら、すねたような顔をする。
「もっと優しくね。髪の毛も女の子の身体の一部なんだよ」
「はぁ……」
もー なんでこんなことしなきゃいけないんだよ。
しょうがなく、優しく撫でるようにタオルを髪にあてていく。
なんか変な感じだ。
それにしても、部長の首もと……
きっと水泳のせいだろう。いつも以上に真っ白な肌をしている。
他の身体も、こんな綺麗な肌をしているのだろうか?
普段は服に隠れて見えない部位が、水着によってあらわになる……
そこもきっと奇麗な体をしているのだろう。
美人は服の下も、美人なんだろう。
そんな部長の水着姿を、髪を拭きながらついつい想像してしまう。
部長の水着姿か……
「ねぇ、春山くん?」
「……」
「春山くん!?」
「な、なんですか?」
変な妄想してたら、呼ばれてたのに気づかなかった。
「もしかして、変なこと考えてた?」
「……考えてないです」
「そんなに私が水着きてるとこ……見たいの?」
「は?」
なにを言い出すんだよ。
心が見透かされたのかと思って、ドキッとした。
思わず手が止まり、タオルが下に落ちる。
部長は髪を振り乱し、身体を僕の方へと向けると、いきなり立ち膝になり、両手をスカートの裾へと伸ばす。
そんな部長は悪魔のような笑みを浮かべ、
「授業から水着、着たままだから、見てみる?」
と、スカートの裾をゆっくりと持ち上げ始めた。
「ちょ、何してるんですか、やめてください!」
見たいような、見たくないような……
僕の抵抗も、本気にはなれないところがあった。
わずかに赤みを帯びた太ももは、その綺麗な脚の半分以上をさらけ出していた。
正直やましいことが、まったくないわけではないが、さすがにこんな場所で、こんなことをされては……
そしてスカートが、いよいよギリギリのラインまで差し掛かった時、
「ちょっと二人とも何してんのよ! 早く準備しなさいよ!」
ものすごい声量で深谷先輩に怒られた。
「は~い」と言いう間の抜けた部長の返事と共に、スカートを持った手が放れた。
そして部長はそのままストンと腰を下ろした。
なんでまた、僕も叱られなきゃいけないんだろう。
「そもそも、水泳前なら分かるけど、終わってまで水着なんて着てるわけないでしょ!」
深谷先輩のイライラはおさまらない。
冷静に考えれば、それもそうだ。
「あなたも、しっかりしなさい!」
「……すいません」
また怒られたよ。
深谷先輩はプンプンしながら、また奥へと消えていった。
「でもね、春山くん?」
「はい?」
自分で髪を拭きながら部長は話しかけてくる。
「男の子って、そういうの好きなんでしょ?」
「……なにがです?」
「ほら、よく雑誌とかの表紙に載ってるよね」
「ざっし……」
「お兄ちゃんがまだ家にいた時、よくその辺に転がってよ。そうゆう女の子の水着の写真」
「……」
「春山くんも読むんだよね?」
「さー 人によるんじゃないですか?」
「春山くんは見ないの?」
「……お金ないから、買わないです」
嘘です。たまに買って見てます。
でもそれは、読みたい漫画があるわけで、決してグラビア目的ではない。
「春山くんは私の……見たいと思わないの?」
これには……なんて返事をすれば正解なんだ?
個人的には……
「私は、春山くんの水着姿みたいな」
「はあ?」
「どんな体してるのかなーって。ガリガリかな? マッチョかな? ブヨンブヨンかな?」
「そう言われてこの前、衣替えの時、襲われたんですけど……」
「もしかして、毛もじゃもじゃ、かも?」
少なくとも、もじゃもじゃではない。
「今度、水泳の授業がある時、着てきて。見たいから」
「嫌ですよ」
「あ、でも、男の子なら今脱いでも変わらないよね」
「え?」
「今、上だけ脱いで見せてよ」
と、にじり寄り、僕のシャツのボタンに手をかける。
「ちょっとやめてくださいよ。いやですよ」
この人には恥じという概念は存在しないのか?
「いい加減にしなさいよ!!」
ほら、また深谷先輩に怒られたじゃん……
気を取り直して、僕たちは本来の部活の内容である茶道の稽古を開始する。
僕は慎ましくお茶を立てる。
向こうではお客役で、部長と深谷先輩が座っている。
「久しぶりの水泳、気持ち良かったね」
「それは良かったわね。私は嫌だけど」
「春山くんと一緒に泳ぎたいなー」
「無理でしょ。学年もクラスも違うんだから」
僕が稽古をしている時に、私語は止めていただきたい。
「じゃあ、夏休みになったら、みんなでプールか海行こう!」
「なんでよ」
みんなで泳ぎに行く? のか?
「せっかくだから、今度水着買いに行こうよ」
「だからなんでよ」
水着……
部長の水着……
「そうだ、春山くんも一緒に買いに行こう」
「だから、なんで、そうなるよ」
水着買いに? 一緒に行くの?
女の子の水着を、僕が一緒に買いにいくの?
「ねー 春山くーん」
お点前している最中に声をかけないでほしい。
「みーちゃんの水着姿、見たいよね」
「か、香奈衣!」
……僕はなんて答えればいいんだ?
見たいです?
見たくないです?
興味ないです?
どちらでも?
「じゃあ、春山くん? 私の見たくないの?」
「……」
「一緒に選んでもらいたいんだけど?」
「……」
「どうしよう……何も答えてくれない」
「香奈衣、あの子は女の子に興味ないんだって。男に興味があるのよ」
「うそ……春山くんにそんな趣味があったなんて……」
くっそー 人が黙ってれば、言いたい放題言ってくれる。
「ねえ、期末テストが終わったら、みんなで買いにいこう?」
「もう水着なんて、学校のでいいでしょ」
「ダメだよ。その時の流行りもあるし。サイズだって変わるし」
「別に水着なんて、泳げればなんでもいいのよ」
「今しか着れないのだってあるんだよ。買いにいこうよー」
騒がしいなー もー
あっ、お茶、こぼしちゃった……
「……………も行くよね、春山くん?」
「へ? なんですか?」
お点前してるのに、話しかけないでよ。
なにを聞いてきたのか分からないよ。
「部活の合宿、行くよね?」
「え? あ、はい。合宿ですか?」
「ほら、みーちゃん。みんな行くから、水着用意しないと」
「……しょうがないわね。ちゃんとテストでいい成績だしたらよ」
「やったー」
え? えっ?
何の話?
「じゃあ、7月期末テストが終わったら、春山くん、買いに行こうね」
「えーっと……」
「春山くんに水着選んでもらおう」
「は?」
「それ着て、みんなで海で泳ごうね」
「え? 海?」
「香奈衣、あくまでも茶道部の合宿だからね」
「分かってるって」
そんな話だったの?
えらいことになったぞ。
合宿行くの? 海で泳ぐの?
で、水着買いに行くの?
部長のを選ぶの?
僕がぁ?
何でいつの間に、そんな話になっていたのだ?
「春山くん、楽しみだね」
「え、えぇ、そうですねぇ」
部長に、そんなに本当に楽しそうな顔されたら……
僕はお茶を濁すしかなかった。
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