第47話 紫陽花

 今日も雨は降りやまない。

 部活の終わりを告げるチャイムの鐘が鳴る。

 そして今日の茶道部の稽古は終わりをむかえる。


 また、雨の中を帰るのか。

 こうも毎日雨が続くと、さすがに気分も沈みがちになる。

 雨の中の登下校も、さすがに嫌気がさしてくる。


 こんな時期でも秋芳部長は変わらずに元気なままだ。

 最近部長は、傘ではなく青いレインコートを用意して着てきている。

 これだと傘をささなくてもよくて、なおかつ濡れないから、お気に入りらしい。


 もう早速、部室で着ようとしている。


「ちょっと、香奈衣、ここで着ないでよ。畳が濡れるでしょ」


 深谷先輩もいつもと変わらずに……毎日不機嫌そうだ。


 それにしても、部長のその格好……

 上からすっぽり被るタイプのレインコートだが、正直かっこ悪い。


 もっとお洒落なのとか、可愛いのがあるはずなのに。

 リアルてるてる坊主みたいになっちゃってる。

 しかも、トレードマークの長くて綺麗な黒髪も、レインコートのフードの中に収まってしまい、まったく見えない。

 こんなのが、雨の降る夜に道で出会ったら、妖怪が出たと思ってビックリする。


 まあ、梅雨が明けるまでの辛抱だ。


 帰る身支度を終えると僕たちは校舎の外へと向かう。

 雨で視界にモザイクがかかる中、校門を出る。


 そんな時、部長が、

「ねぇ、ちょっと寄り道してもいいかな?」

「どこ行くんですか?」


 こんな雨が降っているのに、早く家に帰りたいのだが。

 いったいどこに? しかも今日?


「いいところ見つけたの」

 と部長が言い終わるよりも早く、僕の腕は捕まれ引っ張られる。


「今日は両手使えるから、なんでも出来るよ」


 部長はカバンを背中に背負って、その上からレインコートを被っている。

 しかも、良く見ると長靴まで履いてる。


 今の部長は無敵だ。


 こっちは傘とカバンで両手塞がっているというのに。

 僕は抵抗できずに、ズルズルと引っ張られてゆく。


「分かりましたから、そんなに引っ張らないでくださいよ」


 いつもの帰り道とは違い、遠回りするようなかたちに道を突き進む。


 部長は雨をものともせず、どんどん先を進んでゆく。

「部長は、どこ行く気なんでしょうか?」

「さあ、分からないわ」

 

 後ろをゆっくりとついてくる深谷先輩に尋ねるも、先輩も知らないようだ。


 しばらくすると、雨と傘とで限られた視界の先に下り坂が見えてきた。

 丘を切り通したようなそれは、両脇の歩道の側面が山のように斜面になっている。


 その斜面いっぱい、青と緑で覆われていた。

 良く見ると、そこには大きな青い花が、いくつもの連なるようにして、咲き誇っていた。


「ねぇ、ここ見て! すごいでしょ」

「これは……」


 山の斜面が、全て青い紫陽花(あじさい)で埋め尽くされていた。

 こんなに一面、青い花で埋め尽くされると、ここが街中だと忘れさせてくれる。


 これを部長は見せたかったのだろうか。


「確かにすごいわね」

「でしょう」


 この時期にならないと花は咲かない。

 いくら近所でも、雨が降る季節にわざわざ遠回りして帰ろうとは思わない。

 だから今まで誰も知られることなく、この人通りのない離れた場所に、ひっそりと毎年この季節になると、こんなに綺麗な景色を生み出していたのだろう。


 そんな紫陽花を背景にスキップする部長は、僕に聞いてくる。

「紫陽花の花言葉知ってる?」

「さあ?」


 花に疎い僕が知っているわけない。

 隣では深谷先輩がスマホを持って、検索していた。


「移り気、浮気、冷酷……」

「……意外と暗いイメージなんですね……」


「えっ? ちょっと待って」

 と、部長が慌てて、

「ちょっと待って、違うよ、違う!」


「……花の色によって、花言葉も違う。青や紫は辛抱強さ……」

「そうそう。後ね、家族団欒とか仲良しっていう意味があるんだよ」


「へー そうなんですね」


 さらに深谷先輩がつけ加える。


「紫陽花は色が変化していくから、その様子が移り気や浮気やらの印象をあたえて、小さい花が集まってる様子が家族団欒にみえるようね」


 なるほど……


「こーんなにいっぱい囲まれて、綺麗だよね」


 そう言って手を広げる部長は、この紫陽花に負けないくらい大きな笑顔を見せる。


「良く見つけましたね。学校の近くで」

「梅雨の時期に負けずに、綺麗な花を咲かせてくれるって素敵だよね」

「そうですね」


 人生雨模様な僕でも、頑張れば花を咲かすことが出来るってことなのか?


「雨降ると、みんな暗くなりがちだけど、私たちを元気にさせてくれるよね」


 確かに、こんな景色を見せられたら、今雨が降っていることすら忘れてしまう。


「まあ、確かにこれだけの数に囲まれると、すごいわね」

 さすがに深谷先輩も感心している。


「まるで私たちみたいだよね」

「私たち? みたい?」


「そう。みんな仲良く一緒になって咲くから」


 そんなこと言いながら、僕の懐に勝手に侵入してくる部長。


「ちょっと、近いですって。傘で刺しますよ」

「ねぇ、春山くん? 紫陽花って、どうして青と赤が咲くか知ってる?」

「え? 色ですか?」


 昔、理科の授業で習ったような……

 土壌のpHだったかな?


「土によって、でしたっけ?」

「うん。土がアルカリ性か酸性かで変わるんだって」


「同じ環境にいると、みんな同じようになるんだよ。私たちみたいだね」

「そう、なんですかね……」


 美人の部長や先輩たちと一緒にいても、別に僕は変わらず冴えない男だし。


「春山くんも変わるよ。赤い色に」

「赤く?」

「そう。こうやって私がくっつくと……」


 両手が自由な部長は、僕に抱きついてくる。


「ちょっと、やめて下さいって!」

「ほら、赤くなった。赤い紫陽花みたいに」


「こんなところに来てまで、やめて下さいって!」


 ところかまわず、恥ずかしいことしてきて……


「じゃあ、みーちゃんが近づくと青くなる?」

「え?」


 部長は僕の背中を押して、雨に打たれる紫陽花を眺めている深谷先輩へと近づける。


「部長、押さないでって!」


 このままだと、深谷先輩にぶつかる!

 先輩! 避けてください!


「ちょっと! なによ! 気持ち悪いわね!」


 深谷先輩は避けることなく……


 視界の左から何か飛んできたと思ったら……


 左ほほに、重いもので叩かれた痛みが!


 ……近寄ったら、おもいっきしカバンでぶん殴られてた。


「大丈夫? 春山くん?」

「まー 大丈夫ですけど」


 いや、普通に痛い。


「あっ、赤くなってる」


 それはきっと、別の意味で赤くなってるんでしょう。


「たぶん、みーちゃんも赤くなってるよ」

 と、怒りながら先を歩く深谷先輩に視線を向けながら、僕に笑って話す。


 先輩のは、また違う意味で顔が赤いんでしょう。


 しかし、すごい力で叩かれた……

 ちょっと、痛みがまだ残る。


「いたー」

「ごめんね。春山くん……」


 部長は、悪ふざけが過ぎたと感じたのか、申し訳なさそうに僕の打たれたほほに手を当ててくれる。


 雨で濡れた部長の手はひんやりして、それでいて温かかった。


「どうしよう。まだ赤くなってる」


 それはきっと、打撲のための赤みではないと思う……



 雨の日が続く陰湿な日々に、見る人みんなを幸せな気持ちにさせる紫陽花。


 寒くても雨でも夜でも、どんなに辛い日々でも、その鮮やかな色合いを表現してくれる。


 部長も、こんな暗い毎日でも、明るい笑顔を僕たちに届けてくれる。


 今だって。


 これからも、きっと……

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