第45話 日日是好日

 今日は朝から、ついていない。


 雨降ってるし。

 宿題忘れる。教科書忘れる。

 授業で先生に質問されるが答えられない。

 昼休み、うっかり席外すとまた占領されてる。

 お弁当は持ち出したが、雨降ってるので外で食べれない。しょうがないので人気のない廊下で立ち食い。

 午後の授業、消しゴム落とす。どこ行ったか分からない。そのまま行方不明。

 授業のプリント、風にのって飛んでく。どこ行ったか行方不明。


 ついてない日って、なんで何をやっても、ついてないのだろう?

 もう、そういう日は大人しくしているのに限る。


 でもそんな日に限って部活があるのだ。


 嫌だなー 今日の部活は……


 部室に行くと、秋芳部長は今日も絶好調のようだ。

 辛いことや、不満など、一切ないような明るい笑顔を振り撒いてる。


 それに対し深谷先輩が、いつもにも増して不機嫌そうだ。何か重いものでも背負っているのかと思うほど、暗い顔をしている。

 こういう時は、あまり話しかけないほうが良いだろう。


 和室には雨の激しい音が響く。

 薄暗く、ジトジトして、肌寒い室内は、僕を憂鬱な気分にさせてくれる。

 こんな環境では、やる気が出ることはなく、稽古に身が入らない。


 そんななか、深谷先輩がポツリとつぶやく。


「こう、天気が悪いとね……」


 その重たい声が、さらにこの場の空気を重くさせる。


「湿っぽくなるし……」

「まぁ、この時期ですと、そうなりますよね」


「ムシムシするし……」

「しょうがないですよ」


「気圧のせいで膝や関節も痛くなるし……」

「ああ、よくおばあちゃんが言ってましたね」


「おばあちゃん!?」

「あっ、いや、深谷先輩がってことでなくて、ですね! 言ってたんですよ。僕のおばあちゃんが!」


 不機嫌な深谷先輩に、不用意に余計なことを言ってしまったようだ。


 話題を変えようと、僕は部長に尋ねた。


「部長は、なんともないんですか?」

「え? なにが?」


「こんな天気で。雨降ってますよ」

「雨降ってても、いい日だよ」

「?」


「みんな、いい天気が、晴れの日って思ってるよね」

「はい?」


「雨の日も、いい天気なんだよ」

「なにを? 言ってるんです?」


 部長の頭にカビでも生えたのだろうか?


「恵みの雨っていうし、日照りの時は感謝されるし、乾燥地帯だと雨はいい天気になるよ」

「それは……そうかもしれないですけど」


「日日是好日だよ」

「え? にちにち……」


日日是好日にちにちこれこうにちよ」


 やっぱり深谷先輩が説明してくれる。


「茶道で使われる有名な言葉よ。毎日が素晴らしい日ってことね」

「毎日が、素晴らしい、日?」


「まあ、解釈はいろいろあるようだけど」

「あるんですね、いろいろと」


「毎日が良い日になるように努力する。とか、そもそも一日に良い悪いなんてない、とか」

「要するに、毎日がいい日であると思いながら、過ごすと言うことですかね」


 ということは、部長が言っているのは雨でも晴れでも台風でも、それはそれでいい日である、ということなのだろうか。


「部長は毎日、いい日なんですか?」

「んー 結果的にはね?」


 結果的に?


「私だって辛い時や、嫌な日はあるよ」

「あー やっぱりあるんですね」


 ちょっと、なんだか安心した気がした。

 やっぱり、部長も普通の女の子である。


「でも、後から思い返せば、それもいい日っだったなーって思えるの」

「思い返せば?」


「そう。辛かった日も、苦しかった日も、いつか時間が経てば、結局は笑い話になるよね」


 笑い話に、ねぇ……


 もしかして、あれかな?

 僕が高校受験とか、すごく勉強して辛かったけど、今となったら、いい思い出だなー と。


 そういうことかな?


 あんなに苦労して勉強したところ、テストにでなかったよー って。

 その時はすごく辛かったけど、後からは笑い話になる。そう考えると、その辛かった日も振り替えれば、いい日であったと……


 すごいな、部長って。そんな考え方できるんだ。




 部活も終わり、僕たちは校舎を出る。

 外は強い雨が降りしきる。今日は一日中雨。


 僕はこんな天気では気分も沈むが、逆にそれを楽しんでいるかのように部長は、こんな時でも陽気に傘を揺らしながら歩いてる。


 本当に毎日を、雨が降っていようが、苦しくても悲しくても、楽しんでいるように見える。


 そういえば部長の本気で怒ったところとか、悲しんでるところとか見たことないけど。

 見てみたいような、見たくないような……


 僕がそんなことを考えている時だった。


 僕たちの目の前を、車が通り過ぎていった。


 その時だ。


 あっ!


 水たまりの水をはねて、それが部長の足元にかかったのは。


「部長、大丈夫ですか?」

「……大丈夫。ちょっと濡れちゃっただけ」


 膝下から、すっかり水を浴びてしまっている。

 結構な量をあびたようだ。

 きっと靴の中も水が入り込んでしまったであろう。


「あの車、失礼ね」


 代わりに、ただでさえ機嫌の悪い深谷先輩が、すでに走り去った車に対し怒りをぶつける。


「私なら大丈夫だよ」


 そういって仏様のような、静かな笑みを見せる部長。


 こんなんで怒らないのは、やっぱり部長は大人なんだなー


 水の入った靴で、チャポチャポ音を立てながら歩く部長。

 全然、気にしないで歩いてる。


 しかし十字路の信号で待っていたときだ。

 右からこちらに曲がってきたトラック。

 荷台の上に被せてあったシートに、雨で水がたまっていたのであろう。その水が遠心力で、こちらに飛んできた。


 そして前にいた部長の……

 胸から下の前半分に水がかかってしまった。


「部長!」

「……大丈夫だよ」


 とは言うものの、傘をさしている意味がないほど、全身水びたしの姿になってしまっている。


「あのトラック! ナンバー写真撮ったからね!」


 なぜか被害者でない深谷先輩が怒り狂ってる。

 当の部長は、これでも澄ました顔をしている。


「部長、危ないんで、もう、僕の後ろ歩いてください」

「うん」


 そうして僕たちは部長を守るように歩く。


 しかし、二度ある事は三度ある。


 アッ!


 という部長の声がしたので、僕は振り返ると……


 部長が足を滑らせたのか、地面に尻もちをついていた。

 しかも水たまりの上に……

 そのはずみで持っていた傘がとばされ、全身雨でびしょびしょに。


 僕は駆け寄り手を差し伸べ、部長を引き上げる。


「怪我してないですか?」

「……うん」


 深谷先輩が傘を持ってきてくれた。

「香奈衣、大丈夫?」

「……うん」


 スカートのお尻の部分が、お漏らししたみたいになってる

 髪も水分を含んで、滝のように流れ落ちている。


「部長、今日はついてないですね」

「……今日も、いい日だよ」


 こんな状態だと、単なるやせ我慢にしか聞こえない。

 だって、さすがに部長も、うなだれて落ち込んでるじゃないか。


「心配しないで、今日もいい日だよ」

「まだ言ってるんですか? 部長」


「だって……春山くんと手を繋げたから」


 ……さっきの?


「優しくしてくれて、ありがとう」


 そんな消えそうな儚い部長の笑顔を見せられ、僕はつい、いたたまれなくなり、部長に提案してしまった。


「あの…… うちに寄りますか? タオルくらいならありますけど……」

「ほんと? ありがとう!」


 あっ、急に明るくなった。


 言った後に、ちょっと後悔した。

 そんなこと言うんじゃなかった。

 もしかして、こうなるって、分かっててやったのか?


 部長にとってのいい日は、僕にとってのいい日とは限らない。


 部長は今日一番の笑顔を見せて歩く。


「今日もいい日だね」


 きっと今日という日も、いつか笑い話となって、日日是好日の一つとなるのだろう。


(あの時ね、車に水かけられて、トラックにも水かけられて、そのあと転んで水浸しになったんだけどね。春山くんの家に初めて行って、着替えさせてもらったんだよ)


 そんな部長が笑いながら明るく話す姿が、簡単に想像できる。


 日日是好日の実践って、難しいなー

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