第36話 家庭科部 花堂部長
あぁ、なんてことだ……
うっかりしていた……
今日、体育の授業あるのに、体操着がない。
体操着をいつもロッカーにしまっている癖で、
この前、部長に貸した日に「洗濯してから返すね」と言われ、そのまま持っていかれてしまったままだった。
体育の先生、厳しいんだよなー
ジャージ忘れたとなったら、パンツ一丁で授業をやらせることくらい、普通にやりかねない人だ。
ほかのクラスの生徒から借りようにも、そんな友達は僕にはいない。
これは困ったぞ……
部活の先輩にでも頼むか……
僕は自分の席に座ったまま、まるで今日が世界の終わりかのようにうなだれる。
目の前では、こんな僕にお構いなしで、相変わらず三馬鹿トリオがバカ騒ぎしている。
「体育とか、ダリーよなー」
「早く水泳の授業になんねーかな」
「水泳っつーより、水着だよな。水着!」
……三馬鹿は、悩みなんてなさそうで、いつも平和そうだよね。
そんな時、
一人の女の子が、何の遠慮もなく教室に入ってきて僕の目の前まで来ると、
「ごめんね、春山くん。これ、遅くなっちゃって」
と、きれいに上下折りたたまれた体操着が机に置かれた。
「え?」
っと、顔を上げると、そこには部長の姿が。
「ありがとうね」
「あ、いえ、どうも」
体操着は貸した時以上にきれいな色を放ち、甘くて優しい柔軟剤の香りを漂わせていた。
そして部長は借りたもの返すだけ返して、
「じゃあ、またあとでねっ!」
と、手を振りバイバイしながら、足早に教室を出て行ってしまった。
あ〜助かった~
これで体育の授業は何とかなりそうだ。
僕は返ってきた体操着と、無事に授業を受けられるという安心感に気を取られていた。
だからその時の、目の前の三馬鹿からの厳しい視線には全く気付いていなかった。
「おーい 春山。これどういうことだよ」
「え?」
「なんで、あの秋芳先輩が、お前の体操着、持ってきたんだよ!」
「いや、まあ……」
「もしかして貸してたの? なんで? どーゆー状況で?」
「別に……深い意味は……」
全然助かっていなかった。
むしろ大問題が発生してしまった。
理由や経緯が分からない他者から見れば、不自然極まりないよね。
なんで学年の違う、しかも女子に、僕が体操着なんか貸していたのかと。
さらにその相手が、美少女と名高い秋芳部長ときたら。
変に、いかがわしい想像もしてしまうというもの。
部長のせいで、どうやら僕は二年生だけでなく、同級生の間にも敵を作ってしまったようだ。
~放課後の茶室~
その日の放課後、僕はカバンの中に隠していた体操着を部長に発見される。
茶道部の部室である茶室の畳の上に、ズタボロになり変わり果てた体操着を、僕はゆっくり置いた。
「春山くん……どうしたの? これ?」
「いや、いろいろとありまして」
いやー 部長には申し訳ない。
せっかく洗濯していただいたのに。
「なんだか、強姦された娘が帰ってきた気分ね」
哀れむような瞳で、それを見下ろす深谷先輩。その、分かるようで、分からない表現にに、僕は口をつぐむ。
「こんな酷いことするの誰!? 私、文句言ってくる!」
「待ってください、部長! これは、その……いいんです、もう」
「なんで? 春山くん? こんなことされて黙ってるの?」
「いや、違うんです。大丈夫ですから」
「春山くん、優しすぎるよ……」
怒りプンプンの部長を僕は必死になだめる。
違うんです。これは違うんです、部長。
きっと部長が怒るほど考えてることと、実際の内容とは……違うんです。
これは別に僕に対する周りの嫉妬とか、いじめじゃない。
三馬鹿が暴走して勝手にやったことなのだった。
『おい、これ! どーゆ―ことだよ!』
『これ、もしかして秋芳先輩が着たのか?』
『ちょっと貸せ、うっわ、すげーいい匂いするじゃん!』
『俺、ちょっと着てみよっ』
『お前、何してんだよ』
『あぁぁ……秋芳先輩と身体一つになった気がするぅ……』
『ふざけんな! 俺にも着させろ。ってゆーか、食わせろ』
……という、体操着争奪戦が繰り広げられたなんて、部長には言えない。
「ファスナー取れかかってるし、袖のところもほつれちゃってるし、膝のところなんて穴開いちゃってるよ!」
部長はボロボロの体操着を手に取ると、悲しそうにそれを見つめる。
すみません、膝の穴は僕が今日授業で、転んで開けた穴です。
「私、できるだけ直してみる」
「え?」
「ちょっとこれから被服室、行ってくる」
「ち、ちょっと? 部長?」
「春山くん、心配しないで。ちゃんと元通りにしてあげるから」
「いや、いいですって、部長!
ぶちょ――!」
まさかこんな短い期間で、また被服室の家庭科部にお世話になろうとは……
結局、僕は部長に連れられて、被服室にお邪魔することに。
教室の真ん中では部長と、家庭科部部長の
「……というわけで、ミシン借りてもいいかな?」
「ええ、いいわよ」
そういって花堂先輩は、可哀そうな捨て猫を見るような目を、僕に向けてくる。
「春山君、大変な目にあったのね」
「はぁ……」
いや、大変な目にあっているのは、現在進行形です。
「指の火傷、大丈夫かしら?」
「だ、大丈夫です」
僕は慌てて右手を後ろに隠した。
奥の方では、花堂先輩から許可を得た部長が、僕の体操着をもってミシンの前に張り付いている。
部長の操るミシンの、規則正しい機械音がこだまする。
部長……って、ミシン使えるんだ?
でも、現状より悪化する可能性は?
やだよ、袖が三つとか四つに増えたりするの。
自称、図工が得意っていう人の本領を発揮してくださいよ。
部長は修繕するのに夢中で、僕はほったらかしにされる。
で、どうすればいいの、僕は……?
「春山君も、いろいろと大変そうなのね」
「いや……まぁ……」
ほら! 花堂先輩がまた話しかけてきた。
恥ずかしいんですよ。
そんな……きれいな顔を向けて……
話しかけてくるなんて……
近くにいるだけでも、落ち着かないっていうのに。
「でも、春山君のために秋芳さんがここまでしてくれるって、すごい事よね」
「そう……なんですか? ね……」
花堂先輩は静かに笑い、無言でうなずく。
そう考えると、なんで僕のためにこんなに必死になってくれるのだろう?
僕はミシンを動かしてる部長の後姿を見る。
しかし、部長の背中を見ても何の答えも書かれていなかった。
「ねえ、春山君?」
「はい」
不意に花堂先輩から声を掛けられる。
「ズボンの裾、少し短いんじゃないかしら?」
「え? そうですか?」
僕は自分の足元を見る。
ズボンの裾? 言われてみれば、少し短いような……
入学前の制服そろえる時に、サイズを測って裾上げしてもらったのだが……
もしかして、ちょっとだけ成長したのだろうか?
「直してあげましょうか?」
「いやいや、大丈夫です」
僕は全力で手を振って遠慮する。
「どうせ待っているだけなら、その時間で出来ちゃうわよ」
「いや、悪いですって」
「私も暇だから」
「いや……本当に……」
「脱いでくれるかしら?」
「ええ?」
「ズボン、脱いでもらわないと、縫えないわよ」
「ええっと? ここで? え?」
「あら、そうよね」
と、無邪気に花堂先輩は笑いながら、
「準備室に変わりのズボンあるから、着替えてもらえる?」
結局僕は、花堂先輩に押し切られ、ズボンの裾上げ直しをしてもらうことに。
代わりのズボンに履き替えて、椅子に座る僕。
目の前には、腰かけながら手縫いで裾上げをする花堂先輩。
女の子が裁縫している場面って、なんか絵になるよなー
僕は、花堂先輩が手際よく針を動かしている様子を、ぼんやりと眺めている。
「春山君は、この家庭科部を見て、どう思ったかしら?」
「え?」
手を動かしながら話しかけてくる花堂先輩。
「女の子がやるような部活だと思ったかしら?」
「……」
「なかなか男の子が入部してくれないのよね」
確かに、なんとなく男は入りにくい印象だ。
「男の子も女の子も一緒にお料理したり、裁縫したるするのも楽しいと思うのだけど、みんなは違うのかしらね」
「どう……なんですかね」
「茶道もそんなイメージがするのかしらね。女の子がたしなむものって……」
「僕も、最初はそんなイメージでした」
「でも、違ったでしょ?」
「……はい」
別に茶道に男女なんて関係ない。
そもそも昔は、男性しかやってなかったようだし。
「スポーツとかだと、どうしても男女分かれてしまって、一緒には出来ないでしょうけれども、料理なら男女は関係ないでしょ?」
「はい……」
「同じ場所で同じことを一緒にできるって、すごく素敵なことじゃないのかしら?」
そういって花堂先輩は初めて針を動かす手を止め、全てを包み込むような優しい笑顔を僕に見せてくれた。
僕はその笑顔に釘付けになり、何も言葉を返すことができなかった。
「相手に美味しいものを食べてもらいたい。喜んでもらいたい。そうやってみんなで作るお料理も、いいと思うんだけどね」
花堂先輩が語る言葉一つ一つが、どこかで聞いたことのあるような気がして、心が揺れる。
「茶道もそうでしょ? おもてなしの精神」
それだ、おもてなしの精神。
同じ時間、同じ場所で、同じことを共有する喜び。
秋芳部長が以前、語ってくれたことだ。
二人の部長は性格や容姿こそ違えど、目指すところは同じだった。
美しい人って、心もこんなに豊かになるもんなのだろうか……
「僕も料理してみたいですね」
「春山君?」
「僕も今度、花堂先輩と一緒に料理してみたいです」
勝手にそんな言葉が、僕の口をこじ開けて出てきた。
自分でも、なんでそんなことを?
自然の流れで普通に出てきたのか、喋った後でびっくりした。
「ありがとう。春山君。楽しみにしてるわね」
自分には似合わないセリフと、花堂先輩の笑顔が恥ずかしくて、僕は顔を背けてしまった。
「お待たせ、春山君。裾上げ、できたわよ」
「すみません、ありがとうございます」
なんだか、いろいろと迷惑かけてしまって、本当に申し訳ない気持ちになる。
僕は花堂先輩からズボンを受け取ると、準備室に行って着替える。
着替えて出てくると花堂先輩が、
「ちょうどよさそうね。よかったわ」
「あ、ありがとう……ございます」
そんなに下半身をなめ回すように見られると、非常に恥ずかしいのだが……
そうすると今度は部長が、
「できたよー 春山くんー」
と、体操着をもって駆け寄ってくる。
部長のお陰で、ほつれたところも、だいぶ修繕されていた。
ファスナーも直ってるし、袖のところも。
僕が開けた膝の穴も、うまい具合にふさがっていた。
「ありがとうございます、部長」
「何かあったら、また言ってね」
二人の先輩に、こんなに優しくしてもらい、嬉しいような、恥ずかしいような……
そんなことを思いながら、僕が体操着をまじまじと見ている間、目の前の先輩二人は何やら相談をしている。
「花堂さん。今度ね…………」
「…………ええ、もちろん。いいわよ」
ん? なにを話しているのだろう?
「じゃあ、春山くん、戻ろっか」
「え? ああ、そうですね、花堂先輩、ありがとうございました」
「どういたしまして」
僕は頭を下げてお辞儀をすると、部長と教室を出ようとする。
「あの、春山君?」
「はい?」
僕は後ろから花堂先輩に呼び止められ、振り返る。
「……また、いつでも、遊びに来てね」
「ありがとうございます。失礼します」
美人で、優しくて、素敵な女性。
家庭科部の花堂先輩。
どことなく寂しそうな花堂先輩の笑顔で、僕は見送られていった。
茶室に戻ってくると、静かに一人、深谷先輩がお茶を飲みながら待っていた。
そして、僕の体操着を見て、
「香奈衣がやったにしては、上出来じゃない」
「でしょー」
と辛口なコメントを放つ。
僕は体操着の上着を着てみるが、特に問題なく普通に着れた。
「大丈夫そうですね。ありがとうございます、部長」
そう言われた部長は嬉しそうに笑った。
しかしまあ、この一連の騒動もようやく落ち着いたわけだ。
僕は上着を脱ぎながら、胸をなでおろす。
あれ? こんなところに……
上着を脱いだ時に気付いたのだが、上着の裏側の、ちょうど右ポケットの裏地にあたるところに、何か刺繡がされている。
『春山 勝喜』
……僕の名前の刺繍が?
こんなのあったっけ?
「部長、これは……?」
「ああ、それ? 私がやったの」
「部長が?」
「うん。今のミシンって、すごいんだね。名前入力すると自動で刺繍してくれるの」
「へー」
ミシンってすごいんだ。
というか、部長が僕の名前フルネームで、しかも漢字で知っているのが驚きだ。
ん? あれ?
左のポケットの裏地にも何か刺繍が……
『秋芳 香奈衣』
!?
「部長! これなんですか!?」
「あー それ? 私がやったの」
「そんなの分かってますよ! なんでこんなところに部長の名前、入れるんですか!?」
「最初、試しに私の名前でやってみて、うまくいったから、春山くんの入れてみたんだよ」
「おかしいじゃないですか! 僕の体操着に部長の名前なんて!」
「でも、これなら誰も間違えて使わないよ」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ……また被服室行って、直してくるよ……」
「え? いや、それは……」
こんなの、花堂先輩に見られたくない。
「いや、もう、このままでいいです……」
その言葉を聞いて、部長は満足そうに微笑んだ。
うちの部長には困ったものだ。
花堂部長のいる家庭科部のことが、ちょっとうらやましく思う。
このまま体操着、三年間使うのか……
落ち着いたら切り取るか……
とにかく、しばらくはこのことを秘密にして、みんなにバレないように、体育の授業を受けなくてはならないようだ。
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