第35話 家庭科部に行こう
今日初めて被服室という教室の存在を知った。
入学してから被服室を使うことなかったし。部長が服にアイロンかけるって言うんで、今回初めて向かうのだ。
どうやらその場所は、放課後に家庭科部が主に使用しているようだ。
茶道部の茶室から被服室までは遠かった。
その間、赤ジャージの部長と一緒に廊下を歩いてたもんだから、目立って目立ってしょうがない。
しかも僕の手には、部長のセーラー服があるわけで……
なんなの? あの二人?
みたいな、通り過ぎていく生徒からの視線が辛くて辛くて……
そうやって、ようやくたどり着いた被服室。
でも僕は、その中に入るのに躊躇する。
被服室、というより家庭科部が、女の子の園というか、男子禁制みたいなイメージがあったからだ。
なんというか、気安く触れてはいけない神聖な領域みたいな。
茶道部の和室も、最初は入るのにためらったものだ。
男子の僕なんかが、気軽に入るには抵抗があるというか……
「失礼しまーす!」
「!?」
部長はなんの迷いもなく、被服室の戸を軽くノックして開けてしまった。
そのまま中へと吸い込まれていくが、僕は入り口で立ち止まって中の様子をうかがう。
教室内には4,5人の部員が、しかも全員女の子が何かしらの作業をしていた。
部長はスタスタ奥へと勝手に入っていく。
そして一人の女生徒に呼び掛けて挨拶すると、なにか話し始めた。
「あら、秋芳さん、どうしたのかしら? そんな恰好で?」
「
「ええ、もちろん。あそこにあるから、好きなのどうぞ」
「ありがとう!」
二人で何やら話しているけど、ここからではよく聞こえない。
部長が話している相手は、部長より少し背の高いすらっとした人で、短めの髪を後ろで縛っている。
遠目でも、なんとなく綺麗な人だとは分かる。
「あれ? あの子は?」
「あっ、春山くん」
うわっ、なんか二人ともこっちを見た!
「どうしたの? こんな所で。春山くんも早くおいでよ」
「えっ、僕はちょっと、いいですよ」
僕は戻ってきた部長に、強引に中に引きずり込まれる。
そして、さっきまで話していた女子生徒の前に連れ出され、紹介される
「うちの茶道部の春山くんです」
うわー 近くで見ると、すごく美人だ。
顔立ちが整っていて、どこから見ても完璧な美少女。
目が覚めるほどの美しさで、見ているだけで心が温まる、そんな穏やかな雰囲気を醸し出している。
部長も美人だけど、初対面ながらこの人も相当美人だと思う。
きっと二年生だろう。
セーラー服のスカーフも緑色だし、部長と親しげに話しているところから見て。
そんな僕はというと、こんな美人のお姉さんを目の前にし、委縮してしまう。
「初めまして。私は家庭科部の部長を務めさせてもらっている、花堂です。よろしくね」
あぁ……
声も落ち着いていて、ゆっくりとした優しい口調。
なにより、僕に向けた優しい笑顔が、心を癒してくれる感じがした。
「あーっと、一年の春山です。よろしく……お願い……します……」
なんだか緊張して、声がうまく出なくて……
それがまた恥ずかしくて……
「アイロン、借りるね」
「どうぞ」
部長は僕を置いてアイロンを取りに行ってしまった。
部長!?
こんな状況で僕一人にしないでよ!
僕はどうすればいいの?
花堂先輩っていったっけ?
どこかで聞いた名前……
ああ、体育祭の時!
千葉くんが言ってた、美少女がどうとか?
なるほど、確かに。
校内トップクラスの美少女だ。
なおさら、どう接すればいいんだろう?
なに話せばいいんだろう?
えーっと……
「春山君って、茶道部なのね。男の子なのに珍しいわね」
ほら! 話しかけてきた!
「は、はあ」
「ここも女の子しかいないけど、よかったら、ゆっくりしていってね」
「いやまあ……はい」
恥ずかしさのあまり、花堂先輩の顔を正面から見れないでいて、周囲をキョロキョロ見渡す。
「どうしたのかしら? そんなにここが珍しい?」
うわー これ以上話しかけないでくれー
恥ずかしいからー
「立ってたら疲れるでしょ。そこの椅子に、好きなところ座ってて構わないのよ」
「ぅぅ……はい」
僕は適当にその辺の丸椅子に腰を掛ける。
……で、
なぜか花堂先輩も隣の席に座って、話しかけてくる!?
「どう? 学校生活は?」
「まあまあです。ようやく慣れたというか」
いやまだ、女の子と話すのは慣れないんですけど……
「部活は楽しい?」
「ええ、まあ」
「どうして茶道部に入ったのかしら?」
「いや、まあ、それは……」
単に部長に誘われたから……です。
「秋芳さんが可愛いから?」
「っぅ!?」
なにを!? 言うんですか!?
そんな花堂先輩は、部長に負けないくらいの愛らしい笑顔を、僕に容赦なく向けてくる。
もう…… なんなんだよ……
あれ? でも、新入生対象の部活紹介の時、花堂先輩の演説を聞いた覚えはない。
その時、茶道部代表で秋芳部長のは目にしたが……
「あの……そういえば一年生対象の部活紹介の時、先輩は……」
こんなに綺麗な人なら忘れるはずがない。
どうしていなかったのだろうか?
もしくは気がつかなかったのか?
「ええ、あの……部活紹介の演説ね」
そう言うとちょっとだけ視線を背け……
「私……大勢の前で話すの苦手だから、代わりに副部長にお願いしちゃったのよ」
そう言うと花堂先輩は、困ったように照れ笑いをする。
あぁ…… 綺麗で美人なだけでなく、可愛い人なんだなぁ……花堂先輩は……
うちの部長とは、また違った美しさ。
秋芳部長は、可愛くて元気なお姉さん。
花堂先輩は、優しいお母さん。
なんだか、そんな感じがする。
『静』の花堂先輩に、
『動』の秋芳部長、みたいな?
「春山くーん、ちょっとー!」
教室内に響き渡るくらいの声で部長に呼ばれたので振り向くと、部長が奥から大きなアイロン台を担いでこっちに来ているところだった。
「手伝ってー」
「あー もう」
僕は重い腰を上げ駆け寄ると、部長のアイロン台をもってあげる。
「ありがとう。力持ちだね」
「別にこんなのは、大したことじゃないですよ」
というか、さっさと終わらしてここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
部長はアイロンのスイッチを入れ、スチーム用の水を入れる。
その間僕は、部長の制服をアイロン台の上に広げる。
なんか変な感覚だ。
女の子の制服を広げるなんて。
ちょっと僕は周りの生徒の反応が気になってしまったので、横目で周りを見渡す。
みんな不思議そうに、こっちのことを見ている。
そりゃあ、そうだろう。
いきなり赤ジャージの女の子と、セーラー服片手に付いてきた男が入ってくれば。
恥ずかしいなもう……
あっ、花堂先輩と目が合ってしまった。
先輩はこっちの様子を、ずっと微笑みながら見ていたようだ。
あー もうー
あ――― もお―――!
恥ずかしいな――――――!
「秋芳さんの制服、雨で濡れちゃったのかしらね?」
「ええ、そうみたいです」
ほら! また話しかけてきちゃったよ。
「それで、アイロン借りに来たのね」
「そうです」
「でも今、秋芳さんの着てる服って、一年生の体操服よね」
「……そう……ですね……」
そう言うと花堂先輩は、全てを察したかのようにクスッと笑って……
「春山君って、優しいのね」
くぅぅ―――
恥ずかしいじゃないですか―――!!
どうやら部長の手にしているアイロンも十分熱せられたようだ。
もしかしたら僕の顔も熱くなって、湯気が出ているかもしれない。
「春山くん、そっち押さえててくれる?」
「こっちですか?」
「うん。気をつけてね」
気をつけるって、気をつけるのはアイロン持ってる部長の方では?
慣れたような手つきでセーラー服にアイロンを当てていく。
「部長、僕の手にアイロンあてないで下さいよ」
「大丈夫、大丈夫」
と言いつつ、部長はものすごい勢いで、熱々のアイロンを僕の手の方へ突っ込んでくる。
「危ないですってば! 部長!」
「あっ、ごめん」
そんな様子を眺めていた花堂先輩が笑う。
「二人とも、仲がいいのね」
「そう、仲良しなんだよねっ、春山くん」
……もう、勘弁してよ。
「うらやましいわね、春山君。美人さんの部長と一緒にお稽古できるなんてね」
僕はもう何も返事できないで、ただ部長のアイロンがけを手伝うだけだった。
そんな部長は上機嫌でアイロンを動かしていた。
「よし! これくらいで大丈夫かな」
どうやら部長は納得の仕上がりをしたようだ。
アイロンをかけられた上下の制服は、分厚い本に挟まれた押し花のように、ぴっちり真っすぐに折りたたまれていた。
「よかったですね。じゃあ戻りましょう」
「ちょっと待ってて。着替えてくるから」
部長は制服をもって、隣の被服準備室へと入っていった。
あーあ、こんなに散らかして。
部長…… 使った道具そのままで行って。
僕はほったらかしのアイロンを片付けようとする、と……
「そのままでいいわよ。あとで私が片付けておくから」
花堂先輩がやってきてくれた。
「いや、借りておいて、これは……」
「アイロン、まだ熱いから、そのままにしておいてね」
「はい、大丈夫……熱っ!」
熱っつー!!
言われたそばから右手の人差し指が、ちょっとだけアイロンに当たってしまった。
「大丈夫!?」
「いや、ちょっと当たっただけなんで」
心配そうに慌てて駆け寄ってくれる花堂先輩。
そして僕の右手を掴む?
……と、
軽く火傷をした人差し指を……
花堂先輩の小さく色っぽい口の……
中に入れ……しゃぶりついた!?
え? ちょっ? えええ!?
いきなり指をしゃぶられた!?
僕はびっくりして手を引っ込めた。
「春山君、すぐに冷やさないと!」
そう言って僕の右手をまた掴む。
「大丈夫です! 大したことないんで」
「早く水で流さないと!」
もの凄い力で、僕は引っ張られる。
どこから出てくるんだよ、この力!
こんな華奢な体から……
火傷したら流水で冷やすって聞いたことはあるけど。
咄嗟のこととはいえ、口の中に入れるって!!
しかも他人の!
その時だ。
準備室の扉が開いて、部長が出てきた!
「お待たせ、春山くん。終わったよ」
僕の腕をつかんでいた花堂先輩の、力が一瞬緩む。
その隙をみて僕は手を振り払う。
「どうかな、春山くん。この制服……」
「早く帰りましょう!」
「えっ? ち、ちょっと……」
僕は部長の手を掴んで、引っ張りながら逃げるように被服室を出ようとする。
背中越しから花堂先輩の声が聞こえる。
「春山君、せっかくだから体操服もアイロンかけてあげましょうか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「火傷のところ、あとでちゃんと薬塗ってね」
「はい―― ありがとうございます――」
僕は振り返ることなく被服室を抜け出した。
そのまま小走りで茶室まで向かう。
そしてかなり距離をおいたところで、歩くスピードを緩める。
息がゼーゼーいって、心臓の鼓動が激しくなっているのが分かる。
「ねぇ、どうしたの?」
部長が不思議そうに尋ねる。
「いや、別にちょっと……」
「さっき火傷とか言ってたけど……」
「……なんでもないですよ」
「あー もしかして春山くん、花堂さんがあんまりにも綺麗だから、火傷しちゃった?」
「……」
「火遊びは、ほどほどにしないと」
「まあ、そういうことに、しておきますか……」
また意地悪そうな、やらしい笑顔を見せてくる部長。
僕はそれを気にせず花堂先輩のことを思い返していた。
あー びっくりした。いろんな意味で驚かされてばかりだ。
まあ、でも今日は特別。
たぶん被服室にも家庭科部にも行くことは、もうないだろう。
花堂先輩にも会うことも……
あの人と僕の生きている世界とは違うのだ。
もともと直接関係ない者同士だし。
学年も部活も違うし。
今日はいい経験をしたということで……
ちょっと変な夢を見ていたということにしておこう。
それにしても、僕の右人差し指はヒリヒリと痛むのであった。
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