第34話 濡れた制服
今日は朝から土砂降りの雨。
梅雨の季節だからかな……
やはり朝から一日中雨が降っていると、気分が滅入ってしまう。
教室内も、心なしかどんよりと雲がかかったように陰気な雰囲気が漂っている。
そんななか、昼休みに入ると同時に部長からメールが。
「お昼食べに部室に来ない?」
この教室でお昼を食べるのも、なんだか湿っぽいし、外には出れないし。
というわけで、僕は部室へ向かうことにした。
部室の前に着き戸を開けると、中から湿った草のような臭いが流れてきた。
和室にでも雨が降っているのかと思えるような、なんとも言えない重く暗い空気が流れ出しているようだ。
湿気をかき分けるようにして中に入ると、部屋の真ん中に
「ん~」やら「む~」など、低くうなる声も聞こえる。
深谷先輩は台所でやかんに水を入れ、コンロでお湯を沸かそうとしているところだった。
僕はあまり気が進まないが、部長にどうしたのか聞いてみる。
「あの~ どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
すると、難しい顔をした部長の代わりに、深谷先輩がやってきて、
「制服が湿ってるのよ」
「制服が?」
「朝、寝坊して遅刻しそうになって走ってきたから、雨に濡れたのよ」
「そうなんですか」
わざわざ心配して聞く必要ないほどの、正直くだらないどうでもいい話であった。
「部長、風邪ひきますよ」
「もー 冷たいし、くっつくし、ものすごく気持ち悪い……」
本当に不愉快そうに目を細めてつぶやく。
「まあ、自業自得ですね」
僕はそれ以外に言葉をかけられない。
……けど、さすがに不憫に思えて、
「体操着とかに着替えないんですか?」
とたずねるも、
「持ってきてないわ」と、深谷先輩は首を振る。
「ほかのクラスに人に……南先輩とか遠野先輩とか」
無言で首を振る深谷先輩。
「それで、あなたを呼んだのよ」
「は?」
なんで?
「春山くん持ってない?」
「え、僕のですか?」
部長が上目づかいで、頼み込んでくる。
僕から体操着を借りるために呼んだの?
そんな理由で?
お昼食べるだけだったんじゃないの?
まあ確か、僕の体操着は、この前の授業の時からロッカーに入れっぱなしだったような……
「あるといえば、ある、ような…」
「ちょっと貸してくれる?」
「ちょっと待って、香奈衣」
と、僕に迫ってくる部長を遮り、深谷先輩が止めに入った。
「もしかして、体操着、ロッカーに入れっぱなし?」
「……はい」
「やめなさいって、香奈衣! 汚いから。カビ生えてるかもよ」
うわぁ…… ひどい言われようだなぁ。
確かに体育の授業終わっても洗濯しないでロッカーの中は、あれかもしれないけど。
まだ一回しか使ってないし、使ってから二日しか経ってないし。
今週あと一回使って、週末洗濯しようかと。
「大丈夫じゃないかな。春山くんのなら」
「どこからくるの? その根拠は」
深谷先輩の意見も、もっともである。
だが、ちょっと、ひどいんじゃない?
「ねえ、春山くん。悪いけど持ってきてくれるかな?」
「僕のでよければ……いいですけど」
なんだか、申し訳ない気がするけど。
僕みたいな人間の体操着しか貸せなくて。
僕しかあてにできないのなら、貸しますけど……
とりあえず僕はロッカーに戻って、自分の体操着、上下のジャージだが、持ってきた。
なんとなく、しっとりしているような気もする。
臭いや汚れもチェックしたが、特に自分では問題ないような気がする。
それを、相変わらずパッとしない表情の部長に渡す。
深谷先輩は僕の体操着を、まるで汚物を見るかのような目で見ている。
深谷先輩はひどいなー ホントに……
「ありがとう、春山くん。着てもいい?」
「はい、どうぞ」
部長は、僕が取り急ぎ軽くたたんだ上下の赤いジャージを、目の前で広げる。
「香奈衣、本当に着るの? 病気になるかもしれないのよ」
……病原菌扱い?
「大丈夫だよ」
そう言って部長は僕の体操着を畳の上に置くと立ち上がり、セーラー服の裾に手をかけ……
え?
いきなり上着を脱ぎ始めようとした。
「ちょっと、何してるの香奈衣!」
「もう我慢できない」
「あなた、早く向こう行きなさい!」
「は、はい」
僕は慌てて襖の外の廊下に出た。
まさか部長……
いきなりその場で着替えるなんて……
「なにやってるのよ!」
「もう早く着替えたくって」
襖の向こうでは、二人の声と、ガサゴソと服が擦れる音がする。
この向こう側で……
部長……
着替えてるんだ……
襖一枚隔てた向こうで……
「春山くん、もういいよ」
「あっ、はい!」
部長の声がしたので、僕は中に入る。
そこにはダボダボの上着の赤ジャージをかっぶった部長の姿が。
袖が長く指先が出る程度。丈は膝上くらいあり、スカートが隠れて見えない。一見すると履いてないようにさえ見える。
なんだかすごく……エッチな格好だ……
まあ、それはそれで可愛らしいのかもしれないのだが……
ただ普通に、
「部長、似合ってないです」
サイズもそうだが、致命的なのが色が赤いということだ。
これはしょうがない。一年生の持ち物はたいてい赤なのだから。
こんな格好だと、せっかくの美少女も台無しだ。
「香奈衣、やめたら? かっこ悪いわよ」
急須と湯呑みを持ってきて、ちゃぶ台の上に置いた深谷先輩が声をかける。
かっこ悪い。その言葉が自分に言われているようで悲しい。
「え~ でも、温かいよ」
と言いつつ、袖を鼻にあてて、匂いを嗅いでる。
その、なんでも匂い嗅ぐ癖を、何とかしてもらいたい。
深谷先輩はちゃぶ台にお茶を三つ用意してくれる。
そして先輩たちのお弁当箱二つが並べられる。
しかし何というか、こんな部長の姿も……
和室でこんな格好していたら、まるでここは部長の部屋みたいだ。
こんなラフな姿…… 年頃の女の子なら自室以外の場所では、特に学校なんかではしないだろうに。
「部長、ちゃんとファスナー上まで上げてください。胸見えますよ」
もう、ちゃんと上まで上げてないから、見えそうになってる。
まあ、部長のは見せるほどのものは、持ってはいないようだが
「それと下、動くと見えちゃいますよ」
ジャージの上着だけ着ていると、ミニスカみたいになってる。
……って、あれ?
スカートとセーラー服がハンガーにかけられてある。
じゃあ、今、部長は本当にスカート履いてないの?
「部長! 早くズボンはいてください!」
とりあえず部長も着替えたことで、僕たちはお昼を食べ始める。
そしてそんなお昼休みも、まもなく終わろうとしている。
そろそろ教室に戻らなくては。
部長は部屋に干してある制服を触るが、反応はいまいちだ。
こんな短時間では、制服も乾くまい。
しかし、まー ダサすぎる。
部長のジャージ姿がダサすぎる。
ちょとでも僕がときめいた女の子が、こんなにもダサくなるなんて。
こんな姿見たくなかった。
「部長。ダサいです」
たまらず思っていたことを口に出してしまった。
「だって、これ、大きいんだもん」
「三年間使うつもりで、成長するの前提で買ってるんですから、しようがないじゃないですか」
それよりも、この後どうするんだろう?
授業だってあるだろうに。
「香奈衣、本当にこれ着て教室に戻るの? 一緒にいる私が恥ずかしいんだけど」
「だって、制服まだ濡れてるし…」
確かに、この格好で教室に戻るのは見たくない。
「これ、意外と温かいんだよ。それにこれ着てると、なんだか春山くんに抱きしめられているみたいで……」
「なに気持ち悪いこといってるのよ! 吐きそうになるからヤメテ!」
まさしく深谷先輩の言う通り。正論だ。
だが、正論ゆえに、僕の心は傷ついた。
「で、部長? 着て戻るんですか?」
「うん、しばらく貸してね」
当の本人は、別に抵抗はないらしい。
「香奈衣、言うこと聞かないから。しょうがないけど借りてくわよ」
「まあ、いいですけど」
「放課後、返すから」
「はい、どうぞ」
そう言って僕たちは午後の授業のために、教室へと戻っていった。
~そして放課後~
「まだ乾いてなーい」
「こんな短時間で室内で干してても、乾かないですよ」
僕たちは、放課後部室に戻ってきたが、やはり制服は乾ききってはいなかった。
「じゃあ、これ着て帰ってもいい?」
「まあ、別にいいですけど……」
別に貸すのは構わないが。ただ一緒には帰りたくない。
こんな真っ赤な上下のジャージ着てる人と、並んで一緒に帰りたくない。
普通に恥ずかしい。
そういえば、この恥ずかしい格好で、部長は午後の授業受けたんだよね。
クラスでは変な反応されなかったのだろうか?
だって赤ジャージだよ。ダサいよ。
しかも二年生は緑の体操着のはず。
何で一年生の赤、着てるの?
しかもサイズ的に男物……
これってもしかして大問題になるのでは……
「あの……」
「なに?」
僕は深谷先輩に恐る恐る尋ねてみた。
「大丈夫だったんですか?」
「なにが?」
「教室内で部長が赤いジャージ着てるなんて……」
「ああ、なんだか騒いでたわね。男子たちが……」
「……」
「一部の男子には、うけてたみたいだけど」
「はあ」
「あと、春山君、帰り道、気を付けないと襲われるかも」
「は?」
「ある男子からは、嫉妬心で狙われるかも」
「……」
「香奈衣に体操着を貸すほどの仲がいい一年生って、誰なんだよ、と」
なんてことをしてくれたんだ、この人は。
あー もうー!
こんなことを理由に、先輩たちにいじめられるなんて嫌だよ。
で、当の本人はそんなことも気にせず、温めたやかんをアイロン替わりに、制服を乾かそうとしていた。
「ちょっと、香奈衣。道具をそんなことに使わないでよ」
「だって……」
「アイロンぐらい家庭科部いって、借りてきなさいよ」
「そっか! 家庭科部いけばアイロンくらいあるよね」
家庭科部?
ああ、そんな部活もあったような……
部活紹介の時でも確かあったような。
ただ自分は入部しようとは思っていなかったので、特に興味は持ってなかった。
ちょっと、家庭科部は……女の子っていうイメージが。
そういうと茶道部もそうだったけど、あれは部長が強引に勧誘しなければ入っていなかったからで。
家庭科部かー 普段どんな活動してるんだろう。
「ちょっと行ってくる」
「いってらっしゃい」
僕は勢いよく部屋を出ようとする部長を、横目で見ながら見送る。
「春山くんも一緒に行こう」
「えっ、僕も? なんで?」
「私の制服持ってきて」
「え、ちょ、ええ?」
そう言って部長はもう外に飛び出してしまった。
なんで僕も一緒に行く必要があるの?
「行ってくれば。私、留守番しながらお茶飲んでるから」
ちょっと、深谷先輩……
面倒くさいこと僕に押し付けようとして……
「早く! 早く!」
部室の外で、赤ジャージの人がピョンピョン飛び跳ねて呼んでいる。
「はいはい、今行きますよ」
僕はハンガーにかかった部長のしっとりした制服を手にして、家庭科部に向かうことにした。
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