第33話 夜の下校
「こんな時間になっちゃったね」
「まったくですよ」
二人で学校から家までの道を歩く。
秋芳部長が居眠りしていたためと、教室で余計なことをしていたため、だいぶ帰りが遅くなってしまった。
6月で日が沈むのが遅いとはいえ、さすがにこの時間になると、天から夜という黒い幕が下りてくるように、徐々にあたりが暗くなる。
建物の隙間から見える薄暗い地平線が、どこかで火事が起きたかのように、ぼんやりと赤く照らされている。
街灯には明かりが、僕たちを道なりに導いている。
周囲の家からも暖かそうな白熱灯の明かりが漏れている。
早く僕も家の明かりの下に帰りたい。
「ねえ、春山くん?」
「なんですか」
「もしかして二人で帰るのって、初めてかな?」
「ええ、たぶんそうだと思います」
よくよく考えれば、二人っきりというのは初めてだった。
部長と二人、しかも薄暗い夜道。
さすがに気まずいなぁー
いつもは深谷先輩が部長の暴走を止めてくれていたが、今はそれがない。
僕一人で部長を扱うことができるかどうか……
その部長が、この薄暗い道で何かに怯えているような様子だ。
「どうしよう……」
「どうしたんですか?」
「こんな暗いところで、春山くんに襲われたら……私、抵抗できない……」
「なにを……寝ぼけたこと言ってるんですか?」
僕がそんなことするはずないでしょう!?
部長の頭は、まだ眠っているんですか?
襲う気があったら部室で寝てる時に、とっくに襲っている。
……僕にそんな度胸はないですけど。
「そっか、春山くんにその気がないなら、私から襲っちゃおうかな」
「もう……そんなこと言ってないで、早く帰りましょうよ」
僕はそんな部長の言葉を無視して先を急ぐ。
しかし……
いつも帰る道とはいえ、こうも薄暗くなると、まわりの風景がちょっと違うように見られる。
こんなところに自販機なんて、あったっけ?
あれ、ここの建物、前からあったかな?
周囲を見回しながら歩いていると……
急に部長が僕の腕にしがみついてきた!?
「暗闇の中に連れ込んじゃおうかなー」
「なになってるんですか。やめてくださいよ」
力いっぱい僕の腕を引っ張る部長。
いつもの帰り道からそれた、違う道の真っ暗な小道へと引きずり込まれる。
「部長! どこ行こうとしてるんですか!?」
「たまには違う道から帰ると、新しい発見があるかもよ」
たまには違う道って!
別にこんな日じゃなくても。
それに僕は、危ないことも冒険もしたくない。
普通に安全で、何の変化もなく、同じように過ごせればいいのだ。
帰り道だって、いつものように同じ道を歩けばいいのだ。
なるべく面倒なことには関わりたくない。
安全第一の僕は、部長に引かれるがまま、しょうがなくついていく。
どんどん知らない道を進んでいく。
住宅街の網の目のように広がっている道を、部長の感覚のまま右に左にと進んでいく。
見渡す限り、見知らぬ住居が建ち並ぶ。
人の家の庭なのか、道路なのか分からない場所も、どんどん足を踏み入れていく。
大丈夫なの?
あたりが暗くなるにつれて、なんとも言えない不安が心を包んでいく。
「あの、どこまで行くきですか?」
「わからない」
「は?」
「私もここ、どこなのか、分かんないよ」
……そんなこと笑顔で言われても。
右も左も見たことない一軒家。
そんなところに取り残された二人。
周りには歩いている人影もない。
「また二人っきりになっちゃったね」
こんな形で二人っきりになっても、ロマンの欠片もない。
なんで近所で、学校帰りで、迷子にならなくてはいけないの?
まあ、なんとなく歩いていけば、必ず知ってる場所には出るだろうから心配いらないけど。
別にスマホで地図で調べるまでもない。
「さあ、行きますよ」
僕は見当つけて歩き始める。
「道、分かるの?」
「なんとなく、ですが、ね」
たぶんここを右に曲がって……
「時間稼ぎ……」
「はい? なにか言いましたか?」
「時間稼ぎしてたの」
「時間? かせぎ?」
「実はね、春山くんと、できるだけ長く二人っきりになりたかったから、わざと違う道を通ったんだ」
……もう、なに言ってるんですか?
こんな時に部長は。
子どもように、意地悪そうな笑みを浮かべる部長。
本気か嘘か分からない言葉に、僕は返事に困る。
そのまま無視して、なんとなく僕が先頭に、勘を頼りに進んでいく。
その後を部長がぴったりとついてくる。
そしてしばらく歩いていると……
いつも渡っている川の河川敷に来てしまった。
まあ、これが分かれば、後は川をたどっていつもの道に出れば帰れる。
「ねえ、春山くん、見て!」
急に部長が高い声を上げて、空を指差す。
何事かと思い、視線を上げる。
河川敷の開けた場所で、目の前に広がる大空。
そこには……
空が、まるで今日一日の営業を終了して、ゆっくりと黒いシャッターを下ろしているようだった。
シャッターと大地との隙間から、紫の空が広がり、地平に向かうほど赤みを帯びた、名残惜しそうな光が消えかかっている。
その先の地平のかなた遠くは、微かに太陽がそこにあったという証ほどのオレンジの火を残して。
その景色が、静かに流れる川に反射し上下対象の姿を現す。
部長はそのまま堤の上の歩道まで駆け足で昇る。
僕もそれに続いて、ゆっくりと歩いていく。
そこには目を輝かせながら、空を眺める部長の、思いをはせる乙女のような姿があった。
「すごく、奇麗……」
「そう……ですね」
広大な河川敷の上、限りない天空の下にいる僕たちは、まるでちっぽけな存在のように小さく、その空を眺めていた。
その美しさに、息をするのも忘れるくらいに、目を奪われる。
学校や家にだけに居たら、決してみることのできない景色。
それがまさに今、僕たちの目の前に広がっていた。
違う道から帰ると、新しい発見があるかも。
そんな部長の言葉を思い返していた。
たまには決められた道を外れて、寄り道したり、休んだりするのも、今日みたいに新しい発見があるかもしれない。
まるで今までの僕の行いを、戒めるかのように。
この景色が、久しぶりに僕の心を動かしたような気がした。
しばらく僕たちは、時間が過ぎるのも忘れ、ただ無言で眺めていた。
そして……
僕は声をかけなければいつまでもいそうな部長に、そろそろ帰るように声をかけた。
「部長、そろそろ……」
「待って!」
そういって僕の腕を引っ張る。
「どうしたんです? もういいでしょ?」
「もうちょっと」
空を眺めたままの部長の手に力が入る。
「もうちょっと見させて」
あまりにも真剣な眼差しだったので、僕は言われた通り、しばらくそのままでいた。
そして、まもなく太陽の赤みもすべて地平線の下へと消えていくと……
すると、空はまた別の姿を現した。
赤みを帯びた紫でもなければ、漆黒の闇でもない。
日中の透き通るような水色をいた空と話まったく違う、深く濃い青い空。
瑠璃色のガラスのような、深い藍色をした空……
「……ブルーモーメント」
「え?」
「日没後の数分だけ……数分だけ風景が青に染まること……なかなか見れないんだって」
僕を呼び止めて腕にしがみついたままの手に、さらに力が入る。
確かに、こんなに美しい空を見たのは初めてかもしれない。
空は刻々と変化し、常に同じではない。
空はとどまることをしない。
二度と同じ空模様を描くことはない。
一期一会
この前、部長が口にしていた言葉。
二度と同じことは起きない。
まさに、この空も、一つとして同じものはないのだ。
まさに今、僕たちが見ている空は、今僕たちしか見れない空。
この一瞬でしか見れない光景。
「ほんと、綺麗だね」
個人的には、こんな夜空を眺めている部長の横顔の方がキレイだと思ったが、それは声には出さず、一緒に夜空を眺めていた。
「写真、撮ろっ!」
部長は、しがみついた手を放し、スマホで夜空の写真を撮る。
「春山くんも一緒に」
「え?」
そういって今度は、僕に寄り添って写真に収まろうとする。
その夜空をバックに二人並んだ画像を確認して、部長は満足そうに、そして嬉しそうに、笑う。
「よかったですね」
「うん!」
遂に空は完全に闇に覆われ、僕たちも包まれる。
「たまには寄り道して帰らないとね」
「いや、普通に帰りたいです」
そう言って僕はいつもの道に戻ろうと、一歩前に歩き出そうとする。
「春山くん」
「今度はなんですか?」
「顔、赤いよ」
「え?」
思わず自分のほほを触る。
……が、よく分からない。
「たぶん夕日のせいじゃないですか?」
「夕日はもうとっくに沈んでるよ」
「……ちょっと動いたから暑いんですよ」
「今、涼しいけど」
僕はそんなこと言われ、恥ずかしくて顔を背けそのまま歩き出す。
こんな暗闇で顔色なんて分かるはずない。
きっとまた部長が嘘を言って、僕のことをからかっているに違いない。
そうでなければ……
そうじゃなければ……
奇麗な空を見れて興奮したんだろう、きっと。
たまには敷かれたレールの上を歩くだけではなく、
ちょっと脇道にそれて寄り道するのもいいかもしれない。
今まで見たことのない世界が、
僕たちを待っているかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます