第32話 夜の校舎
「香奈衣、悪いけど先帰るわよ。ちゃんと片付けするのよ」
「うん、大丈夫」
「お疲れ様です」
今日の茶道部の稽古は、何事もなく無事に終わりを迎えた。
深谷先輩は用事があるということで、稽古が終わるとそのまま帰ってしまった。
残された僕たちは掃除と片づけをして……
……っていうか、
今日は
「ふわぁ~ つかれた~」
部長は深谷先輩が帰ったのを見計らって、まるで自分の部屋かのように、畳の上にうつ伏せになって転がってしまった。
「なにやってるんですか、部長」
「やっぱり畳はいいね~」
「行儀悪いですよ」
髪も服も乱れ切って、スカートもあと少しで腰が見えるギリギリのところまで上がってしまっている。
「ちょっとだけ休ませて。午後が体育の授業で、ちょっと疲れちゃって」
「そうですか」
どうせ何を言っても聞かないので、そのまま転がしておいて、ほっておくことにした。
……
…………
しかし……
さすがに掃除の邪魔になってきた。
そしてなにより、目のやり場に困る。
ちょっとでも寝返りをうとうもんなら、スカートが完全にめくれあがってしまう。
無防備にもほどがある。
それとも見せつけているのか?
また僕の反応を見て楽しんているのか?
とにかく、このままではよくないので、僕は起こすことにした。
「部長、いい加減 起きてください」
……返事がない?
「部長?」
おいおい、もしかして?
耳を澄ますと、すー ふぅー という規則正しい寝息が聞こえてきた。
えっ? この人、本当に寝ちゃったの?
「部長! 部長!」
大きめの声で、耳元で呼んでもビクともしない。
身体を揺するか?
いやでも触るわけには……
帰ろうにも鍵は部長が持ってるし。
あー もう最悪だよー
起きるまで待つか?
特に僕も用事もなければ、見たいテレビも今日はやっていないし。
……まあ、そのうち起きるだろう。
そう思ったのが間違いだった。
片付けて、
掃除して、
部長に離れて一人で稽古して……
……どれくらい経ったであろうか。
ん~ という、うめき声とともにガサゴソ身体を動かす音が聞こえたのは。
「あれ、ここは?」
寝起きの低い間抜けな声がする。
「おはようございます」
「ん~ え、春山君? あれ、今何時?」
部長は、ゆっくりとモソモソっと立ち上がると、障子を開け窓の外を見る。
「暗い!?」
窓の外は日も落ちかけ、薄暗くなっていた。
「もうすぐ19時ですね」
「えー!? なんで起こしてくれなかったの!?」
ほほに畳の跡をつけ、髪の毛ぼさぼさの部長が困ったように尋ねる。
「だいぶ健闘はしたんですが、なんとも」
「急いで帰ろう。怒られちゃう」
部長は帰り支度をする。
本当になんとかして起こそうとしたんだけど。
全然起きないんだな、これが。
深谷先輩は、この思いを毎朝してるのかと思うと、同情してしまう。
きっと部長の朝は、こんな感じに寝坊して慌てて支度をするんだろうなー
と考えながら、僕たちは部室から出た。
部室の外に出ると、校内は闇が支配していた。
遠くの非常灯が、緑色に不気味に光りながら揺れている。
「どうしよう~」
部長は背を丸めて怯えているが、不思議と気味悪さはなかった。
6月ということもあり、外はまだ本格的な真っ暗な夜にはなっておらず、しかも、どこかで人の気配がしていたからだ。
校庭ではまだ野球部の声が聞こえ、体育館からはボールの弾む音が聞こえる。
遠く離れた音楽室からは、吹奏楽部の飛んだり落ちたりする金管楽器の音がする。
大会とかある部活は、この時間まで練習してるんだなー
それでも、この状況は部長にとっては不安を掻き立てるのに十分すぎるようだった。
僕たちは急い昇降口に向かう。
「ごめんね、こんな時間まで」
「別に大丈夫ですよ、僕なら」
小走りで廊下を歩く僕たち。
「でも夜の学校って、怖いけど、何か神秘的じゃない?」
「はい?」
「今、私たちしかいないんだよ」
「まあ」
「ちょっとだけ、今、教室の中、覗いていかない?」
「やめましょうって。こんなところ警備の人や、先生に見つかったら大変ですよ」
新しいイタズラでも思いついたのか、さっきまで怯えていた部長がイキイキとしてきた。
僕の忠告を無視すると、部長は近くの教室の扉を泥棒のようにそーっと動かす。
「開いたよ、春山くん」
「もー 早く帰りましょうよ」
誰もいない暗闇の教室。
窓からの差し込む光のみを頼りに、部長がフラフラと歩いていく。
「春山くんの席ってこの辺だよね」
「そうですね」
廊下側から二列目の、後ろから三番目。
そしてなぜか僕は部長に、そこに座るように促され、渋々椅子に腰かける。
「じゃあ、私はここ」
と言って左の誰かもわからない席に腰を掛ける。
「一緒のクラスになることないから、こういうの新鮮だよね」
足をぶらぶらさせながら、こっちを眺めていう。
確かにそうではあるが、夜中の教室に忍び込んでいること自体、実に新鮮なことではある。
「ねえ、春山くん」
そう言うと、突然立ち上がり、教卓へと駆けていった。
教卓の前に立った部長は、胸を張り偉そうに言う。
「そしたら、春山くん。教科書の53ページを開いて」
「え? 教科書?」
「忘れたの? なら、そこに立ってなさい!」
え? なにこれ?
なんの茶番劇……?
「じゃあ、今度はこれを訳しなさい」
今度は黒板に何か書き始めた。
「はい、訳して」
窓から入るわずかな光だけで、よく見えない。
薄明りを頼りに目を凝らしてみると、どうやら英文で……
アイ、ライク、ティー、セレモニー?
「私は……茶道が? 好きです?」
「正解」
茶道ってティーセレモニーて言うんだ。
「じゃあ、これは?」
そう言って、ティーセレモニーの部分を消した。
そして、その部分に……
アキヨシ……カナエ?
「アイ、ライク、アキヨ…!?」
僕は急いで席を立つと、黒板消しをもって、その英文を消しにかかる。
なにを言わせようとしてるんだよ、この人!
「あー 消しちゃダメ!」
「なになってるんですか、部長!」
黒板消しを奪い合ううちに揉みくちゃに、
「ちょっと、近いって。くっついてますから。離れてください」
「返して。ダメ、消しちゃ」
……ん?
「部長、ちょっと待ってください」
「なに?」
僕たちは腕を掴んだまま、その場で固まり耳を澄ます……
なにか廊下から話し声が聞こえたような……
「……に、教室に忘れてきたの?」
「…………たらどうしよう」
「部長、誰か来ましたよ!」
「え? どうしよう!」
「隠れましょう!」
別に悪い事してるわけじゃないのに、何でか分からないけど、焦って隠れることに。
どこに? 隠れる?
教卓! の下!?
僕は教卓の下に潜り込む。
「部長も早く!」
その場でオロオロしている部長の手を引っ張り、教卓の下に引きずり込む。
せ、狭い……
とっさの行動とはいえ、なぜ二人で教卓の下に隠れた?
しかも体勢がきつい。
座った僕の上に、覆い被さるように乗っかる部長。
もう、顔がくっつきそう。
というか、吐息が顔にかかるのが分かる。
その事に部長も気づいたのか、両手で自分の口を押さえた。
そして勢いよく開かれる扉。
その音にドキッとして、身体が揺れる。
「よく探したの?」
「どうしよう、なかったら……」
二人の女の子の声……
吹奏楽部の子か?
忘れ物を取りに来たのであろうか?
この状況、すごくドキドキする!
心臓の音で居場所がばれるのではないかというくらい。
そして照明スイッチの、パチッという音とともに、闇が取り払われ、明かりが灯る。
二つの足音は、教室の後ろの方に向かっていく。
そして、なにやら机をあさる音が……
「あった! よかったー」
「もう、しっかりしなさいよ」
「早く戻らないと、みんな待ってるよ」
どうやら忘れ物は見つかったようだ。
それは良かった。このまま帰ってくれれば。
まさか僕たちも見つかることは……ないよね……
と、祈っていると、
「ねえ、なんか黒板に書いてない?」
えっ!?
「アイ ライク アキ…… なにこれ?」
「誰かのいたずらじゃない?」
足音がこっちの方までやって来る!?
どうしてくれるんです? 部長!
部長と目が合うが、部長は僕の上で小さく丸まったままモルモットのように、じっとしてるだけだった。
女の子二人は黒板の前までやって来て、文字を消しはじめた。
目の前で二人のひざ裏が左右に揺れる。
あぁ― どうか見つかりませんように……
「さっ、早く戻ろっ」
その言葉を残して、二つの足跡は去っていき、明かりが消され再び暗闇が教室を覆った。
……
…………
…………いなくなったかな?
僕は完全にあの二人がいなくなったのを確認して、そのまま上に乗っかってる部長を教卓の中から追い出す。
僕もその後、窮屈な中から抜け出す。
目の前の部長が身体全体を使って深呼吸して、
「すごーく、びっくりしたねー!」
そういいながら笑いかけてくる。
「本当に心臓に悪いですよ! 勘弁してくださいよ」
僕は何もやましいことしていないのに、すごく鼓動が早くなっているのが分かった。
「ねえ、春山くん?」
「なんですか?」
「このドキドキって、二人でくっ付いてたからかな?」
こんな状況で何を言ってるんですか?
「違うと思います」
キッパリと否定する。
確かに、あんな狭い教卓の下に隠れて密着してはいたが、そのドキドキではないと思う。
いや、ちょっとドキドキはしたが。
それは、この状況が誰かにバレたら、というドキドキであって……
女の子と密着してたから……
という理由もなくはないけど……
僕はため息まじりの深呼吸をする。
「じゃあ、もしかして私のこと好きって、言ってくれたからかな?」
「そんな意味のこと、一言も言ってません。違います!」
「そっかー 違うのかー」
部長は意地悪く笑う。
もとはといえば、全部部長のせいじゃないですか?
部長はいつものように笑顔で平静を保っているのが、なんだかしゃくにさわる。
僕はこんなにドキドキしてるっていうのに……
「もういいから、早く帰りましょう!」
「うん」
断じて違う。
この胸の高鳴る鼓動は、そんなことのためではない。
そう、違うはずだ。
確かに部長と接近していた時は恥ずかしさで、ちょっとはドキドキしたと思うが……
これは驚きと、教室に忍び込んだ後ろめたさと、誰かに見つかってしまったら、という不安と恐れの鼓動であって……
きっと、そんな……
恋とか、ときめきとか……
そんなドキドキではないはずだ。
きっと、ないはずだ。
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