第26話 教室でテスト勉強

 お昼休みに、

『今日も部室で勉強しない?』

 という秋芳部長からのメールに、

『今日は調べものがあるので図書室でやります』

 と、僕は返事を出した。


 申し訳ないが、正直一緒にいると勉強がはかどらない。いろんな意味で……

 ので、今日はお断りした。

 そういうわけで、放課後に図書室に行くと、普段はガラガラなくせに試験前だということもあって、ほぼ満席になっていた。


 まあ、そうなるでしょうね。 

 このまま家に帰っても、きっとやらないだろうし。

 かといって部室は……


 しょうがない。教室でやるか。


 結局、自分の教室に戻って一人勉強をすることにした。

 幸い僕以外、教室には誰もいなかった。


 そりゃあ、そうだ。

 普通、教室に残ってないで、家帰って自分の部屋で勉強するよ。


 とりあえず僕は、使い慣れた自分の席に座って教科書を広げる。


 静かだ……

 勉強がはかどる。

 

 なんだかんだいって一人が一番落ち着く。

 今までそうやってきたのだから。


 ついさっきまでは生徒でいっぱいだった教室が、今は僕が贅沢に独り占めして使っている。

 不思議な空間。音もなく広い空間に自分ひとり。

 なんだか自分一人が、どこか異世界にでも、飛ばされたような感じ。


 僕は時間が経つのも忘れ、数学の問題集を解き続ける。



 ―――と、突然視界が何かに覆われた!

 

「っえ?」

「だーれだ?」

 

 聞き覚えのある女の子の声。

 いきなり後ろから両手で、僕の目を覆うなんて。

 そんなことするのは、もう一人しかいない。


「部長なにやってるんですか?」

「部長じゃわからないよ?」


「……秋芳あきよし部長」

「秋芳、なに?」


「秋芳、香奈衣先輩ですよ!」

「正解ー!」


 両手が離れ暗闇から解けると、ぼんやりとした視界のその目の前に現れたのは、僕の知っているいつもの部長だった。

 微笑みながら、こちらのことを覗き見てる。


 びっくりしたー いつの間に。

 全然気がつかなかった。


 っていうか、名前を言わせないで下さいよ。

 女の子の下の名前、呼ぶの恥ずかしいんですから。


 部長はニコニコしながら、

「図書室に行ったらいなかったから、ここかなーって」

 僕の行動パターンが読まれてて、怖いんですけど。


「まあ、座れなかったので」

「部室に来ればいいのに」


「部室だとなんかちょっと、集中できないんですよね」

「ふーん」


 相手にしてもらえなくて教室の中を、ブラブラと見渡しながら、歩き始めた部長。


「部長は何してるんですか?」

「ちょっと気分転換かな?」


 僕は気が散って仕方ないんですけど。


「春山くんって、ここで授業受けてるんだよね」

「そうですよ」


 まったく、集中できない。


 しばらく部長は動き回っていると、飽きてしまったのか僕の横まできて立ち止まる。

 そして……いきなり左隣の席を、僕の机にくっ付けてきた?


 なに? どうしたの?


 部長はそのまま、僕の真横の席の椅子に、ストンっと腰をかけた。

 そして、そのまま頬杖ついて、僕を無言で眺め始めた。


 ……

 …………

 ……集中できない!


「あの……なにしてるんですか?」

「気にしないで。春山くんが勉強してるとこ見てるだけだから」


 とても気か散るんですけど。


 まあ、喋りかけてこないだけましか。

 と思いつつ、勉強を続けるも……


 ダメだ。

 部長の視線がチクチクしてかゆい。


「あの、戻らないんですか?」

「今、ちょっと休憩中」


 他の場所に行って休憩してもらいたいんですけど。


「教科書忘れちゃった。見せてくれる?」


 教科書って、部長は関係ないじゃ……


 そう言うと、僕が見ていた数学の教科書を、グイっと真ん中まで引き寄せてきた。


「ちょっと、部長?」

「私も一年生の時、勉強したなー」


 部長は昔を思い出すかのように、数式を指でなぞる。


「春山くん、数学は得意?」

「別に得意ってほどじゃ……」


「すごいなー 私、全然」

「……なら、今、勉強した方が」


「数学の先生、誰?」

「え? あー 小野寺先生ですけど」


「おのっちだ!」

「おのっち? って」


「おのっち、顔恐いけど、授業は分かりやすいよね」

「ええ、まあ」


「テストはね、教科書の最後のところの問題から、同じの必ず1問出してくるよ」

「そうなんですか?」


「うん。だから最後のところ全部わかるようにしておけば、必ず1問は正解するよ」

「なるほど……」


 へー なるほどね。

 過去問ってやつみたい。

 僕は教科書に目を戻し、問題を一通り確認する。

 なんとかなりそうだ。


 この調子で、しばらく問題を解いていると、部長が静かになっていたので、

 まさか寝ちゃったのでは?

 と思い、ふと、隣に顔を向けた。


 部長は、しっかりと横にいて起きていた。

 頬杖を突き、僕のことを微笑みながら、ずっと眺めていた。

 僕は部長と目が合ってしまい、とっさに教科書へと視線を戻した。


 なんで?

 ずっと僕のこと見てるの?


「私たち、こうやって一緒の教室で、机並べて授業受けることってないよね」

「……そうですね」


「同じ学年、同じクラスだったら、毎日が楽しかったのにね」

「……」


「こうやって教科書見せ合いっこしたり、一緒にお昼ご飯食べたり、一緒に教室移動したり」


 当然といえば当然だ。

 部長は先輩で、僕は後輩。

 この一年の差は埋まることはない。

 一緒の教室で授業を受けることなど、決してない。


 僕がどれだけ頑張って一年という歳月を乗り越えても、同時に部長も何もしなくても一年先に進んでしまう。

 僕は部長に追いつくことできない。その分、部長も先へ行ってしまうのだから。

 どうあがいても埋まることのない溝。

 一年生と二年生。

 後輩と先輩。


 僕が部長と一緒にいられることなど、本来ならあり得ないのだ。


 部長が留年すれば話は別だが……


「同じクラスなら、こうやって、いつでも顔みれるのにね」


 部長と同じクラスだったら……

 同級生だったら……


 部長からの、初夏に吹く風のように爽やかで優しい声を受け、

 僕は部長へ顔を向ける。

 

 窓から差し込む沈みゆく日の光が、太い光線となって部長の背後を照らし、オレンジ色に温かく包み込んでいる。

 美しい髪が、落ちていく夕日の輝く光の中で、燃えるように赤く染まっていた。


 その中でも部長は、変わらずに僕に微笑みを絶やさないていてくれた。 


 一緒のクラスだったら、毎日楽しかったのだろうか?

 そしたら、そもそも、こんなに仲良くなることもなかったのでは?


 きっと同じクラスだったら、こんなには仲良くならなかっただろう。

 一般男子生徒のモブ男の僕に、学年一の美少女の部長。


 きっと接点もなく、話すこともなく三年間終わってしまうだろう。


 たまたま部活で一緒になっただけ。

 学年が違ったから相手にしてくれただけ。

 

 もし同じ学年で、同じクラスだったとしても……   



「かー! なー! えー!!」


 静寂を切り裂く突然の大声!


「こんなところで! なにしてんのよ!!」


 後ろから怒鳴り声がしたので振り向いたら……


 えらい剣幕の深谷先輩が……


「なにサボってるのよ!」

「サボってないよ、ちゃんと勉強してるよ」


「早く来なさいよ、部室ほったらかしにしてるんだから!」

「あー」


 そういって深谷先輩は部長の襟首つかむと、ズルズル音を立てながら強引に引きずって行ってしまった。


「春山くんー またあとでねー」


 部長はそう言い残すと、二人は消えていった。


 ……何だったんだ、本当に。


 本当に忙しい人だ。


 教室はまた静けさを取り戻し、中には僕一人だけ。


 僕は気を取り直して、勉強を続けようとする。


 ……と、視線を戻すと、横には部長が勝手に持ってきた席が取り残されていた。


 しょうがないなー

 と、立ち上がって席を元の位置に戻す。


 ……

 ………さっきまで、ここに部長がいたんだよな……


 僕はなんとなく、その椅子に腰を下ろしてみた。

 そして、机を手のひらでさすってみた。


 別に何の変りもない椅子と机だった。


「なにやってるんだろ、じぶん」


 心なしか机からは、夕暮れ時の暖かい香りと共に、部長の髪の残り香がしたような気がした。

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