第21話 新茶の季節
今日も放課後は部活。
僕はいつものように部室へとやってくる。
たいていは
そして今日も茶室に入ると、やっぱりいつもの二人が先に座っていいるのだった。
だが今回はいつもと違う。
和室の真ん中にちゃぶ台を広げ、お茶を飲んでいたのだ。
「あの……何してるんですか?」
「おはよう、春山くん。春山くんもお茶飲む?」
部長が湯呑み片手に、僕にお茶を進めてくる。
「いや、まあ、部活に来たんで、お茶は飲みますけど」
そう答えて僕も二人のところまで行き、腰を下ろす。
お茶と言っても二人が飲んでいるのは、普通の緑茶だ。
茶道では抹茶を使って、お茶碗で飲むのものだけど……?
ちゃぶ台の上に急須があり、お盆に盛られたお菓子を前にして、白い円柱の形をした瀬戸物の、普通の湯呑みで緑茶をすすっているのだ。
普通のご家庭の一般的な日常風景。
いかにも家の中の和室、という光景が目の前に存在している。
まるで部長の家にお邪魔したような感覚にだ。
「部長、これも茶道の一つなんですか?」
「違うよ」
即答。
しかも、違うんですか。
部長は礼儀正しく両手で湯吞みを持ち、お茶を口に含み飲み込むたびに「ふぁ~」と気の抜けた声をもらす。
顔が完全に溶けかかって、おばあちゃん見たいになっている。
まさに今ここは、おばあちゃんがいるような和室。
「急須に、お茶に、せんべいと。これ、もう、完全におばあちゃんみたいになってますね」
「おばあちゃん?」
静かにお茶を飲んでいた深谷先輩の眉間にしわが寄る。
「いや、なんでもないです」
また余計なことを、つい口を滑らせてしまった。最近思ったことを口に出してしまう癖がついてしまったようだ。
「春山くんにも、お茶、注いであげるね」
「はぁ」
そういうと部長は手際よく、急須にお茶葉を入れ、ポットからお湯を入れ、くるくる揺すって、湯呑みに注いでくれた。
普段緑茶なんて飲まないのだが、せっかくなのでいただくことに。
「いただきます」
「どうぞ」
熱々の白い湯気の立った、きれいな黄緑色の緑茶を一口、口の中に入れる。
あ…… 美味しい。
そんなに苦みもなく、ほんのり甘く、それでいてあっさりしており、後に引かない。
「どお?」
「すごく美味しいです」
「でしょ。新茶だからね。手に入れたから、せっかくなら皆で飲もうかなって」
「新茶?」
「その年で最初の新芽で作ったお茶のことよ。4月下旬から5月にかけて収穫されるから、まさにこの時期が旬ね」
「へー」
深谷先輩の解説をありがたく聞きながら、僕はお茶を飲む。
「春山くんと同じだね」
「はい?」
「入学したての新芽さん。茶道初心者の若葉マーク」
「はあ……」
「きっと、春山くんでお茶作ったら美味しいかもねー」
「……」
僕をお湯につけてとったお茶?
何言ってるんですか、部長……
「香奈衣、汚いこと言わないの。お茶が不味くなるでしょ」
「……」
なんてこと言うんですか、先輩……
とにかく僕は部活をしに来たのだ。
のんびりくつろぎに来たわけではない。
「あの、新茶が美味しいのは分かったんですが、茶道の練習しないんですか?」
深谷先輩はそれを聞いてゆっくりと手にした湯呑みを置くと、
「これも立派なお茶の勉強だと、思うんですけど?」
続けて部長が、
「美味しいお茶を作るための、急須の使い方もあるんだよ」
と続ける。
「はあ」
どう見ても茶道の一環としてではなく、お茶を飲んでお菓子を食べてのんびりしている、おばあちゃん二人にしか見えない。
「そう……そんなに不満なのね」
「いえ別に……」
深谷先輩がゆっくり立ち上がり、僕を見下ろす。
「なら、部活っぽいことしましょうか?」
「え?」
「利き茶でも、してもらいましょうか?」
「利き茶?」
僕を試すかのような目つきで、そんなことを言い放った。
「わー 面白そう! 私もやる!」
そして部長は勝手に盛り上がってる。
「あの、ちょっと、待ってくださいよ……」
僕はただ茶道の練習がしたいだけなのに……
こうして僕の意向を無視して、勝手に「利き茶」テストが始まった。
しばらくして僕の目の前に、5つの湯呑みが並ぶ。
それぞれにお茶らしき液体が入っている。
一番左が薄緑色、
その次から薄い茶色、
赤っぽい茶色、
濃い茶色、
黒っぽい茶色、と並んでいる。
緑以外、全部茶色。
もう茶色、としか表現できない。
「さあ、春山君、どれが何のお茶か飲み比べてちょうだい!」
「えー いや、分からないですよ」
深谷先輩の気迫のこもった口調に、僕は抵抗する気も萎え、しぶしぶ利き茶をすることに……
「ちなみに間違えたら、あなたのおごりで、お茶しに行くから」
……えっ、本気ですか?
「お茶会! いいね。新しくできた紅茶の専門店行きたいなー」
「私も気になってたのよ。春山君がおごってくれるそうよ」
「いや、あの、僕はおごる気ないですし、まだこの勝負やるとも……」
「早くしないと、冷めて味が分からなくなるわよ!」
そんなこと言われましても……全然分からないですよ、これ。
そもそも、五つ湯呑みが並んでいるが、こんなにお茶の種類があるなんて知らない。
もう、見てても分からないし、許してくれそうにないので、とりあえず、ひとつずつ飲んでみる。
緑茶は分かった。見た目も味もすぐわかった。まさに今飲んでたやつだ。でも残りはよく分からない。味が違うのは分かるが、それが何なのかは分からない。
一つは、ほうじ茶かなー
でも、どれがほうじ茶かは分からない。
僕があれこれ悩んでいる目の前で、部長も一口ずつ、勝手にお茶を飲んで回っている。
しかも、僕が口を付けた後の湯呑みで……
「あっ! 分かったかも」
そう言って部長は深谷先輩の耳元で、答えをささやき始めた。
「さすが香奈衣ね、全部正解よ」
「やったー」
なんだよこれ、結局二人で楽しんでるだけじゃん。
こんなの絶対分からないよ。
「春山くん、分からないの?」
「わからないです」
そんな部長が心配そうに声をかけてきてくれて、
「しょうがないなー ヒントあげるね」
と、実に慈悲深いお言葉を頂いた。
「一つは煎茶とほうじ茶でしょ。あとは、ウーロン茶、プーアル茶、紅茶」
「あー なるほど。ウーロン茶と紅茶ね」
そっか、紅茶もウーロン茶もお茶か。
でも紅茶をストレート無糖で飲んだことない。
で、プーアル茶ってなに? 知らないんですけど……
「早くしなさい! 香奈衣は分かったのよ」
「いやー その……」
「あなたも茶道部部員なら、これくらい分かるでしょ!」
新茶を飲んていたのをバカにされて怒っているのか、深谷先輩のあたりが厳しい。
そんな……もう、無茶苦茶な……
なに、ムキになってるんだよ……
僕は、もう一度、左から順にお茶を一口ずつ飲んでみる。
一番左の緑のは、煎茶。
次が飲んだことのある味だから、ほうじ茶?
その次がー ???
で、その次が、すごく苦いから、ウーロン茶?
最後が……?
「もういいかしら!? どれが何!?」
僕が腕を組んで首を傾げているのを見て、しびれを切らした深谷先輩が回答を迫ってきた。
「えっ? あー 左から……煎茶!
ほうじ茶!
あ…プーアル茶?
ウーロン茶??
紅茶???」
「あ――― 春山くん、残念ー!」
「え?」
「惜しいわね。プーアル茶と紅茶が逆で、あとは合ってるわよ」
ええぇ……
「じゃあ、春山君、お茶会楽しみにしてるから」
「春山くん、ごちそうさま!」
マジですか……
「あ、あの……ちなみにお茶代って……金額どれくらいするんです?」
「そうね…… 前菜とデザート、紅茶のセットで3,000円くらいね」
「え? 3,000円!? もするんですか?」
一人3,000円。三人で9,000円。
お茶しに行くだけで?
うはー
「じゃあ勝負は終わってから、このお茶、全部飲んで片付けてちょうだい」
非情にもそういうと、深谷先輩は急須やお菓子などを片付けに台所まで行ってしまった。
はあぁぁ―――――
こんなの無理ゲーだよぉ……
気力を使い果たした僕は、残された湯呑みのお茶をゆっくり少しずつ飲み込んでいく。
すっかり冷えたお茶は、とても苦い液体になってた。
「春山くん、私も手伝ってあげるね」
部長はそういうと、残りの湯呑みのお茶を全んぶ飲み干していく。
……部長。
僕が口付けて飲んでる湯飲みですよ?
本当にこの人、他人が口付けたものでも平気で飲んだり食べたりするよねー
そして僕は、すっかり空っぽになった湯呑み五つを、うなだれながら眺めていた。
はぁ……
すると不意に部長が近づいてきて、僕の顔を覗き込みながら、語りかけてきた。
「春山くん、知ってた? このお茶全部、原料は同じお茶の葉からできてるんだよ」
「え? 本当ですか?」
僕はスマホを取り出し、検索してみる。
緑茶、紅茶、ウーロン茶、同じお茶の木からとれる。
『カメリアシネンシス』の葉からできていて、作り方が違うと……
「本当でした、部長」
「私の言ったこと信用してなかったでしょ」
スマホで確認した僕に対して、ほほを膨らませて怒る仕草をする部長。
「すみませんでした」
「もー」
そうだったんだ。みんな同じ原料なんだ。意外だった。
今飲んでたけど、味は全部違ってたんだけど。
「ねぇ、春山くん?」
「はい」
「春山くんはどんな味の人になるのかな?」
「えっ?」
急な部長の謎発言。
またいつもの、部長の良く分からない言葉で、僕は顔を持ち上げる。
「お茶はね、みんな同じお茶の葉からできてて、その育て方、工程や作り方で味とか変わってくるんだよ」
「へー なるほど」
「私たちも、みんな同じ人間だよね」
「……?」
「同じ高校に入学して、それぞれ違う経験してきて、卒業するときは個性の分かれた、いろんな持ち味を持った人になるでしょ?」
「……」
「お茶も人も同じだね。その後の過程でどうなるか変わるからね」
「…………」
「春山くんは、どんな味がするようになるのかな?」
「それは……」
そんなこと急に言われても……
「私、飲んでみたいなー 春山くんを」
僕は、優しく微笑みながら僕を見つめる部長の視線に耐え切れず、顔を背け、空になった湯呑の中をずーっと見ていた。
お茶も人も同じ……かぁ。
僕なんか雑草だと思うけど。
部長は高級茶葉なんだろうな、きっと。
僕なんかが美味しいお茶になれるはず、ないよ。
そんな……僕がどんな味になるかなんて分からないよ。
でも、僕が入学当初に思い描いていた将来の僕と、
今、この経験上の先にいる将来の僕とでは、
きっと大きく変わっているのだろうということだけは、
はっきりと自覚していた。
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