第9話 喫茶去

 買い物も無事に終え、休憩しようということで、僕たちは近くの喫茶店に入ることとなった。


 運よく4人掛けの席が空いていたため、秋芳あきよし部長と深谷先輩が並びですわり、むかいに僕が腰を下ろした。

 こじんまりとしてはいるが、内装や装飾はしっかりとした喫茶店である。

 レトロな感じの木目調を基調としており、全体的に温かみのある落ち着いた空間が広がっている。


 僕は今までこんなところに入ったことはない。

 一緒に入る相手もいなければ、一人で入る勇気もない。

 何より喫茶店に来る必要がない。



「まさに喫茶去きっさこだね」


 席についた部長が、開口一番に変な言葉を口にした。


「きっさこ?」

「喫茶店の喫茶に、去るって書いて、喫茶去きっさこ。茶道の言葉で、まぁとりあえずお茶でも一杯飲みなさい、って意味よ」

「はあ」


 深谷先輩の解説も、もう、おなじみとなった。


「そうそう。歩き回った時も喫茶去。勉強に疲かれた時も喫茶去。お腹空いた時も喫茶去」


 部長が言う、その喫茶去は、単なるサボりじゃないの?


 そんな目の前の部長は、きっさこ、きっさこ、と唱えながらメニューブックを覗き込んでいる。


「のど乾いたね。ねえ、何にしようか?」

「私はアイスティーでいいわ」

「ん~何にしようかなー  ミルクティーにしようかな。冷たいので」


「春山くんはどうする?」


 と、部長がメニューブックをぐいぐい見せてくる。


「あー じゃあ、アイスコーヒーにします」

「コーヒー? 春山くん、大人だね!」


 アイスコーヒーを選んだ僕を、部長が目を輝かせながら褒めてくれるが、別にコーヒーくらい飲みますよ。

 でも、ここは二人に合わせてお茶にすべきだったのだろうか?

 茶道部の部員って、お茶しか飲んじゃいけない決まりなのかな?

 ……いや、関係ないかな。


「あと、何か食べる?」

「私はいらないわ」


「私は……ケーキ食べようかな〜 春山くんは?」

「えっ? あ~ じゃあ、これを」


 部長に促されて、僕は適当に写真のあったパウンドケーキを指さしてしまった。


「みんな決まったね」


 部長はメニューブックをしまうと、手際よく従業員を呼び注文を伝えた。


「これで道具もそろったし、ちゃんと練習できるわね」

「はい。二人のおかげです。ありがとうございます」


 飲み物が来る数分の間、深谷先輩が道具の使い方や名称を説明してくれた。

 しかし、いまいち把握できるわけもなく、そうこうするうちに注文の品がやってきた。


 喉もいい感じに乾いてたので、早くコーヒーを飲もうとしたが、変に誰かからの視線を感じる。

 顔を上げると、やはりというべきか、部長がこちらの様子を上目遣いでうかがっていた。


「どうしたんですか?」

「コーヒー……美味しそう……」


 ……自分のがあるじゃん。


「ちょっと飲んでもいい?」

「はあ?」


 またですかー!?

 なんでこの人は、他人との飲み回しに抵抗がないんだよ。


「春山君。あまり気にしないで」


 と、そこで深谷先輩が説明する。


「香奈衣は末っ子で、お兄さんとお姉さんがいるのよ。で、昔っから上の子が飲んでるものを飲みたくなって、せびるのよ」

「そうなんですか……」


 部長の家庭の事情まで聞かされて、気にするなと言われましても……

 僕には関係ないですし。

 きょうだいでもないですし。


 と、深谷先輩と話してる隙に、僕のコーヒーは部長に奪われストローに口を付ける寸前までいっていた!?


「ちょっと、なにし……」

「うぐぃ~ 苦いー」

 

 僕が止めるよりも早く、一口飲み込んだ部長は、そのコーヒーの苦さに顔をしかめ、奇麗な顔が台無しになるくらい、クシャクシャになった顔をそむけた。


 まさかアイスコーヒーをそのまま飲むとは思わなかった。

 まだシロップもミルクも入れてないし。


 そんな部長の悶絶する姿に、思わず吹き出してしまった。


「そりゃあそうですよ。まだミルクもシロップも入れてないんですから」

「もー なんで入れてくれないの? 早く入れてよ!」


 そんなこと、店内で大声で言わないでもらいたい。


「……春山くん、初めて笑ったね」

「え?」

「笑ってる春山くん、かわいいねっ」


 微笑んでいる部長が僕の顔をじっーと見ている。


 ……

 …………

 ……恥ずかしい。

 

 もー 部長の失敗を笑ったのに、逆にこっちが恥ずかしくなるなんて。

 もう部長の前では、笑わないようにしよう。


 僕は恥ずかしいのを隠すように部長からコーヒーを奪い返すと、ミルクとシロップを入れて差し出した。


 それを「ありがとう」と言って受け取り、口にする部長。


「ん~ コーヒーも美味しいね」

「そうですか。それはよかったです」


「私の、少し飲む?」

「いや、いらないです」


 僕ものど乾いていたのでコーヒーを飲もうとするが……部長の口付けたストローは避け、グラスで直に飲むことにした。


「ねえ、春山くん。これちょっと食べてもいい?」

「なんですか、今度は」

 

 手元を見ると、僕のケーキに部長が手にするフォークが迫っていた。


「……どうぞ」


 遠慮なしに、僕の分も口をつけていく部長。


「うん! 甘くて美味しい―」

「そう……ですか」


「私のもあげるね。はい、あ~〜ん」

「いや、いらないです」


 そんな僕たちのやり取りを遮るように、

「で、春山君。今後の予定だけど」

 と、深谷先輩が話を元に戻した。


「文化祭が一つの基準になるから、それまでに一通りのことは覚えてもらうわよ」

「はい」


「ねぇ、春山くんって兄弟いるの?」

「え? えぇ、妹が一人」


 真面目な話をしてるのに、また部長が割って入ってきた。


「今、何年生?」

「中学、二年生ですけど、それが?」

「いーな。私も妹欲しいなー」


「あの、香奈衣」

「なに?」 


「これから部活の話をね……」

「もういいじゃん。今日、休みの日だよ。今は部活じゃないよ」


 そういわれた深谷先輩は、話を続けるのを諦めアイスティーを飲み始める。


「春山くんは、いつも家帰ってから、なにしてるの?」

「別に何も……」


「趣味とかは?」

「特に……ゲームしたりとか、本読んだりとか」


「本読むんだ! どんな本?」

「本というか、漫画というか……」


「私も読んだことあるやつかなー」

「それはちょっと、分からないですけど」


 なんで部長、僕の個人的なことばっか聞いてくるの?

 深谷先輩も同じ疑問を感じたようで、


「ねえ、香奈衣」

「なに?」


「これ、なんの面接?」

「ただ、春山くんがどんなことしてるのか気になっただけだよ〜」


 もうやめませんかね、この話題。


「あの、部長……じゃないや、秋芳先輩。これからの部活の流れというか、なにか文化祭以外のイベントとかあるんですか?」


 僕は自分の話題を変えるために、部活の話題へと戻し聞いてみた。


「イベント? いっぱいあるよ。毎日がイベントだよ!」


 毎日イベント? 

 ということは、僕は部長に毎日振り回されるということなの?


 それは勘弁だな〜


「これから忙しくなるよね」

 と深谷先輩に投げかける部長。

「そうね。学校行事では体育祭があるし、中間試験もあるし」


 そうそう、部活以外にも、やらなくてはいけないことが沢山あるのだ。


「部活で掛け軸書いたり、浴衣作ったりねっ」


 ……え? 今、部長、なんて言ったの?

 掛け軸? 浴衣?


「中間試験が終わったら、すぐ期末試験だから、しっかり授業受けて勉強しないと」

「期末が終わったら夏休みだよね。今年は合宿したいね。花火大会に、夏祭り。あっ、そうだ! バイトしないと」


 花火大会?

 夏祭り??


 あれ? どんどん部活と関係なくなってきてるぞ?


 なにはともあれ、今後は忙しくなるということは変わりないようだ。


 は―――――っ!


 僕は背もたれにゆっくりと体を預けながら、大きく息を吐き出す。


 気が付いたらテーブルの上のケーキも食べ終え、飲み物も底をついてるほど、時間が過ぎていた。



 しばらく休んだ後、僕たちは店を出る。


「春山くん、この後どうする? 私たちもう少し買い物していくけど」


 どうすればいいんだろうか?

 僕は帰りたいが、買い物に付き合った方だいいのだろうか?


「春山君、帰った方がいいわよ。これから服や下着を買いに行くんだから」

「えっ?」

 

 部長が僕のことをニヤニヤしながら見ている。


「一緒に来ると、大変よ」


 深谷先輩の一言で全てを察した。

 ついて行ったら、きっと部長が……


 どの服がいいかな? とか、

 春山くんも着てみる? とか、

 この下着、どうかなー? とか!?


「僕はここで失礼します」


「春山くん、帰っちゃうのー?」

「早く帰って練習したいんで」

「そっか、残念だけどしょうがないね。また今度だね」


 よし、うまく逃げられそうだ。

 悲しそうな部長には申し訳ないけど、また僕がからかわれるのが目に見えるので。


「深谷先輩もありがとうございました」

「はい、お疲れ様」


「春山くん、またねー」と手を振る部長をしり目に、足早にその場を後にする。


 これ以上付き合ったら、身が持たないよ。



 家に着くと、部屋に戻るなり、早速購入した道具を広げてみた。

 中でも一番目を引くのが紫の帛紗(ふくさ)。


 きれいだなー やっぱり。


 しばらく触ったりして遊んでいると、スマホにメールの着信音が。


 着信っていったら部長しかいない。ほかに登録してる人いないんだから。


 やっぱり部長だ。


 何の用事だろう……


『どっちの色がいいかな?』

 という文章と共に、薄いピンクのブラジャーと水色のブラジャーの写真が送られてきた。


 ……なにしてんの? この子?


 僕には選びようがないので、しょうがないので新品の手元にある帛紗の写真を送って、

『紫 きれいですよ』

 と、送り返した。


『紫 きれいー 

 今度、見せて触らせて!

 私のブラジャー見て触っていいから!』


 ……


 ……部長。


 家に帰ってきている時くらい、

 ゆっくりさせてよ……


 適当に、

『今日はありがとうございました。お疲れ様です』

 って、送って終わりにした。


 そうだ、お香買ってきてたんだ。

 試してみようかな。


 線香が入っている筒を取り出し、開封する。


 すると微かに、あの匂いがする。

 でも、いざお香を焚こうと思うも……

 線香立てるものも、火もない。


 しょうがないので仏壇までいって、家族にばれないように線香立てとライターを調達してくる。

 泥棒のように、それを抱えて部屋に戻ろうとするとき、運悪く妹に出くわしてしまった。


「……兄さん、なにしてんの?」

「あ? 別に関係ないだろ」


 タイミング最悪。 

 僕がお香なんて焚いてるなんて知られたら、家族でも恥ずかしい。


 気を取り直し部屋に戻ると、さっそく一本の線香を立てて火をともす。


 すると僕の部屋は一瞬で、あの茶室へと変わった。

 目を閉じれば分からない。

 ここが部室なのか、僕の部屋なのか。

 茶室と一緒の匂い。

 そして横にはあの部長がいるような感覚。

 今にも話し声が聞こえてくる感じ。


 匂いと記憶は密接に関係している。


 そうすると、僕はこの香りを嗅ぐたびに、きっと部長のことを思い出すんだろうな……


 そんなことを思いながら、

 部屋がお香の匂いで満たされる中、

 僕はしばらくの間、

 時間が過ぎるのも忘れ、

 帛紗捌きの練習を続けていた。

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