第8話 香りを買おう
今日は5月の祝日。この休みを利用して、秋芳部長と深谷先輩とで、僕の茶道道具を買いに行く日だ。
天気は見事な快晴。だが僕の心は曇り空。
夜、緊張して全然眠れなかったのだ。
もしかしたら、高校入試当日よりも緊張しているかもしれない。
なんせ女の子と一緒に外に出かけることなんてなかったし、なに話せばいいか分からないし、着ていく服だって分からない。
朝から悩んでいるが、約束の集合時間「駅前に13時」が迫ってきていた。
相談する相手もいないし、スマホからのネット検索くらいしか頼れるものがない。
とりあえず、今ある一番いい服、黒いズボンと灰色のパーカーを着て向かうことに。
どうしよう、変かなー 笑われるかなー
しかも早めに向かおうと駅前に10分前に着いたはいいけど、すでに二人は待っていたという失態。
女性の先輩を待たせるとは、本当に情けない男だ。
私服姿の先輩は、いつもの制服姿よりも、かわいく見えた。
秋芳部長はベージュのロングスカートに、白い長袖の上着。
深谷先輩は青いジーンズに、薄い緑のオーバーサイズのシャツ。
まぁ、スタイルの良い二人は、何を着ても絵になるから問題ない。
「すみません、お待たせしました」
「おはようー 春山くん」
「おはよう」
笑顔で迎えてくれた部長に、いつも通りの深谷先輩。
こういう時は、なにを話せばいいのかな?
最初は服装を誉めればいいのかな?
僕のために時間を作ってくれたことの感謝?
「部長、今日は……」
と言いかけたところで、部長に口を指でふさがれた。
「今日は、部長じゃないのっ!」
「え?」
「学校じゃないし」
そっか、確かに学校外で可愛い女の子に“部長”と呼ぶのはおかしいし、言われたほうも恥ずかしいだろう。
「そしたら、えーっと……秋芳先輩?」
「別に下の名前で呼んでもいいよっ!」
香奈衣、さん……って呼ぶの?
やだ! 僕のほうが恥ずかしい!
「……秋芳先輩に深谷先輩、今日はよろしくお願いします」
「はい!」
僕たちは駅に入り、終点までの電車に乗り込む。
車内は昼過ぎであってもそれなりの人で、席は埋まってチラホラ立っている人がいる。
家族連れや年配の人、僕たちと同じくらいの年齢の子などが乗っていた。
部長たち二人は扉横の隅にかたまり、ひそひそと楽しそうに会話してる。
二人はどんな服を着ても、どこへ行っても美人は美人。
それに比べて僕はありふれた男の一人。
そんな二人の仲間だと周りから見られると恥ずかしいので、僕はちょっと離れたところで吊革につかまって他人のふりする。
「ねえ、春山くん?」
わ〜〜!
部長が話しかけてきたー!
「な、なんですか?」
「どんなの買うか決めてきた?」
「いや、まだ何も」
「扇子とかも、絵柄がいろいろあるから、面白いよ」
もー 買い物とか扇子とか、恥ずかしいよ。
前に座ってるおばさん、ちらちらこっち見てるし……
「あの……着いたら探しますんで、今はちょっと、はい」
「着いたら一緒に選ぼうね」
周りからはどう見られてるんだろう。
僕たちのこと。
僕と部長は、部活の先輩後輩だよ。
それ以上でもそれ以下でもない。
なんか、恥ずかしいなー
部長が美少女過ぎて、車内から視線を集める分、僕も注目されてしまって……
早く電車、着いてくれないか。これじゃあ拷問列車だよ。
ちょくちょく話しかけてくる部長をうまくかわしながら、20分ほどで終点までたどり着いた。
終点の繁華街は、やはり休日ということもあって、人の流れは多い。いろんな人が行き交っている。
周りから見た僕たちはいったいどんな関係に見えるのだろうか。
「春山くん、早く早く、こっちだよ」
「はいはい」
どんどん進んでいく二人に置いて行かれないように必死についていく。
しかしなんで僕の買い物なのに、部長が一番楽しそうなんだ?
僕が連れてこられたのは、駅ビル内の本屋や雑貨屋の入っているフロアー。
その一番奥の片隅に、そのお店はあった。
和風の小物やら文房具なんかも置いてある店舗。
本屋は結構な人がいるが、ここはまばらだ。しかも店内を見ているお客は、みんな女性だ。
そんな入りにくい店に、僕は部長に連れられて入っていく。
店内には見たこともない道具や、高そうなものが並んでいる。
「まずは帛紗(ふくさ)だね」
そういって部長が持ってきて見せてくれたのが、紫の帛紗。
「色は紫なんですか?」
すごく奇麗な品のある紫色。部長のは朱色だったのだが。
「男性は紫ね。流派によって違うけど」
深谷先輩が横から説明してくれた。
「流派とかあるんですね」
「そのうち説明するわ」
「次は、扇子!」
と、部長に見せられた扇子は、なんだか小さいおもちゃのような扇子。
「扇子も男女大きさ違うから気を付けるように」
「そうなんですか?」
「それと、この扇子は開いて扇いだりする道具じゃないから」
「え? そうなんですか?」
「それもまた説明するわ」
「はい」
そういえば部長たちも扇子は持っているが、一度も開いたとこ見たことない。
たしか、正座して挨拶するときに膝の前に置いていたような……
「絵もね、色々あってかわいいんだよ」
と、部長がどこからともかく広げた扇子を持ってきた。
そこには紫の花が描かれていた。
広げない扇子に、どんな絵が描かれていても関係ないのでは?
「こっちはね、俳句が書いてあるんだよ」
「はあ……」
「これは、お茶碗の絵。で、これなんか猫が寝てるんだよ」
次から次へと持ってきては見せてくれるが……
正直どれでもいいです。
「これ凄いよ。金ぴかだよ」
どこからともかく、今度は金色の下地に鶴と松の木が描かれた扇子を持ってきた。
「香奈衣、これどこから持ってきたのよ」
「え? ここにあったよ」
と、それがあるべき棚の値札を見ると、
「い、1万!?」
「早く戻しなさい!」
ダメだ、部長と選ぶと、とんでもないことになる。
その後、僕たちは深谷先輩主導のもと、順調に買い物を進めた。
お菓子を取って載せたり、ティッシュのように汚れを拭きとったりするのに使う懐紙(かいし)。
お菓子を取ったり切ったりするのに使う楊枝と楊枝入れ。
それら一式をまとめて入れておく帛紗ばさみという、長財布のような袋。
よし、これで全部か。会計しようかな。
「ねえ、春山くん、ちょっと私も買い物していい?」
「え? ああ、いいですけど」
そういえば部長も僕につきっきりで、道具を選んでくれていた。部長だって買いたい物があるはずだ。今度は僕が部長の後をついてくと、そこにはたくさんの線香が並んでいた。
「お線香? ですか?」
「そう、お香」
お線香なんてどうするんだろう? お墓参りでもするのだろうか?
「私も買っていこうかしら」
そう言って深谷先輩と部長は、お目当てのものを探し始めた。
「春山君、茶道においてもお香は重要な道具の一つなのよ」
「そうなんですか」
今までお香とか香水とか、匂いには興味なかったので、そのへんのことは詳しくはない。
試しに『
いい匂いだけど、甘ったるいような……
「どお?」と部長に尋ねられても、「んー」としか言えなく、上手く言葉で表現できない。
「人間は嗅覚が一番退化してるから。甘い匂いとか、さわやかな匂いとか、全部ほかの感覚で表現してしまうのよ」
と、深谷先輩が言う。
確かに、甘い、は味覚だし、さわやか、は触覚だし。
「その代わり、記憶と密接に関係してるわね。ある匂いを嗅いだら昔のその場面が呼び起されたとか」
「なるほど」
そういえば、そんな経験もあったような……
塩素系の洗剤の匂い嗅いだら、小学校のプールの時間を思い出したりとか、かな?
「春山君、これどう感じる?」
そう言って深谷先輩は一つの筒を僕に差し出す。
この匂い、どこかで嗅いだような……
古い着物についてそうな……
「ん〜〜 おばあちゃんの匂い……?」
「はぁ!? おばあちゃん!」
あの深谷先輩が声を荒げた。
「いや、違くて、田舎のおばあちゃんの部屋がこんな匂い、だったような……」
「田舎の……おばあちゃん……」
「たぶん仏壇かなにか、あったから……かな?」
「仏壇……」
深谷先輩の顔がどんどん暗く曇ってゆく。
やばい、悪気はないのに、どんどん酷い事を言ってしまってるようだ。
もしかしてこの香りって、深谷先輩の好きな香りだったとか?
「あ、あの、べ、別に先輩が、おばあちゃんぽいとかじゃなくて、ですね」
「そうに決まってるでしょ!」
「あの、すごくいい香りだと思います! はい」
「……これ、私の好きな匂いだったのに……なにが仏壇よ、まったく!」
深谷先輩はイライラしながらつぶやくと、別のお香を探しに行ってしまった。
なんか、すごく悪いことをしてしまった。
「春山くん、これどうかな?」
今度は部長が線香の入った筒を持ってやってきた。
そしてそれを僕の鼻先まで掲げた。
今度は部長のお気に入りの香りかな?
変なこと言わないように注意しないと。
僕は匂いを嗅ごうと、筒に鼻を近づける。
すると?
なぜか部長も!?
鼻を近づけてきて、目を閉じた!?
「これ、私、好きなんだ」
「えっ!?」
瞳を閉じて澄ました顔の部長が、僕の目の前に。
そして“好きなんだ”という言葉をかけてきたので、思わずドキッとしてしまう。
息も吹きかかるような距離。
そこに、まるでキスでもねだるかのような、ちょっと背伸びして向ける、瞳の閉じた綺麗な顔。
近い! 近いって!
そんな奇麗な顔、近づけないでって……
僕と部長の顔の間は数センチ。
僕が狼狽えているところに、二人を割って入るかのように、あのどこかで嗅いだことのある香りが漂う。
これは………
どこかで……
たしか部長から借りた帛紗の……
「帛紗の匂い……」
「帛紗?」
と、部長の目が開く。
「いや、帛紗じゃなくて部活!
そう! 初めて茶室に入った時の、香りに似てるなーって!!」
部長に借りた帛紗の匂いだなんて言った日には、人の物の匂いを嗅ぐ変態と言われかねない。
「そうだよ! よくわかったね!
これ、私のお気に入りなの!」
「えっ?」
「新入部員のために、和室で
部長は僕の言葉に嬉しそうに反応し、子どものように笑って言った。
「今日、これ買っていこうかなー」
部長はさらに機嫌よく嬉しそうに髪を振り乱し、そう言うと深谷先輩の方まで歩いて行った。
そうなのか。
あの匂いは、部長が好きで付けていた匂いだったんだなー
部室の香りも、帛紗の香りも。
お香か……
せっかくだから一つ買っていこうかな。
予算もまだあるし。
ほかのもいろいろと試しに嗅いでみたが、結局、部長と同じのが一番いいと感じた。
部長も好きだから……という理由ではなく、本当にこの匂いが僕も好きだからだ。
ただ、これを買っているところを見られたら、また部長にからかわれるに違いない。
「春山くんも私とおんなじの、好きなんだねぇ〜」
とか、ニヤニヤしながら言われるに違いない。
そこでこっそり、二人のいない隙を見てレジに持っていく。
ちょうど二人は奥の方で何かを見ているところだ。
「いらっしゃいませ」
「これ、お願いします」
「贈り物ですか?」
「あー 違います」
「サイズや用途など、お間違いないですか?」
「大丈夫です」
もー 見つかるから、早くしてよ。
「袋にお入れしますか」
「お願いします」
「3円かかりますが、よろしいでしょうか?」
「お願いします」
「ポイントカードはお持ちですか?」
「ないです!」
「お作りしますか?」
「いらないです!」
たのむよー 早くしてくれよー
部長たちに見つかったら、厄介なんだよ。
「では、合計で8800円頂戴いたします」
けっこうするなー
しょうがない。この一万円札を差し出すしかない。
「一万円お預かりいたします。一万円入りまーす」
入りまーす。
なんて叫ばなくていいから!
会計してるのバレちゃうから!
そして店員さんは一万円札を手に奥の方に。
なんで目の前のレジじゃなくて、後ろの金庫みたいなのに入れるの?
「お待たせしました。1200円のお返しです」
そこから一つ一つゆっくり丁寧に商品を袋詰めしてくれる。
早くしてよー ホントにもー
そのお線香だけ、早くしまってくれない?
「春山くん、もう買ったの?」
「わっ! あっ、はい、買っちゃいました!」
店員さんから袋を手渡されると同時に、横から部長に声をかけられた。
まさに危ないところだった。
「ねぇ、見せて見せて」
「ちょっ!」
勝手に袋の中を覗こうとするから、思わず振りほどいてしまった。
「ん?」
「いやー 楽しみを取っとくというか、そのー 今度持ってくるまでのお楽しみということで」
「そっかー じゃあ、次のお稽古の時に持ってきてね。楽しみにしてるから」
危ない……何とか回避できた……
部活で使う道具を揃えるという、当初の目的を達成したので、あとは無事に家に帰るだけだ。
「ねぇ、この後、お茶でもしていかない?」
「え? お茶ですか?」
「うん」
部長が明るい声で提案してくる。
そうか……
まだ続くんだ……
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