第3話 三人での下校
時刻が下校時間の18時に近づくと、今日の部活動も終わりを告げようとしていた。
「じゃあ、今日の稽古は終わりにして、帰ろうか」
「はい、ありがとうございました」
僕と秋芳部長と深谷先輩は、お互い向かい合い、正座し両手の指先を畳につけ頭を下げた。
部活の初日。たいして体は動かさなかったが、なんだかすごく疲れた。
半日の授業よりも数時間の部活の方が疲労感が高いなんて。
高校の部活動ってこんなに疲れるものなのかな……
というか、初日の部活は秋芳部長の生足を見て、靴下を履かせて、膝の上に乗っかられ、深谷先輩に何度も叱られたことくらいしか印象に残っていない。
疲労感の原因はきっとそれに違いない。
「そういえば春山くんって、家、近くなの?」
荷物をまとめ部屋を出ようとする僕に、部長がおもむろに尋ねてきた。
「はい、近いですけど?」
確かに僕の家から学校までは近い。歩いて15分くらいである。
というか、近くて登下校に楽という理由でこの高校に進学したほどだ。
この学校のレベルは僕の学力よりちょっと上だったので、入試勉強には一苦労だったものだ。
「僕、今日は歩いて来てますけど……」
「うん、知ってるよ」
……え?
「いつも駅とは逆の裏門から歩いて登校してるもんね」
部長はなんでもお見通しのように、当然のことのように切り返してきた。
何でそんなこと知ってるんだろう……
確かにそうではあるけど。
電車は使わないから、最寄り駅からは来ない。
歩いて行くと裏門の方が近いので、いつもそこから通っているのだけど……
どこかで見られてたのかな? なんか怖いんですけど……
「あのね、私たちも同じ方向から歩いて通ってるんだよ」
「そう、なんですか……?」
「もしかしたら、私たちとご近所なのかもね」
「きんじょ?」
僕の家と部長たちの家が近くって、もしかして同じ町に住んでるの?
「ねぇ、どの辺? 何丁目?」
カバンを肩にかけると、グイグイと僕に迫りながら、食いつくように聞いてくる部長。
ちょっと、近い!
顔が!
近寄りすぎですって!!
「あー 5丁目です、かね」
「私たちより学校に近いんだー もしかしたら通り道かも。商店街のほう? どんな家?」
なんでこんなに知りたがるんだろう?
あんまり家を特定されたくないんだけど……
「私たちは商店街の、その先の坂を越えて下ったところなんだけど。歩いて20分? 30分くらいかなー」
「はあ……」
秋芳部長宅の住所や通学路は、あまり興味ない情報なんだけどなぁ……
っていうか、30分歩いて通うのは大変じゃない?
歩くって距離じゃないような?
「じゃあ、春山くん! 今日一緒に帰ろっ、ね!」
……え?
一緒に帰るの?
数時間の部活で、部長と時と場所を共にして、すごく疲れたのに、帰りまでこれが続くの?
そうかー
帰りまで一緒なのかー
「みんなで一緒に帰るんですか?」
「うん、せっかくだから、ね。みーちゃんも一緒の方角だから」
みーちゃん?
ああ、深谷先輩のことですね。
いつも二人一緒に帰ってるんですかね。
でも、当の先輩は僕のことを、細めた目を眼鏡越しに突き刺してくるんですけど……
一緒に帰りたくないみたいですよ?
「これから部活の時は、一緒に帰れるね!」
「…………はぁ」
部活の時は毎回?
そんなことを笑顔で言われたら断るわけにもいかないし、帰る方向が一緒なら、なおさら断る理由が思いつかない。
「はぁ、まあ」
「よかったー! もう少し一緒にいられるね」
渋々返答した僕であったが、その返事は部長を喜ばせるのには十分だったようだ。
「あなたたち! 一緒に帰るのはいいけど、ちゃんと掃除してから帰りなさい!」
僕たちのやり取りを冷めた目で見ていた深谷先輩の鋭い言葉がその場を締め付けたが、部長の「はーい」という間延びした言葉で相殺された。
部室に鍵をかけ、僕たち三人は昇降口へと向かい、それぞれ分かれて靴を履き替える。
靴を履き終わるよりも早く僕を見つけた部長は、
「春山くん、足、大丈夫?」
と、正座で痺れた足への気遣いの言葉をかけながら近寄るが、その僕の足にダメージを与えたのはこの人だ。
「歩けないほどじゃないですから、大丈夫です」
そうは言うが、毎回こんなことされたら、確実に歩けなくなる。
「もし辛かったら、おんぶしてあげようか?」
……と、部長が後ろをむき腰をかがめ、僕におぶさるようにアピールしてくる。
そんなこと、恥ずかしくて僕にできるはずがない。
部長を背中から抱きつくなんて。
女の子におぶさって下校するなんて。
恥ずかしさという重さで僕の方が潰れてしまう。
下校時刻、そこそこ生徒が行き交う場所で、僕は「大丈夫です」と一言つぶやき、部長を横目でスルーした。
「なにしてるのよ二人とも! 早く行くわよ!」
すっかり準備の整えた深谷先輩が先に歩き始め、僕たちはそれに続いていく。
朝、登校した道のりを逆にたどっていくだけの行程。
入学してから何度か往復した道のり。
しかし、今日の行きは僕一人で、帰りは三人。
まさか部長たちと一緒に帰ることになるとは思わなかった。
高校生活はずーっとぼっちのままで、一人で通学するものだと思い込んていたのに。
人も車も疎らな道で、部長を真ん中にし三人並んで歩く。
女の子と一緒に帰るなんて……
緊張するというか恥ずかしいというか。
なにを話せばいいんだろう?
なにも話さなくていいのかな?
女の子と一緒に帰ったことないし。
同性の友達くらいならともかく、まだ知り合って間もない人。
しかも年上の先輩。
さらに美少女ときたもんだから、一緒に歩いている僕の方が周りの視線を気にしてしまう。
「ねえ、春山くん?」
「はっ! はぃ!?」
悶々と考え事をしながら歩いていると、急に部長に声をかけられたので、変に裏返った声で返事をしてしまった。
「春山くんは、自転車でこないの?」
「あー なんか自転車通学は、学校に登録とか申請書提出するとかで、もう少し落ち着いたらしようかと……」
本当は学校生活が落ち着いたら、自転車で来ようかなと思っていたところだ。
でも書類とか必要で。しかも自転車を新しく買い換えたいし。防犯登録とか保険とか、いろいろあって。
歩いても来れない距離ではないし、別に急いで自転車通学にしようとも思っていなかった。
「それよりも部長たちのほうが、結構歩くなら自転車のほうが良いのでは?」
「ん~ でも歩いて30分くらいあれば、着くからね~」
部長は簡単そうに言い放ったが、それを毎日続けるのは、きついのではないだろうか。
「実際もっと時間かかるわね」
それをすぐさま深谷先輩が訂正した。
「香奈衣がいつも寝坊するから」
「寝坊なんかしないよ! ちょっと朝の仕度が遅れるだけだよ」
冷静に話す深谷先輩に、必死に否定しようとする部長。
「毎朝、起こす身にもなってよね」
「ちゃんと起きてるよ。着替えるのに時間がかかるだけだよ」
心底呆れ果てたように話す深谷先輩と、体裁を保とうとする部長。
二人のやり取りから察するに……
部長はそんなこと言ってるけど、きっと、寝坊してるんだろうなー
それを深谷先輩が起こして、一緒に登校するのだろう。
そんなに時間がかかるなら、なおさら、
「先輩たちは自転車登校にしないんですか?」
と尋ねると、深谷先輩が、
「学校に行くまで坂を上って下って、また上って下って上るから、逆に疲れるのよね」
「電動機のついたのは?」
「そんなものに寝ぼけた香奈衣が乗ったら、どうなると思うの?」
そんなにひどいの?
だんだん部長のイメージが変わっていくんですけど?
まあ、たしかにこの部長なら……
想像すると、学校に着くまでに何人か引き倒してくる様子しか思い浮かばない。
そんな部長は「どうしたの?」というような顔で僕を見ている。
しかし、そんなことに気にもしない部長が、
「これからは部活終わりは一緒に帰れるね」
と、僕に提案してくる。
……やっぱり、そうなりますか?
「一緒に同じ方向で歩いて帰れる距離でよかったね」
と、僕の意見などお構いなしの、悪意のない笑顔を振りまく部長。
これからも、部活が終わったとしても一緒なんですか?
というより、僕、自転車で通いたいんですけど……
僕が今後の未来に危惧していると、急に部長が僕の進路をふさぐように飛び出す!?
夕日に照らされた部長は、うっすらと赤みがかった顔で、僕を覗き込むようにして言う。
「こうやってみんなで歩いて帰るって、なんだか青春って感じがするよね!」
口に出すのも恥ずかしくなるセリフを、笑顔で僕に言い放つ。
沈みゆく朱い日の光に染められた部長の笑顔は……
とても明るく温かく、
そして、まぶしかった。
部長のそんな仕草と言葉が、ちょっとかわいいなーと思ってしまい、不覚にもドキドキしている自分に気付く。
「いや、まぁ……青春……なんですかねぇ……」
よく映画や漫画で見るシチュエーション……
高校生の男女が共に下校し、会話し……
その男が僕で、ヒロインが部長……?
そんなわけないって!
青春に程遠い僕が!?
部長と青春だなんて!?
そんな!
「ねぇ、春山くん?」
「……あっ、はい?」
変な妄想をしているところに、ふいに僕の名前を呼ばれて、また変な声を出してしまった。
「えーっと、何ですか? 部長」
「連絡先、教えて!」
……れん、らくさき?
「あー はい」
部活の部員同士なら当然なこと……なのかな?
急に言われて何の疑いもなく、スマホの電話番号とアドレスを交換してしまった。
部活動の連絡事項とか予定を伝えるのに、たしかに必要ではあることだけど。
言い換えれば、これは四六時中、連絡が取れるということである。
「これでいつでも連絡できるね?」
慣れた手つきでスマホを操る部長。
お目当ての商品が手に入ったかのような、満足感いっぱいの顔をのぞかせる。
そんな笑顔の部長が、悪魔が微笑んでいるようにも見えなくもない。
僕の個人情報を、部長に渡して大丈夫なのだろうか?
悪い予感しかしないのは、気のせいだろうか?
それにしても、クラスの同級生を差し置いて、高校入学初の連絡先の交換の相手が、まさかの部活の部長だったとは。
しかも、美少女の先輩……
きっと誰もが連絡先を欲しがっているであろう人物の……
高校に入ってから手に入れたスマホはまだ新しく、電話番号の登録も家族くらいしか入っていない。
そんな中での秋芳部長アドレス。
僕は慣れないスマホをいじりながら、なんとか登録を済ます。
うわぁ……どうしよう。
連絡先、交換しちゃったよ。
でもきっと連絡することは一度もなく卒業しちゃうんだろうなぁ。
それと部長の個人情報はちゃんと管理しておかないと、きっと欲しがっている人たちがたくさんいるに違いない。
どうしよう……それ目当てに僕が襲われたら……
そんなことをしているうちに、坂を下り、バス道路を渡り、橋を渡り、商店街の入り口まで来ていた。
先輩二人は話しながら、そのまま真っすぐ進もうとしていたので、
「あの、すいません。僕こっちなんで」
と一言告げる。
僕はこの十字路で曲がらなくてはならない。
「春山くんの家、こっちなんだ。私たち真っすぐ坂のぼって、下った先だからね」
「今日はありがとうございました」
「また今度ね!」
「お疲れ様」
二人と別れた僕は、手を振る部長をしり目に、そそくさと家に向かった。
部長とわかれて、静かになってから初めて気がつく。
なんか、凄く、ドキドキしている。
美人のお姉さんと話してたから?
一緒に肩を並べて歩いていたから?
連絡先を交換したから?
この様子を誰かに見られてるんじゃないかと急に怖くなり、周囲を見渡しながら家まで向かう。
そして何度も後ろを振り向き、部長が後をつけてないか確認する。
こうして家に着き、真っ先に自分の部屋に入ると、僕はそのままベッドの上に倒れこんでしまった。
疲れた――
あ――
疲れた――
他人と話すことの気疲れ。
しかもその相手が美少女の部長。
さらにエッチな悪戯してくるから警戒もしないといけない。
何故か距離感が近いから、ずっと僕の隣にいるし。
あ――疲れたあぁぁ――
今日一日いろいろあったことが、頭の中で次々と浮かんでは混ざり合い、消えていき、また浮かんでは溶けていく。
予想していた高校生活とはまるっきり違うスタートとなってしまった。
初めての部活。
初めて学校の人と一緒に下校。
それも、女の子との下校。
初めての連絡交換。
それも、女の子との連絡交換……
思えば、久しぶりに家族以外で会話をしたような気がした。
おかげで喉がカラカラだ。
飲み物を取り行こうと体を起こしたところ、スマホからメールの着信音がなった。
……部長からだ。
『お疲れさま。今日はどうだった? 最初だから疲れたでしょ。ゆっくり休んでね。またね!』
メールの文章が、脳内で部長の声で自然と再生された。
分かれたから全然時間も経っていないのに、早速、部長からのメール。
なんだか嬉しいような恥ずかしいような。
じっとしていられない、変なむず痒い感じに体が包まれる。
僕は返事が遅れてはいけないと、慣れないスマホですぐさま返信をした。
『今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします』
と、返信した…………直後に思った。
これからもよろしく……なんだ。
これからも……
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