第18話 実彩子VS間男

 今でも、あの日の最低な自分をたまに夢見る。

 過去は変えられない。

 都合よく、忘れることもできない。

 だからって、人生の終点へ行くこともできなかった。

 それでも、あの最低な過去に意味があるとするならば。


            ※


「ゆうと。あんた、なんでここに来た?」


 憎々しげに話す実彩子が、絶対零度のような視線をゆうとに向ける。視線だけで殺せそうな迫力があるというのに、ゆうとはヘラヘラと受け流していた。


 実彩子にとって、ゆうとは一生忘れることができない男だった。それがポジティブな理由なら良かったのだろう。しかし彼女にとって、人生最大の汚点の象徴とでもいうべき相手だった。


「そんな怖い顔しないでよ。前みたいにさ、嫌なことを忘れてパーッと遊ぼうよ」


 ニコニコと笑みを浮かべるゆうとが、実彩子に近づいていく。

 その笑顔を見て、実彩子の胸に鋭い痛みが奔った。


(あの日の私は本当にバカだった……)


 最低すぎる過去も、自分のやらかしてしまった罪も変えることはできない。

 罪悪感に耐えきれなくて、一度は終点へ向かおうとした。

 それでも生き残ってしまった。

 それはきっと──


「そうそう、さっき実彩子の傍にいたのって結月ちゃんだよね。紹介してくんない?」


 肩に手を回そうとしてくるゆうとの手を、実彩子はパンッとはたき落とした。


「……その汚らわしい手で触んないで」

「あ? んだテメェ……!」


 にこやかだったゆうとの表情が一転、眉間にしわが寄った。普段の彼なら、これだけの事で、本性がむき出しになるなんて事はない。それは結月に相手にされないことが大きく影響しているのだろう。



「汚い手で私に触んなって言ったのよっ!」


 歯をむき出しにして、実彩子はフーッと荒々しい獣のような息を吐く。


 目の前の男に言いたい事がたくさんあった。

 目の前の男を泣かして、土下座させてやりたかった。

 目の前の男を、ボコボコにしてやりたかった。


 恨みがあった。憎しみがあった。私怨があった。憤怒があった。怨嗟があった。怒りがあった。怨念があった。復讐心があった。激情があった。怨みがあった。毒心あった。悪念があった。


 それでも。


「いいか、結月ちゃんに二度と近くづくなっ!」


 実彩子は、結月のためにゆうとと戦う。


「な、なんだって言うんだよ! お前には関係な──」

「関係ないわけないでしょっ!」


 パチンと子気味良い音と共に、嗚咽交じりのかな切り声が飛び出る。実彩子がゆうとの頬を叩いた音だ。


 流石に、ただ事じゃないと思ったのか通行人が注目しだした。


 実彩子の瞳からは、ポロポロと涙が溢れ出ている。

 こんなクズみたいな男に夢中になっていた自分が情けなくて仕方なかったからだ。


 そして実彩子の迫力に気圧されたのか、ゆうとは尻もちをついた。

 頬を抑えるゆうとの表情には、恐怖の色が滲んでいる。


「あの子達は幼馴染で、それをアンタが壊そうとしてる。私と同じ失敗を……あの後悔を……」


 声を震わせる実彩子は、当時を思い出すように唇をぎゅっと噛む。


「あの子たちに、経験させるわけにはいかないでしょっ!」


 パァンとひと際、良い音が響く。


「テメェ……調子に乗りやがって! あん時はそっちだって、俺と一緒に楽しんでたじゃねぇかよ! い、今更、善人ぶってんじゃねぇぞ!」


「今さら、私が善人になれるわけないでしょ……」


 吐き捨てるように話す実彩子の声は震えていた。


 当時、実彩子の家庭環境は、あまりよくなかった。


 そのせいで親と毎日のようにケンカして、破天荒な生活を送っていた。警察に補導されることだって、一回や二回じゃなかった。それでも、実彩子が一線を越えなかったのは、ひとえに幼馴染の存在だった。


 実彩子の愚痴をよく聞いてくれて、いつもニコニコしており、どんな時だって傍にいてくれた。だからこそ、実彩子と彼が恋人同士になるのはすぐだった。


 恋人ができると心の余裕ができる。だからって、実彩子の破天荒な生活が変わることはなかった。むしろ、自分の理解者を得られたと、その生活に拍車がかかったくらいだ。


 そんな中でも、二人の間には一つの夢ができた。それは、二人で美容院を経営すること。実彩子が美容師として、彼が店舗経営等のサポートを。


 だが、夢を追いかけるなかで問題も起きた。

 彼が実彩子に対して良く説教をするようになったのだ。


「結月ちゃんは、私の何倍も賢いし、良い子だから、絶対に同じ過ちを犯さないって分かってる。でもね、少しでもその可能性があるなら、大人が守ってあげないといけないでしょ!」


 同時の実彩子は、なんで自分のことを分かってくれないんだろうと、そればっかりだった。結果、家庭環境のことも含めて、実彩子はストレスを爆発させてしまった。


 自暴自棄になってする火遊びは、恐ろしいくらいに楽しかった。

 震えてしまいそうなほどの快楽さえあった。


 だから彼が説教する意味を、実彩子は理解しようとしなかった。


「あの日の私は、本当にバカだった……」


 血が零れる強さで、手をきつく握りしめる実彩子。


 もしあの日に戻れるなら、自分をぶん殴っててでも、実彩子は説教の意味を考えろって伝えただろう。


 そしてそれが叶わないことも、実彩子は十分に理解している。


「私は今更、自分がまっとうな人生を歩めるとも思ってないけど……それでも、この後悔に意味をつけないと私はもう前を向けないの!」


 二度と消えない罪の重さは、意味づけすることでしか軽くならない。だから、実彩子はこう思うしかなかった。


 自分があんな過ちをおかしたのは、きっとここであの子たちを守ってあげるためなんだと。そうすれば、あんな過去も少しはマシになる。


 幼馴染と別れた後、美容院を経営することになったのだってそう。


 誰かが自分の美容院でカッコよく、可愛くなれたら、その誰かの相手は今よりも好きになるだろう。そうすれば、他者がその間に入るなんて事はありえない。


 そんなささやかな願いがあったのだ。


「な、なんだよお前はァ……昔はそんなじゃなかっただろ! もっとクソみてーな人間で、そ、それで……それで……」


 ゆうとの言葉から、どんどん覇気が無くなっていく。


 それは怯えの感情も混ざっているのだろうが、本質は違う。選ばれた自分にかしずくだけの駒が反抗したのだ。


 ゆうとにとって実彩子は、寝取る快感を味わわせてくれた特別な女だった。実彩子を寝取ったとき思ったのだ。自分は特別だから、何をしても許されるのだと。


 それがどうだ。


 涙を零しながらも、殺さんばかりの勢いで、彼女はゆうとを睨みつけている。


 上に立つべき人間が、下の人間に殺されそうになっている。加えて、結月だって手に入らないままだった。


「お、俺は……あ、あの松田ゆうとだぞ! 朝ドラで有名になって、イケメンだからモデルの仕事もするようになった、あ、あの松田ゆうとだぞ!」


 人は信じていた物をなくすと、恐ろしいくらいにモロくなる。


 今、特別の象徴──実彩子を失ったゆうとは崩れ落ちるような衝撃を味わっていた。ゆうとの想定では、また喜んで自分に体を捧げてくれるだろうと思っていただけに、受け入れられなかったのだ。


「あんたのどこが特別だった言うのよ……」


 今のゆうとに覇気なんてものはない。

 一人の人間の怒りに怯えて震える、どこにでもいる普通の男の姿だった。


 日向もだが、なまじスペックが高い人間は、失敗する経験が他の人よりも少ない。すると、打たれ弱くなり、挫折しやすくなる。


「あんたは特別でもなんでもない。可哀そうな男だよ。あんたのためを思って、嫌われる覚悟で説教してくれる人間がいないんだから……」


 だからきっと自分は、普通のフリをして人生を送れているのだろうと実彩子は思う。


 地面にへたり込むゆうとの胸倉を、実彩子は掴む。


「ひぃっ!!!」


 睨み殺しそうな視線に、ゆうとは実彩子から後ずさろうとするが、上手くいかない。拳を思いっきり振りかぶる実彩子に、慌ててゆうとが手を伸ばす。


「わ、分かってんのか! こ、この俺の顔に傷がつくと──」


 そんなゆうとの話を無視する実彩子は、力強い一発お見舞いする。 


 当たり所が悪かったのだろう。ゆうとは、鼻血を出していた。


「な、何も言わずに殴る奴があるかぁ……!」


 メソメソと情けない声を出すゆうと。鼻血を零し、半泣きになっている彼を見て、誰があの役者の松田ゆうとだと思うだろう。


「ダッサ……女性に殴られて泣くなんて、情けない男」


 ゆうとから手を放し、実彩子は彼を見下ろす。


「お、お前……覚えておけよ……! こ、このままじゃ、ぜ、ぜ、ぜ……」


 あまりの恐怖に、自分が特別ではなかったという現実に、ゆうとの呂律は上手く回ってくれなかった。


「それ以上しゃべらないで。もっとぶん殴って、本当に殺してやりたくなる」


 ごく静かな口調でありながら、その表情は本気だった。


「結月ちゃんには二度と近づかないって、約束しなさい! いいわねっ!」


 何度も首を縦に振るゆうと。それでもゆうとは、なんとか言い返してやろうと口をもぐもぐさせていた。自分が、女相手に恐怖してるなんて認めたくなかったのだ。


「早くお店の前から出ていけ!」


 実彩子の言葉に突き動かされるように、ゆうとは逃げていく。


 その際、


「おぼえてろーお……!」


 という滑稽な捨て台詞を残して。


                  ※


「ねぇ、正人。不思議だよね、あんたが私のために説教してくれた言葉を、今になってたくさん思い出すよ。ありがとう、あんたが叱ってくれたおかげで、私は普通のフリをして生活を送れてるし、あの子たちを守ることができたよ……」


 ポロポロと涙を零す実彩子の声が、冬空に溶けて消えていった。

 夜空を見上げる実彩子は何を思っているのだろうか。

 それはきっと──


──────────────────────────────────────


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 次は水曜日に更新します。

 返信できていませんが、コメント等、いつも本当にありがとうございます!


追記

ゆうとの話はまだまだ続きます!

水曜日に更新できないので、金曜日に更新しますスイマセン

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る