第2話 リック

 森を抜けるには時間がかかった。昼と夜の区別が曖昧なこの世界では、どれだけの時間が経ったのかすらわからない。太陽のような光があるものの、空は群青色で星がちらついている。異様に静かな森の中で、風が葉を揺らす音だけが耳に響く。


 しばらく歩き続けていると、遠くから火のような光がちらついているのが見えた。人の気配だ。胸が高鳴る。ようやく、この世界の住人に出会えるのかもしれない。



 光に向かって慎重に進むと、小さな焚き火のそばに人影が見えた。粗末な鎧を着た青年が、剣を膝に置いてうつむいている。どこか疲れ切った様子だ。傍らには、革袋やいくつかの道具が置かれている。冒険者だろうか。


 声をかけるべきか迷ったが、まずは「分析スキル」を試すことにした。意識を集中させると、視界に浮かぶ青年の輪郭が微かに光り、情報が頭に流れ込む。


[分析結果]

 名前:リック

 職業:冒険者(Cランク)

 状態:軽度の疲労、右腕に打撲の痕跡あり

 装備:鉄剣(やや損傷)、簡易鎧(低品質)

 スキル:なし


「スキルなし、か……?」

 俺は思わずつぶやいた。冒険者として活動しているのにスキルがないとは珍しい。だが、その分生身で戦っているのだろう。ここで出会ったのも何かの縁だ。意を決して声をかけることにした。


「……すみません、そちらに火を分けてもらえませんか?」


 リックは驚いた様子で顔を上げたが、すぐに警戒心を込めた目つきに変わった。

「誰だ? こんな場所で何をしている?」


 俺はできるだけ穏やかな声で説明した。

「森で迷った旅人です。焚き火を見て近づいたのですが、迷惑でしたか?」


 彼はしばらく俺を見つめていたが、ため息をついて少し場所を空けた。

「まあいい。ここは安全とは言えない場所だ。座るなら勝手にしろ。ただし、妙な真似はするなよ。」



 焚き火のそばに座りながら、リックにいくつか質問を投げかけた。

「ここはどこですか? 町か村は近くにありますか?」


「ここは『グランバルクの森』だ。この森を抜ければ、北にベルド村がある。ただし、道中は魔物が出るからな……あまり軽い気持ちで歩かないほうがいい。」


 魔物――それがこの世界での「脅威」らしい。リックは続けてこう言った。

「お前、旅人にしては妙な格好だな。装備もないのか?」


 俺は少し躊躇しながらも正直に答えた。

「旅の途中で荷物を失ったんです。それで、武器や防具もなく……。」


 リックは眉をひそめた。

「この森で無装備は自殺行為だぞ。魔物に襲われたら終わりだ。俺の剣もボロだが、素手よりはマシだろう?」


 彼の指摘はもっともだった。この世界でのサバイバルの厳しさを実感する。だがその時、遠くから低い唸り声が聞こえた。リックがすぐに立ち上がり、剣を構える。


「来たか……!」


 茂みから現れたのは、黒い体毛に覆われた狼のような生物だった。ただの狼ではない。目が赤く輝き、牙が異様に鋭い。その体格は普通の狼の倍以上はある。リックが剣を構える横で、俺も反射的に「分析スキル」を使った。


 分析結果]

 名前:シャドウウルフ

 ランク:D

 弱点:火、聴覚に敏感


「火に弱いぞ! 焚き火を利用しろ!」

 俺は即座に叫んだ。リックは一瞬驚いたが、すぐに焚き火の燃えさしを拾い上げ、狼の前で振りかざした。狼は嫌がるように後ずさる。


「お前、何でそんなことがわかる?」

 リックが問いかけるが、答える暇はなかった。シャドウウルフが再び唸り声を上げ、飛びかかろうとしている。リックが剣を振り上げた瞬間、俺の中で何かが閃いた。


「もっと大きな音を立てろ! 聴覚が弱点だ!」


 リックは迷うことなく焚き火の木を蹴り上げ、枝を燃やして火を大きくする。同時に、剣で地面を叩きつけ、鋭い音を響かせた。シャドウウルフは耳を押さえるように頭を下げ、その隙にリックが飛びかかり、剣を突き刺した。

 息を切らしながら剣を引き抜いたリックは、深く息を吐いて俺を振り返った。

「……まさか、ただの旅人がこんな知識を持っているとはな。お前、本当は何者だ?」


 俺は曖昧に笑って誤魔化した。

「ただ、ちょっと勉強が得意なだけです。」


 リックは呆れたように笑い、手を差し出した。

「まあいい。助けられたのは事実だ。ベルド村まで一緒に行くか?」


 俺はその手を握り返した。これが、この世界での最初の「仲間」となる出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る