仇桜〜剣豪の娘の異世界旅〜

梁瀬 叶夢

一、霊妙なる剣聖

今日も父の墓の前で手を合わせている。先祖代々の墓に眠る父は、一家の中でも屈指の実力を誇った剣聖であり、誰からも慕われる人格者でもあった。

父が亡くなった際には、たくさんの人が葬儀のためにこの家を訪れてきた。そのほとんどが麓の集落に住む者たちで、集落のために尽力した父を弔いにきたのだった。

夜半には全国に名を馳せるような武将も父をお忍びで弔いにきた。父は度々戦にも参加したのだが、ほとんど誰も父が戦に出て多大な功をあげたことを知らない。なぜなら、戦場で父を見て生きて帰れたものなどたったの一人もいないからだ。

父がものすごい剣豪であったのは、彼のように全国に名を馳せるようなほんの一部の武将しか知らない。噂すら流れないほどに、父の力は凄まじいものだった。

木下円鏡唯護(きのしたえんきょうゆうご)の名が刻まれた墓標。毎朝こうして手を合わせに来ては、1日の鍛錬に精を出す。そんな生活を父が亡くなったあの日からずっと続けてきた。

木下家の名に恥じぬよう、父のような剣聖になるために。

「円鏡様に挨拶はすませたかい?」

「はい。お祖母様」

父が亡くなってから、私は祖母と二人きりで暮らしている。母は私を産んで一年もしないうちに亡くなったらしく、父と祖母が幼い私の面倒を見てくださり、父が亡くなってからは祖母が私の面倒を見てくださった。だから、私は母のことをなに一つ知らないし、覚えていない。私にとって祖母は、母のような存在だ。

「朝食ができているよ。掃除道具を片付けたら居間にいらっしゃい」

「はい」

祖母はとても高齢だ。ここ最近は寝たきりになることも少なくない。私は家事も一人ですると言っているのだが、祖母は私の言うことを聞こうともせずこうして食事を作ったり洗濯をしてくださったりしている。それ自体はとてもありがたいのだが、もう少しご自身の身を案じてほしいものだ。

「いただきます」

祖母と一緒に手を合わせて挨拶をする。朝食だけでなく、食事はどんなときでも家族全員でいただくのが木下家のならわしだ。家族間の団結を高めるのもそうだが、一番の目的は食物への感謝の気持ちを忘れないことだ。

私たち木下家は代々伝わる剣術の名家だ。剣を扱うとはすなわち、相手の命をこの手で斬るということ。ゆえに命あるものをいただくということには一層気を配る。

「ごちそうさまでした」

朝食を終えたら桜の木の下で瞑想をする。木下家の庭に生える一本の大きな桜は、初代の頃から代々伝わる歴史ある桜だ。

この桜には、木下家歴代当主の魂が込もっているのだと父から言い伝えられた記憶がある。この桜は極楽浄土へと繋がる橋のようなもので、彼岸になるとご先祖様たちが帰ってきてその身いっぱいに美しい花を爛漫に咲かせるのだ、と。

ひらひらと桜の花が風に揺られると共に、散った花びらが私へ舞い降りてくる。とても心地よい陽気に包まれて、つい眠りそうになってしまう。

眠り…そう…に………


とても長いような、でも短いような。とにかく不思議な時間が経ったような気がする。頭がぼんやりとしていて、未だ意識をはっきりと掴めない。

夢を見ているのだろうか。光とも闇ともとれない空間が私の視界に広がっている。

眠っているのならば早く目を覚まさなければ。瞑想中に眠ってしまうなんて、恥だ。ましてご先祖様の魂が宿った桜の木の下で眠ってしまうとは。これではご先祖様たちに顔向けができない。

しかし、どうすれば良いのだろうか。思考だけが働き、体は言うことを聞こうとしない。水に浮かんでいるような浮遊感ばかりが私を包んでいる。

…段々と意識も遠ざかってきた。抵抗する術もなく流されるようにただただ落ちていくのがわかる。

光が一点に集まっていき、それが弾けたところで私の意識は完全に失われた。

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