答える事も
揺らぐ心境の狭間から辛うじて語ろうとするユーラの声をマンセスは不振の心底から来る声で妨げる。彼の声は弱まり始めた雨音に代わって暗闇を騒がせた。確たる信念を基にするその声は、雨の芯無き音とは比べるべくもなかった。
「ユーラ、私は常々言っているな?我々魔法を使役する者は、俗世の如何なる法よりも、大原則に従う存在だと。人の定めた法は、真理を語る存在なのか?違うだろう。今世にあって真理を語れているのは、聖律と大原則だけだ。ならば、諸法よりも大原則に従うのは至極当然だ」
マンセスに突き付けられた出頭命令の根拠とされたのが、『俗法の聖律に対する優越に関する法律』であった。この法はこの時より320年程前に制定されたものであり、交付されはすれども、施行される事なく忘却の汚泥の中で腐るままに放置されていたはずであった。それが突如として救い上げられ、見事な装飾を施された姿で顕現したのである。
この法の存在自体がどれほど根拠に欠けたものであるかという事は自明の理であり、この際マンセスが重視しているのは、自身がそれに従えるか否かであった。そして、答えははっきりとしていた。それは一種、信仰的な要素があり、彼の場合は狂信者のそれであった。即ち、彼の信ずる信念を否定する事の一切を彼は否定しているのだ。
ユーラもそれは十分に理解していた。彼自身これには疑問を持たざるを得なかった。しかし本心がどうであれ、彼の有する目的の為には、同僚の信念を否定するより他なかった。
「マンセス、今の我々は時代の変容が生み出した荒波の中にいるんだ。いつかは来たであろう荒波が、たまたま今に襲いかかった。我々は普遍不動の存在ではない。いや、成り得ない」
彼には自身がマンセスを説得しているのか、諭そうとしているのか、はたまたそのどちらでもなく反射で出た言葉なのか、明らかではなかった。ただその口調は、何らいつもの会話と変わる事のない、少し強めで、それでいて耳に優しいものだった。
あまりにも場に合わないそれは、未だ止む事なく降り続く雨の耳に刺さる様な音とは真逆であり、故に不調和であり、無力であり、しかし独立していて、その面では強かった。
「成り得ない?成ろうとしないだけだろうに」
ユーラの言に鋭く指摘するマンセスの声は、逆に雨音と同化したものだった。そこには明確な意思があり、迷いなど全くなかった。確たる故にその語気には、独自性がなく、降り続く雨と協和してすらいた。
同僚からの辛辣な評にユーラは首を振りつつ、それに同意してしまいそうになる自分に抗った。自らを欺く程、苦しい事はそう滅多に無いと知っていても。
「マンセス、最後まで聞いてくれ。時代が変わり、慣習も風習も変わって行ってる。そんな中で、どうして人だけが、我々魔法師だけが変わり得ないと言える?時代の変容は、まさしく人の変化が生み出す現象だ。我々も人である以上、それに無関係ではいられない」
ユーラの言う時代の変容は、マンセスに2年前の他国で起こった動乱を想起させた。数ヶ月ごとに更新される情報を当時強い興奮をもって収集していた。しかし、いざその変容が身近に迫ると、彼が感じたのは恐怖と嫌悪感だった。
あの時の感情今の彼の状況に合わせてありありと再現され、マンセスは鳥肌が立った事を自覚した。背中の筋が凍り付く程の感情は、強い力で彼の心を握り潰そうとした。彼はそれを解く為に、早く話を終わらせようとするしかなかった。これ以上話しても、彼の恐怖の対象は消える事なく、逆に増大する一方である気がしたからだった。
「ユーラ、周りくどい言い方で私を説得しようとするな。とどのつまりは、人の法は時代が求めた物であり、その時代にあっては真理と同一だ、そう言いたいのだろう」
なかなかに強引な言い分だな。そう彼は自分自身を嘲笑した。ユーラはただ説明しているだけなのに、それを知っていながらもそう言わざるを得ない自身の状況にも、彼はうんざりしてきていた。
本来なら好ましい雨も、鬱陶しくなってきていた。彼はこれ以上、心を乱されたくなかった。
「わかってくれるのなら尚更…」
「ユーラ、もういい」
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