静寂を掻き乱す者

 またもやマンセスはユーラの言を遮った。まるで怒る親に怯えた子供の様なその態度は、マンセスの心情を的確に表していた。どう言っても、ユーラの言に納得してしまうそうな自分がいる事を彼はわかっていた。納得すれば、彼は自身がユーラを、その背後にいる何かを恐れる理由がなくなってしまう。そうなる事だけは、是が非でも避けねばならなかった。

 そしてお互いに、まだ本題に入っていないと、わかっていた。話せる環境ではないと、気付いていた。


「君はもう、私を説得できないとわかっているはずだ。それなのに悪戯に時を稼いでいるのは何の為だ?君の助手が配置につくまで待っているのか?そうだとしたら、それは全くの無駄だ」


 マンセスの聴覚は彼の背後、ユーラよりも少しばかり遠くの古木から人が後退りする音を確かに感知した。その音は彼が思っていたよりもずっと軽く、相手がまだ青年であることを示していた。

 ユーラは一つ溜息を吐くと、呆れた声を出した。


「だそうだ。おい、バハス君、来なさい」


「先生、このままやらせて下さい」


 ユーラの言に反応した声は、どこか震えている様であった。呼ばれてもその場から動く気配はない。再び降り様が激しくなってくる中、ユーラが次に発した声は、先程より口調が強くなっていた。


「駄目だ。認められない」


「ですがっ!」


 これでもまだ動こうとしない気配にマンセスは苛立ち、ユーラですら少し恐ろしく感じる程の声を出した。激しさを増してきた雨も、彼の圧によって落ちる速度が早まっているのではないかと、ユーラには思われた。


「バハス君とやら、師匠の言には忠実でありなさい。君の師匠は、君が無駄に傷付くのを心配しているのだ。それとも、私と剣を交えて勝てるとでも?」


 数瞬の間を空けて、小さな気配は動き出した。暗がりの中、そもそも道というものがない森の中、雨が降り、泥濘ヌカルんだ地面にいつ足をとられるかも知れない中、小さき人の足取りは自然と慎重になっていた。もっとも、自身の醜態に赤面し、足取りが重くなっていただけなのかも知れなかった。

 青年が師の下に着くまでの時間はマンセスにとって貴重な時間となった。彼は熱くなった思考を一旦冷やし、冷静さを取り戻す事ができたからだ。先程の会話の流れは幾分にも彼がユーラの会話を遮る事が多くあり、彼自身その失態を恥じるものだった。


 ー"嗚呼、今夜は酷く冷えるな"ー


 空を見上げても、ただ、古木の林冠とそこから僅かに見える曇り空が、そこにはあるのだろうとしかわからない。本当は無いのかも知れないし、あっても、彼が思っている空色では無いかも知れない。

 問い掛ければ、これまでの様に、自然は彼に応えてくれたであろうか。不安定な現世の中にあって、少なくとも彼にとって自然は、変わり様の無い、唯一絶対の、真理の、母親代わりの存在であった。けれども、今の彼に映る物の全ては、暗く、澱んでいた。輪郭すらも浮かび上がることのないそれは、何処までも続いている深い竪穴の様でもあった。吸い込まれそうになる彼の身体を、雨が辛うじてその場に留まらせている。

 雨に打たれ続けた顔から、一筋の流れが生み出されていた。


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