閑話:とある当主代行の物語②


「突然の訪問、先触れもなく失礼する。どうしても、お話をしておきたかったもので」


 アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスターは、あくまで穏やかに、言葉を紡ぎます。王者という言葉は、彼にこそ相応しいのかもしれません。


「トシ、殿下をお試ししたと言ったな?」


 疑問視すら見せず、近藤さんは言います。それはそうでしょう、眷属の式神を通じて、あの晩の世界樹と御神木の邂逅は把握済みでしょうから。


 私達が紡いだ言葉は、最初から茶番だったのです。それを承知の上で、詭弁を真言しんごんとしました。しかし、アステリア殿下を見ると、彼には詭弁を弄する必要はないように思えます。王者は、ただ命じるだけ。王命の〝命〟とは、彼の言葉に宿る呪言そのものなのでしょう。彼を射止めた、榊原櫻様。桜那様の母君は、どんな14歳なのか、俄然、興味が湧いてきました。


「……あぁ」


 副局長さんは、苦々しく首肯します。初歩の念、【南無阿弥陀仏】の【南無】だけを振りかざした。彼は、本来、そういう呪術には向かない御仁。アステリア殿下に対して分が悪すぎます。これも全て、紺野君のお付きの妖怪が教えてくれました。倉ぼっこちゃん改め、クラぼっこちゃんは優秀です。


「霊刀、和泉守兼定いずみのかみかねさだは抜かなかったのか?」

「抜いたら、学校が壊れるだろう。だから、言ったんだ。俺には、教育なんて向いてないって――」

「ばーか。いつまで、前線に立つ気でいる。沖田が退いた今、お前が後進を育てないで、どうする」


 とまで言って、近藤さんは息をつきます。彼はアステリア殿下に、恭しく一礼をしました。


「まずは、これまでのご無礼をお許しください」

「良い」


 言霊は、それだけ。その一言に呼応するかのように、空気は途端に張り詰めました。







 ――アステリアっ!

 ――この鬼がっ!






 呪が渦巻きます。


(……そういうことですか)


 イスカリオテ・ダダイ師が、どこに潜んでいたのか。それが謎だったのですが、ようやく謎が解けました。彼は、気脈より浅い、地脈に潜んでいたのです。確かに、枯れた御神木の跡地では、地脈も空洞化していたことでしょう。そこに潜み、安全圏から呪を放つ。桜那様を何がなんでも背戒樹モウルドとしたかった。しかし、どうでしょう。桜那様と小百合が、義姉妹ぎきょうだいの契りを交わし、気脈も地脈も活性した。


 あの場を、世界樹の精達が――眷属が押し寄せたとなれば。膨大な魔の奔流を前に、イスカリオテ・ダダイ師であっても、無傷はあり得ない。


 そして彼が、逃げた先は、近藤さんの箱庭の下。

 それならば、合点がいきます。




「この鬼がぁぁぁぁっっ!」


 足利庚さんが、叫声を上げます。唾を撒き散らし、目の焦点は合わず。その両手には死霊を纏わせていました。どうやら、彼は気脈との同調が高いようです。故に、残念です。修行に励めば、違う未来があったかもしれないのですから。きっと、彼は庭番見習に有頂天となり、そこから前に進むことを放棄したのでしょう。


(……それにしても)


 紺野君、ココで「鬼は俺ですが、何か?」とか絶対に、ボケないでくださいね。本当に、あなたときたら、音無家きってのシリアスキラーなんですから。本当にお願い――なんて、祈る必要はありませんでした。


 マーガレット・アンデレ様が、おもむろにショルダーポシェットから取り出したのは、硝子瓶だった。中の液体が、青白く光る。これが異世界テンプレのアイテムボックスというヤツでしょうか。


 きゅっ、とマーガレット嬢が、コルク栓を抜きました。それから、その液体を振りまいたのです。その瞬間、両手に巻き付いた死霊が――蒸発します。


 アステリア殿下が、掌を突き出します。

 この箱庭の精をかき集めました。


 私は思わず、目を丸くしました。


 陰陽師にとって、気脈に触れることは呪術を行使する前提条件。しかし、ですよ。そこにある精を全て、かき集めるなんて芸当、できるわけがありません。通常は、好き好きのなか、相性の良い精だけに言霊を託すのです。


 この箱庭の気脈を集め、高密度に魔力を圧縮する。これほど、シンプルな呪術があるでしょうか――。




 と――。





 ぬらり。

 痩せ細った餓鬼の手が、足利庚君を引き寄せて。


 ずぶぶぶぶっ。

 箱庭のなかに、足利庚君は引きこまれ、白洲の砂利の中に沈んでいきました。彼に驚愕の声を上げる余裕すら与えず――。






 こぽこぽこぽこぽ。

 気泡のように、水の泡が浮かび――。

 足利君は、浮かんできません。




「我が陰陽師が失礼しました。躾ますので、どうか、ご容赦の程を」


 近藤さんがさらに深く陳謝するのを見て、アステリア殿下は、精を解放しました。

 彼の箱庭、その霊力の全て奪う規模の魔術。あのまま野放しにすれば、近藤さんの箱庭は崩壊していたことは間違いありません。


 あの餓鬼。その正体は御庭番の御神木、その半身達でした。あの近藤さんが、焦っている。それを肌で感じます。


「良い」


 アステリア殿下は、表情を変えずに言いました。


「大日本皇国の餮皇てんのう陛下より友好の証としてぎょは得たが、無理強いはするつもりは無い。御庭番の王たる、近藤殿に願いたい。どうか我が娘、桜那をウィンチェスターにいただけないだろうか」



アステリア殿下の言葉は、淀みなく。さも当たり前と言わんばかりでしたが。その場に、衝撃が与えるのには充分すぎました。






■■■






 御璽とは、餮皇てんのう陛下が認めた公式に用いる印章です。餮皇令とも言われています。我が国は、実際の政治は、宰相である内閣総理大臣が取り仕切ります。ここ200年、餮皇てんのう陛下による御璽が押されることはありませんでした。





 ――世界樹の国の天子、御神木を祀る天子との友好の証として。世界樹の種を蒔き、育てた御神木とかの地を、世界樹の国に送ることを朕は認める。両国の、永久とわの繁栄を願う。




 黎倭れいわ餮皇てんのう章胤あきつぐ





■■■





「こ、これは……」


 近藤さんの言葉が震えています。いえ、餮皇の親書を読み上げた時から、その声は震えていました。こんな近藤さんは、本当に珍しい。ただ、心中はお察し申し上げます。


 私は、桜那さんをウィンチェスターに貸し出す。そう提案するつもりでした。異世界あちらのの世界樹、その種から産まれた桜那さんです。彼女を育てるために、ウィンチェスターの力を借りる。これは、win-winウィン・ウィンの関係と言えるのではないでしょうか。その間に、次の手を打つ。時間は有限ですが、価値ある資産です。ですが――ウィンチェスターの本気は、私の想像をはるかに凌駕していました。


 親交の証として、世界樹のみならず、この街を譲る。つまり、ウィンチェスター自治区にするということです。私の推論はあながち間違っていないでしょう。ただ、こちらでまつりごとを取り仕切るいは、ウィンチェスターは経験不足。それを理由に日本皇国へ業務委託をするのが、落とし所でしょうか。


 この街は、何も変わらない。

 ただ、公儀御庭番は、何をするにしてもアステリア殿下にお伺いをたてないといけなくなりました。


 御璽ぎょじを無視できる陰陽師は皆無でしょう。まして餮皇陛下や公家と古来より密接な関係にある安部家はなおのこと。


「……か、かしこまりました」


 深々と近藤さんが、頭を下げます。そんな彼を見やりながら、柔和にアステリア殿下は微笑みます。


「別に強制するものではないが、近藤殿のお心遣い、痛み入る」


 何を白々しいとは、とはとてもても言えない覇気を纏い、王子様が言葉を紡いだ瞬間――空気が急激に冷え込みました。


 気脈の精が、途端に騒がしくなりました。明らかに、アステリア殿下に精が呼応したのは、間違いありません。


「これは、ウィンチェスターの総意と思ってもらって良いのだが、もう一つ近藤殿にお願いがあるんだ」


 殿下の霊力――魔力がとめどなく高まります。白洲の砂利を魔力で巻き上げて。






を侮辱することは、ウィンチェスターへの害意と心得よ」


「はっ……承知しましたっ」




 近藤さんが膝を折り、陰陽師屈指の呪術者が、ウィンチェスター王家に屈した瞬間でした。







■■■






 ――まーちゃんに、俺の……って言われたい。

 ――マサ君は恥ずかしがり屋だから、それは無理だよ。

 ――べ、別に無理じゃないし。

 ――それなら言えるの?

 ――本当、まーちゃん?

 ――ん。紅葉と青葉は、オレオ……

 ――なんで、そこで噛むかな……マサ君は。

 ――恥ずかって逃げたね。

 ――うん、逃げた。

 ――に、逃げてねぇし! 俺の紅葉と青葉だしっ!








 私はこの緊迫した場面でも、マイペースを崩さない、我が家の眷属をなんとかしたい。

 心の底から、そう思ったのでした。

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