世界樹の聖女様は一緒に歩みたい

 流れる雲。

 乱舞。

 風が吹く。


 まるで雪のように、櫻の花弁が舞い散る。


 雲が流れる。


 早い。

 目で追うのが、辛いくらいに、早い。早い。速い。

 世界樹の根元を中心に、円が描かれる。


 光が降り注ぐ。

 光が繋ぐ。


 光が、描く――その前に、少しだけ、時間を巻き戻すことを許してください。

 再び、聖女わたしの物語を紡ぐために。






■■■






「――急がなくちゃ!」


 確かに私は、桜那さなとエルの悲痛な声を聴いたのだ。慌てて、校長室を出ようとする私を、アスが無理矢理手を引いて、止める。


「……愚かな」


 感情のこもらない目で教頭先生は、私を一瞥する。


「無能と言われた貴女が行ったところで、何ができると言うのですか。無礼を承知で言えば、ウィンチェスター殿下とて同じ。今さら止めたところで、公儀御庭番が止まるはずが――」


 そこまで言って、教頭先生の口から声が消える。小さな魔力のかたまりをアスは放り投げたのだ。初級魔術【休符レスト】だった。楽譜に書かれる休符のように、音を発することができない。仕組みは単純明快で、声帯の振動を低魔力によって停止させる。


 かつて、小言が多いバトラーさんに向けて、この魔術で対抗したというから、幼少期のアスのやんちゃ振りが想像できてしまう。


「あんた、馬鹿だろ?」


 アスが冷たい目で、教頭先生を見やる。


「明らかな魔術の行使に対して警戒できるのに、低魔力の魔術を甘く見過ぎだって。それと、櫻に対しての無礼は俺は認めないって言ったよ聞こえなかったのかよ」


「あ、が――」

「だからムダ……まぁ、良いや。大日本皇国政府に向けて、命令撤回の嘆願請求は行った。後は、そっちで何とかしてくれ」


 青くなる教頭先生を無視して、アスは立ち上がり――それから、問答無用で私を抱き寄せる。


「アス……って、ったぁいっ!」


 もう片方の手でデコピンをされた私だった。


「櫻、どうして一人で行こうとする?」

「え、あの……その……」


 私はしどろもどろになる。アスはその唇に微笑をたたえているが、その双眸は笑っていなかった。


「どうして、一人で決める」


 アスの言葉が、私を突き刺す。それは、異世界あっちから日本こっちへ帰ることを一人で決めたことを非難にするようにも聞こえる。


「相談しろ、俺を頼れ」


 アスが寂しそうに言う。


「俺は世界樹の守護者だが、それ以前に櫻とともに未来を歩くと決めた。あの時、そう言ったよな?」

「う、うん……」


 あれは、魔の森と化してしまった世界樹ユグドラシルに一人、向かおうとした夜に。


 アスに、そう言われたんだ。

 でも、あれはあくまで仲間パーティーとしての――。





 ――俺は櫻と一緒に、未来を歩くって決めたから。だから、勝手に置いていくな。


 私は目を大きく見開く。

 そう、考えたら、こっちに戻ると決めたのは2回目――違う。今もカウントしたら3回目になる。


 ゴクリと唾を飲み込む。

 そうだ、私はまだ、ちゃんとアスに相談ができていない。今までだって、全部アスと相談して決めてきたのに。



「アスなら、何とかなるの?」

「愚問だな」

「ん? んが――んっ?(バカ、言うな。寝言は寝てから言えっ)」


 教頭先生はちょっと黙っていて欲しい。


「とは言え、時間がないのは確かだけどな。気脈が、どんどん浅くなっている」

「……それって桜那に、何かが――」


「大丈夫。エルがいる」

「ふがっ、んが、ん(どう足掻いたって、時間が足らん。あの妖体は公儀御庭番がつっ)」


「で、でもっ!」

「俺がどうやって、日本こっちに来たのか、忘れたのか?」


 私は目を丸くする。

 そうだった――。


 魔術師団による聖女召喚。

 でも、あれは何度も使えるものではなかったはずだ。気脈の精をかなり浪費して私を呼び寄せた。そのせいで大地は枯れたのだ。私を送る時だって……そう考えたらアス達が来た影響だって――。


「櫻を喚んだ時のあいつらの魔術、本当にポンコツだったからな。魔術式もメチャクチャだし、あえて気脈が薄い場所で、召喚する意味がまるで分からなかった」

「えっと、それって……?」


 私の疑問に、アスはニッと笑う。


「古代では、王宮が一番、気脈の密度が濃かったってだけの話だよ」

「え……でも、アスは――」


「前にも言ったけどな。広い星の中から適当に探査するより、座標をめがけて実行エンターする方が効率的だろ?」


 さも当たり前のように言うが、異世界あっちで魔術を囓った身としては、それがどれだけ難しいか、想像できてしまう。


「俺が櫻の魔力を間違えるかよ」

「うん……」


 嬉しいと思ってしまう自分は、なんて単純なのだろう。でも、今はムダに過ごす時間なんかない。


「んががが、んが、むが(バカな! 召喚なんて、そんなバカげたこと)」

「でも、櫻」


 真剣な表情で、アスは私を見る。


「俺、一人じゃ無理だ。切羽詰まっているのは、確かだ。桜那とエルを救うのを、助けてく――れ?」


 アスは目をぱちくりとさせた。


(今さらだよ)


 私は、躊躇なくアスに抱きつく。

 アスの額に、私の額を寄せて。

 魔力を循環させるには、気孔と気孔を接触させるのが、一番、効率が良い。そう言ったのはアスだ。


「むが、ふがっ、ふんがっ(なんで、いきなりイチャつくの?!)」

小規模転移トランポーターは、そこまで負担じゃないんだけど……」


 ボソッとアスが何かを呟いたが、私はそれどころではない。魔力の同調率を上げるため、ただアスの魔力に意識を傾ける。




 雲が流れる。

 早い。

 目で追うのが、辛いくらいに、早い。早い。速い。

 私達の足下を中心に、円が描かれる。




「ふんがっ(何がおきて?)」





 教頭先生、黙って。

 今、集中しているの。


 光が降り注ぐ。

 光が繋ぐ。

 光を、描く――。






 ――アス、好きだよ。


 気脈を通して、囁いてみる。こうやってアスを思う時が一番、魔力の同調率が高い気がする。





 気のせいか。

 光が視界を奪う、その刹那――心なしか、アスの頬が朱色に染まった気がしたんだ。







■■■






「櫻っ!」


 飛び込んできた小さな眷属を私は抱きしめる。


「お願い、桜那を助けてあげて。気脈が、もう――」

「ママっ、パパっ!」


 エルは魔力を失いかけている。

 桜那は震えが止まらない。私は、そんな二人をもう一度、しっかり抱きしめる。


 あれほど、緑濃く再生した山は、今や木々がくすんだ色に塗り替えられていた。剥き出しの岩肌が、緑を押し潰す。


(……なにが、あったの?)


 でも、それよりも――。

 焔の護符を手にした、庚君。それから世界樹の本体を取り囲むように、公儀御庭番衆――陰陽師たち。


 そして、何故?

 懐かしい魔力まで感じる。









「来たな、鬼」


 庚君が、なぜか憎々しげにアスを見やるが、今はそれもどうでも良い。庚君が、桜那とエルを傷つけた。そうでなきゃ、二人が怯えた目で庚君を見るはずがないんだ。それなら……私のすべきことは、決まったようなものだった。


 アスがいる。

 みんなの魔力を近くに感じる。


 王子様は目配せして、頷いてくれた。

 私も、コクリと頷く。


 もう一度、私は桜那とエルを抱きしめて――。




(私は、私ができることをするよ)


 だから、アス。

 どんなカタチでも良いから、私もあなたの傍で未来に向かって歩きたい。それが、どれほどワガママなのか、自分でも分かっているつもりだけれど。

 桜那と一緒に。エルも一緒に。アス、一緒に歩かせて――。

 

 魔力で音色を編み上げながら。

 歌を紡ぐ。

 桜那が、一緒に口ずさむ。

 続いて、エルまで。




(みんな、良い子)

 つい、頬が緩んでしまう。





 ――聖歌、アヴェ・マリア。

 癒やしの歌で、まずは傷ついた躰と心を癒やそうと、私は心をこめて歌にする。


 気脈に接続コネクト。集めた魔力を制御化コンパイル魔術論理コードを展開して実行エンター



 アスは知らないよね?

 気脈に本心を囁くと、魔力の効率が桁違いに違うんだ。精達が、まるで応援してくれているみたいなんだよ?




 君のこと、俺が守る、とは言わなかった。

 俺だけじゃ無理だから、助けて。


 そうアスは言った。


 いつだって、そうだ。

 王子様。君は遠慮も躊躇もしないよね?


 そんなアスだから。

 旅を終えた今も、まだまだ君と一緒に旅をしたいって思っている私がいる。






 ――アス、好きだよ。

 今の私の精一杯。

 気脈に向けてもう一度、私は魔術論理コードを囁いた。

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