世界樹の聖女様への祝福と、教頭先生の個別授業
「公務で遅れました」
アスが発した言葉に、先生もクラスメートも、呑まれてしまう。所々、空席があるのは、庭番見習が出動したからに他ならない。庚君は兎も角、あの子達も庭番見習なのかと、感心する。流石、陰陽師系私立中学校だった。
と――その、みんなが関心を寄せる、アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスター。
一ヶ月前に一四歳になった。
異世界ユグドラシル出身のウィンチェスター王家、王位継承権第一位。
職業は、魔術師兼魔術研究家と付記して問題ないと思う。実際に、学会に登壇し論文を発表。研究チームを率いて世界樹再生プロジェクトを【魔術バカ】や【道楽王子】と貴族達に揶揄されながら、進めていたのだ。そんなアスを見ていると、尾張の大うつけと言われていた、戦国武将・織田信長を彷彿させる。
当時、一三歳――今は一四歳。私と同じ年齢とは思えなかった。でも、時に大人顔負けの舌戦を制すから、敵を作りやすいし、誤解されやすい。私は、そんなアスの誤解を解く役回りだと、
(……本当のアスは優しいから)
織田信長は本能寺の変で討たれたが、
「申し訳ないが、引き続き公務があるので、これで失礼します。行くぞ、櫻」
「はい?」
私は目をパチクリさせる。説明、それで終了。遅刻理由「遅刻しました」って言うくらいには、ひどい。
「榊原さん、これは一体どういうことなの? ちゃんと、説明をして?」
先生が私に非難の眼差しを向けるが、どうしろと言うのだ。
「貴女はウィンチェスター殿下の
「ふぇ?」
何だか、とんでもないことを言われた気がした。戸惑っている間に、クラスメートからは拍手、口笛、黄色い歓声で耳が痛くなる。
「おめでとう!」
「お幸せに!」
「結婚式は絶対に呼べよ!」
「ウィンチェスター君との結婚式って、絶対に豪華だよね」
「バズりそうじゃない?」
「羨ましいっ!」
「……へ?」
私は目をパチクリさせる。昨日と、あまりに違う対応に、私はどうして良いかわからない。そして勘違い、甚だしい。これは訂正しないとウィンチェスター王家の醜聞になりかねな――。
「気脈が安定したんだな。風の通りが良い」
開け放たれた窓から、風が吹き込んで。アスの銀髪を揺らした。それは世界樹の種を植えるために、聖女の魔術を【
「あのね、榊原さんっ!」
ガシッと、私の手を掴まれた。
「……はい?」
「多分、あなた達二人のおかげだと思うの」
「えっと……何か、しましたっけ?」
先生も気脈を感じられるのか。流石、陰陽師系私立中学校の教員といったところ――?
「昨日、マッチングアプリの人と会って、すごくいい雰囲気になったのよ! 今までの最悪な出会いがウソみたいで。これまでの男運、最悪なのがウソみたい!」
自分で男運、最悪とか言わないで欲しい。そして中学生を前にしてマッチングアプリとかいう、教師はどうなんだろう。
「気脈と男女の関係は、運気に関係するとして。端末にも影響するのか。日本特有の技術ではあるが、これはこれで興味深い」
お願いだから、アスに変な火をつけないで。
「これは、榊原さんとウィンチェスター殿下のお陰だと思うの。二人は恋の
興奮気味に報告してくれるのは、有り難いがたいけれど。中学校教諭として、それアウトだと思うんだ。
「先生。その気持ちは嬉しいが、俺はあくまで留学をしてきた学生だ。両国の友好条約締結は、使節団が果たすべき公務。本分は学生。今は、学びと櫻に集中したい」
私のこと、このくだりでいる?
「殿下のその心構え! 不詳、横峰梓は感動いたしました!」
「うむ、大儀である」
アス、先生で遊ばないの。
「横峰師、これからも学ばせてもらおう(その恋の顛末を)」
ひどい、アスが本当にひどすぎる。気脈越しに囁いても、聞こえるわけないじゃない!
「はい、精一杯、体育と保健体育についてお伝えします! 性教育のことなあ、お任せください! 今ならもれなく、避妊用ゴムをプレゼント!」
陰陽師は関係ないじゃん。一般教育課程の先生じゃん。いや、担当科目を自己紹介の時に言っていた気もするから、ちゃんと聞いていなかった私が一番悪いけれど。
「榊原さんっ!」
がしっと、さらに私の手を握られた。
「ウィンチェスター王家は、しきたりに厳しいと聞くわ。婚前交渉についての習慣まで、私も不勉強だからアドバイスはできないけれど、ほどほどにね?」
「こんぜんこうしょう……?」
初めて聞く単語に、目をパチクリさせる。
エリィーさんに後で聞いて、大絶叫する私だった。
■■■
「櫻、行くぞ」
アスに手を引かれ、私は我に返る。すでに階段を降り始めているところだった。アスも庭番見習を追いかけようとしているらしい。
「……結局、陰陽道に興味あるんじゃん」
散々、人をドキドキさせておいて。この
「……バカ」
小声の呟きは、アスにしっかりと聞かれていたようで、ニヤリと笑う。
「心外だ。バカはバカなりに一生懸命、考えているんだけどな」
昔のアスなら不敬だ、と渋い顔をするところ。でも最近の今の彼はずっと、こうだ。余裕があるというか、懐が深くなったというか。私を全部、肯定してくれる。アスに甘えたくなる、自分をなんとか思いとどまる。
住む世界が違う。
だから、諦められたのに。
世界を渡ってくるのは、反則だと思う。
「じゃあ、公務って……何をするの?」
公務と称して授業をサボっているようで、心臓に悪い。だいたい、アスに公務は当てはまるかもしれないが、私は部外者だ。ウィンチェスターの公務に従事できるはずが――。
「ウィンチェスターと言うよりは、俺達の未来のためかな」
ふんわりと、アスは笑む。
授業中、静寂に包まれた廊下に、アスの声が響く。
俺達の。
未来。
みらい。
みらい。
みらい。
どうしてだろう。
その言葉ばかりが、ずっと私の耳に響く。
「行くぞ」
真剣な顔を崩さず、アスは言う。
私達が立っていたのは、職員室だった。
コンコンコン。
ノックする音。
「お入りなさい」
静かに、声が響く。
ガラガラガラ。
ドアをアスが、開け放つ。
私は、アスに手を引かれるがままに職員室へ誘われる。どこまでも、ウィンチェスター式でエスコートされるのに、戸惑いながら。
「待っていましたよ」
黒髪の男性が、後ろで髪を束ねていた、職員室最前列。先生達の机と対面になるよう、座していた。そういえば、誰が校長で誰が教頭なのか、認識する間もなく召喚されたのだった。
「教頭先生。今、時間は良いか?」
「もちろん」
にっこり笑ったかと思えば――空間が歪む。単純な魔力じゃない。明らかな
「南無」
結んだ印が力をもつ。途端に気脈の精が騒ぎ出した。
「ふーん? 骨のあるヤツもいるんだな。前のヤツは呪符頼りだったが、あんたは違うのか?」
感心したように言う。
「公儀御庭番、副局長の土方だ。ウィンチェスター第一王子殿、手合わせ願おう。まさか、この程度で国交断絶など言うまい? 個別授業だと思って、前向きに受講してくれ」
「術が稚拙すぎたら、国交断裂も有り得るかもな」
「ちょっと、アス――」
私の静止も聞かず、アスの魔力が、
アスの魔力。
そして、教頭先生の浅黄色の霊力が鈍く、唸って。
ぶつかり合う、その間際――。
私は、前へ飛び出した。
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エリザベス(エリィー)さんとエル君の淑女講座
「聖女様、婚前交渉ですか……。そうですね、非常に言いにくいのですが。確かに、ウィンチェスター王家及び貴族は、婚姻後にまぐわうことを推奨していますが。殿下が、それでどう対応を変えるとは、考えられませんね」
「ま、ぐわ、う?」
『もぅ、エリィー、まどろっこしいぞ。要は結婚前に〝えっちっち〟するってことだよ』
「エル様、ストレート過ぎます」
「え、っと……」
『櫻のえっち。まぁ、そういうことが気になるお年頃だよね』
「ち、ちが……ちがうから――」
『王子は喜ぶんじゃないの? 櫻もエッチだなぁ』
「ちが――だから違うの! これは違うからっっ!!」
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こんぜん‐こうしょう〔‐カウセフ〕【婚前交渉】
結婚しようとする男女が結婚する前に性的関係をもつこと。
デジタル大辞泉 (コトバンク)より引用。
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