世界樹の聖女様と殿下は、遅刻が確定です。

 榊原櫻さかきばらさくら、14歳。


 中学生。ただし、プロフィールを、 書くとしたら、職業欄には聖女。さらに備考欄には世界樹の母と書かないといけないという現実に、私の思考が追いつかないけれど。


 異世界召喚をされたという事実を除けば、私は他の子と何ら変わらない、普通の中学生なのだと、声を大にして言いたい。


 無遅刻・無欠席が、私の唯一誇れる点だった。それが、聖女召喚で一年間の休学。この中學2年で、挽回をしないといけないのに――まさかの2日目から、遅刻。


 アスのように才覚を持ち合わせていない私は、努力をするしかない。それだって、2年を切った高等學校進學試験を考えたら、憂鬱しかない。


 この學校、生徒の大半が、陰陽師系に進むだろう。無能と言われた私には、それも適わない。せめて、中學1年で陰陽道の適応が見い出せたら。もしくは、勉学でTOP50程度にランクインできたら。


 陰陽系私立中學から、公立高校に進学するのことは、こんなにも道のりが厳しい。それ以下のランクの學校を考えたら、遠方の学校で寮暮らしを考慮しないといけない。桜那さながいる状況で、その選択もできない。とにかく、泣き言を言わずに頑張るしかなくて――。


「……ら、さくら? 櫻?」


  アスに呼ばれていたことに気付く。

 少し、語気を強く呼んだのか、教室に向かう途中の階段で、アスも声が谺した。


「ぁ――」


 私の呟きが静かに響く。私の耳の奥底で、いつまでも反響しあって。アスの声は、消えてくれない。


 もう、今さらだ。


 授業が進んでいる、この時間に。

 私は、いまだ校舎の一角で、アスの声に溶かされかけている。変に否定をしても仕方がない。認めよう、私はアスの声が好きだ。


(声だけ?)


 違う。

 アスの全部が、好きで好きで仕方ない。でも、住む世界が違う。だから、諦めたのに。この【魔術オタク】は、私の覚悟なんて、予想の数億光年飛び越して、日本こっちにやって来た。


 素直に、この気持ちを伝えたら。

 アスはどんな顔をするのだろう。


 ココでは、王族と一般人。無責任に、この気持ちを伝えられない。異世界あっちの身分制度を知ったからこそ、やっぱり軽はずみには言えなかった。


「櫻」


 もう一度、呼ばれる。その度に、トクトク心臓が胸を打つ。


「……アス?」

「昨日は、ちゃんと言う余裕がなかったけれど。その制服、似合っている」


 階段で反響するアスの声。


「えっと……? アス?」

「……聖女の正装は綺麗だと思っていたが、學校の制服は愛らしいな」

「み、みんな着ているじゃないっ! 私だけじゃないよ!」


 それこそと着崩して、前田さんのように垢抜けた子だっている。私は、入学式の直後に召喚をされたから、勝手が分からない。中學2年だというのに、まるで1年生のような堅苦しさがあるって、自分でも思う。


「他? 別にどうでも良いが」

「この魔術オタク。そんなこと言われたら、他の子が悲しむじゃない。もっと、関心を――」


「関心は寄せているつもりだ。この国の風習も、学んでいこうと思っている。でも、一番は櫻だ。俺にはそれ以上、ない」

「また、そんなこと言って――」


「エリザベスに、きつく言われたからな」

「エリィーさんに?」


 私が尋ねると、アスはコクンと頷いて、苦笑する。


「大切なことは、言葉にしないと伝わらない。魔術で伝えたつもりでいるなってな」


 アスの言葉を聞きながら、エリィーさんらしいって思う。アスはどこか論理的ロジカルに考えすぎて、言葉を省略するクセがある。でも、肝心な時に発する考え抜かれた言葉は、誰よりも人を動かすことを私は知っている。


「でも、アスの大切なことって?」


 聞いて、思わず後悔する。それが私以外のことだったら。そして、それは十分にあり得る。だって、彼はウィンチェスター王家、王位継承者第一位の身なのだから。


「そんなの決まってるじゃないか」


 アスが私を覗きこむ。


(……え?)


 そんな思わせぶりにしないで欲しい。そんな風に言われたら、期待しちゃう。ダメだよ、アス。ちゃんと、諦めさせて。これ以上、アスを近くに感じたら。私、きっと抑えられな――。

 アスが口を開こうとした、その刹那だった。






 校内のスピーカーが、一斉に警報音を鳴らす。各教室、廊下、校庭に設置されたスピーカーが、一斉に出した警報音で耳が痛い。

 これは高度警戒レベルであることを、意味している。





『校内の公儀御庭番及び庭番見習みならいに告ぐ。未確認妖体を確認。北北西に向けて進行中。各自、呪具を持参のうえ、御神木へ集え。現地の御庭番、一番隊。四番隊の指示を仰げ。繰り返す。校内の公儀御庭番及び庭番見習は――』






■■■






「やかましいことで」

「やかましいって……これ、緊急怨霊きんきゅうおんりょう速報だよ。陰陽師が出動しないといけないレベルの妖体バケモノが――」


「やっと、この国の魔術が見られるのか。それは興味深い」

「アス?!」


 ジロリと私は睨む。本当にこの【魔術バカ】は、魔法や呪術が絡むと、見境がなくなるんだから。


「そんなに、興味深いならそっちを見学に行ったら良いじゃない! アスのバカっ」


 私は、そっぽ向く。なんて大人げない、って。自分でも思うけれど。


「……ん? 櫻は何か、勘違いしていないか? この国の陰陽道はいつでも学べる。この事象だって、後で精査したら良い。俺には、櫻より重要な案件なんてない」


 くいっと、頬に手を添えられ。逸らした視線が、無理矢理、修正される。


「あ、アス?」

「前なら、何度も言わせるなと伝えていたかもな。今は、分かってもらえるまで、何度でも伝えるから。俺に櫻以上の重要な案件なんか、ないからな」

「あ、う、アス! 待って、その――」


 私が反論するより早く。複数の足音が、静寂を突き破る。考えてみれば当然だ。緊急怨霊速報が発信されたんだ。公儀御庭番に属する生徒会執行部、それ以外の庭番見習達が、火急で現地に駆けつけるは当然のこと。


 案の定、階段上から浅原君、物部君。そして昨日、私に絡んだ前田さん達が駆け下りてきた。


 庭番見習だ。


 アスがその流れに私がさらわれないようにと、肩を抱いて引き寄せる。

 彼女はそんな私とアスを見て、何か言いたそうだったが、そのまま駆け下りていった。


 そして、遅れてこう君が、足を止めて私を――というよりは、アスを冷眼するように感じる。


 気脈が澱む。どう考えても、庚君は、アスに対して敵意を。そして呪詛を叩きつけていた。アスは、それを涼しい顔をしてやり過ごす。聖女と一緒にいるだけで、自浄作用アンチウィルスが作動してる。初級呪術なら、こちらでも問題なく発動するのを知れたのは、収穫かも――。


(……って、私の思考、アス化してない?)


 睨みあう2人のせいで、気脈が揺れる。好戦的な精が集まり始め、空気がピリピリと肌を刺激する。


「……良い身分だな」

「王族だからな」

「……」


 ちっと、舌打ちをして。それから、庚君は私を見る。絞り出すように、呟く。警報音に掻き消されたが、風の精が音を絡めとり、私に届けてくれた。





 ――絶対に、俺が櫻を救うから。

 これは、どういう意味なんだろうか?





 まるで、私が妖体あやかしに憑かれているような言い方で。でも、私から見れば、庚君がナニかに憑かれているように見える。




「……こう君?」


 警報がけたましく鳴り響くなか。

 1年ぶりに再会した幼馴染みが何を考えているのか、私にはよく分からなかった。






________________



閑話:とある第一王子の物語②



 呆然としている櫻を尻目に、俺は影へと呼びかける。他の男に、意識をもっていかれたのは癪だが、そこに心を乱されている場合じゃない。


「ダンチョー。いるか?」

「御意。こちらに」


 声だけが、反響する。魔術が使えないダンチョーは、影や色に同化する魔術も、もちろん行使できない。


 ただ、彼は【氣】を扱うことにかけて、ウィンチェスター随一と言える。彼の使う【氣】の応用【絶】はそこに居ながら、魔力感知でも知り得ない。


 魔術に遠い男が、一番気脈に近いのだ。彼の【絶】を見破るのは、弟子の聖女・櫻のみ。俺が、魔術のみに傾倒しなくなった、理由の一つだ。


 魔力を完全に封じられた階層で、魔術師は役立たずでしかない。あの時、魔術はあくまで手段だと、ほとほと痛感したのだ。


「あいつらを追え」

「さすがに承服しかねるで御座るよ。拙者は、殿下の護衛であることをお忘れか?」


「懸念の陰陽師が不在で、誰を護衛するんだよ? それより、気脈がおかしい。いきなり不安定なになった」

「それは同意いたす。まるでわっぱが癇癪を起こしているかのようで御座るな」


「櫻も、また循環不全かな? これぐらい、あいつも察知するだろうに。もしくは鈍ったか?」


「どこかの殿下にあんなに心をかき乱されたら、気脈に接続コネクトするどころじゃなかろうて。修行不足とも言えるで御座るが」


「……なんだって?」

「なんでも御座らんよ。確かに、拝命いたした。だが殿下、ご無理はされるなよ?」


 そう苦笑して。それからダンチョーの声はかき消えた。


 行ったらしい。終始、気配を察知できなかったのは、やはり流石だ。


(櫻――)


 今は声をかけるのが、憚れた。

 櫻が思い悩む、その姿を見たら、胸が焦げつくけれど。


 今は、雑念を振り払って、先を思い巡らす。俺には櫻のように、人の心を動かす言葉はかけられない。たた、先を見越し、必要な魔術を使うだけ。


 あくまで論理的ロジカルにしか考えられない。そんな俺を変えたのは、間違いなく櫻だ。



 彼女の懸命な声。

 土地が腐るがまま。どうしようもないと、諦めた民がもう一度鍬を握ったのは、聖女の言葉があったからだ。

 その言葉には、確かに御霊みたまが宿っていた。



(……そんな櫻だから)



 多分、最後まで旅をすることができた。

 庇護され育った王族には、緩くない旅路。それだって、彼女が小さな躰で、懸命に歩み進めたから。どうして、王子の俺が泣き言が言えようか。本質の俺は意気地なしだ。


 そして、旅が終わったら伝えようと用意した言葉は、未だ言えないままでいる。


 だから、なおさら。

 櫻が日本こっちに帰ることを選択して。

 腹が括れた。


 櫻が笑ってくれるのなら、どんな手だって惜しまない。


 俺にとっては、櫻が全てだ。

 恋した相手のために異世界を渡った王子オトコと後世の歴史は笑うかもしれない。笑われたって、なんだって。俺は櫻をもう離さないと決めたんだ。




 ――貴女キミを守るよ、世界樹の名にかけて。





 この誓い、そんなに易くないと。

 もう一度、櫻に誓うために。

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