聖女ママと殿下パパの中学生事情(そうだ、学校があったんだ!)

「さぁ、それじゃ。櫻もアステリア殿下も、学校に行く用意ね」


 お母さんの一言で我に返る。そうだった、聞き入っていたが学校のことをすっかり忘れて――柱にかけられた時計が9時だと、レプリカのエルが告げる。何を言っているのか分からないと思うけれど。だって、この柱時計。一時間ごとに、鳩が時報を告げていたのに――。


99! 9時! イチャイチャしていないで、早くいけよ〜』


 どうしてエル(ニセモノ)が9時の時報を伝えるのか。何より時報を伝えるメッセージがひどすぎる。


 桜那はそんな、もう一人のエルを見て、キャッキャッと笑っていた。この短い時間のなかで、すっかりエルと馴染んだらしい。

 私の抗議の視線を感じたのか。アスはむしろ、得意そうに笑む。


「――鳩よりは駄妖精の方が、ウザいから、早く行動できるかと思って、ちょっと仕掛けをしてみた。あ、案ずるな。工賃はウィンチェスター王家もちだし、ちゃんとご尊父の許可はいただいた」

「殿下は魔導具製作の才もありましたか。飽くなき探求心、感服です」


 バトラーさん、そうやってアスを甘やかすの良くないと思うんだ。


「……アスの魔術オタク!」

「なんだよ。これぐらい、魔術のうちにはいらないって。初歩的な精星せいせいA.Iじゃんか。時刻に合わせて、ラーニングした言語で時間を伝えるから、マンネリ化もないし」

『ボクで遊ぶなし』


「桜那も〝時計とっけー〟になるー!」

「それは、さそかし賑やかそうだ」


 やめて! 世界樹の時計なんて、絶対に何かが起きるフラグだよっ!


「はい、はい。そこまでよ」


 お母さんがクスリと笑んだ。


「桜那ちゃん、お婆ちゃんと一緒に、パパとママのこと、待てるかしら?」

「へ……?」


 桜那は目をパチクリさせる。


桜那しゃなはパパとママといっしょに学校かっこー、いけないの?」


 途端に、桜那の顔がくしゃりと絶望で歪んだ。

 





■■■






 振り切るって、こういうことを言うのだろうか。

 ぶわんと、魔力が昂ぶるのが分かる。離れた今も、肌がピリピリする。


 ――護符を持ってくるから! エルちゃん、耐えて!

 ――ボクが?! ムリムリムリムリ! ママさん、愛らしい妖精に何をさせようっていうのだ!


 ――バトラー様、アルフ! 私と一緒に時間を稼ぎましょう!

 ――あっしも?!

 ――当然でしょう。ダンチョー、殿下の護衛は頼みましたよ。


 ――承知で御座る。殿下、影よりお守りすること、ご了承ください。

 ――別にいらないけどな。


 そうこうしているウチに、今に至る。振り返れば、我が家だけ、気脈が歪んでいる。


「……あ、あの。アス?」

「やっぱり、櫻も気になるか? これはちょっと、考えないとな。世界樹が幼すぎると、感情のコントロールもままならないのか。これ、喜怒哀楽で天災が起きるレベルだぞ」

「あ……うん……それも、そうなんだけれど……あの、ね?」


 さも当たり前と言わんばかりに、アスは私の手を繋ぐ。王宮内、王族の嗜みと、アスはエスコートしてくれた。その延長戦と分かっているが、通学路をこうやって歩くのは、デートにしか想えない。


 それなのにアスときたら、こっちの気も知らないで、当たり前のように話を進めていくんだから。心なしか、耳朶が赤いのだって、気脈の乱れで、魔術オタクの本性が疼くに違いない。


「櫻はどう思っているんだ?」

「へ?」


「桜那の教育だよ。あの子を世界樹として育てる責務がある。その成長で土が豊かになるか、腐るか決まる。俺達が親になった。桜那に名前をつけた。それで、終わりじゃないだろ?」


 アスは自分が思う以上に、桜那のことを考えてくれていたらしい。でも、私の中で、桜那にどう向き合うかは、決めていた。これは、良い機会だって思う。私は、小さく息を吸い込む。


 アスなら、私の意見を一蹴して片付けない。きっと、一緒に考えてくれる。だから、とくとく胸打つ心臓の音に負けないように、勇気を振り絞った。


「……私は、世界樹だからどうこうって、桜那に押しつけるつもりはないよ?」


 アスは怒るだろうか。アス達は常に王族の責務ノブレスオブリージュを背負ってきた。高貴なる者には、それなりの責任が生じる。それは、確かにそうなんだと思う。でも、私は世界樹という役割じゃ無くて、桜那自身を愛してあげたいって思う。


 新米ママが何を言っているんだ、って呆れられそうだし。

 それこそ、ママの自覚もないけれど。


 芽吹いてくれた桜那に、まずはありがとうって言いたい。それから大好きをたくさん伝えたいって思う。


「櫻なら、そう言うと思ったよ」


 ふんわりと、アスは微笑む。そんなアスを見て、私は目を見開いた。呆れたワケじゃない――と思う。言葉を諦めたワケでもない。相手にされないワケでもない。私は、アスがこうやって笑う時の意味を知っている。


 ――全肯定。全面的に、私の意向を受け入れてくれた時だ。


「……良いの?」


 私の言葉に、アスは首を傾げる。


「俺は櫻の意見に全面的に賛成したんだけど――」


 そう言いながら、思い直したのか、髪を掻き上げる。


「……ダメだな。だから、エリザベスにもマーガレットにも怒られるんだよな、俺」


 アスが小さく息をついた。


「アス?」

「王族の責務で生きてきた俺には、正直、櫻の考え方が新鮮だったんだ。現に、魔の森に堕ちかけた駄妖精を狩らなくてよかったと、今でも本気で思っている。そんなことの連続だったんだ。何より出来損ないの俺を――」

「アス」


 手を握られたまま。もう片方の手で、頬をツンと突く。

 覚えているよ。


 アスのことを【魔術オタク】【実験狂い】【王家の穀潰し】と揶揄する言葉を、私達で、全部覆してきたんだ。


「アスは誰が何て言おうと、世界樹の守護者だよ。その座は誰にも譲らないんでしょ?」

「当たり前」


 ニッと笑う。

 そして、桜那のパパ。その役割は、与えられただけだとしても。


 そして――それが、今しか見られない夢だとしても。


 だから、世界樹が根付くまで。

 もう少し、夢見ても良いよね?


 今もトクトク胸打つ、心音がアスに聞こえないかドキドキしながら。

 アスに手を引かれるがまま、歩く。




 その先の未来あした

 あり得ない将来を勝手に夢想している私――。

 


(本当に、バカだ)





■■■








 ――やれやれ。




 影に潜んだダンチョーが、どうしてか苦笑を浮かべる。

 その笑みは、風に溶け込んで、すぐに消えた。




 結局、どうしたの? って。

 そう、ダンチョーに聞けないまま。




 心臓の鼓動が、ダンチョーにまで聞かれそうで。




 体が火照るのを感じる。

 いくら風が吹いても、この熱を冷ましてくれない。




 だから。

 誤魔化すように、アスの手を引く。風の精を呼びこんで。

 気脈越し、桜那の魔力が少し、緩んだのを感じ――少しだけ、胸をなで下ろした。




「……櫻?」


 アスが、戸惑いの声を聞きながら。接続コネクト魔力制御コンパイル魔術論理コードを展開して、そして実行エンター


 風の精が、私の背中を押す。

 頬を優しく撫で――そして、過分な熱を取り除く。


(…… うん。問題なく、起動できた)


清浄な魔力が体内を循環し、過剰に分泌されたアドレナリンを抑える初歩的な魔術。


 それなのに。

 それなのに。

 それ、なのに?








 私の体の熱は、全然――冷めてくれなかった。



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