聖女様、世界樹に名をつける



『……王子、もう仮説は立てているんでしょ? 多分、王子の推測通りだよ。あの子、世界樹だから』


 そう淡々と言うエルに、アスを除く誰もが、ぽかんと口を開ける。


「なるほどな」


 首肯するアスの手を私はぐっと引っ張る。


「一人で納得しないでよ。全然、わからない」


 ぶすっと頬を膨らませる。学校の友達には、こんな表情を見せない。アスだからこそ、安心して晒せる。視えることを否定しなかったのも、アスが初めてで。


 ――何を、そんな当たり前のことを。

 ひとかけらの愛想も無い、そんな言葉を吐いて。

 でも、私にはたまらなく嬉しかったんだ。


 異世界召喚で魔力制御コンパイルに失敗した結果。私は、ウィンチェスターの王城ではなく、世界樹の森、浅層に落とされたのだ。そこを彷徨いながら、初めて見たこの世界の精に、嘆息を漏らした刹那。アスの言葉に、私は大きく目を見開いた。


 今のように笑わないし、ぶっきらぼう。魔術オタクっぷりはあの頃のままだけれど。何より、その心根に宿る優しさは変わらない。

 そして、忘れない。


(……忘れられるわけがない)


 アスが単身、世界樹の森に飛び込んできたのだ。


「ちょっと、待って……ちゃんとエルに説明してもらうから……」


 アスが頬を朱色に染めながら口ごもる。昔のアスなら絶対に言わなかった言葉を、モゴモゴさせながら。そういうところだ。私の言葉を全部、受け止めようと必死に考えてくれる。アスにとっては初歩中の初歩である魔術言語を、なんとか伝えようと必死になる姿を見たら――意地なんか張れなくて。


 世界樹の森を彷徨いながら。アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスター、彼の名の由来を聞く。アステリアは古代魔術言語で――。


『人に振っておきながら、二人の世界に入るのやめてくれない?』

「う、うるさいっ! とっとと説明しろよ!」

『ボクに、論理的ロジカルに説明って、ムリゲーじゃない? どうせ、もうお見通しなんだから、王子が説明してよ。補足はするからさ』


「……べ、別に良いけど」

『あ、王子は櫻に個人授業したいんだろうけれど、今はみんながいるからね。依怙贔屓も、ほどほどにね』


「依怙贔屓してない!」

「依怙贔屓されてないよ?!」


 アスも私も声を合わせて、至極まともに反論するが、なぜかみんなには呆れ顔をされた。


「「「「「そういうとこだと思うよ」」」」」


 なぜか、お母さん、お父さんを含めた全員から集中砲火を受けるの――ちょっと、解せない。







■■■






「世界樹は、生命の根幹だ。土壌や豊かで、清浄の水、清廉な空気がある場所こそ、気脈が深く豊かだ。そういう場所でないと、世界樹は育たない。これは分かるか?」


「うん。だからこそ、気脈に接続コネクトする時は、その土地の気脈の状況。そして世界樹と疎通を図ることが重要なんだよね?」

「ちゃんと、憶えてるじゃんか。偉いぞ、櫻」


 アス先生は、真面目な生徒にはしっかり褒めてくれる。今も、こうやって髪を撫でて。うん、こうやってアスにされるの、好きって思う。


「わかりまちたっ!」


 あの子も私の膝の上で、手を上げた。本当に分かっているかどうかは、定かではないけれど。小さいのに、聞こうとする姿勢があるのは見習わないと、って思う。


「「偉いね」」


 私とアスの声と手が重なって、あの子の髪を撫でる。アスの指先と、私の指先が触れ合って。一瞬、硬直。でも、あの子が催促をするから、二人で髪を撫でてあげた。


『だから、そういう所なんだって……分かってるのかなぁ。距離も近いし、向かい合って一対一じゃなくて、全員に講義をしろって言っているのにさぁ』


「まぁ、まぁ。エル様。殿下がようやく手に入れた指定席ですから。ここは見守ってあげるのも肝要かと」

『バトラーは寛大だね。でも、王子を甘やかすと、際限ないからね? いつもは有能なクセに、櫻がからむと本当にポンコツになるんだよなぁ』


「殿下は有能ですよ。元々、勤勉で為政者の気質はありました。ただ、聖女様と出逢われ、王者の道を歩む覚悟を得たというべきでしょう」

「……おい、人が講義をするんだ。私語は慎め」

『「……」』


 エルはお前が言うなって顔で。バトラーさんは、ニコニコ、微笑を絶やさない。でも、今回ばかりは、アスに賛成かな。ちゃんと、お話は聞かないとね。


「聞くのでしゅっ!」


 元気に手を上げる姿に、みんな思わず頬が緩んだのだった。





 ――ということで、やりなおし。





「そもそもずっと考えていたんだ。俺達の世界で世界樹と繋がりが深い、かしじいさん。あの樹木人トレントは一体、何者なんだって? この子を見て、ふと思った。世界樹は、最初から世界樹として、隅々まで根は張れないんじゃないかって。世界樹を守る――そうだな、防人さきもりのような存在が必要なんじゃないかと、そんな仮説をたてた」


『……すごいねぇ、王子。防人とは、面白い表現。実際には、世界樹の半身って、ボクらは呼んでいるけどね。世界樹は、土を豊かにし、水を清め、空を澄ませる。でもその過程で、本体は無防備だ。気脈に接続コネクトしても、良い精ばかりじゃない。穢れた精の影響を受けることもあるし、背戒樹に墜ちることだってある。時に、守護者として、時に身代わりとして。いわば、世界樹の代替品バックアップ。それが、半身なんだけど――って、櫻?』


 エルの説明を聞きながら、理解はできる。

 でも、納得はできない。


 私は、無意識に彼女キミのことを抱きしめていた。


ママみゃみゃ?」

「なんでもない、大丈夫、だいじょうぶだから――」


 自分でもよく分からない。

 陰陽師の優秀な父母をもちながら、無能と言われ。


 そして、聖女として、守護者達と一緒に旅をして……今度は、君イラナイと言われた。帰ってきてからも、私を受け入れる人はいない。こんな世界だけど……この子まで、そんな気持ちを味わわせたくない。だったら、私が――。


 と。

 すっと、髪を撫でられた。

 アスが優しく笑む顔が、視界に飛び込んでくる。


「……なんとなく、櫻が考えていることは想像できる。でも、俺は櫻もコイツのことも一人にしないぞ? 何のために、日本こっちまで追いかけてきたと思っているんだ」

「え……でも、それはアスのお仕事で……」


 理由を探す。その時間すら待たないと言わんばかりに、アスが私の髪を撫でる。それから彼女キミまで。私の膝に乗って「よいしょ」と背伸びをし、アンバランスな体勢で私を撫でる。


 どうしよう。

 視界が霞む。

 思うように、前が見えない。


「聖女様。どうか殿下の口から公務などどうでも良いなどと、言わせないでください。大日本皇国への転移。それから交渉を一ヶ月で済ませたのは、全て殿下の尊き意志によるものです。殿下が何より望まれたのは、貴女との安寧と未来なのですから」

「バトラー、そこまで言えとはいってな――」


 アスがそっぽを向く。その顔を朱に染めて。

 分かっている。


 アスは王族である以上、軽はずみな行為はできない。それでも、彼の性格だ。全てを投げ捨てる覚悟と、王族の責務ノブレスオブリージュで板挟みになりながら、選択してくれたんだ。それが、施策を前にした建前だとしても――やっぱり嬉しいと思ってしまう私がいる。


『櫻、ごめん。ボクの言い方が悪かった』


 珍しく慌てるエルに、私はなんとか笑って見せた。


 妖精に、配慮は難しい。精は直感が全てだから。だとしたら、エルが語ったことは、明確な現実なのだ。世界樹は生命の根幹。気脈の精が自我をもち、世界樹の眷属となる。言ってみれば、エルだって、半身と同じ役割を背負っていることとイコールだと気付く。


「ママ、大丈夫だいちょうぶ?」


 また、私の髪を撫でようとした瞬間だった。バランスを崩し、倒れそうになる。慌ててアスが支えた、その刹那。あの子の体が、気がした。


「「え?」」


 私のアスの声が重なる。


『……あぁ、もうきちゃったのか』


 エルが悩ましげに息をつく。


「何か知っているの?」


『単純な話だよ。彼女は世界樹として、根付いていない。定着するために力ある魔術コトバを宿した名前が必要なんだ。本来は時間をかけて気脈と馴染むものなんだけどね。この子は、あまりに幼すぎるんだ』


 エルが以前、教えてくれたことを思い出す。仮に妖精として生まれても、イキモノ達から忘れられたら、生きられない。名前を忘れられた妖精や霊ほど、哀れな存在はいない。そして魔の森は、そんな妖精達が縋り付く最後の場所でもあった。


 思考を巡らしていると、彼女キミの輪郭がぼやけた。本当に、今にも消えそうで。


「ア、アス!」

「櫻!」


 お互いに呼び合う。名前をつけなくちゃ。でも、それは意味がある名前でないとダメだ。だってエルは言ったのだ。世界樹を根付くために、魔術コトバが必要なんだと。


 力ある言葉をもって魔力を制御コンパイルする。意味を為さなければ、論理ロジックが瓦解する。


 だって、アスと私。二人の魔力で、この子の芽を吹かせたから。二人分の意味を、その名に刻む必要がある。それくらい、私だって理解している。


「……私が、名前をつけても良い?」

「頼めるか? もう、きっと時間がない」


 アスが言うのだ、きっとそう。もう、迷っている時間はない。


 ふと、湧き上がる。

 そういえば……恥ずかしくなる空想をしたことがあった。


 私の「櫻」って名前と。

 古代言語で「豊穣」を意味するアステリア――アス。日本こちらでは「豊かさ」を表す【那】と掛け合わせて。子どもの名前を考えたことがあって。



 私は、気脈越しに囁く。




 ――桜那さな




 そんな名前はどう?

 アスが目を丸くするのが見える。





 ――憶えていたのか?



 あの日。

 世界樹の森で、彷徨いながら。

 雑談程度に、私達の名前。その意味を語りあった。


 忘れるわけないじゃない。

 だって、アスの名前だよ。

 陛下は本当に素敵な名付けをされたって思う。




 私とアスの魔力で芽を吹かせた、世界樹キミに。

 この名前を贈りたいの。

 どうかな?






■■■





 桜那さなを中心に気脈が渦巻くのが、えた。


 部屋中に、桜の花弁という花片が舞う。あれほど薄かった気脈が、濃密な果汁を滴らせたかのように、かぐわしくかおらせて。


「ママ、パパ!」

「「桜那」」


 私とアスが呼ぶ声に、呼応するかのように。

 桜那が笑顔を溢す。

 その度に、花弁が舞う――。











「嬢、久々に稽古をせんか? 武士もののふたる者、日々の鍛錬は必要不可欠で御座る……ぞ?」


 朝稽古から帰ってきた、ダンチョーが目を丸くする。魔術が一切使えないダンチョーだけれど、しっかりと、この気脈が視えているのは流石。


 ただ、ダンチョー? 女の子に武士もののふは、適切な表現じゃないって思うんだ。

 そんな空気の読めないダンチョーも、流石に息を呑む。


「……これは、美しいで御座るな」


 その一言に、誰もがこくりと頷いた。

 それは花弁、咲き乱れる気脈に対してなのか。

 桜那が満面の笑顔で、私とアスに抱っこをせがむ姿を見てなのか――。




 正直、私には分からなかった。

 

 

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