この子はだぁれ? だれですか? 正解:聖女様のお子様(疑)


「ママ、だい、だい、だい、だい! 大好だいしゅきっっ!!」

「へっ?」


 ベッドのスプリングが軋む。のびてきた小さな手が私に触れる。心底、嬉しそうに笑う小さな女の子。遠慮なんか何一つなく、彼女は私を抱きしめる。


 ふわり。

 魔力が波紋を広げるような感覚がする。


 これを、どう例えたら良いだろう。


 新緑のかぐわしさ。

 風にのって漂うような、花の香り?

 よく耕された土の匂い。


 世界樹の領域で鼻腔をくすぐった、あの時の感覚が蘇る。


「櫻、また魔力を感じたけど、何があった?!」


 乱暴にドアが開け放たれて――。

 お互いに硬直する。


 くりんと、あの子は満面に喜色をたたえていた。でも、それよりも――。


 ショートパンツ、キャミソールタイプのルームウェア。


 もう暖かさを通り越して――汗ばんできたから。お気に入りを引っ張りだしたのだ。一年たって、胸元が少しきつくなってきたのは、今はどうでも良い。


 そういえば、異世界では、膝から上を出すのは娼婦の証し。もしくは男を誘っている合図だと、エリィーさんに教えてもらったことを思い出し、慌ててタオルケットを引き寄せた。


「あ、あの櫻……」

「アス……」

『すや〜』


 私たちが硬直しているのもお構いなしに、世界樹の眷属ことエルは、ベッドとして用意した竹細工の籠ごと、宙にふよんふよんと浮かぶ。この眷属は、肝心なところで、いつも本当に役に立たない。


「殿下!」


 エリィーさんが飛び込んでくる。やっと、この子のことを相談ができ――。


「あれほど、婚約前の子女の部屋に立ち入ってはダメと、申し上げたのに。殿下には、紳士としての自覚が足りません。いかにと言っても、ものには限度というものがございます!」

「あ、う、う……」


 エリィさんの物言いにも限度があると思うの。


「いや、エリザベス。ちょっと話を聞け。明らかな魔力反応を感知して――」


「いいえ、殿下。今回ばかりは聞けません。指南役をとことん拒否されたのは殿下ですよ。それが今になって、何の知識もなく聖女様を傷つけるような行為に及ぶとは、到底容認できません。淑女の部屋に、許可なく入室することは、紳士の行為としていかがですか?」


 指南役が何なのか分からないけれど、絶対に聞いちゃいけないワードだと思った。


「まあエリィ、そう怒るなって。殿下もお年頃だぜ、一秒でも早く聖女様に会いたかったんだって」

「そういう問題じゃありませんよ、アルフ! 第一王子の品格が問われる問題です!」


「殿下が言うのなら、一度、探査サーチしてみたらどうですか? 我々と違って、殿下の魔力感知技術は群を抜いている」


 そう言ったのはバトラーさんだった。


「……娘に夜這いだと」


 ぬっと顔を出したのは、頬に傷がある着物姿の厳つい壮年男子――お父さん、榊原頼光さかきばらよりみつだった。


「まぁ。あらあら」


 ひょこっと、お母さんまで顔を出す。そりゃ、そうだ。榊原家は、ウィンチェスター王家使節団を受け入れた。当然、この面子が勢揃いするワケで。


「……夜這いと言うよりは、朝這いかしら?」


 お母さん、論点はそこじゃない! 這われてないし、アスが私をそんな目で見るワケないから!


「そんなことよりも、霊力を感じたんだが……」


 そんなことって、お父さん。私に対して、扱いが雑過ぎる!


御尊父ごそんぷもか。実は俺も感じて――」

「そんなに心配することないって」


 ふよふよ浮いていた、エルがこの騒ぎに、ようやく目を覚ます。


「エル?」


 私が聞くより早く、あの子が飛び出す。


「ママ! パパのところにいってきましゅっ!」

 舌足らずな言葉を紡いだかと思えば、ベッドをジャンプ台よろしく、跳ねた。


(……え?)


 微量だが、魔力が渦巻く。あの子のジャンプをまるでアシストするかのようで。宙を滑るように、アスに抱きついていた。


「……は?」


 困惑するアス。それはそうだと思う。だって、つい先程まで、私もきっとそんな顔をしていたんだと思もう。現在進行形で、私もこの現実が理解できていない。


「ママ! こっち、こっち!」


 ふよん。

 また魔力が渦巻く。


「待って――」


 思わず、言葉にならない悲鳴が漏れる。


 今度は魔力が、私の体が搦めとり、ふよふよ浮いて――気づけば、アスに抱きしめられていた。この、ルームウェアのまま。


「あ、ぁ――」

「櫻、落ち着け。今日の君は刺激的だが、あまり人に見せたくない」


 そう言ったかと思えば、魔力でタオルケットを引き寄せる。


「ぶふっ」


 どうやら、あの子までタオルケットに埋もれたらしい。


「パパ、ひどいねー。ね、ママ?」


 タオルケットから顔を出して、あの子が言う。


「「「「「「……パパ、ママ?」」」」」」


 みんなの声がハモる。

 そうだよね。


 私も、そう思う。

 でも、この無邪気な小さな手を、振りほどくなんて――私にはできなかった。





「「「「「「「えぇぇぇぇぇぇっっっ?!」」」」」」」」


 一言だけ、言わせてもらっても良いかな?

 きゃっきゃっ笑いながら、エルと君がまざるの、少し違う気がするんだ。





■■■






「これはいったい……殿下は、この現象をご存知なのですか?」


 バトラーさんの疑問は、ここにいる全員が思っていることだった。

 場所を変えて、全員が居間に着座する。異世界の人々まで正座をする姿は、一種異様なものがある。


「推測はできるが、根拠エビデンスがない。ここは、エルに聞いた方が良い気がする」


『えぇ? ヤダよ。ボクはママさんのご飯食べたいし』


 飛びながら、おにぎりに齧り付く。まるで、おにぎりが飛んでいるようだった。


「ヤダ、ヤダ、ヤダ♪」


 エルに呼応して、あの子まで反応。収拾のつかなさに、頭が痛くなってくる。


「あらら」


 お母さんがそんな光景を見ながら、クスクス笑う。


「ちゃんと教えてくれたら、エルちゃんの好きな、パンケーキを焼いちゃおうかなぁ」

『ママさん、マジ?』

「マジのマジ!」


 親指を立てて、お母さんがサムズアップ。すっかり、いたずら妖精の心を掴み取った、うちの母がおそろしい。


「……って? お母さん、エルのことえるの?」

「あら。私もお父さんも陰陽師よ? 庭番見習にわばんみならいならまだしも、流石に私達には視えちゃうわ。でも、櫻は必死に隠そうとしていたのが、可愛くて、ついついお芝居しちゃった。それなのに、エルちゃんったら、つまみ食いの猛攻がすごいし。本当に困っちゃったんだからね」


 だって、エル。興味津々で、あれもこれも食べたがったんだ。魔力の循環不全でかいわもできなかったし。なんとか体裁を、保とうとした私をつしろ、褒めてほしい。


『御免めんご御免めんご

「エルちゃん、それ昭和時代の死語だからね」


『うん、しっかり勉強したんだっ! この国の文化はワイドショーで学んだよ! この世は不倫と浮気だらけ! NTRネトラレは文化って、偉い人が言っていたんだゾ!』


 やめて! エルに変な知識を植え付けないで。碌なことにならない未来しか見えない。


「偉い~! パンケーキ、もう一枚、追加っ!」


 なんだろう、この会話。魔力循環不全で苦しんでいた、あの時の私が不憫でならない。


「エル、それで? このお嬢さんは、世界樹とやはり関係はあるのか?」


 シビレを切らしたように、アスが言う。それだけではなく、足をもぞもぞさせているのが見えた。真面目なその表情から、脳内で検証を繰り返していたことが伺える。


(……でも、ムリ)


 慣れない人が――しかも、異世界の第一王子だ。長時間の正座は、無理がある。可愛いと思ってしまった私、きっと悪くない。


「足をくずしたら良いのに」


 ついクスッと笑みが零れる。


「くずす?」

「そうそう、こうやって――」


 男の子なら胡座をかくのだろうけれど、流石に私は今、学校の制服。スカート姿で胡座をかくのは、抵抗がある。少し足をくずしてみせると、アスもそれに倣う。


(そういうところ、だよ。素直なの、本当に可愛い)


 アスと何気ない瞬間を噛みしめるのが、本当に嬉しくて。どうしても、頬が緩んでしまう。

 アスを【冷血王子】というレッテルてしか知らない貴族令嬢達を可哀想に思う。


 むしろ、王族の仮面を取り外したアスは、本当に素敵だと思う。こんなに笑顔で惹きつけらろる人、私は知らな――。


「……あのね、お二人さん。自分達がボクに質問をしておいて、無視スルーはひどいんじゃないの?」


 ジト目で、エルに睨まれた。


「こほん」

「こっほん」


 エルが仕切り直しとばかりに、咳払い。あの子もモノマネして、咳払い。うん、エル……ごめん。真剣に聞く空気にとてもなれい。エルもそんあ空気を察したのか、珍しく茶化すことなく、真面目な顔つきになり――それから、言葉を紡ぐ。





■■■








『……王子、もう仮説立てているんでしょ? 多分、王子の推測通りだよ。あの子、だから』

 













________________


※指南役とは、世継ぎを望まれる男子に、寡婦となった貴族女性が、子作りの手ほどきをする人のことです。過去にも後腐れなく、権利を主張しない人が望まれ、選定を行ったと記録にありますね。


ところで、聖女様はどんなことをご想像されたたのでしょうか?

(解説:ウィンチェスター王家筆頭執事)



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