閑話:とある庭番見習の物語②
――本当に厄日だ。
今日という日を、心底そう思った。
■■■
「……どうしたんだよ、
「本当に。突然、ニヤついたかと思ったら、いきなり霊気を張り巡らしてさ。
「さぁ」
物部と浅川の言葉をスルーしながら、こめかみを押さえる。庭番見習いとして、三人で動くことが多いが、浅川は特に感覚的に動くことが多い。物部は、逆に無関心。
陰陽師は兎角、クセの強い奴らが多いが、こいつらもそう。結局、俺が合わせて波長を合わせるしかなかった。
――榊原櫻です。去年は休学していましたが、なんとか復帰できました。これから一年間、よろしくお願いします。
ぺこりと頭を下げた、数分前の櫻を思い出しながら、うんと、心の中でコクリと頷く。気脈が、歓喜で湧いた気がする。
なんとなく、分かる。
櫻がいる時、花が喜んでいるように感じた。
これを気のせい――錯覚と片付けるには、陰陽師として、あまりに才がないと言える。
彼女が、取り替えっ子かどうか。それは今の櫻を見ていたら、一目瞭然だ。
(……俺が、櫻を忘れるワケがないっ)
櫻、だ。
ホンモノの。病室では確認できなかった、ふわりとした微笑も。どことなく、入り込めず物怖じする目も。全部、俺が知る櫻だった。
――それじゃ、お待ちかねの転校生の紹介をしましょうか。
櫻の自己紹介もそこそに、そんなことを言う担任が腹立たしい。
――アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスターです、今日からよろしくお願いします。
銀の髪。透けるような肌。そいて、蒼い双眸。どれも、日本人離れした出で立ちに、クラスの女子生徒が色めき立つ。
だけれど――。
釘付けになったのは。
櫻が、ウィンチェスターを見て、言葉を失っていた。他の女子とは、まるで違う反応に――俺は唇を自然と噛んでいた。
あの二人を、なんて表現すれば良いのだろう。
もう会えないと思っていた人に、再会をしたようで。
もう一回、会うと覚悟を決めたてきた。不退転の意思をその目に宿し。
気脈を通して、昂ぶる二人の感情に触れたような気がして。
クラスの喧噪なんか、どうでも良くて。
俺は櫻とウィンチェスターを、食い入るように見つめていた。
■■■
女子に囲まれたウィンチェスターは――愛想笑いを浮かべていたが、櫻と見つめ合った時のような笑顔は、微塵も溢さない。
つまらなそうに、教室を出た櫻を見ていた。
(……ザマァ)
心の中で笑う。あいつは、櫻と面識がある。だが、それがどうした。この一年の間に、櫻と
俺はお前の知らない櫻を知っている。
お前は、何も知らない。
櫻が、中学入学前の学校体験で気にしていた場所も。櫻の習慣も。何もかも――。
(櫻を守るのは、俺だ)
そう思って。
櫻を追いかけようとした瞬間だった。
「……は?」
気脈が、ふよんと揺れたのを感じる。指先で宙に文字を描く。判読はできない。あれは、ウィンチェスターの国の文字なんだろうか? 宙に緑で描かれては、消え。そしてクラスメートの生徒を包み込む。
「「「「「ウィンチェスター君!」」」」」
なぜか、女子達が、俺を取り囲む。
「は? ウィンチェスターはあっちに……」
と指さす。当の本人は、悠々と教室を出ようとしていたところだった。
「やだ、もぅ。ウィンチェスター君ったら、自分でウィンチェスターだなんて」
「まだ、日本語に慣れてないんだって。優しく、教えてあげようよ」
「やっぱり、日本に慣れるためには、文化に触れるのが1番だもんね」
「ということで、カラオケでしょ!」
「いや、ちょっと待って――」
必死に説明をするが、聞いちゃいない。
やられた、って思った。
ウィンチェスターが空に描いていたのは、陰陽師で言うところの呪文だ。本来は言霊や呪符に乗せるものだが、あいつは気脈に直接、呪文を書き込んだ。なんて、非常識なヤツだって思う。
疑問が確信に変わる。
櫻が、神隠しから帰って。
その後にやってきた、どこかの国の王子様。明らかに、得体が知れな過ぎる。
(……間違いない)
あいつは、
そう確信した瞬間だった。
女子に、揉み潰されそうになりながら。
この状況が羨ましいって?
なら、代われ。
いくら優秀なマタドールでも、陰陽師だって。獣に取り囲まれたら、どうしようもない。豊かなたわわも、こうなれば数の暴力だ。
「くそっ! ウィンチェスター!」
「本当に可愛い。日本語が分からないからって、一生懸命、名前を連呼しちゃって」
「さっき、なめらかに日本語で挨拶してなかった?」
「挨拶文を事前に用意していたんじゃない?」
「本当は緊張していたってこと?」
「そりゃ、そうだよ」
「そんなのさ――」
「「「「「「「「「可愛すぎるっ」」」」」」」」」」」」
お前ら、櫻に比べて全然可愛くないっ!
その心の叫びごと、俺は踏み潰されたのだった。
■■■
櫻と、話そう。
そして、あのふざけたウィンチェスターと、距離を置くように説得をする。最悪、浅川と物部の力を借りて、祓おう。でも、今は
――櫻、一度話したい。入学式前に一緒に待ち合わせをした、公園で待つ。
そう手紙に書いて、櫻の机に入れ込んだ。
今日だけは、庭番見習の活動を、浅川と物部の二人に託す。
「お、おい!
「君ってヤツは――」
聞いてなんかいられない。
全力疾走で、あの場所へ。
保育園の時から、ずっと一緒に、遊んでいた場所だ。神隠しでの取り替えっ子なら、絶対に理解ができない場所だった。
息を切らしながら、駆ける。
走れば――。
櫻があの場所でベンチに座っていた。
ベンチに腰をかけて。
暖かい風が凪ぐ。
どうしてだろう。
気脈が、今日はいつもに比べて、柔らかく感じる。
何か、言葉を。
そう思って、とっかかりを探そうと必死になるのに、上手く言葉にすることができない。何か、何か。言葉にしないと――。
「櫻……その?」
「?」
無垢な目で、櫻が俺を見る。
「あの、良い天気、だな?」
何を言ってるんだ、俺のバカ! もっと気の利いた言葉があるだろう――と悶絶する余裕すら、俺には与えられなかった。
「くっくっくっ、無理だ。拙者にはこれ以上、無理で御座るよ、王子」
と櫻がいきなり、腹を抱えて笑い出す。
「え……? 櫻?」
「まったく、お主もこちらの国の術者の端くれなのであろう? 初歩的な幻術など、破れなくてどうすると言うのか。我が騎士団は、魔力がなくても、見習いの段階で、幻術破りを学ぶで御座るよ」
「……へ?」
櫻は気が狂ったのか。それとも、本当に取り替えっ子なのか。頭が混乱して、理解がおいつかない。
「ふんっ」
櫻がいきなり立ち上がり、
「はぁっ?!」
場違いとは、こういうことを言うのか。2メートルを越えた縦にも横にも巨大な甲冑の騎士が、俺を見下ろしていた。
「さ、櫻は? 櫻?」
「落ち着かれよ。お主は状況判断もできぬのか?」
騎士は呆れながら、俺の横に――ベンチに座って。当のベンチが悲鳴にも似た軋みをあげる。
「
「は?」
ウィンチェスターが、俺の霊気を察知した?
そんなこと、あり得ない。
呪術者であっても、気脈に触れる者など、限られる。それだけ、御庭番見習になるのは、狭き門で――。
「まず、自分を基準に世界を見るクセを止めるで御座る。お主、殿下に三回も幻術をかけられたので御座るよ?」
「……は? 幻術って……やっぱりウィンチェスターの野郎、ふざけやがって――」
すっ。
冷たい風が吹き抜けたかと思えば。
ちくりと、喉元に痛みが走る。
騎士が、俺の首元に短剣を突きつけていた。
「
「……わ、分かった。分かりましたって――」
両手を挙げて、無抵抗の意を示す。それを見て、甲冑の変態は短剣をおさめた。
「一回目は、
とりあえず、コクンと頷いてみせる。童と言われるのはシャクだし、言い方に腹がたつが、こんな危険人物、まともに相手にできるワケがない。
「二回目は、お主が嬢の机に手紙を入れた時で御座る」
「は?」
呪文の行使など、まるで感じなかった。ホラ話なら余所で――。
「殿下はああ見えて、嫉妬深い面があってな。ユグドラシルの貴族が色目を使ってくることすら、承服できないお方だ。そんな殿下がお守りと称して、嬢に護符を託したのだ。邪な感情を抱いた不届き者の虫除けとして、108の魔術を封じたわけだが、今回は拙者がとばっちりを受けたというわけだ、はっはっはっ」
いや、笑っている場合じゃねぇし、と不穏な感情を漏らせば――変態甲冑が、ギロリと俺を睨む。多少の動作も、感情の起伏すら筒抜けのようだ。
「お主が嬢の、知己であることは知ったうえで、あえて言わせてもらうで御座る」
甲冑騎士が、俺を覗きこむ。
「ウィンチェスター王家として、お主に警告をせねばなるまい。誓約を果たした次期王太子妃殿下に対して、あまりに不敬である。知己として振る舞うにせよ、敬称で呼ぶことは当然のその。礼を失する行動がないよう、これからは心がけよ」
「……は?」
今、なんて言った?
だが甲冑騎士は、答えるつもりがないのか、ベンチから立ち上がる。その瞬間、また軋んだ音をあげ――ベンチがひしゃげ、崩れた。
「なんだ、これ?!」
俺は悲鳴を上げる。
ベンチが壊れてなお、俺は空気椅子よろしく無理な姿勢で――俺は座らせ続けていた。
「……殿下の幻術は、魔力なしの拙者から見ても感嘆しかないで御座るよ。信じられるか? 術をかけられたことすら検知できない幻術。二回目の幻術と並行実行されたので御座るよ。確かに幻術の定義からは外れていない。かつ、本体は自律状況分析型トラップマジック。
「……あし、どめ? な、ん、で?」
あれ?
呂律が回らない?
「なんだ、そこも思い至らなかったのか。世界樹が存在しない街で、気脈が濃い場所。そこに集う
「そ、ん、な――」
「あぁ、無理して喋るな。声を上げ、助けを呼ばれては困ると、麻痺毒も仕込んだと殿下は仰っていたな。多少、加減を憶えるべきで御座ろう、うちの大将は」
そう淡々と言いながら、騎士は俺のズボンをまさぐり、スマートフォンを取り出す。
それを俺の足下へ、放り投げた。
見れば、メッセージアプリ【LINK】が、数多の着信を通知しては消える。
――
――こっちは、マジでピンチ!
――榊原は、後にしてこっちに援護を!
――聞いているの? 庚!
俺は唖然として、スマートフォンを。そして、騎士を見やる。あえて現状を突きつける手口に、戦慄する。
「あぁ、そうそう。
「な……あたり、まえ。さくらは、おれが、ま、もる――」
「この状況で、不敬は問わんよ。安心せい。だがの、勘違いも甚だしいで御座る」
「なひ?」
言葉にならない。思考も回らない。何より、気脈から霊を招聘できない。
「嬢は
かちゃん、かちゃん。
甲冑を鳴らしながら、騎士は踵を返し――去っていく。
「ねぇ、お母さん? あのお兄ちゃん、不思議な格好してるね?」
「しっ。目を合わせないの。あのお兄ちゃんは、あれが趣味なの。邪魔しちゃダメよ」
遠くから聞こえる、どこかの親子の会話を聞きながら。
意識が混濁する。
「……ほんと、うに、厄日、だ……」
その言葉をかろうじて、紡ぎ。
俺は、そこで意識を手放した。
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