閑話:とある庭番見習の物語①

 厄日やくびって、どんな日のことを言うのだろうか。


 あえて、上げるとしたら。俺の中では、アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスターと出会った日が、そうなのかもしれない。




■■■





 陰陽師――それも誉れ高い、公儀御庭番こうぎおにわばん御神木ごしんぼくを守護する、陰陽師の中でも限られた者しか任命されない、精鋭集団。俺もその一員だ。


 ただ、自分はあくまで丁稚でっち――庭番見習でしかないけれど。


 御庭番なら、厄日の厄も自分で払えと思うけれど、どうしてか。ここ最近、気脈を辿っても、思うように霊を招聘できていない気がする。


 いや、正確には、幼馴染が神隠しにあって。その幼馴染みが、つい先日帰還した。そのタイミングで、霊を上手く招聘できなくなった気がする。


 いつものように、気脈を辿る。でも、霧がたちこめるような感覚がどうしても拭えなかった。



 ――こう君は、桜の妖精さんが見える?

 ――え? 何も見えないけど?



 保育園の頃から、櫻は何かが視えていた。

 その度に、見えない何かについて、櫻が言葉を紡ぐ。


 俺も。他の誰かも。保育士の先生も、櫻を変な子扱いして――その度に、櫻の言葉数は少なくなっていった。


 誰かが、不思議ちゃんと言う。

 別のヤツが、ウソツキと。違う誰かがホラフキと――。


 そしてそれは、俺も一緒で。


 櫻が悔しそうに唇を噛みしめる――のを見て、やっと我に返って。気付いた時には、もう遅かった。


 何も言葉にしなくなるまで。そして、櫻が笑わなくなるまで、たいして時間はかからなかった。

 不思議ちゃんでも、何でも良い。


(……櫻は俺が守る。もう一回、笑わせたい)


 そう、決めたのに。

 櫻のことを、陰で悪く言う奴らを、ぶん殴りながら。


 でも、櫻に上手く言葉を伝えられないまま、年を重ねていくしかなかった。







 13歳になり。

 俺達は、中學生になった。


 もしかしたら、櫻との関係を変えることができるかも。

 そう思った、あの日。


 桜の花はとっくに落ちて。かろうじて花弁が数枚、残っていたけれど。すっかり、校門の前の櫻が、葉桜になったあの日に。


 あの日。

 櫻がいなくなったあの日。


 迷い子、と片付けられたあの日。

 御神木が倒れた、あの日。


 西日本大震災の余波で、多くの住民が土砂に飲み込まれた、あの日。


 あの日。

 あの日。


 櫻に、何もできなかったあの日。

 あの日、に。





 あの日、俺は気脈に繋がり。霊を招聘することができた。


 知らなかった。

 あの日、ようやく知ったんだ。

 気脈の霊が、あんなに綺麗だっただなんて。

 

 

 ――庚君は、桜の妖精さんが見える?





 あの日。

 あの日、だ。

 櫻がいなくなったあの日。

 初めて、気脈の霊を、あの日。


(……本当だったんだ)

 って、心底思った。


 見惚れて、言葉にならなくて。櫻が言っていたことは、全て真実だったんだと。唇を噛みながら、見やるしかなかった。


 桜の妖精がいる。

 もう、葉桜なのに。そこに桜の花弁があるはずもないのに。


 あの日、数多の桜の妖精が、乱舞しているかように見えた。気脈の霊が――。

 花弁のように、光という光が舞い踊って。




 櫻が視ていた光景を、俺は何一つ見えていなかった、ということに。

 あの日、俺はようやく気付いたんだ。






■■■





 櫻が帰ってきた、と御庭番の社務所で聞いた。

 嬉しくないワケがない。


 急いで駆けつけたかったのに――。


 御庭番見習としての任務や鍛錬があったから、全く櫻に会いに行くことができなかった。


(……いや、ウソだね)


 それは言い訳だ。

 会うのが、怖かった。


 神隠しにあった子は、あやかしによる取り替えっ子である可能性がある。本来なら陰陽師師団で、儀式を執り行うか、


 でも、と思う。


 陰陽寮・四家の最大派閥、安倍家が陰陽師師団を擁して、儀式を行った形跡はない。


 櫻が、あやかしの取り替えっ子だった場合。特級陰陽師と言われている、櫻のおじさんとおばさんを差し置いて、俺が祓えるだろうか?


 あの日。

 櫻と一緒に、帰ったあの日と、同じように。


 一人で、通学路を帰る。

 もし、櫻が妖なら。


 その時は俺が――。


 あの日。

 黄昏時。


 妖が、闊歩し始める、そんな時間に。

 俺は、櫻の病室に訪れた。


 気脈から霊を招聘して。

 霊に、身を委ねて。気配を絶つ。


 風水を少しだけ、かき混ぜて。

 人の足を遠のかせ。


 すーすー。


 櫻が、病室で力なく横になって。すーすーとたてる寝息が、生きている証と言わんばかりで。でも、あまりにも、か細くて。また、消えてしまいそうで。


 あの日より、大人びたように思う。一年で、女子はこんなに変わるのかと息を呑む。


 でも、一緒に過ごした時の面影も残っていて。保育園でお昼寝を一緒にしていた時の、幼い頃の彼女を想起させる。間違いなく、櫻だ。その髪に触れようとして――金縛りにあったように、その先に進めない。


「……」


 名前を呼ぼうと、言葉をかけようと思ったのに。

 言葉にならない。

 本当はお帰りって、言いたいのに。


(……妖かもしれないじゃないか)


 ぐっと、唇を噛む。

 と、櫻の唇が動いた。


 誰かの名前を呼んでいるかのように、聞こえる。

 つー、と。

 櫻の目から、雫がこぼれ落ちた。



「さくら――」


 そう呼びかけた俺の呼吸は、櫻の寝言で止まりそうになる。








■■■







「……アス……」


 あの日――。

 俺が知らないヤツの名前を、櫻は呼んでいた。







■■■








 今になって思えば、まだマシだったんだと思う。


 本当の意味での厄日は、アステリア・ユグドラシル・ウィンチェスターが転校してきたあの日から始まる。




 あの日。

 俺は、異界の鬼ウィンチェスターと邂逅を果たした。











▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥




🦋世界樹の妖精君から一言🦋


「あくまでこれは、こう君の見解です。王子を魔術の鬼と言うのならまだしも、サクラを妖女と呼ぶには、少し胸が控えめ過ぎる気も――」

 

「甘いな、エル。櫻は着痩せするんだ。それに胸ばかり強調する、えげつない貴族令嬢に比べて、櫻はどれだけ愛しいか。小一時間は息継ぎなしで、語れるぞ」

「ボクは息継ぎしたいよ」


「エル!? アス?!」


「やばっ、鬼がキタっ! にげろ~っ」

「まちなさいっ! エル! アス!」


「そこは駄妖精よりも先に、俺を1番に呼んで欲しいけどな」

「「なに、言っているの?!」」

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