大日本皇国の世界樹事情

「エル、俺と一緒に櫻をフォローする役を頼んでも良いか?」

『りょ~かいっ!』


 アスの言葉に応じて、エルがひらりと舞う。銀色の輪舞ロンド。それだけで、気脈が活性化する。


 アスも宙に文字を描いて、印を結ぶ。

 風が凪いだかと思えば、聖水が静謐な小雨となって降り注ぎ、瘴気を緩和させる。広範囲じゃなくても良い。私の周囲の気脈を活性化させることが目的だから。


(すごいよ、アス!)


 エルの加護が温かい。

 そしてアスの支援魔術をこの身に受けながら、瘴気の塊――怨人えんじんの進行を私は無視スルーして。お相手をバトラーさんとエリィーに託した。


 バトラーさんの風、そしてエリィーさんの聖水を含んだ濁流に飲み込まれ怨人は――その姿を歪ませ、消滅してしまう。


 私は気脈へ接続コネクト魔術制御コンパイルをしながら、この一帯に結界を張り巡らしていく。病んだ結界を、次から次へと私が塗り替えていくんだ。


 ――世界樹の恩寵アメージング・グレイスは、さらに大きく響き渡る。


「アルフ、索敵を頼む。風魔術の支援ブーストは済んでいるから」

二重魔術起動デュアルコア・マジックとか、殿下は本当にイカれてますぜ。でも、良いんですかい? 殿下がなさった方が広範囲にいけるんじゃ?」


「魔術の探査なんて、たかが知れている。精緻な現場判断こそ重要だし、そこはプロのポーターであるアルフが一番だと思っている。適所適材だ」


「殿下、成長なさいましたな。嬢の影響でしょうが、拙者、感無量で御座る」


 ひゅんっと、風を切る音。

 怨人の体が歪んだかと思えば、崩れて消える。

 鎧に身を包み、巨剣を振るう騎士の出現に場はどよめいた。


「ダンチョー?」


 思わず声を上げてしまう。先代、ウィンチェスター王家騎士団長。通称、ダンチョーだった。本名はサー・ダニエル・チョードゥリー。でも、言いにくいという理由で、騎士団長を辞した今もダンチョーと呼ばれている。


「嬢、集中力を乱すな。殿下あるところに、拙者あり。嬢あるところに殿下あり! 何もおかしなことは御座らん」


『おかしいよ! 王子がストーカーじゃん。間違ってないけど! それより、今まで何をしていたんだよ!』


 かなりアスの扱いがひどい。怒るかと思ったら、アスは思考を巡らしているようで、まふで聞いていなかった。


「うむ、妖精坊主。息災か?」

『呑気な挨拶は良いから!』

「非常時こそ、平静を忘れず。心、かき乱されず。努々ゆめゆめ、それを忘れるなと申したであろう。嬢も妖精坊主も、再稽古で御座るな」


「聖女様に稽古なんて、とんでもない! ダンチョー、ダメですからね!」

『絶対にイヤだね。それより、遅いって言ってるの! 何をしていたんだよ!』


「うむ。殿下が転移されてな。拙者は置いていかれたので、魔力を辿って追いかけてみれば、怨人えんじんとともに悪霊もたむろしているではないか。故に斬ってきた。遅くなり大変、申し訳ない」


 とりあえずダンチョーは、エリィさんの抗議はスルーして、エルとの会話に興じることにしたらしい。


『……悪霊を斬ったのかよ、魔力ゼロのクセに……ダンチョー、どうやったのさ?』

「心頭滅却すれば火もまた涼しだ、妖精坊主。わっはっはっはっ!」

『全然、意味わかんねぇし!』

「……霊すら、背戒樹の撒き餌にしたのか」


  と、アスは呟く。思わず、私はアスに視線を向ける。


「櫻、地球こっちでの世界樹信仰はどうなっているんだ?」

「……えっと、そんなものはない、けど? 特に日本こっちは信仰がごっちゃまぜというか。基本はそれぞれの地域に土地神様の神社があって、お正月とか七五三とかで、お参りに行く……感じかな? 神社に、御神木はあるけど……クリスマスツリーは世界樹とは違うし……」


 記憶を辿りながら、頭のなかの知識を総動員する。お父さんとお母さんは、その御神木を守護する、公儀御庭番を務めている。あながち、アスに伝えたことは間違っていないと思う。


「……気脈から探査サーチしたが、世界樹を確認できなかった土地はココだけなんだ。その御神木が、こちらの世界樹なんだな……背戒樹せかいじゅを計画的に堕としたのか。だから弔わず、悪霊まで放置して――」


「殿下、どういうことですか?」


「バトラー、考えてみろ。世界樹は生命の根幹だ。じゃあ、俺達の世界樹ユグドラシルに比べて、こっちはどうだ?」


 世界樹は命の根幹に関わる。世界樹が花を咲かせ、命の果実を実らせれば、多くの命が生まれる兆候であり、疫病も天災も減る。その一方で、背戒樹に墜ちれば、人心は乱れ、厄災が憑き、いくさが絶えない。


「ん……そうですね。脆弱な印象は拭えません」


 慎重に考えを巡らせながら、バトラーさんは答えた。


「それは少し違う。気脈が薄いから土地が痩せているんだ。日本こっちでは世界樹ユグドラシルレベルの根は張ることはできない。それなら、考え方の一つとして、日本こちらは分散型だと考えるべきなんじゃないだろうか。小さな世界樹がネットワークを組み、一つの世界樹を形成する。一つの世界樹を失っても、他の世界樹が気脈を通じてカバーしあう」

「……そういうことですか」


 バトラーさんは頷く。私もようやく理解できた気がする。

 各神社の御神木が、小さな世界樹の役割を果たし、そのネットワークが世界樹として機能する。


 そのなかの一本が、背戒樹になったとしても、問題はない。


 でも――私は、ぐっと唇を噛みしめる。

 理論は理解したが、納得できるかどうかは別問題だ。


『ボクらの世界ユグドラシルの魔の森、あれは言ってみれば背戒樹なんだ。世界樹の領域の一部が墜ちた。でもデメリットばかりじゃない。魔の森は危険な場所だけれど、魔石を採掘できるからね。本来、魔石は魔力溜まりに100年単位の時間をかけて構築する。そういう意味じゃ、魔術師にとって、魅力的な場所でもあるのさ』


 エルの説明に私は頷く。冒険者の皆さんが、こぞって魔の森に挑戦していた理由が、今ならわかる。


 放っておけば、広がる魔の森。世界樹にとっては、最初は風邪のようなものだ。それが、人の流れや世相によって、大きく変化し、世界樹が大病する可能性はいつだってある。


『ここの人達は、、魔の森と化した。優秀な魔術素材を手に入れる為にね。一本の世界樹が欠けても、他の世界樹との繋がりで、ネットワークは維持できる。もしかしたら……日本ココ独自の素材を、サイド・ユグドラシルと密売できる可能性もある。つまり、そういうことなんでしょ、王子?』


「あくまで、仮説段階だけどな。でも、実際に教会がやっていた手口だ。サイド・ユグドラシルからの手引きがあったと考える方が、自然なんじゃないかな」

「でも、そんなことが可能なんですか?」


 エリィが静かに問う。それは、私も疑問だった。


「エリザベス、一般常識と思い込みを混同するのは危険だぞ。現に、我が国は聖女召喚をしただろう? あれは教会の秘匿術式シークレットだ。そして俺も接続コネクトしてこっちに来ることができた。昨日の一般常識が、明日の非常識である可能性は、十分にあり得るんだ」


 アスの的確すぎる言葉に、みんな押し黙る。と、リラックスさせるように、ふんわりと微笑む。


「……あくまで推測の範疇だ。それより、今は、掴み取れる情報を取ろう。アルフ、索敵の結果はどうだ?」


「へい。潜んでいるのは、あの魔術師二人のみですぜ。今、怨人えんじんを増やそうと、気脈に接続コネクトしようとしてますが……あいつら、下手くそですね。かなり精に嫌われてますぜ」

「分かった」


 コクンと頷いて、それから私を見る。


「……櫻、被災地域も含めて、浄化してもらえないか?」

「アス?」


 私は目をパチクリさせる。


「世界樹の種を植えるのなら、必要不可欠だ。弔いは、俺達も手伝う。ただ、今は病んだこの土地をなんとかしたい」


「それはもちろん……むしろ、私がしたいって思っていたから……」

「魔力は足りる?」

「へ?」


 私は目をパチクリさせる。想像以上に、気脈の精が私を受け入れてくれていた。問題はない気が――。


「いや。やっぱり譲渡しておこう。万全を期すためにね」


 そう言って、アスが私の額に、自分の額を重ねる。


「あ、あの、アス……大丈夫だから、本当に心配しなくても……」


 ダメ。動くと、アスの唇に自分の唇が触れそうで。ぐっと、口を噤む。ふと、目が合う。このタイミングでそうやって微笑むの、ズルい。ズルすぎる。

 と、アスが私の髪を撫でた。


(だから、それが本当に――)


 嬉しいって、思うのに。素直に言葉に出すには恥ずかしすぎて。アスは私に期待と心配を寄せてくれただけなんだから。そう、自分に言い聞かせる。


 だから、印を結んだまま、さらに祈る。もう一度、世界樹の恩寵アメージング・グレイスを謳うことに専念を。それなのに――。








 ――櫻を守るためなら、どんな手だって打つ。

 ――俺の櫻に、矛先を向けた時点で大罪と知れ。


 精が拾う、アスの声。



 これはきっと、精のイタズラなんだと。私はただひたすら、魔術の実行に意識を傾けながら、心の中で何度も何度も、そう自分に言い聞かせたんだ。

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