世界樹の聖女様、背戒樹に祈る
あの子は、御神木と言われていた。
いつからだろう。
こっそり、この場所に来ては、彼とお話をするようになったのは。
誰とお話をしていても噛み合わない。
おかしい――。
視えることは、そんなにおかしいことなのだろか。
常に付き纏う、気怠さと息苦しさが相まって。私は、自然と人から距離を置くようになった。
――桜の妖精?
――そんなの見えないよ? 櫻ちゃんの嘘つき!
――霊力ゼロでほら吹きかよ。本当にあの人達の娘なのか?
――お情けで拾ってもらったんでしょ。だって、それを証拠に、全然似てないじゃん。
――櫻、お願い。お父さんとお母さんのお仕事は、危険なの。陰陽師になるなんて、そんなこと言わないで。櫻の体調じゃ、絶対に無理だから。
じくじく、胸に突き刺さる言葉が、何度も再生される。
(……ダメだ、これ。私、今……呑まれている)
瘴気に晒された生き物は、感覚が狂う。
――もしも君が、あっちの世界に行って。
そんなことは有り得ないはずだった。
――仮に、戻ってくることがあるとしたら。
それは叶わない夢のはずだった。でもアスが
――そんな時があれば、私を堆肥に、あっちの世界樹の種を蒔いてくれないか?
まるで戯れ言。期待をこめた一抹の夢物語。でも、それが叶うかもしれない。そう思った私は周りが見えて射なかった。
(……私は、バカだ――)
視界が真っ暗に染まって――溶けて落ちる。
聖女なんて言われて、調子に乗っていた。
息が詰まり――圧せられて――気脈から精を取り込めない。魔力の循環が滞るのを感じる。終わりを覚悟して、私は目を閉じた。
「アス……」
思わず呼んでしまう。
いくつもの怨人の手が私に触れようとする。
(イヤだ、来ないで!)
触れられるなら、アスが良い。誰か分からない、いき場のない情動に無抵抗に触れられるのはイヤだと思ってしまう。
それなのに抗えない。
寒くて。震えることしかできない。心まで凍えそうで――。
と、どぉんと腹の底まで震わす音が響く。
空気が途端に張り詰め、瞬く間に怨嗟の澱みが――爆ぜた。
(……え?)
一抹の風が頬を撫でたかと思えば、優しい温度が私を包み込んでくれるのを感じる。
その微風だけで、淀んだ気脈から生き残っていた精。あお子達が解放されたかのように、跳ね上がるのが、ぼやけた視界越しに見える。
光の粒子が、蛍のように舞う。まるで、花弁が舞うようで。淀んでいるはずなのに、どうしてだろう。清廉な空気が、一筋流れるように。包み込む温度が、私の魔力の循環を緩やかに促す。
額に、まるで口吻をされたような感覚を残して――。
「遅くなった」
「……ア、ス?」
「うん」
視界がゆっくり晴れていく。
こくりと、彼が頷いてくれたのが見えた。
私は、アスに抱きかかえられていた。
(アスっ)
無意識にぎゅっと、彼の首に腕を回す。
自分の身勝手でみんなを危険に晒したのに。
私はアスに責められこそすれ、守られる資格なんてないのに――。
そんな思考がループしていくのを止めてくれるのも、やっぱりアスだった。
「……気脈は薄いどころか、
アスが満面の笑顔を溢す。
「種を蒔くんだろう? 俺にも手伝わせて」
■■■
「……ウィンチェスターと榊原? これって、どういうことなんだよ?」
「知らねぇよ! それより、呪符はどうした? これ、結界が破られていると思うんだけど」
「あんな呪符めがけて、正確に霊術を使うヤツ相手にどうしろって言うさ。手持ちの呪符も少ないんだって」
「護符で、いったん体制を立て直して、御庭番に警報を――」
「多勢に無勢だよ。ここの御神木は欠番。
「
「榊原と何が何でも話をするって、学校!」
「榊原、ココにいるじゃん!」
「そうだよ! 瘴気を撒いたのに、あの無能がココまで来るとか、本来ありえないでしょ!」
「……でも実際に来た」
「うん。だから、何がなんでも背戒樹から退場させないと――」
■■■
浅原君と確か……物部君が言い争っている姿を見る。その密談が、こちらまで聞こえているとは知らずに。アスが風の魔術で、音の伝播を鮮明にさせたのだ。初歩的な魔術の応用――アスならきっと、そう言う。
「背戒樹から素材って……何百年前の魔道具作成方法だよ。完全に教会式じゃないか」
「殿下、こちらと教会が?」
「予想できた話だけどね。教会も一部の
「……アス、そろそろ降ろしてくれない?」
「でも殿下……あれ、末端じゃねぇですか?」
「アルフ。だとしても、情報が欲しい。陰陽師最大派閥の安倍家当主と面談した時に、おかしいと思ったんだ。魔力――こっちじゃ、霊力と言うらしいが、あまりにもカスだ。どうやら、御庭番って団体が、どうもキーワードかな」
「あのね……アス。そろそろ、私の話を聞いて? そ、その降ろして!」
ようやくアスが、私に視線を向ける。何度目かの嘆願か忘れたけれど、私は今もアスにお姫様抱っこをされたままだった。
「え? イヤだけど」
清々しい笑顔で、そんなことを言う。
「私、重いから。その……王太子殿下に、こんなことをさせるのは、不敬というか――」
「王太子妃殿下に対して、王太子殿下がされるのですから、特段、変なことではありませんよ。仲睦まじくて、非常に良いことだと思います」
エリィさん、少し黙って?!
『王子、ほどほどにしないと、櫻が恥ずか死ぬから、ね?』
そう言いながら、エルまで悪い笑顔を浮かべる。恥ずかしいのもさることながら、微笑ましく見守られるのが、なお、いたたまれない。私の理性はもう限界だった。
「駄妖精、俺はお前に物申したいんだけどな」
ジロッとアスが睨む。お姫様抱っこは継続したまま。
魔術による筋力強化は一切使っていない。アスが以外に筋力があることが制服越しにも分かって――ダメ、意識しちゃう。精神統一、より適切な魔力循環を。でも、集中しようとすればするほど、どうしてか。アスの存在を、より近くに感じてしまう。
「俺は呼べって言ったよな?」
『あ、いや……それ所じゃないと言うか……というか、王子? 早くなかった? 学校で用事があったんじゃないの?」
「アホ。召喚の応用だ。契った聖女と、世界樹の眷属限定だけどな。
『
エル、感心してる場合じゃないから――と、アスが私を注視していた。これ、完全にとばっちりじゃない?
当のエルは呑気に、もう終わったと言わんばかりに、空中遊泳としゃれこんでいる。
「……櫻!」
「ひゃい?」
今度は私を覗きこむ。アスのその目は怒って――いな、い?
「世界樹の種を蒔くぐらいで、反対なんかしないから。樫の木ジジィからも話は聞いている。だから、今度からはちゃんと相談をして」
「あ……う、うん。その……ごめんなさい……」
コクンと頷く。
「別に責めていない。ただ、櫻が無事で良かった」
そう微笑むアスの瞳に吸い込まれそうになった。
こんなにストレートに言葉を紡ぐ人だったんだろうか?
会えなくなって、たったの一ヶ月。
されど、一ヶ月。
この空白の期間の間、アスに何があったのだろう。不器用で察しが悪いと、いつも
何より、アスに大切にしてもらっている。
それを強く感じて――胸が暖かい。私、絶対に変だ。
この時間がもっと続いて、と。
そう思っているもう一人の私を、否定できない。
そう思考を巡らしていると、すっと私は、アスから降ろされた。
「あ――」
寂しいと思ってしまうのは、どうして? そう思った瞬間、今度は抱きしめられた。
「……あ、アス――」
いきなりの行動に、私は理解できないまま、目を白黒させるしかない。
「静かに」
アスが私の額へと。自分の額を寄せる。
魔術回路を安定させるための、気孔と気孔による
アスの唇に触れそうで。むしと触れてしまいたいと思っている自分がいて――慌てて、目を逸らし、暴走しかける思考を打ち消す。
心臓が早鐘を打つ。
それなのに、魔力回路は安定している、という。
顔が熱い。
分からない。
私は自分が本当に良く分からな――。
「櫻、力を貸して。種を蒔く前に、害虫を駆除する必要があるでしょ?」
とくん。
心臓の音が高鳴る。
違う、それは違うよ。アス、それは私に言わせて欲しいの――。
「アス、力を貸して。世界樹の種を蒔く為に、この地を癒やしたいの」
「……それは、もちろん。聖女様のお心のままに。櫻のお願いなら、可能な限り実現させるから」
ふんわり笑んだかと思えば、アスが片膝をついて、私の手を取る。
甲に恥ずかし気もなく口付けをして。
それは古から続く、聖女と世界樹の守護者との誓約。
何度、こうやってアスは私に誓約を交わしただろう。その度に、躊躇いもなく、危険に飛び込んで。龍の巣や魔も森、それから旧魔王のピラミッドも。思い返せば、キリがない。
地脈に
私は両手で、印を結ぶ。
聖女なんて言われても、私にできることは祈ることぐらい。
だから、祈る。
願う。
――
魔力を循環させながら。一緒に歌ってくれる精とともに、私も応える。
この手に、世界樹の種を包み込んで。
ただ、祈る。
手で包み込んだはずの種から、幾条もの光が漏れ――縦横無尽に。それはまるで光のシャワーのようで。
私は、ただ祈るだけ。そして、語りかけるだけ。もういない、名前も知らない
――ねぇ? 私ね、約束を守りにきたよ。
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