背戒樹(セカイジュ)の聖女様


 ――ほぉ。珍しく嬢が我儘なお願いをなど言うから、何かと思えば、そんなことか。


 ――そんなことって……世界樹の種だよ?


 ――儂にとっては同じことよ。世界樹の種は、時に異世界あちら別世界こちらへ運ばれる。今回は嬢に託すだけのこと。


 ふぉふぉふぉ、笑ったのは世界樹の森、浅層の案内人、樹木人トレント


 口の悪い冒険者達には、樫の木ジジイなんて呼ばれていたけれど、私の中では異世界ユグドラシルでの【お爺ちゃん】だった。


 まさか思うわけないじゃない。

 この気の良い魔物が、世界樹そのものだなんて。


 そりゃ、騎士も冒険者もどんなに頑張っても、この樹木人トレントを討伐できるはずがなかったのだ。


 ――お爺ちゃん、良いの?


 ――良いも悪いもないて。枯れかけた儂に水をやり、土を耕し養分を。瘴気を祓い、そして接ぎ木をしてくれたのは嬢ではないか。世界樹が森を育むには時間がかかる。まして犯された土地ならなおさら。儂だけでは、朽ちるに身を任せるしかなかったのだからの。


 ――でも、それは……たくさんの人が力を貸してくれたから……。


 ――嬢、憶えておくのだ。一人の力できることは限られている。嬢が、ウィンチェスターのクソせがれを巻き込んだからこそ、これだけ多くの人が動いた。捨てられた魔の森を、世界樹の森へ開拓できると信じた者は一人もおらんかった。それが――ハイエルフもダークエルフもドワーフも、世界樹の清酒で乾杯する日がくるとは、な。これも、嬢のおかげなのだよ。


 だから。

 お爺ちゃんの声が、寂しそうに揺れる。


 ――種を蒔く者には、責任が伴う。土を耕し、水を撒き。それだけでは、芽は吹かない。それほどまでに、世界樹の芽を萌芽させることは難しい。単純に言えば、純粋な魔力が必要だ。健やかなる時も、悩める時も、どんな日々でも。あのクソ倅と寄り添う覚悟が必要だ。分かるかの?


 お爺ちゃんの真剣な声に、私はコクコクと頷く。


 アスを置いて、異世界ユグドラシルとサヨナラをする。そうお爺ちゃんには、伝えたはずなのに。


 アスが地球こっちに来るのが、既定路線だと言わんばかりだった。


 ――まぁ、あのくそ倅の覚悟だけは、認めてやっておくれ。


 お爺ちゃんは、カラカラと笑う。

 それから、パラパラと、私の掌に種を落とした。


 ――この子をよろしくの。


 お爺ちゃんは、にこやかに笑う。

 これが、異世界ユグドラシルの世界樹と交わした、最後の挨拶だった。





■■■






「この先、馬車じゃキツいですね」


 アルフさんが唸る。

 それは、そうだろう。狭い石階段を見やりながら、思う。


「……ここからは大丈夫です。なんとか、頑張ってみます」


 瘴気が濃くなっている。エルにもココで待っていてもらおう――。


『はいはい、また一人でろくでもないコト考えない。櫻は聖女なんだから、こんな瘴気をとったと吹き飛ばす。気脈が薄いのと、魔力を収束させることは、櫻ならあまり関係ないでしょ? 世界樹の聖女が、世界樹の眷属であるボクを守れないワケないよね?』


 エルが悪い笑顔を浮かべる。


「それに、馬車が通れないだけで一角獣ユニコーンが行けないワケじゃないですぜ?」


「まさか、聖女様。この階段を徒歩で上がろうなんて思っていませんよね?」


 エリィさんは柔和な笑顔。でも、絶やさない笑顔が何より怖い――というか、過保護すぎるってば。


「イチ、貴方は聖女様を。カク、貴女はエリザベス嬢をお願いします。君とエリザベス嬢の水魔術の相性は良い。できますね?」


 ――もちろんっ!

 ――ちゃんと淑女として扱ってくれるバトラー、大好きだよ。


「あぁっ! こんなことなら、ダンチョーにもついてきてもらえば良かったぜ」

「アルフ。それは言っても詮無きことですよ」



 私は、バトラーさんのエスコートでイチの背に跨がる。イチがわざわざ、屈んでくれたから、問題なく乗ることができたが――予想外の言葉に、滑り落ちそうにった。気転を利かせてバランスを取ってくれたイチは、本当に優しい。


「へ……? まさか、ダンチョーまで来てるの?」

「聖女様、そりゃ当たり前だぜ」


「何せ、王太子殿下の外遊ですからね。先代騎士団長が、護衛にもっとも相応しいでしょう」

「殿下の魔術を加味したら、明らかに過剰戦力ですけどね」


  アルフさん、バトラーさん、エリィさんが当然のように頷いているが、これで世界樹の守護者――勇者パーティーのサポートメンバーが、勢揃いである。過剰戦力にも程がある。


「バトラー、右30℃に、非友好勢力と思わしき一団から、矢と思わしき攻撃が来るぞ。およそ30秒後だ」


「それだけあれば、十分です。感謝します、アルフ」


 アルフさんは、騎士団の斥候とポーターに従事していた人だ。アレフさんとエリィさんが一家に一台欲しいと言ったのは、世界樹の守護者パーティーの軍師兼錬金術師令嬢。


 バトラーさんは、その手に風の魔術を宿す。ジャスト30秒後、全ての矢を叩き落とした。


「……紙?」


 バトラーさんが眉をしかめる。紙の矢はか……ふにゃりと曲がり――。


『バトラー、油断はダメだよ。その矢、弱っちいけど、魔力らしきモノが込められているから!』

「承知しました、エル様!」


 再度、バトラーさんが魔力をかけた瞬間だった。矢が狙いを定めたかのように、浮き上がる。

 私は、魔力を収束させる。


 この淀んだ場所でも、精は残っている――というよりも、どうしてだろう。気脈が、私を支えようとしてくれている気がするんだ。


 制御コンパイルして、この場で再起動リブート


 この場の精を完全に、こちらに誘導する。それだけで、弱い瘴気溜まりは弾けた。




「ウソだろ……霊力の浸透が鈍った――? 榊原、こんな芸当ができたのかよっ!?」


 舌打ちする声が聞こえるが、無視スルー


 イチが私を乗せて、全速疾走。衝撃は全然、感じない。魔の森を駆け抜けた時に比べたら、余裕の安全運転だ。


 エリィーさんを乗せたカク、そしてアルフ、バトラーさんが続く。


「な、なんだ、あれ?! あやかしまで使役するとか聞いてないって?! 誰だよ、無能って言っていたの!」


 その狼狽する声に聞き覚えがある。確か、こう君と一緒にいる茶髪の子。浅原君という名前だった気がする。でも、そんなことは今はどうでも良い。私は、振り落とされないようにイチにしがみつく。


「両サイドに伏兵を感知。ただ、このスピードで突き抜けた方が吉だぜ!」

「山頂は、どうなっていますか?」


「神殿のようなモノがあるな。開けているぜ。そこで、各個撃破が良いんじゃねぇ?」


「エル様、瘴気は如何ですか?」

『山頂に、かなり巨大な瘴気溜まりが……いや、待って。あれ、背戒樹せかいじゅだよ! 完全に墜ちて病んで――って、櫻?! もしかして、あの背戒樹を救うつもり? 無理だよ! もう墜ちた子を救うのは――」



 風が唸る。

 私は一角獣イチのたてがみを撫でる。


(……ごめんね、無理なことを言っているって、自分でも思うけど。私を助けて――)




 ――聖女様のお願いなら、是非もなし、だね。

 イチが加速する。


 石階段が崩れる落ちるのも、ものともしない。

 瘴気の風を突き破って。


 エリィーさんと、カクが瘴気を水魔術で清めているのが見えた。


 最上段――やっと、


 

■■■






『これは、ひどいね……』


 エルが呻く。

 私としては、想定内だった。


 樹齢1000年を越えた、あの子が倒れた、あの日のまま。


 魔力を通さなくても、視えるぐらい瘴気溜まりが、連鎖してかたまりになっている。まるで人影のような形を造成し、変化しながら佇む。


 人影――怨人えんじんをこっちの世界でも見るとは、思いもしなかった。



 でも、それよりも。

 かつて見た、山肌に立った住宅街は、そこに影も形もない。


 眼下に剥き出しの岩肌を見て、目眩をおぼえる。

 一年間の空白の間に見舞われた、西日本大震災。最後にあの子を見送った一週間後。私が異世界に召喚された直後、この災害は起きた。


 ――適切に接続コネクトしなかった魔術は、暴走することがあるからな。だから、魔力制御コンパイルの課程が一番、大事なんだ。


 アスの言葉が頭の中に響く。


(……私のせいだ)


 私が召喚されたから――この震災は引き起こされたんだ。


 昨日で一年。そう淡々と事実ニュースを放送するアナウンサーは、まるで空想物語フィクションを読み上げているかのようで。


 倒壊した家が放置されている現状が、未だ供養されていないことを物語る。





(……もう少しだけ、待っていて)



 かつて御神木と言われた、背戒樹せかいじゅに触れた瞬間。

 拒絶するかのように、瘴気が私の手に喰いつこうとした。

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