世界樹の聖女様にその態度は不敬だと、クラスメートはまだ気付いていない
「ねぇ、どういうつもりなの?」
舞台は、教室からトイレに移る。
『ねぇ、櫻。この国じゃ、大事な話はトイレでするの?』
「誰にも聞かれたくないからだと思うけど……」
思わず、ボソッと呟く。その声が聞こえていたのか、島津さん、直江さん、前田さんが目を剥く。
「なに、榊原? あんた、私らをナメてんの?」
『え、この人達、
「……ち、違うと思うよ。多分、エルが思う
「ああぁん?!」
前田さんの激昂を買ってしまった。いけない、エルの好奇心旺盛な質問に真面目に答えていたら、火に油を注ぐことになりかねない。エルの声は、彼女達には聞こえないのだ。
そういえば、と思う。
中学校の入学式の日。
この人達は、私が目障りと言いた気に、突っかかってきた。それから間もなく、私は
――足利君の幼馴染みだから。それだけで特別に目をかけてもらっているだけなのに、さも当たり前って感じで振る舞ってさ。あんた、調子に乗りすぎ。
初対面が、これだ。
入学式が終わって。
このトイレで、彼女達に取り囲まれた。
どう言葉にして良いか、全然分からなくて。
思うのは、忙しいお父さんが、また仕事に戻っちゃう。それまでに、早く校庭にいかなくちゃ――。
そう思った、瞬間だった。
私の足下に、魔法陣が引かれ。
過去の聖女の魔力情報。総合的に
と――ちっ、と舌打ちされた。
「そのまま神隠しにあっていれば、良かったのに」
「……」
『なんなの、こいつら?』
一方、エルは不快感を隠さない。
『ねぇ、櫻? この子達ってさ、あっちで言うところの学徒だよね?』
私は声に出さないよう、瞬きをして、肯定を示す。エルの言うことは分かる。
そこを基準に考えれば、うちの学校はあっちの大学校と規模は変わらない。まして私立の進学系中学校。才能ある子達で溢れている。
『……なんで、そんな学校に娼婦がいるのさ?』
「娼婦?!」
「さ……榊原、あんたまた私をコケにしやがって――」
「し、してない。してないよ」
「娼婦って、てめぇ。いわゆるパパ活、援交ってことだろ? 流石にウチでも分かる! バカにすんなし!」
前田さんが、私の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
『ちょっと、うちの聖女様に不敬じゃない?』
パタパタ、アスが不機嫌な表情で彼女達を睨むが、彼女達にはエルのことが全然、見えていない。
『だいたいさ、娼婦じゃないって言うのなら、どうして足をそんなに出しているんだよ?』
「あ、あのね、エル。それは――」
「あぁん?!」
膝より上を見せるのは、娼婦か、妻が夫の元に、夜伽に馳せる時。それを教えてくれたのは、ウィンチェスター王家筆頭メイドのエリザベスさん――エリィだった。
『レディーが、はしたないったらありゃしないよ』
そう、エルが宙をくるんくるん、飛び回る。
それだけでするっと、わざと膝上までたくし上げていたスカートが、標準サイズまで落ち、ブラウスのボタンはしっかりと締められ、リボンタイは結び直された。
「は?」
『まぁ、髪についてどうこう言うつもりはないけれど、あえて脱色する意味が分からないね。かなり
「エル、売女なんて、そんな悪い言葉を使っちゃダメ――」
「売女だぁっ?!」
「ウチ、バイトしてないけど?」
「バカだなぁ、売女。援交だよ、ウリをしてるんじゃないかって、バカにされてるの」
『バカにしているんじゃなくて、事実じゃん』
「頭にきたっ!」
前田さんが吠える。
掃除用のモップとバケツに水が張られていた。あの日、
私のことが気に食わない彼女達は「お掃除」と称して、私に向かって汚水をぶちまけようとして――その矢先で、召喚されたんだ。
あえて思い出さないようにしたのは、気脈で記憶を読むエルに触れさせたくなかったから。彼が激昂するのは、目に見えている。
『ちょっと、それ臭いんだけど?』
汚物を片付ける掃除道具は、清廉な場を好む世界樹の眷属、妖精のエルにとっては、不快以外のナニモノでもない。何より、本来の目的外での使用に、淀んだ精が纏わりついている。
エルが、羽根をはばたかせ、精を集めるが――とても足りない。
「足利君も、ウインチェスター君も
あまりに、この場所は淀みすぎている。そして前田さんの双眸も淀んでいる。
(……これ、憑かれている?)
何をするにしても、遅い。
私はせめて、と。エルを庇うように、前に踏み込んで――。
■■■
ぱんぱん。
乾いた
■■■
「不敬、かつ不浄ですね」
そんな声とともに、音もなくトイレのドアが開け放たれた。
全員が、目をパチクリさせた。
黒を基調に、白のフリル、レースエプロン。ヴィクトリア朝にいたのではと思わせる、メイド――エリィさんが、優雅に立つ。
モップから迸る水滴を、宙に静止させたまま。
これは初歩の生活魔術だ。これも王家付きのメイドであれば、当然の嗜み。そう表情が語っている。
ふふふ、と微笑むエリィさんは、まるで変わらない。
「な、なんなんだよ……これ――」
前田さん達は口をパクパクさせ、それ以上の言葉が紡げない。
「殿下からご指示いただき、待機していましたが。エル、早々に私を呼ぶべきでしたね」
『エリィまで来ているなんて思わないじゃんか!』
「殿下自らの、外遊ですよ? お一人なんてあり得ないでしょう? 使節団と外交交渉で時間がかかりました。誠に歯痒い限りです」
「あ、あんた、いったい何なの……」
かろうじて、前田さんが言葉を紡ぐ。
「……未来の王太子妃殿下へ礼儀を弁えないばかりか、自ら名乗れないとは。本当に、この国と友好条約を結ぶ価値があるのでしょうか」
「「……何を言って――」」
珍しいこともあるもので、私と前田さんの言葉が重なる。
「僭越ながら。ウィンチェスター王家の筆頭メイドの任を賜っております、エリザベス・オーディー・ヴィザールと申します。あ、ご紹介は結構。櫻様に対しての対応、ウィンチェスター王家として厳重に抗議することになるかと存じます。が、我が姫を侮辱したことは、また別です」
「あ、あ、待って、これは――」
「魔力も編めないどころか、精も感じ取れないとは。そんな貴女が聖女様と、肩を並べるご学友? ご冗談を」
エリィさんの怒りは収まらないらしい。私は慌てて、彼女を宥めようとして――。
「まして我が国の世界樹の眷属を汚そうとしたばかりか、王太子妃殿下への無礼。とても看過できません」
「王太子妃殿下……って、だれが……?」
前田さんは、エリィさんの眼光を受け、竦んでしまっている。この間も、汚れた精を浄化しているのだから、彼女は本当にメイドの鑑だ。
「サクラ・サカキバラ様は、すでに王太子殿下と世界樹での成約を交わし、王太子妃殿下になることが約束されている方です。頭が高い、と申し上げているのですよ」
「……待って、エリィさん――」
(間に合わな――)
ばっっっっっっっっしゃぁぁぁぁぁん。
水が弾ける音が響いたかと思えば。私に触れさせまいと、水除けの生活魔術をエリィさんが行使したと気付くのに――数秒。
やっと動けると思った時は、時すでに遅し。
汚れきった水と、淀んだ精を浴びた前田さん達が、子どものように泣き咽びながら、トイレの床に座りこんでいた。
『エリィを怒らせたら、怖いんだよね』
エルの呟きすら、時すでに遅し、だった。
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