世界樹の聖女様にその態度は不敬だと、クラスメートはまだ気付いていない


「ねぇ、どういうつもりなの?」


 舞台は、教室からトイレに移る。


『ねぇ、櫻。この国じゃ、大事な話はトイレでするの?』

「誰にも聞かれたくないからだと思うけど……」


 思わず、ボソッと呟く。その声が聞こえていたのか、島津さん、直江さん、前田さんが目を剥く。


「なに、榊原? あんた、私らをナメてんの?」

『え、この人達、女色じょしょく?』

「……ち、違うと思うよ。多分、エルが思う女色レズとかじゃなくて――」

「ああぁん?!」


 前田さんの激昂を買ってしまった。いけない、エルの好奇心旺盛な質問に真面目に答えていたら、火に油を注ぐことになりかねない。エルの声は、彼女達には聞こえないのだ。


 そういえば、と思う。

 中学校の入学式の日。


 この人達は、私が目障りと言いた気に、突っかかってきた。それから間もなく、私は異世界ユグドラシルに召喚された。そういえば、あの日もこうやって、私は彼女達に――。



 ――足利君の幼馴染みだから。それだけで特別に目をかけてもらっているだけなのに、さも当たり前って感じで振る舞ってさ。あんた、調子に乗りすぎ。


 初対面が、これだ。

 入学式が終わって。


 このトイレで、彼女達に取り囲まれた。

 どう言葉にして良いか、全然分からなくて。


 思うのは、忙しいお父さんが、また仕事に戻っちゃう。それまでに、早く校庭にいかなくちゃ――。


 そう思った、瞬間だった。

 私の足下に、魔法陣が引かれ。


 過去の聖女の魔力情報。総合的に探査サーチした結果、私に行き着いたという。今、私の足下には魔法陣はない。そのかわりエルの精が銀粉となって、時折、星屑を溢すかのようにで。

 と――ちっ、と舌打ちされた。


「そのまま神隠しにあっていれば、良かったのに」

「……」

『なんなの、こいつら?』


 一方、エルは不快感を隠さない。


『ねぇ、櫻? この子達ってさ、あっちで言うところの学徒だよね?』


 私は声に出さないよう、瞬きをして、肯定を示す。エルの言うことは分かる。


 異世界ユグドラシルで学校に行ける人は、限られている。魔術、騎士、官僚。それぞれの大学校に入学できるのは、才能ある一握りの人達で。それ以外の庶民は、教会で言葉を学ぶか、各ギルドで手に職をつける。ただし、多くの子は実家の職を継ぐ場合がほとんど。ギルドに出向する人間は、第二子以下か。放逐か孤児、廃嫡、もしくはよっぽどの変わり種だった。


 そこを基準に考えれば、うちの学校はあっちの大学校と規模は変わらない。まして私立の進学系中学校。才能ある子達で溢れている。


『……なんで、そんな学校に娼婦がいるのさ?』

「娼婦?!」


「さ……榊原、あんたまた私をコケにしやがって――」

「し、してない。してないよ」


「娼婦って、てめぇ。いわゆるパパ活、援交ってことだろ? 流石にウチでも分かる! バカにすんなし!」


 前田さんが、私の胸ぐらを乱暴に掴んだ。


『ちょっと、うちの聖女様に不敬じゃない?』


 パタパタ、アスが不機嫌な表情で彼女達を睨むが、彼女達にはエルのことが全然、見えていない。


『だいたいさ、娼婦じゃないって言うのなら、どうして足をそんなに出しているんだよ?』

「あ、あのね、エル。それは――」

「あぁん?!」


 膝より上を見せるのは、娼婦か、妻が夫の元に、夜伽に馳せる時。それを教えてくれたのは、ウィンチェスター王家筆頭メイドのエリザベスさん――エリィだった。


『レディーが、はしたないったらありゃしないよ』


 そう、エルが宙をくるんくるん、飛び回る。

 それだけでするっと、わざと膝上までたくし上げていたスカートが、標準サイズまで落ち、ブラウスのボタンはしっかりと締められ、リボンタイは結び直された。


「は?」

『まぁ、髪についてどうこう言うつもりはないけれど、あえて脱色する意味が分からないね。かなりいたんでるじゃん。淑女の嗜みすら、できないのかね。この売女ばいたは』


「エル、売女なんて、そんな悪い言葉を使っちゃダメ――」

「売女だぁっ?!」

「ウチ、バイトしてないけど?」


「バカだなぁ、売女。援交だよ、ウリをしてるんじゃないかって、バカにされてるの」

『バカにしているんじゃなくて、事実じゃん』

「頭にきたっ!」


 前田さんが吠える。

 掃除用のモップとバケツに水が張られていた。あの日、異世界ユグドラシルに呼ばれた日。あの顛末には、続きがあった。


 私のことが気に食わない彼女達は「お掃除」と称して、私に向かって汚水をぶちまけようとして――その矢先で、召喚されたんだ。


 あえて思い出さないようにしたのは、気脈で記憶を読むエルに触れさせたくなかったから。彼が激昂するのは、目に見えている。


『ちょっと、それ臭いんだけど?』


 汚物を片付ける掃除道具は、清廉な場を好む世界樹の眷属、妖精のエルにとっては、不快以外のナニモノでもない。何より、本来の目的外での使用に、淀んだ精が纏わりついている。


 エルが、羽根をはばたかせ、精を集めるが――とても足りない。


「足利君も、ウインチェスター君もたぶらかして、お前は本当に最低だなっ!」


 あまりに、この場所は淀みすぎている。そして前田さんの双眸も淀んでいる。


(……これ、憑かれている?)


 何をするにしても、遅い。

 私はせめて、と。エルを庇うように、前に踏み込んで――。







■■■






 ぱんぱん。

 乾いた拍手かしわでを2拍、静かに打たれた。







■■■






「不敬、かつ不浄ですね」


 そんな声とともに、音もなくトイレのドアが開け放たれた。


 全員が、目をパチクリさせた。

 黒を基調に、白のフリル、レースエプロン。ヴィクトリア朝にいたのではと思わせる、メイド――エリィさんが、優雅に立つ。


 モップから迸る水滴を、宙に静止させたまま。

 これは初歩の生活魔術だ。これも王家付きのメイドであれば、当然の嗜み。そう表情が語っている。

 ふふふ、と微笑むエリィさんは、まるで変わらない。


「な、なんなんだよ……これ――」


 前田さん達は口をパクパクさせ、それ以上の言葉が紡げない。


「殿下からご指示いただき、待機していましたが。エル、早々に私を呼ぶべきでしたね」


『エリィまで来ているなんて思わないじゃんか!』


「殿下自らの、外遊ですよ? お一人なんてあり得ないでしょう? 使節団と外交交渉で時間がかかりました。誠に歯痒い限りです」

「あ、あんた、いったい何なの……」


 かろうじて、前田さんが言葉を紡ぐ。


「……殿へ礼儀を弁えないばかりか、自ら名乗れないとは。本当に、この国と友好条約を結ぶ価値があるのでしょうか」

「「……何を言って――」」


 珍しいこともあるもので、私と前田さんの言葉が重なる。


「僭越ながら。ウィンチェスター王家の筆頭メイドの任を賜っております、エリザベス・オーディー・ヴィザールと申します。あ、ご紹介は結構。櫻様に対しての対応、ウィンチェスター王家として厳重に抗議することになるかと存じます。が、我が姫を侮辱したことは、また別です」


「あ、あ、待って、これは――」

「魔力も編めないどころか、精も感じ取れないとは。そんな貴女が聖女様と、肩を並べるご学友? ご冗談を」


 エリィさんの怒りは収まらないらしい。私は慌てて、彼女を宥めようとして――。


「まして我が国の世界樹の眷属を汚そうとしたばかりか、王太子妃殿下への無礼。とても看過できません」

「王太子妃殿下……って、だれが……?」


 前田さんは、エリィさんの眼光を受け、竦んでしまっている。この間も、汚れた精を浄化しているのだから、彼女は本当にメイドの鑑だ。


「サクラ・サカキバラ様は、すでに王太子殿下と世界樹での成約を交わし、王太子妃殿下になることが約束されている方です。頭が高い、と申し上げているのですよ」





「……待って、エリィさん――」



(間に合わな――)






 ばっっっっっっっっしゃぁぁぁぁぁん。







 水が弾ける音が響いたかと思えば。私に触れさせまいと、水除けの生活魔術をエリィさんが行使したと気付くのに――数秒。


 やっと動けると思った時は、時すでに遅し。

 汚れきった水と、淀んだ精を浴びた前田さん達が、子どものように泣き咽びながら、トイレの床に座りこんでいた。






『エリィを怒らせたら、怖いんだよね』

 エルの呟きすら、時すでに遅し、だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る