世界樹の聖女様は浄化の魔術をアダージョのリズムで

「……それでは、配布したプリントの提出日ですが――」


 長い1日が、やっと終わろうとしている。

 やっと、だ。


 こう君にかけた魔術は、私が解除アンチ・ロックした。おかげで、時折、アスに熱い視線が向けられているが、私はその全てを無視することに決め込んだ。


 『櫻はね、もっと魔術を使うべきなんだってぇ』


 お喋りなくらい、エルがパタパタと羽根をはためかせながら、言葉を紡いでいく。右にエル、左にアス。両方が同時に囁いてくるから、賑やかなことこのうえない。


「分かっているじゃないか、エル」

『王子ほど、魔術オタクになるのもどうかと思うけどね』


「ほぉ。妖精風情が王家に楯突くのか。そんな駄妖精の羽根でも、実験材料としては役立つだろうだからな」

『べーっだ。櫻がそんな悪行を許すわけないじゃんか。ねぇ、櫻?』


 ずっと、こんな感じなのだ。おかげで、先生の話がまるで頭の中に入ってこない。


「……榊原さん? ウィンチェスター君の隣で、浮かれるのも大概にしなさい。そんな浮ついた態度なら、席替えをしますよ?」


 まさかの私に飛び火してきて、思わず首を竦めるより――アスの眼光が鋭い。

「……なんだ、あいつ?」

「アス! あいつじゃなくて、先生!」

『更年期なんじゃない?』

「こうねんき?」


 声に出して欲しくない、日本語ナンバーワン! 本当にやめて!


『王子は、まだまだ日本こっちのこと理解してないねぇ。これから勉強していくが良い』


 エル、偉そう。


「駄妖精、お前はなんで、そんなに偉そうなんだよ?」

『こっちの世界じゃ、ボクが先輩だからねぇ。ふんふん♪ ママさんと、ワイドショーで勉強したのさ』

「こっちの劇場ということか……それは興味深い」


 あのね、アス? そんな大層なモノじゃないからね? というか、先生の視線が痛い。


『というか、あの先生。男運なさすぎるね』

「気脈を読んだのか……ふむ。確かに、あれは男運が悪すぎる。色難の相がでているな」

「……どういうこと?」


 見れば、教壇の上の先生が愕然とした表情カオを見せたかと思えば――剥がれ落ちるかのように、感情を決壊させていく。


「……なんで、どうして……どうして男の人って……ウソつきなの……なんで、ねぇ……なんで……」

「アス、今度は何をしたの?」

「俺は何もしてないぞ。俺は」


 はっとして、エルを見る。


『ボクが何かをしたワケじゃないよ。先生さんが気脈に飲まれただけでしょ? まぁ、ボクがちょっと覗いたのは、一因かもしれないけどね』


 気脈とは、自然に息づく、精の流れだ。あっちの世界では、その気脈に棲む精と接続コネクトすることが魔術行使の基礎だった。精を魔力に置きかえ制御化コンパイル魔術論理コードに置きかえる。魔術行使の初歩的過程――散々、アスに講義を受けたが、まさか日本こっちでも、この理論が適応するとは思ってもみなかった。


 気脈が豊かであれば、土地は富む。逆に、精が見放せば、土地が枯れる。精の流れが滞れば、詰まり、厄災に反転する。


 精が乱れた場所では、人の営みも乱れやすい。学校ココで過ごすと、気持ちが、ずんずん重くなる理由を垣間見た気がした。


「ただ、この気脈は不快だな」

『王子に同感』


 エルが首肯すると、アスはそっと私の耳元に口を添える。


浄化クリンしてあげてよ。櫻がしてあげるのが一番だと思うから」

「え……私が?」

「聖女様の白魔術に俺がかなうわけないでしょ」


 ニッと笑うアスに反応するかのように、先生はしゃくりあげながら、私達を睨む。


「ひっぐ……えっぐ……どうせ、私は男運ないもんっ。男なんて、いなくても生きていけるし。そうやって、いつもバカにして――」

「別にバカにしたワケないですよ。ニホンゴ、分からないから櫻サンに通訳してもらっていまシタ」

「は?」


 普通に日本語分かってるでしょ? 通訳なんて、今の今までしたことないし。言語だって、私が異世界サイド・ユグドラシルに行った時に、解析魔術で解決済みだったじゃない。


「そんなこといって、男の人は、そうやってみんなウソつきで……ひっぐ、えっぐ、うぇんっ」


「ほら、櫻。面倒くさいでしょ?」

『本当に、面倒くさい』

「ま、また! そうやって、面倒くさいって言ったいっだぁぁぁぁっ!」


 先生、ごめんなさい。

 本当に、面倒くさい。


 私は小さく息をついて、指で宙に描く。

 精を集める。収束して、魔力へ。


(あっちに比べて、やっぱり少ない……?)


 そう思いながらも、引き寄せる。

 まるで、気圧が下がったかのように、肌がヒリヒリした。


 集めた魔力を、制御化コンパイル魔術論理コードを展開して実行エンター


浄化クリンっ!」


 私の囁きは、先生の嗚咽に掻き消される。

 誰も、私が解き放った白い光は、見ない。


『やったじゃん、櫻。でも、これ浄化クリンってレベルじゃないからね?』


 にししと、エルが笑む。

 先生の悲しみを抱きしめるように、白い光を包み込んだ。



 ――白魔術、聖女の抱擁アヴェ・マリア

 アスが満足そうに、微笑んで。

 それから、私の髪をその指で梳く。



「あ、アス。こ、ここ、教室だか――」

「関係ない。頑張った子は褒めろって言ったのは、櫻だから」


 ふんわりと微笑む。

 息が切れたように、しゃがみこむ先生にクラスメート達が慌てているのを尻目に。

 私は、魔法をかけられたかのように、身じろぎ一つできなかった。




 だって――。




 もう会えないと思っていた、アスが傍にいる。

 それだけで、頬が緩むのが止められなかった。






■■■








「……疲れたっ」

 私はがっくりと項垂れる。


『そりゃ、立て続けに魔術を実行したら、ね。ココ、気脈が薄いし淀んでいるし』


 閑散とした教室内。

 結果、先生は過労で倒れたと、保健室へ。急遽、駆けつけた学年主任がホームルームを引き継ぎ、あっという間に今日は終了になった。


「ウィンチェスター君、またね」

「今度、歓迎会しよう!」

「絶対だよ」

「約束ね」


 そう言いながら、クラスメート達は散開していく。私には、誰一人、言葉をかける人はいない。

 小さく、息をつく。


(想定内――)


 クラスのみんなにとって、1年いなかった私は所詮、赤の他人。そしてあっという間に、溶け込んだアスは、やっぱり王族なんだと実感する。魔術オタク、冷血王子と言われても、やっぱり彼には気品カリスマがある。


 かたん。

 アスが席を立つのは見えた。


「櫻」


 アスが私を覗きこむ。ちか、近いよ。あっちでも、こんなに近くで覗きこむなんてなかったじゃない――。


「ちょっと、待っていて。俺は教師ってヤツらに用事がある」

「え? いや、無理だよ。私も今日は用事が――」


 アスが目を見開く。本当に変わらない。何かにつけて、アスはエスコートをしたがるし、それが適わないとなれば、すぐに護衛やメイドを同伴させたがる。でも、ココは現代日本なのだ。


 それに……。

 カバンの中に入れた、世界樹の種を外側から触れる。やっと、外に出られた。できるだけ、早く約束を守りにいきたい。


「駄妖精、お前は櫻の傍を離れるなよ」

『王子に命令されるまでもないね』


 ベーッとエルが舌を出す。


 ふんっ、と鼻を鳴らして、アスは教室を出て行く。行っちゃう――とまで、思って言葉を飲み込む。何を考えているんだろう。自分から拒否をしたクセに……。本当はなんで日本こっちに来たの、とか。どこに住むつもりなのか、も。異世界サイド・ユグドラシルはどうしたのかとか。アスの婚約者フィアンセはどうなったのか、とか。たくさんたくさん、お話をしたいことはあったのに――。 


「櫻っ」


 気付けば、指先をのばそうとした、その瞬間。

 アスが振り返って、私に向けて微笑んでいた。


「アス?」

「エルがいれば大丈夫だ。ちゃんと、追いかけるから」

『仕方ないから、教えてやるよ~』


 当たり前のように笑む。それから、踵を返して。アスの足音だけが、やけに私の耳の奥底に鳴り響く。アスがこっちに来た、そのあかしを消したくなくて。







■■■







「ねぇ、榊原さん。あなた、ウィンチェスター君といったい、どういう関係なの?」

「え?」


 目をパチクリさせる。気付けば、茶髪に髪を染め、制服のリボン・タイも緩く結んだ、女の子達が、剣呑な空気を隠しもせず、私を取り囲む。








『こいつら、かなり香水臭いけど、水が自由に使えない貴族たち?』


 エルの場違いな言葉をBGMに、私は彼女達に愛想笑いを浮かべるしかない。

 あちらで、水は貴重だ。庶民は蒸し風呂か、川での水浴びが主で。王族ウィンチェスターであれば、世界樹の恩恵でふんだんに湯浴みも可能だが、そうじゃない地域だって多い。


 そうなると貴族の嗜みとして、香水が重要になるわけで。


(……そういえば、アスは、香水くさい貴族子女を嫌悪していたっけ)


 今さらながらそんなことを思いつつ――敵意剥き出しの彼女達にどう対応しようか。真剣に思い悩む私だった。

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